しまなみ縦走の日程は明日明後日。その後は松山に出るので月曜日までの日程だ。しかし、飛行機の都合で前泊するため、今日は呉だ。そのついでに、ジモティはあんまり行かない、呉の観光ポイントを抑えておこうと思う。
朝一のANAで広島に飛ぶ。バスで呉に出て、実家に寄ってから、また呉市街に繰り出した。今日は、長迫公園に行ってみよう。実は、長らくジモティをやっていたのに、存在を知らなかった、大日本帝国海軍鎮魂の場なのだそうな。
本通りを広トンネル方面に向かい、やり過ごしてから呉越の上りがきつくなり始めた辺りから、休山方面に折り返す。すぐに霊園じみた公園に行き当たった。駐車場もあり、バスも通るので、割と簡単に来られそうだ。
公園は、丘のいただきに近い辺りの谷間にあり、斜面に大ぶりの鎮魂碑が、思い思いに佇んでいる。日当たりの良い場所でもあり、墓地のひんやりした雰囲気ではない。空気は案外に明るい。
もがみん、すずやん、扶桑さんなど、やはりメジャーどころが揃っている。最後の案内板に見えるように、ここで鎮魂あるいは顕彰されている艦船はおびただしい数に上る。また、艦船単位ではなく、根拠地隊や、戦役全体の死者、著名な個人、更には大日本帝国海軍剣道会というマニアックな鎮魂碑まである。恐らく大戦前のものだろう、英国水兵の墓標もある。
ここからは、
呉浦全体を見渡せる、絶好の地だ。
長迫公園を後にし、さらに休山西斜面に沿って走る。向かうは、呉の珍寺、源宗坊寺。なんでも、コンクリート仏像が繁茂する、夢のFunky Buddha Playlandなんだげな。近くまでは行った。だが、最後の方は
これもんの凄まじい上りで、もはやウィリー状態なので、到達を諦めた。次は、徒歩で行ってみようか。まあ、暑くはない時期に。
さらに音戸方面に向かう。大和神社辺りに出た。ふとドックを見ると、
うみぎりが入渠中だった。近くには、
いなづまも。
大和神社のモニュメントは、こうして見ると愛嬌がある。
旧呉鎮、現呉地方統監部庁舎を、立哨に断って撮影。おのれ艦これ運営、呉鎮を追われ大湊に遣られた恨み、一生涯忘れんぞ。
大和ミュージアムにも寄っておくぜ。相変わらず、結構な人出だ。つい正月にも撮った
1/10大和だが、今日はE-M5IIでパチリ。
こういった静物を、息を詰めて撮っている時に、頓に感じるのだが、E-M5iiは意外にシャッターショックが大きい。D7100ではほとんど感じることはないのに、E-M5iiは明らかにブレを感じるほどだ。Nikon 1 V2でもほぼ感じないので、バランス的なもの、あるいは1/8000sを実現するために、なんらかの無理があったのだろうか。しかし、静音シャッターという押下後間を置いて作動する機能もあるので、使い分ければいいだけだ。
次は、外で誘っていやがる
涙滴型のニクイやつに入ってみよう。海自資料館は、実は潜水艦の特定エリア以外は撮影自由だ。これは掃海艇に積まれていた、機雷破壊用の
20mmガトリングガン。わざわざその用途に多銃身機銃を使うのは、あんまり意味無さそうだ。実際、わざわざ発射速度を落としてあるので、単銃身の適当な機関砲で間に合うんじゃないだろうか。その訳は、思うに、日本国内で製造している機関砲で、入手性が高かったのが、空自向けに生産が継続しているM61A1だったから、と言った辺りかもしれない。
DASHの実物を拝めるのは、日本ではここだけだ。RPVの制御技術が大幅に向上した今、この手の艦載無人飛行デバイスのリバイバルはあり得るのだろうか。
元あきしおにも入る。以前は撮影可能な区画に関して、細かく注意されていたのだが、あまり言われなくなったようだ。おっちゃんたちが、指揮室のあちこちを平気で撮っていた。
それにしても、潜水艦は狭い。
艦長室でさえ、この有り様だ。これよりずっと小さなUボートで、大西洋のあちこちに出没していたドイツ人たちは、あの体格でどう収まっていたのやら。
大和デッキで夕陽を見送る。明日からは、見事に晴れてくれそうだ。
夕食は、いせや食堂でカツ丼と肉じゃがを食べて帰った。明日は5:00起きだ。