Strange Days

運慶の変貌

2001年04月28日(土曜日) 23時16分 テレビ

 帰宅して、一息ついてから、国宝探訪を見た。なにやら癒し系の番組だなあ。今回の題材は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した仏師、運慶だ。
 運慶は源平が争い、結局武士によるヘゲモニーが確立されていった時期に、優れた仕事を残した仏師だった。彼は慶派と呼ばれる仏師集団の棟梁の家に生まれ、やがて仏師を統べる存在となる。
 運慶の若い頃の作品は、平安期の流れを汲む穏やかな風貌の仏たちだった。しかし源平合戦の過程で、慶派の活躍していた奈良の寺院が戦火に遭った。彼は東大寺再建の請願を立て、多くの作品を残していった。それらの多くは、最終的な勝者となった東国武士たちの好みに合わせた、荒々しい感情と張り詰めた緊張感をたたえた写実的な作品だ。そこには平家への怒りもあったのかもしれない。運慶は、時代の潮流に合わせた技法を学び、我が物としていったわけだ。そして、この時期の最高傑作が、東大寺南大門に置かれた阿吽二形の仁王像だった。写実的でありながら、それを大きく誇張することで現実を超えた緊張感を演出して見せたこの大作は、しかしたったの69日で製作されたという。それを可能にしたのは、多くの仏師を統べる棟梁の立場をもって初めて可能になる、徹底した分業体制だった。しかしさすがに製作時間が短すぎたのか、一度作った部分の手直しが数多くあったようだ。しかしそれが緊張感をもたらしたようにも思える。あるいはそれは、天才芸術家だけに可能な奇跡だったのか。
 最晩年、運慶が生きる仏教界は、鎌倉新仏教の興隆期を迎えていた。貴族と僧侶のためのものであった仏教は、法然の専修念仏運動によって最下層にまで自律的に広まりつつあった。そうした流れの中に、また新しい仏像が求められていた。そして運慶は、興福寺北円堂の諸仏でそれに答えたのだ。その中の特に印象的な2体は、無著、世親という古代インドの兄弟僧に題を求めつつ、その顔は日本人の、おそらくは同時代の僧侶の顔をしている。悟りを求めつつも悟りにたどり着けず、しかし怒りを抱くことも諦めることもなく進み続ける彼らの姿は、日々もがきながらも行き続ける道を選ばざるを得ない庶民の心情を反映させたものだったのだろうか。


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