Strange Days

山口を歩く

2010年01月07日(木曜日) 22時56分 , デジタルカメラ 天気:晴れ続く

 明治維新関係の話題を萩に取られている観がある山口(市)だが、それならという訳でもなかろうが戦国期の大内氏でもって売り出そうとしているようだ。ということで、青春18切符消化の一環として、山口まで足を伸ばすことにした。
 山口までは、呉を6:30頃出る下関行きで向かう。途中の新山口で山口線に乗り換え、山口着は10:00を回った頃だ。4時間くらい掛かるのだ。新山口で乗り換えなければ下関に行けるが、到着は11:30。冬場だと現地での戦闘時間は3~4時間しか取れそうに無い。
 山口駅周辺には、びっくりするほど何も無い。といっても荒野に掘っ立て小屋が建っている状況ではないが、小売店の類が駅のNewDaysしかないのではないかという状況だ。
 HT-03AでGoogleMapsと山口の観光情報を見比べながら、まずはザビエル記念聖堂を目指した。ちょうど外壁の塗りなおしで立ち入りは出来なかったが、見たかったのは外観の方なので関係ない。聖堂は山口市中心にある山、亀山の中腹にあり、さらにえらい高い塔を持つので、遠くからでもよく見える。仏教寺院のそれとは異なる鐘の音が、どうやら15分おきに聞こえてくる。
 亀山に登ってみた。頂上にはそうせい殿こと毛利敬親の馬上像が立っている。見晴らしの良い場所で、今日のお目当て、瑠璃光寺五重塔が遠望できる。
 亀山を北に下り、山口県庁方面に歩く。県庁の旧庁舎前に、なぜか古く重々しい門が残されている。幕末に新設された長州藩政庁の門だということだ。
 さらに進み、瑠璃光寺に近づく。その近所にある洞春寺観音堂は、室町時代に大内氏の手によって創建されたという。この寺の鐘楼も見もの。
 瑠璃光寺の近所には毛利家近代の墓地がある。敬親始め明治期の毛利公爵家3代の墳墓が鎮座している。裏手には今の毛利家の墓もあるので、そっとしておこう。
 いよいよ瑠璃光寺五重塔を望む。景観を計算してか、心憎い位置に池があるので、借景しよう。
 ここらで昼食。Twitterで助言を受けながら探したが、蕎麦屋しかなさそう。ということで、山口にあるのになぜか東京蕎麦を名乗る店に入った。鴨南蛮(でも鶏肉)を頼んだ。暖かいのを食べたい。藪蕎麦に薄味の出汁はよく合っていたが、800円ではちょっと値ごろ感が無い。
 さて、昼食後の腹ごなしもかねて、ちょっと足を伸ばす。市域の北側には国宝製造機ともいえる室町期の画僧、雪舟の終の棲家と伝えられる庵がある。すぐ傍に高すぎない山があり、住むにはよさそうだ。かつてはこんなに家屋が無かっただろうし。
 さて、そろそろと山口駅に戻ろう。15:00頃の便に乗ると、今度は下関発で呉まで直通する便に連絡できるのだ。
 その帰路は、歴代の大内氏当主が政務を執り行った築山館の跡を通過する。館の跡は築山神社となっているが、この辺に遺構らしき物があるかなあという程度の薄ぼんやりした雰囲気だ。南に大内義隆が政務を取った大内館跡がある。実質的には1つの館だったようだが、後年になって南西に向けて拡張されていったということらしい。大内館の跡地には竜福寺という寺があり、その周囲にはかつての土塁が見られる。また境内には有料の資料館があったので、ざっと概観してみた。
 竜福寺の南には良い塩梅に古びた洋館造りの写真店があった。
 駅に戻り、往路を逆にたどって帰宅した。行き帰りで7時間強。18切符で安上がりとはいえ、時間を要する旅だった。


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