Strange Days

小松左京逝く

2011年07月28日(木曜日) 21時34分 SF , 思考 天気:不順

 ついにこの日が来た。
 昼過ぎに、Twitterで一報に接したときには、『ああ、ついにこの日が来てしまったか』という想いに囚われた。いつかは来るだろうと覚悟していたが、今日がその日だったとは。
 故人の業績について、改めて書き下すまでもなかろうと思う。しかし、世間にとっては、小松はその作品を知られ、というより、むしろ万博や花博のプロデューサー、映画との関わりで知られていたのではないかという気がする。それは故人にとって幸福なことだったろうか。もちろん、僕にとっては『復活の日』の、『明日泥棒』の、『さよならジュピター』の、『日本沈没』の、そして『果しなき流れの果に』の作者が小松であったことにこそ、意味があったのだ。
 小松は逝ってしまったが、80歳ならば大往生というべきで、あんまりしんみりしないで、笑って送りたい。僕の少年期からこちらの感性を形作ってきたのが、SFという文学の一部分にして異端じみた代物だった。分けても小松の占める位置は非常に大きいものだった。その小松は、『大抵の問題について、人類は乗り越えられる智慧を持っている』と語っていた。その通りだ。原発の問題に関しても、放射性物質の始末そのものには困るとしても、それを収集して、安全に保管する技術は持っている。戦争に関しても、少なくとも先進国においては『より安全な戦争』への道が模索され、またそもそも戦争となった時の相互ダメージの巨大さから、躊躇われる傾向がはっきりと見えている。いずれも、残るは人間そのものの心理的な問題なのだ。だからこそ、司馬遼太郎共々、日本の現状について言葉を聞きたい相手だった。本人も日本の行く末を見届けたかったに違いない。
 作家としての小松は、ここ20年ほども前に物故していたとも言えそうだが、それでもたまに浮上してこられては一言残してゆかれるのが頼もしかった。
 今夜は、どうせなら不謹慎な『(ス)サマジイ革命』でも追悼読書しようかと思ったが、そもそもどこにしまい込んだことやら。不誠実な読者をお許しあれ。


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