Strange Days

2001年09月30日(日曜日)

NHKスペシャル

23時15分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「瀬戸内海 豊かさのメカニズムを探る」。世界有数の内海である瀬戸内は、その生命相の豊かさでも知られている。漁獲高は、やはり多島美で知られるエーゲ海の実に20倍。数千種の魚類が生息しているという。豊かな海だ。
 瀬戸内海は、三つの海峡で外洋とつながっており、また大小数え切れないくらいの島が存在している。
 瀬戸内の地形は、主に瀬戸と灘に分けられる。瀬戸は島と島の間の狭い海峡で、それを挟んで平坦で開けた灘が広がっている。瀬戸での潮流は強烈で、常に大きな渦が巻いている。一方、灘は水深の浅い砂地が広がっている。これは、瀬戸で急峻な水流により岩が削られ、その砂が水の淀む灘に堆積した結果だという。灘の砂地には、水深の浅いところを好む海藻の類が繁茂している。この海藻が小動物に隠れ家を提供し、それを目当てに多くの魚が集まってくる。
 瀬戸内海の水流は複雑だが、だいたい水平の流れと垂直な流れに分解されて理解が進んでいる。水平な流れは潮の満ち引きによるもので、瀬戸内の中心部辺りまで6時間かけて膨大な水が押し寄せる結果、瀬戸内の真ん中付近で干満の差が著しくなる。
 垂直な流れは渦によるもので、海底にたまった有機物や栄養素をすくい上げ、生き物の群れる表層へと運んで行く。瀬戸内は、こうした絶え間ない水の流れにより維持されているのだ。
 一時、盛んに海砂が採取された結果、一部の灘の地形が激変してしまった。水深20m程だった地点が水深50mまでえぐられてしまい、日の光が届かなくなった結果、海中生物が激減してしまったのだ。海砂の採取をしないで高度成長期の建築需要を満たせるとも思えないから、一概に悪だったとも言えない。だが、もうこういった生物相にインパクトを与える行為は継続できないだろう。実際、瀬戸内沿岸の各地では、海砂の採取を禁止する条例が、着々と布令されつつある。
 こうして痛めつけられた瀬戸内も、実際には年間6mmの割合で灘への海砂の沈殿が続いており、やがて十分な時間をかければ元に戻ると考えられている。しかし、海洋生物相がそれまで維持されるか、やや心配ではある。

2001年09月23日(日曜日)

