Strange Days

NHKスペシャル「三蔵法師祈りの旅」

2001年01月07日(日曜日) 23時55分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは、昨夜放映された「三蔵法師祈りの旅」の後半だった。
 画家平山郁夫氏は、20年がかりで大作壁画を完成させ、奈良薬師寺に寄贈した。7部の絵で構成された壁画は、玄奘三蔵によるインド往還をテーマにした連作壁画だった。
 平山は、玄奘三蔵を幾度か描いている。平山は、少年の頃に広島で被爆している。自身は原爆炸裂の瞬間に物陰にあった偶然から生き残ることが出来た。が、その直後の凄惨な被爆地を目にし、その情景が頭から離れなくなった。何故、戦争との関連の薄かった一般市民が、このような惨い目に遭わねばならないのか。そして何故、これほどの惨禍にあってまで、人は生きなければならないのか。平山は悩みつづけた。
 やがて平山の脳裏に浮かび上がったのは、苦難に満ちた旅を続ける一人の若い僧侶の姿だったという。玄奘三蔵。唐代に単身東方に旅し、仏教の中心地だったインドから膨大な経典を手に入れた僧侶だった。
 唐初、隋の滅亡に続く戦乱が人々を痛めつけた。玄奘は苦難に喘ぐ人々の生きる拠り所を求める声に答えるべく、無謀とも言えるインド往還を志したのだ。当時、中国における仏教は内部抗争に明け暮れ、その地盤が揺らいでいた。その確かな拠り所を得るには、仏教の中心地と考えられていたインドで、本場の仏典を学ばねばならないと考えたのだ。
 当時、唐からの出国は禁じられており、玄奘の行動は国禁に背くものだった。しかしあえてその禁を犯した。
 玄奘は長安を発ち、やがてタクラマカン砂漠に入り、唐の西境を出た。そして多くの異民族の間を抜けながら、崑崙山脈へとひた歩いた。唐とインドの間には、ヒマラヤの大山塊があり、容易には超えられない。そこでまずは西アジアを経由する必要があった。当時、西域には様々な宗教が混交していた。イスラム教はまだ登場してなかっただろうが、ゾロアスター教などの古教が健在だったはずだ。玄奘はそれらに触れながら、多様な認識を獲得し、人間的に強靭になっていったのではないか、と番組では述べていた。
 平山は、あるときは砂漠で路頭に迷い、あるときは異民族に取り囲まれながら、なおもインドへの旅を諦めなかった玄奘の姿を、彼自身の生きる縁にした。平山の初期の作に、歩く玄奘の姿を描いたものがあるのだ。
 玄奘はやがてインドに到着した。しかしそこで彼が目にしたのは、インドでの仏教衰退の現実だった。インドに行けば本当の仏教を目にすることが出来る。その期待は裏切られた。極楽浄土がそこにあると考えるほどには無知ではなかったろうが、玄奘はインドの現実に無知ではあったかもしれない。彼はヒンドゥー教に飲み込まれる寸前の、インド仏教最後の時期にやってきてしまったのだ。存続していた仏教大学でその精髄を学んだものの、気は晴れない。やがて6年をかけて仏典を学び終えた彼は、インドを一周する旅に出る。すぐに唐に戻る気になれなかったのだろう。一体、インドにおいても衰退期に入った仏教を持ち帰る意味があるのか。そう自問したに違いない。
 彼はその旅において、様々な神々に祈りを捧げる人々の姿を目にした。祈ること。これこそが信仰の中心であり、そして祈る縁を与えるものが彼の持ち帰る仏典なのである。あるいは玄奘は、そう考えたのかもしれない。そして結局のところ、玄奘は唐への帰還を果たすのである。
 番組として、平山の体験と玄奘の旅とが交互に語られたので、やや分かり難い部分があった。特に玄奘がインドの旅で見出した希望の正体が、いまいち分かり難いのである。これは仏教そのものが、現代社会において混迷しているという事情と、恐らく不可分ではあるまい。


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