Strange Days

東北地方太平洋沖地震、その時

2011年03月11日(金曜日) 23時55分 暮らし 天気:晴れ

 いやあ、えらい目にあった。
 ちょうどつまらない用事で、中井町*1の工場に出張していた。用を終え、帰社することに。行きは二宮まで出て、連絡バスで来たのだが、帰りの時間にちょうどの連絡バスは無い。秦野に出るのはある。秦野に出て、小田急で湘南台に、湘南台から地下鉄で戸塚に戻ることにした。
 乗り換えのために、相模大野駅に着いた時だった。ホームでケータイメールを見ていたら、なんだか騒がしい。耳障りな音が続くのだ。キコキコキコキコ、と。
 ん、と顔を上げたら、ホームの対面にある看板が揺れているのだ。いや、それどころか頭上の覆いや、駅隣のビルの看板も揺れている。こりゃヤバいぞ、と思ったが、広いプラットフォーム上に人がひしめいていたので、身動き取れなかった。かなり長い間、振動は続いた。地震、という概念と結びついたのは、周りの人々のそのつぶやきを耳にした時だった。1分は無かったろうが、それでも長い時間揺れ続け、徐々に収まっていった。
 危険を感じて、というより、より本能に近い部分で、頭上に信頼できる覆いのある場所を探して移動する。感心すべきことなのか、逆に憂えることなのか分からないが、我が生涯初めてという規模の地震にあったにも関わらず、見たところ取り乱した人も、パニックを起こしている人も居ない。なんて民族だ、日本人よ。
 それでも、目敏い人々は、より安全な場所を求めて、橋上改札に移動する素振りを見せていた。僕は、この規模の駅なら大地震も耐えるだろうし、耐えられないにしてもそもそも即逃げ出せ無いほど広いので、まずは頑丈な階段の下に引っ込んで、様子を見た。
 そのうち、駅員が『安全を確認するのでプラットフォームから出てください』と呼ばわりはじめた。ホームに溢れかえっていた人間が、瞬く間に改札から外に出されてゆく。誰もパニックを起こしてない。
 僕も、開放されている改札を潜った。とりあえず、改札口からちょっと離れ、様子を見た。
 こういう時は即時性の高いマイクロブログの類が頼りだ。Twitterをチラ見していると。宮城県沖という文字が見えた。関東ではなかったのか。
 駅ビルには損害がないように思っていた。しかし外に出ると、ビル外壁の一部にヒビが入っていた。またどこから来るのか、駅モール出入口の辺りから水漏れもあった。そもそも、頭上にたくさんのディスプレイが吊られているので、怖くて外に出ざるをえない。しかし、外は外で寒い。間が悪いことに、子供のお使いレベルの出張だったので、薄着のまま来てしまった。
 何度か余震が来る。その度に、駅ビルの中に屯していた人々が、徐々に外に出てくる。僕は、駅前コンビニ周辺をうろついていた。
 2時間ほど待った。その間、何度か『町田まで出るか』という考えを持った。相模大野より町田の方がバス網の充実度が高いように思えた。しかし、そこまで徒歩で出ると、今度は鉄道が動き始めた時に、戸塚に戻るのがややこしくなる。
 そうして、2時間ほども逡巡していた。が、やがて駅近のビックカメラなどの従業員が、『追い出された』と話しつつぞろぞろ出てくる。もう小田急再開はなさそうだ。駅ビルに立ち入れないからだ。仕方ない。
 町田まで出たら、ともかく境川沿いに歩けば、ともかく帰宅できる。境川は勝手知ったる道だ。
 てくてく歩き出す。自転車なら、片道1時間、下手すると50分くらいの道行だ。しかし、歩くのは初めてだ。どんな困難が待ち構えているか。
 町田に出て、さらに境川を下り始めた。徒歩は、自転車とは違う筋肉を使う。脹脛が張り始めたので、止まってストレッチ、マッサージをしながら歩いた。
 南町田辺りで日が暮れた。断片的に入る情報は悲惨なものだが、そんな事なぞ知らんというような、いい夕日だった。
 途中、次第に膀胱の耐久試験をしているような塩梅になってくる。しかし、見つけたコンビニは全て、トイレを備えてなかった。困りながら歩いていたが、やがて野球練習場の備え付けトイレを見つけ、難を逃れた。
 とりあえず、水と食料は確保してあるので、自宅まで歩くだけ、という気構えで歩いた。もう歩く以外に道はなさそうだし。
 道々、歩きながら実家と会社に連絡を取ろうとした。実家には連絡が着いたが、会社に対しては全く不通だ。多分、みんな建家から出されてしまったのだろう。避難手順がそうなっているからだ。ひとまず諦める。
 R246交点まで歩き、この先も境川を歩くには、不都合があるのに思い至った。境川沿いには照明がない場所が多いので、真っ暗になるのだ。それならと、八王子街道を東進し、海軍道路まで出ることにした。南下して、横浜市道環状4号を南下するルートなら、街灯が絶えることはない。
 コンビニ休憩を挟みつつ、海軍道路に入り、更に南下して行った。いい加減、足に疲労が溜まっている。どこかで一休みしたいな。ふと目についたのが、瀬谷南のかつ泉。腹ごしらえしようと思い、入ってとんかつセットを注文した。生き返った。いっそ、麦酒も飲みたいと思ったくらいだが、歩けなくなるので断念した。
 さて、家まではまだ10km強ある。まだまだ歩くぞ、と思いつつ進み、ふと行き当たったバス停の経路図を見ると、なんと自宅近くの立場駅までの路線だった。渡りに船とばかりに、すぐに来たバスに乗って、無事に帰宅できた。助かったよ。
 帰宅して、ひどい状況だろうと思いつつ自室を調査する。懸念していた自転車ラックの転倒はおろか、発生確実と見ていた書籍流すら無かった。しかし、寝床のCDラックが倒壊している。
 ひとまず、インターネットで情報を追う。テレビも点ける。テレビを、こんなに真剣に見るのは久しぶりだ。東北沿岸部を襲った津波の画像が、次々に流される。その凄まじさに絶句する。10m超級の津波に襲われたようだ。しかし、どうやら地震そのものによる被害者は少ないようだ。津波によるそれは見当もつかない。
 長い夜になりそうだ。


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