今夜のNHKスペシャル

22時52分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」"もう一つの地球を探せ"。
 人類による宇宙探査は、恒星を対象とする段階から、その恒星を巡る惑星を探査する段階へと進行しつつある。発見が期待されているのは、地球のような生命の存在しうる惑星だ。
 惑星を探すのは容易ではない。惑星は恒星と違って自ら発光することはないので、光学的な手段では捉えることが難しい。その代わり、恒星の重心のふらつきを観測することで、その周囲に別の重力源(すなわち惑星)が巡っているかどうかが分かる。
 最初の頃、学者たちは木星と同じ14年周期の変動を発見しようと努めた。もしも木星のような惑星が、木星と同じような位置にあるのなら、力学的には太陽系のような惑星と同じ構成となりうるので、地球型惑星の存在も期待できるのだ。が、長い観測にもかかわらず、それは遂に発見されなかった。しかし、別の研究グループが、驚くべき発見をした。14年周期の変動はなかった。しかし、わずか5日以下の非常に短い変動が発見されたのだ。
 発見された惑星は、恒星のごく近傍を、猛スピードで回る、木星より巨大なものだった。巨大灼熱惑星(Giant Heat Planet、とでもいうのだろうか)と名付けられたこの種の惑星は、恒星の近傍を巡るガス惑星で、恒星の重力が強いため常に一面を恒星に向けたまま、大気を高温で沸騰させている代物だ。想像を絶する天体だ。
 その後、多数の観測によって類似の惑星が多量に発見された。その代わり、地球型惑星の存在をうかがわせるものはない。巨大灼熱惑星が存在する恒星系では、地球のように安定した環境は構築できないと考えられている。どうやら、地球という星は、想像以上に宇宙の中では希有な存在であるらしい。
 どうして巨大灼熱惑星は誕生するのだろう。そのメカニズムの鍵を握るのは、惑星の数だ。太陽系では、木星クラスの巨大惑星は木星と土星のみだ。海王星、天王星はそれよりずっと小さく、また他の星は地球型の岩石優勢のものだ。もしも木星級の惑星が三つ形成されてしまったならば、その恒星系は力学的に非常に不安定になり、まず他の小さな惑星が吸収されたり跳ね飛ばされたりして一掃され、さらに三つの惑星のうち一つが恒星系からはじき出されてしまう。その過程で、恒星の近傍を巡る巨大灼熱惑星が誕生するのだ。また、恒星系を構築するためのガスが多すぎてもいけないらしい。巨大惑星が形成されやすく、前例のような事態に陥ってしまう。
 さらに、太陽系誕生から、太陽が輝き始める時期も影響していたという。太陽が輝き始めたとき、その光圧、太陽風圧で、周囲の塵が一掃された。それがもしももう少し遅かったなら、海王星や天王星はさらに成長し、結局三つの木星級惑星が生まれていたかもしれないのだ。逆に、木星が存在しなければ、地球は豊かな命の星になれなかったかもしれない。はるかオールト雲からやって来る彗星。その中でも巨大なものは、地球に衝突して、しばしば大きなインパクトを与えてきた。生命は、その危機を乗り越えることで、複雑性を増してきたのだ。しかし、もしも史実より頻繁に衝突が起こっていたならばどうだろう。生態系が立ち直る前に次の衝突が起こったならば、生命は二度と立ち直れなくなるほどのダメージを受けていただろう。木星がなければ、そうなったかもしれない。木星は、その巨大な重力で、オールト雲から飛来する彗星を吸収し続けてきた。もしも木星がなければ、地球に到達する彗星の数は、今の50倍(えっ、500倍だったっけ?)に達していただろうと推測されている。
 このように、地球の存在は、危ういバランスの上に立った奇跡的な出来事であり、あるいはこの宇宙に、地球のような生命の星は希有なのかもしれない。
 SETIに代表される生命探査への期待は、この先もずっと裏切られ続けられるかもしれないなあ。元々、宇宙には生命がありふれている"はずだ"という期待は、人間の営為の一つである科学の決まり事を鵜呑みにした結果に過ぎない(例えば宇宙の均一性とか)。科学というものは、あるかどうかはわからない人間の"外部"から、人間にとって有益なディテールを切り取ってくる活動の一つだ、と言い換えることが出来るだろう。そこには恐怖があり(人間が規定するところの生命現象は、この地球に限定されるかもしれない)、また希望(人間の想像の及ばない類のなにか、あるいは新しい人間的営為によって知りうるなにかがあるかもしれない)もあるはずだ。

2001年09月16日(日曜日)

