Strange Days

今夜の世紀を越えて

2000年06月17日(土曜日) 23時32分 思考

 帰宅してふとテレビをつけたら、今夜のNHKスペシャルは世紀を越えてだった。いつもなら日曜日にやるのだが、危ない危ない。
 今夜は今シリーズの最終回、第6回目。実は第5回目を先週録画したまま見てなかったので、順番が逆転してしまった。まあ順番は関係ないシリーズだが。
 今回はシリーズの最終回「自分らしく死にたい」。最終回にふさわしく死を取り上げた。
 アメリカ、オレゴン州では、世界でも例の無い法律が成立し、運用されている。これは余命幾ばくも無く、苦痛を和らげる手段の無い患者に対し、医師が致死量の睡眠薬を処方することを許可する法律だ。医師による自殺幇助と呼ばれている。
 オレゴン州に住むある女性は、肺機能が次第に低下するという病気により、余命半年と診断されていた。彼女は自分がかかった病気に関して徹底的に調べ、自分が既に末期であることと、そしてこの病気が末期に大変な苦痛を味あわせるものである事を知った。彼女は主治医に法律に基づいた自殺用睡眠薬の処方を依頼するとともに、その法律で定められた別の医師による診断を受けた。法律では、まず主治医に処方を口頭で依頼するとともに、余命半年以下であるという診断書を得る。次に別の医師による同様の診断書を得て、初めて書面による処方の依頼をする。そこでさらに時間を置き、再び口頭で処方を依頼すると、初めて自殺用の睡眠薬を得ることができる。それを使用するかどうかは、後は患者の自由意志にゆだねられるのだ。
 この女性は自分の容態が油断なら無いことから、一刻も早く処方を受けたかったのだが、二人目の医師の診断は意外なことに余命1年以上というものだった。
 このような処方を受けた患者は、既に40人以上に上っていると見られている。
 州内の別の女性は、筋肉が無力になる病気にかかり、やはりこの処方を受けた。彼女は自分が完全に無力化し、家族に迷惑をかけることを避けたかったのだ。自分がそのような状態になる前に自ら命を絶つのが、自分の尊厳を守ることだと考えたのだ。死ぬときは自分で決めたい、というのだ。そしてこの女性は、処方を受けた薬を間を置かず服用することに決めた。
 彼女は家族と、処方する医師の囲む中、自宅で服用した。それは彼女なりの尊厳ある死だったが、しかし家族や医師に波紋を投げかけるものとなった。夫は妻の"自殺"に耐えられず、別室に逃れ、しかし進行している事態に耐えられず、さらに車で近くの海岸へと向かった。そこは妻との想い出の海岸だった。彼はとうとう妻の死に立ち会わなかった。
 子供たちも自分を育ててくれた母親の死の手助けをしなければならなかったことに、それぞれ複雑な思いを抱いた。医師にとっても耐えがたいことだった。本来、患者の命を例えわずかでも延ばすことを正義とする医療の現場では、積極的に死へと導くこのような処方への抵抗が大きいのも当然のことだろう。
 この女性は長い眠りの後、そのまま事切れたという。
 医師による自殺幇助への風当たりは強い。オレゴン州の他にも三つの州で同様の法律の制定が叫ばれたが、強い反対にあっていずれも否決されている。また連邦議会でも強い非難を浴び、医師による自殺幇助を禁じる法律の制定も目論まれている。「死へと逃れることなく、一分一秒でも長く生きることが絶対的な正義だ」というわけなのだろうか。だがそれはどういう正義なのだろう。
 最初の女性はこの動きを見ながら、「あの人たちは本当に死にかかっている人間の事などわかってはいない」と切り捨てる。彼女の苦しみの質を理解してないというのだ。「あの人たちは私を拷問にかけている」とまでいう。彼女はそこまでして生きる意味がないと感じている。しかも耐えがたい苦痛に耐えながら生きるなんて。それを命を危険に曝されてもいない議員たちが勝手に「生きろ」と命じるのは耐えがたいことだ、ということなのだろう。
 しかしオレゴン州のこの法律は世界に類例の無いものだ。日本でもホスピスの普及などによって終末医療への関心が高まってはいるが、積極的な自殺やその幇助までは視程に入っていない。苦痛を和らげつつ、末期の時を自然に迎えようというのがその全てだ。日本でも短い生を続ける意味を見失い、自殺を図ったり、周囲に殺害を依頼する患者がいるという。だがそれらは心のケアにより、かなりの程度回復できるものらしい。だが最初の女性の例でいえば、その苦痛は心の不安とは別の次元に属するといえる。
 オランダでは、積極的に医師による自殺「介助」が認められている。自殺幇助というレベルではなく、医師により致死性の薬物の注入などが、社会全体で容認されているのだ。余命幾ばくも無く、治療方法が無く、苦痛を緩和する手段も無く、本人の意思が明示されている場合、オランダの医師は患者の命を終わらせる手助けができるというのだ。この場合、医師に関しては犯罪として記録に残るものの、罪に問われることは無い。そしてこの慣習を法律化しようという動きがあり、成立する見込みだという。日本でも積極的な自殺介助は認められていないものの、自殺介助の基準(それを逸脱すれば殺人に問われる基準)としてオランダのそれと同様のものとする判例が出ている。
 このように、死生観は変わりつつある。生を絶対的な正義とみなす近代の死生観は、生をそれを遂行するに足る価値があるかどうかで決める、相対的な死生観へと取って代わられつつあるように見える。しかし注意しなければならないことは、死が個人的な価値観では決して決まらないものだということだ。その意味では死の価値(生の価値でもある)は、以前から相対的であるのがふつうだったということだろう。僕たちは、生がたまたま絶対的な正義であるかのように映る異常な時代を生きてきたというに過ぎないのではないか。
 そして死は死する者だけにとって意味を持つのではない。残されていく家族の痛みを思えば、死する人は長く痛みを耐えなければならないと感じるかもしれない。逆にその痛みを思うとき、周囲の人々は、そして医師は死の痛みに耐えなければならないのかもしれない。その判定基準を死する当人へと委ねようというのが、僕たちが受け容れつつある新しい死生観の正体なのではないだろうか。いずれにせよ、死は案外多くの時代、その個人の自由意志に委ねられてきたように見える。
 最初の女性は、二人目の医師による診断を得られないうちに、とうとう激しい呼吸困難のうちに死に至った。逃げているのではと勘ぐりたくなるような二人目の医師の態度や、連邦議会での対抗法案制定の動きなどの雑音に悩まされながらの最期は、さぞかし不本意だったろう。


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