Strange Days

松山を観光して帰還

2011年03月22日(火曜日) 13時04分 , デジタルカメラ , レジャー 天気:好天

 思い返すに、松山に来る度に道後温泉くらいには入るのだが、松山をじっくり観光したことがない。今日は、その機会に恵まれそうだ。
 もう自転車で動く気はないので、ターゲットは松山城周辺に定める。全日空ホテルからは真正面だ。ホテルに荷物を預けてゆく。
 城の周囲は繁華街に取り囲まれており、路面電車がひっきりなしに行き交っている。まずは松山城に向かい、ロープウェイ乗り場を目指した。繁華街から伸びる、いかにも観光スポット的な道を歩く。
 ロープウェイ乗り場は観光センター的な機能を持っていて、かの「坂上田村麻呂」じゃなかった「坂の上の雲」に関する催事があるようだ。帰りに寄ろう。
 頂上の松山城への往復は、歩いても行けるらしいが、ロープウェイかチェアリフトを選べる。いい天気だし、料金は同じなので、チェアリフトを選択した。思った通り、好天もあって気分良く乗って行けた。河津桜らしい、濃いピンクの花が、空中の道行を彩っている。
 松山城は、維新負け組の城にしては綺麗に残っている。石垣は、ほぼ残存したようだ。
 城内は、例によって物々しい工夫を凝らされ、戦国期という状況に最適化された仕組みを、随所に施している。しかし、言うまでもなく維新期には役に立たなかったのだな。射程の長い火力の打ち合いが主体に成り、燃えやすい構造物はあまり役立たなかったろう*1
 郭の最上部は存外に広い。熊本城に比べても広く見えるのは、山を頼りに石垣を晴れる山城の利点なのだろうか。天守閣に上がり、四方を眺めると、無闇に征服欲のようなものが沸き上がってくるのは何故だ。
 またリフトで降り、観光センターを下ってゆくと、場外にこんなモノが迎えてくれる。日露戦争時、二百三高地の攻略で名を馳せた二十八サンチ要塞砲だ。元々は海岸の要塞に据えられていたものだが、思い切って外地である二百三高地の攻略に転用したもの。もちろんレプリカ。
 この辺で、他のこば氏を初めとする一行は、一足先に松山空港へと向かった。僕は1便遅くしたので、まだ時間がある。またホテルの向かいにある、坂の上の雲ミュージアムに向かった。安藤忠雄の設計で、外からみるとシャープで印象的だが、中は区割りがまちまちで、しかも完全往復式の経路*2という、真に謎な設計になっている。誰の責任だ。
 ちょうど日本海海戦にまつわる催事があり、ついつい長居してしまった。早く出て、適当な店で喫茶でもしているつもりだったのだが。
 同じ敷地内に旧松山藩主の別邸、萬翆荘がある。絢爛豪華な、明治期の上流階級の暮らしぶりを覗える建物だった。
 松山空港に出て、まず荷物を預け、遅い昼食を取った。荷物は、なにが増えたのか、行きの17kgから22kgにもなっていた。あまり身に覚えないが、重さは後者の方が正確かもしれない。ツーリングパニアが非常に重いのだ。次回は減量しておこう。
 無事に羽田に戻る。ああ、また東日本でのピリピリした生活に戻るのか。


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