Strange Days

ちょっと観望&暗闇に思うこと

2000年05月24日(水曜日) 23時13分 星見

 夕方、空を眺めると相変わらずの春霞の空だ。このまま入梅してしまうのではないか知らん。21:00くらいの空も煙っている。
 真夜中、さて寝ようかと思ってベランダに出たら、東に月が出ていた。それが昨夜のような赤い月ではなく、かなり黄色っぽい月だ。なんとなく昨夜よりは期待持てそうな月だったので、ワイドビノで空を眺めてみた。さそり座は案外にくっきり見え、南斗六星もけっこうくっきりと見える。少し空をのぞいてみる気になった。
 いつもならベランダに双眼鏡なり望遠鏡なりを持ち出すところだが、今夜は真正面の家が窓を開け、涼を取っているのが気になった。覗きに間違われるのは嫌だし、隣家の住民もいい気分ではないだろう。そういうことならと、MIZAR20*80を担いで外に出た。
 その三脚を近所の路上に設置し、さそり座方面に双眼鏡を向けた。うーん、やはりいまいちボケたような夜空だ。やはり透明度が低いのだろう。もう一つ、街灯が明るくて目が充分暗順応できないというのもありそうだ。近所に開けたスペースがあるのだが、生憎なことに近くの自販機の明かりが眩しすぎるくらい明るい。都会で暗い空を得るのは難しいことなのだ。
 街灯や自販機の明かりを見て、その明るさが防犯に役立っていると思っている人もいるようだが、そうでもないのではないか。人間の目は暗いところではその暗さに順応してちゃんと視界を得るという優れた機能がある(これが暗順応)。ところが、暗い中に明るい光源が点在するという状況では、この暗順応が充分働かない。暗順応の反対に明順応という機能もあるのだが、この明順応は暗順応の何倍もすばやく機能する。そのため、前述のような状況では目が光源に向けられるたびに高速で明順応してしまい、次に暗い領域に入ったところでは暗順応が進まず、充分な視界を得られないことになる。暴漢がいれば余計危ないし、そうでなくても足元に何があっても気づかないことになる。
 解決策の一つは膨大なエネルギーを費やして全ての闇を駆逐してしまうことだ。しかし都市の消費するエネルギーは周囲の環境に確実にダメージを与えている。都市の照明のため、夜空を行く渡り鳥が迷子になるという事例もあったと思う。
 そのように周囲にダメージを与えかねない方向に進むより、ここは後退する勇気をもって都市の闇を復活させるべきだと思う。都市には重点的に照明すべき場所と、その必要が無い場所がある。夜間でも営業している店舗などは前者の範疇に入るだろうが、その場合でも遠距離に照明が届かないように配慮するべきだ。後者は一般の歩道などで、ここでは今のように街灯を増やすことではなく、目にまぶしくないような種類の照明を採用し、なおかつその間隔を充分に取ることが必要だ。
 えらそうに書いてきたが、これらは暗い夜空を取り返そうというダークスカイ協会の主張を、僕が理解したままに書いただけだ。しかし天体観望の趣味を得たからというのもあるが、引越しの度に人が自然環境を駆逐してしまう現場に立ち会うことになってきたので(ようするに街のはずれの田舎に住むことが多かったというだけだが)、こうした主張にはほぼ同意できると思う。天の川が見えないなんて、寂しくありませんか?
 結局、その自販機の近くでは東天の視界が充分得られなかったので、双眼鏡を高高度に向けて他の星座を見ようとした。が、この雲台では70度以上の視角は得られないのだった。手持ちではさらに見えない。シーイングの悪さもあって、結局今夜の観望も不完全燃焼のまま終了。


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