Strange Days

2005年08月27日(土曜日)

ホピ族の人形を見てきた

19時26分 思考 天気:晴れ

 前から行ってみたかった、神奈川県立近代美術館の葉山別館に行ってきた。三浦半島を走って帰る時、これが完成しているのに気づいてから、一度入ってみたかったのだ。
 家を14:00前に出た。ちょっと悩んだが、靴の都合から自転車は通勤用TCR-2にした。美術館の類は大概綺麗な化粧石を敷いているので、クリートでゴリゴリ削るのもなんだし、SPD-SLだとこける可能性があると思ったのだ。後で考えるに、換えの靴を持っていけばよかったんじゃないか?
 経路は、鎌倉に駅裏側から抜け、逗子まで裏道、後はR134というものだった。車が多く、意外に時間を要した。特に鎌倉周辺の混雑には参った。
 葉山別館は、完成して数年しか経ってないこともあり、綺麗な建物だった。ちゃんと駐輪場があるので、これでもかとばかりに多重施錠しておいた。入館料は今回の企画展では1100円。エントランスの奥に無料*1のロッカーがあり、手ぶらで回れるので助かる。
 今日、急遽来ることにしたのは、今回の企画展が明日までの予定だったからだ。
 今回の企画展は、北米原住民のホピ族が子供たちに与えている人形、カチーナ人形のコレクションと、それを蒐集したドイツの芸術家、ホルスト・アンテスの作品展示という内容だった。
 ホピ族というのはUSA南部の州の高原地帯、メサと呼ばれている地域に住んでいる人々だ。争いを好まない、穏健な人々と言われており、スペイン人や他の北米原住民種族との紛争を避け、この高地へと居を移したといわれている。それが怪我の功名となって、今に至るまで集団としてのアイデンティティを色濃く維持し、共同体としての姿を維持してきた。
 彼らは独特の神話を有している。この世界は滅亡と再生を繰り返しており、今の世界はそれらに続くものだというのだ。南山宏が喜びそうな題材だ。
 彼らの生活はとうもろこしに支えられている。降水量の少ないこの地で、とうもろこしを収穫するには、詳細な自然観察と、畏敬の念が必要とされたのだろう。自然の力無くして生活は成り立たないという観察から、彼らは頻繁に祭祀を執り行い、自然に対して自分たちに有利な働きかけをしてくれるよう請願する。とうもろこしの収穫サイクルに沿い、一年の前半に頻繁に執り行われる祭りには、自然界の諸々の存在を仮託した*2様々な仮面をまとった踊り手が登場する。これがカチーナ。成年男子しかなれないこの踊り手は、名誉な職らしい。例えば雷、例えば雪の神が憑いたこれらの踊り手は、村の広場で、あるいは地下に設けられた聖なる空間で踊る。踊ることによって、踊り手たちに憑いた神々が、とうもろこしや自然に働きかけることになるというわけだ。
 これらの踊り子の姿を、デフォルメを込めて再現したのがカチーナ人形だ。カチーナ人形は幼い子供たちに与えられ、神々への親近感と、それを中核とした共同体への帰属意識を持たせることを狙っている。
 一体一体見て回った。初期*3のものは朴訥としたものだが、20世紀に入ると手が込んでくる傾向があるようだった。巨大な羽飾りをつけた、ど派手な仮面が登場してくる。また、初期の素朴なものには、日本の石仏やイースター島のモアイ像を髣髴させるようなカーブも散見される。これらの地域に跨る文化的同一性があったのかもしれない。
 ホピ族のカチーナ人形に惹かれ、体系的に蒐集したのが、ドイツの芸術家、ホルスト・アンテスだった。巨大な顔に手足が生えたようなモチーフ*4を書き続けてきたアンテスは、カチーナ人形に出会ってから、ホピ族の精神世界を自分の作品に取り入れようとしてきたようだった。アンテスの近年の作品には、なぜか梯子が書かれていることがある。その梯子は、ホピ族が祭祀を行う神聖な地下空間への梯子を意味しているようだ。
 ホピ族の神話は、空間と時間の多重構造になっているのが興味深い。東は始まりの場所であり、西は終末の場所であるというのだ。日の出と日の入りを意味している。
 一巡したら、もう閉館時間が近かった。帰路を考えても、そろそろ家路に着かねばならない。涼しい館内を出て、一路立場へと帰っていった。