NHKスペシャル「狂牛病・感染は何故拡大したのか」

23時16分 テレビ

 今日のNHKスペシャルは狂牛病の話題。長い間人事だと思っていた。これは欧州での災禍であり、日本は無関係だ。それに牛の病気なので、人間は無関係だ。そう思っていた。ところが近年、狂牛病と同様の症状の患者が次々に現れ始め、人間にも感染する事が明らかになってきた。さらに、つい先日には、国内でも狂牛病同様の症状を現した牛が発見された。いつの間にか、僕らの足元に忍び寄っていたらしい。
 狂牛病がプリオンというたんぱく質に深い関連があるということは分かっている。通常、プリオンは細胞内でごく当たり前に製造されるたんぱく質の一種だ。ところが、形状の異なる異常プリオンが現れると、この異常プリオンが周囲の正常なプリオンも異常プリオンに変えてしまい、最終的にはその細胞は死んでしまう。それが脳の神経細胞に多量に発生した結果、痴呆状態になり、狂牛病の症状を現すことになる。
 異常プリオンは高熱でもなかなか分解しない。それが今回の拡散の一因となった。死んだ家畜や屑肉は高熱で処理され、肉骨粉という飼料に変えられる。これを摂取した牛は、そこに含まれている異常プリオンのために狂牛病に罹ってしまうのだ。また潜伏期間が8年程度と長いのも厄介な点だ。
 この肉骨粉が日本にも輸入されたのではないかという疑いが持たれている。イギリス側の資料には、日本に数百トンの肉骨粉が輸出されたとある。ところが、農水省は「輸入はしていない」と言い切っている。この齟齬はどこから来ているのか、不思議だ。
 しかし、先週に入って、日本で狂牛病様の牛が発見されたわけで、肉骨粉が入ってきていたのはほぼ確実に思える。農水省の能力がその程度のものということなのだろうか。一体、日本の官僚は、どこまで落ちぶれてしまったのか。
 しかし、狂牛病が日本に侵入してきたということは、普通に暮らす僕のような個人にもその脅威が及ぶ可能性があるということだ。しばらく、肉食は控えようか。

2001年09月09日(日曜日)

NHKスペシャル 日本人はるかな旅

23時39分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「日本人はるかな旅」第2夜は"巨大噴火に消えた黒潮の民"。
 冒頭は見逃したが、トカラ列島辺りの海底火山が大噴火し、南九州にあった大集落を滅ぼしてしまったという話だと思われる。縄文時代、約6500年前のことだ。かつて、縄文文化は北方優勢で、東日本から北日本にかけて存在し、西日本ではそれほどの勢力でもなかったと思われてきた。ところが、近年になって大隈半島などから大規模な縄文集落が発見されている。実は、6500年前の大噴火により、その形跡が拭い去られていただけだったのだ。
 彼らはどこからきたのだろう。
 氷河期、地球の海面は大きく下がり、今では水没している広い陸地が現れていた。その一つに、インドネシアを中心とする亜大陸があった。この地は氷河期にも温暖で、簡単に食料を入手できたため、大人口を養うことができた。ジャワ島は原人の宝庫といわれる。
 やがて氷河期が終わった。すると水面が再び上昇し、亜大陸が水没し始めた。人類の生息地が減少し始めた。これに促されて、人類は初めて船による航海を試みるようになったと推測される。最初は河川を渡るための筏を竹で組むことから始まったと考えられる。それがやがて川下の大河に、そして遂に海へと至った。その過程で筏はより渡洋性の高い丸木舟へと発展したと思われる。この丸木舟の建造に必須なのが、木を加工するのに適した丸ノミ石斧だった。そしてこの丸ノミ石斧は、九州南部の遺跡からも出土している。つまり、亜大陸から逃れた一派は、九州南部にまで到達していたのだ。
 その航海は一度では済まなかったと推測されている。まず彼らはフィリピンに到達した。ここまではジャワ亜大陸からは目と鼻の先だ。だが日本まではさらに広い海が広がっている。この航海を可能にしたのが、赤道から北上し、日本近海を流れる黒潮だったと考えられている。沖縄には石器時代の港川人が住みついていた。ところが、沖縄から九州へは、今度は日本本土から離れて流れていた、当時の黒潮の流れが阻んでいたのである。
 しかし、氷河期の完全な終息とともに、黒潮は現在のように本土沿岸を流れるように向きを変えた。その時初めて、南方の人々は本土へと足を踏み入れることが出来たのだろう。彼らは照葉樹林が広がり始めていた九州南部で、丸ノミ石斧の技術を用いて作成した石斧を用いて森を切り開き、最初期の栽培農業すら始めていたようだ。彼らの痕跡は巨大火山の噴火により途絶えたが、彼らが死に絶えたわけではない。彼らが日本のより北へと逃れたことは、現代人にも彼らの特徴が受け継がれていることからも明らかだ。こうして南方から来た人々も、人種の坩堝と化した日本列島の一員となったのだ。