Strange Days

世紀を越えて

2000年03月26日(日曜日) 23時34分 テレビ

 「世紀を越えて」。今回はテロリズムの恐怖を描く。
 いまやイスラム(と括らずともあらゆるカルト/セクト)は諸々のテロの源泉となっている。特にイスラム原理主義は'60~'70年代の共産テロをもしのぐ激しい活動振りだ。近年では世界貿易センターでの大規模なテロ、アメリカ大使館同時爆破などアメリカを標的にしたテロを繰り返している。これに対してアメリカもアフガニスタンやスーダンに存在するテロリストの拠点を攻撃するなど、状況は次第に戦争に近いものになりつつある。
 イスラム原理主義が伸張する背景には、イスラム教徒の増大と、その割に不遇なままの経済的状況があるのだろう。経済的に救われず困窮のまま置かれた人々は、なんらかの形で救済を求める。そこに手を差し伸べるのがイスラムであるというわけだ。イスラムが唯一の行動原理となった人々にとって、原理主義はすぐそこだ。
 イスラム過激派の指導者ラディンは、『アメリカとその同盟を攻撃する』と言明している。つまり日本も既に標的になっていると考えていいだろう。世界貿易センターの次は、新宿新都庁辺りかもしれない。
 もしもイスラム過激派がイスラムの抜きがたい体質を具現しているのだとすれば、当然の帰結はイスラム対それ以外の全面戦争しかありえない。どのような形態をとるにせよ、イスラムと周囲の摩擦は戦争状態としか形容できないものになるだろう。アメリカとラディンはその先頭を切っているに過ぎない。この不気味な予測を裏付けるのが、「ラディンはイスラムが世界を支配するまで闘争を止めないだろう」という別のイスラム指導者の言だ。
 問題はイスラム"以外"がイスラムにどう付き合っていくかにあるだろう。その伸張を認め、最終的に飲み込まれる覚悟で受け入れるのもひとつの手だ。しかし非イスラム圏には諸々の原理主義と闘争してきた暗黒の歴史がある。その中で原理主義に対して共通の対処法が見出されている。欧州の、特にドイツでのプロテスタント運動(なかんずくドイツ農民戦争)、そして日本の戦国時代における織田勢力対一向一揆の戦いでは、原理主義を支える人民そのものを殺戮し尽くすことで決着がついた。いかな原理主義といえど、支持者を失えば消滅するしかない。このことを我々は歴史を通じて知っている。もしもこのことを現代に愚直に当てはめれば、テロリズムに対して絶滅戦争で報復しようと考える勢力がいたとしても不思議ではない。アメリカもアメリカ先住民に対して絶滅戦争を仕掛けた歴史がある。
 今すぐにそのような世論が形成されるとは思えないが、この先イスラム理解不能論の類が出てきたら要注意だろう。当然、日本もそうした動きに巻き込まれるだろう。


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