Strange Days

壱岐行き2日目 地獄の南部編

2016年06月11日(土曜日) 21時20分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:雲多し

 天気予報が悪化し、明日は雨っぽい。今日のうちに、走りたい場所を走っておくことにした。


 昨夜、宿に帰り着くと、旧暦の節句だったとかで、菖蒲が一束置かれていた。これで菖蒲湯をどうぞということだ。気が利いてるな。ここはユニットバスではあるが、早速楽しませてもらった。
 ついでに、今日の着た物を洗濯し、携行乾燥機セットで乾かしておいた。何の事はない、ハンガー型乾燥機にビニール袋で多いを作っただけだが、十分実用的な時間で乾かせる。
 さて、今朝はまだ走ってない、島の最高所近辺を走りたい。というのも、明日の天気予報が悪化中だからだ。明日はあまり走り回れないと考えると、厳しい登りを今日中に済ませておかねばならない。そう、島の最高所、岳ノ辻だ。
 朝、宿を出て、郷ノ浦の東岸に沿って走ってみた。港から高速船が出港してゆく
 港を見渡す場所に、市杵島神社がある。鳥居は海に向かっており、船で乗り付けて参拝するのが正式らしい。
 細く入り組んだ道をウロウロして、登りに差し掛かった。ガシガシ登ってゆく。といっても、標高200m程度しか無いので、ちょっと頑張ったら登りきれるくらいだ。難なく、公園の駐車場に到着した。たかが200mとはいえ、壱岐最高所。見通しは実に良い
 島の南方に再び下る。壱岐はマクロ的には平らな島だが、細かな谷と尾根が入り組んだ、複雑な坂の島でもある。たかが200m、と舐めていた僕は、案の定思い知らされるは目になった。
 坂と坂の間に広がる狭い平地に、よく整えられた水田が広がっている。おや、こんなところに赤道が通っているのか。道理で温いはずだ(ボケ)。
 海辺に降りる。この辺の海は清い。その清い海と、細々と開かれた田畑の間を、幾重もの道が縫っている。壱岐は、島の隅々まで人手が入っている。そのせいなのか、自販機が方々にある。こんな、なんもない場所にまで。自転車には大助かりだが、どうしてこんな需要があるんだろう。
 島の南端、海豚鼻に向かっていたら、六地蔵という場所への案内図が目に入った。地名に興味を覚え、向かってみた。坂道を難なく登り、ダムに向かう途中、こんな碑を見た。1944年に、壱岐くんだりまで、B-29が何をしに来たんだ。
 さて、ダムまでは人道的な道だったが、ダムを超えた先は。あの右手の傾斜を登らにゃならんのか。血反吐を吐きながら、登ったとも。
 六地蔵は、無機質な工場がポツポツと立つ場所から離れた、ひんやりした霊場的な場所にあった。あまり汚しちゃいけない気がして、そろそろと引き返す。
 ダムを渡り返し、また海にほど近い道を東進した。古墳の看板を見つけ、寄ってみた。大米古墳。盛土が失われ、石室が露出している。その石室に、海豚らしい動物が線刻されているそうだが、実物を見てもよくわからんな。
 海豚鼻は、細い道が雑草で塞がれ、マダニ天国に思えたので、回避。降った初瀬の海岸に、初瀬の岩脈という場所がある。わざわざ観望台まで作られる力の入れようだが、あいにくこんな地味な岩肌でしか無い。しかし、はるか以前に、この辺りの地中深くの砂岩層に、マグマが貫入した痕跡だと思えば、なにか沸き立つものを感じるではないか。
 ここにある鏡岳神社は、ここからさらにぐっと登った小山の上に、神体がある。もう、遥拝で勘弁して下さい。
 本当は、昼には印通寺港に下っているつもりが、坂地獄のせいで全く道行きがはかどらず、未だに海豚鼻だ。お腹すいたが、宛もないので印通寺方面に向かう。
 山の上に遠見の大石という、かつての監視哨跡があるらしいのだが、あまりにひもじいのでパスする。幸い、自販機は頻繁に見かけるので、糖分補給しながら走ることはできるのだが。
 ひもじいなあ、と思いつつ走っていたせいか、こんな山中だというのに、小綺麗なパン屋の幻まで見た。いやいや、こりゃ本物だ。パンプラスというパン屋さんは、つい最近開店したようだ。結構、客が来ている。ここでコロッケパンなどを買い求め、イートインした。命が繋がったよ。
 ともかく、印通寺には寄ろうと、その間の小山を回避したいので、久喜触という少漁港に、一旦下る。そして、そこの闇龍神社という神社で、必死に祈った。というのも、そこからまた、どえらい登りであることが判明したからだ。こんなはずじゃなかったのに。
 必死な祈りが通じたのか、なんとか登りきり、また下って、印通寺に入った。
 この、本土との連絡船も入る港の西に、唐人神という社がある。なんでも、昔に唐人の下半身だけが流れ着いたことがあったからだそうだ。何故それを祀った。そして、なぜ下半身だけで唐人とわかった。
 沖の小島にも、神社が据えられている。壱岐はそこいら中に神社がある島だ。
 もう、良い時間だ。疲れたのもあって、この先に進む気が失せた僕は、印通寺にある松永記念館を訪ねた。この松永安左エ門というおっさんは、創成期の電力業界を牽引した大立者だが、この壱岐の出だという。横浜の三渓園にも関与している人で、感慨深いものがある。
 暑いので、自販機の水で頭を冷やしながら、再び郷ノ浦への坂を越える。永田ダムから郷ノ浦を眺め、宿に帰着した。やはり悪天の予感が空にみなぎり、雲は次第に濃くなってゆく。昨日、夕日を見ておいてよかった。

 

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