Strange Days

岡山周遊の覚書

2006年12月01日(金曜日) 23時55分 天気:晴れ

 岡山総社自転車道が面白そうなので、ここに沿って走ってみよう。
 総延長:20.6km。ま、手頃な長さ。物足りないくらいなのでその前後に走るか。
 倉敷から総社までは12km弱。倉敷は当然うろつきたいが、時間的に難しいかも。呉を朝一で出るとして、倉敷に8:00過ぎ。割けても1時間程度か。
 件の自転車道、地図で見るに大層不条理な経路なので*1、自転車道は参考程度として、途中の立ち寄り地点を念頭において走ることにしよう。っつうか、迷わない方がおかしいね、この自転車道。
 総社市街地を抜けてすぐ、作山古墳がある。岡山県は古代吉備勢力*2の影響下、やたらでかい古墳の宝庫なのだ。この古墳は、岡山県で2番目の規模を誇る。全国でも9番目に位置する。ややこしいことに、この近くには造山古墳という、より大きな*3古墳がある。ジモティは"さくざん"、"ぞうざん"と区別しているとか。
 自転車道を進むと、国分寺跡、こうもり塚遺跡、国分尼寺跡と、立て続けに現れる。前後のものは言うまでも無いが、こうもり塚古墳というのは大きな石室を持つ古墳時代後期の前方後円墳で、飛鳥の石舞台に匹敵する規模だとか。
 更に進むと、先に触れた造山古墳が現れる。全国でも4位という規模の巨大な古墳だが、未だに調査の手が入ってないために詳細は不明らしい。周囲には陪墳が点在している。往古を偲ぶが良かろう。
 先に進むと、不思議なことに自転車道は道を北に転じている。どうやら高松城跡に誘導したいらしい。秀吉が本能寺の変を知りながら、守りの城主清水宗治に腹を切らせ、とっとと大返しをやってのけた地だ。そんなことをするから、死後に世の中の過半が徳川に靡くんだよな。そんな秀吉の遣り手振りを思い起こしながら、今は平和な城跡を眺めることにしよう。
 この辺で別の自転車道、岡山賀陽自転車道に接続する。この道を走っても、山中の人工都市吉備高原都市に誘導されるだけなので、今回はこの道を取らない。が、ここを少し走ると高松稲荷があるので、少しだけ行くことにしよう。高松稲荷は日本三大稲荷の一つで、ややこしいことに最上(さいじょう)稲荷教という、日蓮宗系の寺になっている。神仏混交を今に残した、珍しい宗教拠点だ。明治の国家神道の嵐をどうやって乗り切ったんだろうね。
 岡山総社自転車道まで戻り、少し進むと吉備津神社がある。祭神は鬼退治した吉備津彦のはずなのだが、縁起を見ると退治された方の温羅が『我を祭れば吉凶を教えよう』などと鳴釜神事が成立したとあるので、ほんまは温羅が祭神とちゃうかという説もあるとか。そのせいか、別に吉備津彦を分祀して、吉備津彦神社が開かれている。しかし吉備津彦というのは実は大吉備津彦の息子でしてな……わけわからんわぁぁぁぁ!
 本殿は、入母屋造の2棟を連結した特異な構造で、全国でもこの社しかないのだとか。何を考えてこうしたんだ中世の吉備人よ。
 この吉備津神社とは指呼の間に、その吉備津彦神社がある。中世の一宮制に拠ればここがそうで、地名も一宮となっている。先の吉備津神社から分祀された吉備津彦が祭神だ。しかし、こんな間近に同一祭神の神社を新設したのはなぜだ。やはり吉備津神社は温羅が祭神なんじゃないのか。
 こんな風に、分かったからといって人生を豊かにする以上の意味は無い事柄に思いを馳せつつ、いま少し走りつづける。
 もう少し走り、池田動物園と県総合グラウンドの間くらいまで自転車道が続いている。
 時間があれば後楽園周辺をうろついて帰りたい。


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