いよいよ、四万十川の河口まで下る。いや、時間があれば下るつもりだが、もしかしたら中村で力尽きるかもしれないなと思ってもいた。ともあれ、四万十の素晴らしい風景を愛でつつ、下って行く一日が始まった。
朝、お勤めの時間を睨んで4:30にアラームを掛けていたのだが、いざ起きてみれば布団の居心地よさに負けて、そのまま二度寝してしまう。だめじゃん。結局、6:00に起きた。
くやしいので、朝食後に本堂を参観してきた。天井には、建て直した時に公募したと言う
天井画が並んでいる。脈絡無いな。
さて、四万十川下りの残りをこなさねば。MR-4Fに荷物を載せて、寺の前の街道を走り出した。
四万十川の風景は、この辺ではやや川幅が広がり、貫禄が出てきた。でも、大河四万十の全容をうかがわせるほどではない。しかし、窪川辺りから、沈下橋が普通に頻出するようになって来た。ダムの無い四万十川では、増水時には調整のしようが無いので、沈下橋が多用されたらしい。そうした沈下橋の一つに降りようとしたところ、目の前で
気になるバスが降りていった。橋の脇に泊まり、乗っていた人たちが降りて、周囲をうろついて、なにやら見定めている。なにか、ロケハンしているような雰囲気だった。多分、テレビ関係のロケハンだろうと思い、
おかず観光を頼りに検索すると、やはり中京テレビ製作の番組だと判明した。すると、もう少ししたら四万十川編かね。
窪川以降、江川崎までのR381では、四万十川の蛇行が大きくなっている。そのため、蛇行部の最短区画にトンネルを通し、蛇行部分は無視している道がほとんどだ。しかし、蛇行に沿っての旧道も生きている。人家もあるからだ。今回、走って思ったのは、この蛇行部分では必ず川沿いに行けということだ。トンネルを通れば時間は短縮できる。その代わり、
こんなイイ道にも、
こんなイイ眺めにも会えないのだ。失うものは何も無い。ほんの少しの時間の代わりに、すてきな道を独り占めできるのだから、行かない理由なんて無いのだ。とにかく、何も考えないで、川沿いの道を行け。
巡航速度はそれなりに上がり、やがて
土佐昭和駅を通過した。ここはまだ国鉄が生き残っている。看板を変える手間を厭うたのか、それとも観光上の理由なのか。
さらに進むと、前方に
鯉幟がずらっと渡されている。四万十の清流の上を、何百と言う鯉幟が泳いでいる様は、圧巻だ。
段々暑くなってきた。程よい所で蛇行部にかかったので、また川沿いに走る。
森の中のトンネルのような道だ。目を左に落とすと、四万十の水面が荒々しく、そして悠々と光っている。蛇行部分では、しばしば予想外に多い人家にも出会う。
江川崎着は13:00過ぎだった。ここまで、道の駅2箇所で食事を取っていたので、腹具合は大丈夫。後は中村までどれくらいかかるかだ。
江川崎からの下流域では、R441に乗り換える。この道もきれいな対向2車線区間あり、でこぼこの
単車線区間ありと、なかなか手ごわい。単車線区間でダンプに迫られた日には、寿命も縮む。
川幅が広がっては来たが、市街地がまったく無いので渓流的な眺めのままだ。水もまだまだ澄んでいる。
所々の休憩所で一服しながら、淡々と下っていった。下流域にある、有名な
佐田の沈下橋にも立ち寄った。川舟観光の拠点があり、また休憩所も整っていたので、結構多くの人が立ち寄っていた。
中村の市街地に近づくと、さすがに人界の喧騒が辺りを支配してしまう。地図とGPSを眺めつつ、今日の宿のホテルココモにチェックインした。まだ16:00過ぎだ。こんなに早いのだから、河口に行かない理由は無い。日没だって遅いのだし。
荷物を部屋に置いて、河口に走った。17:00前、僕はとうとう四万十川の河口へと到達したのだった。生命に溢れていた四万十川も、
その河口は、意外にも死の影が支配する場所だった。
ホテルへの帰りで、道端でアイスクリンを売っているのを発見し、おばちゃんと話をしながら食した。淡白な味わいで、喉が渇いているときにうってつけだろうな。おばちゃんに横浜から来たというと、こんな田舎と違うでしょと言われた。いやいや、僕の住んでるところなんて、周りは田んぼばかりですよと話す。横浜といっても広い。関東全てが都会な訳が無いし、都会だからいいというわけでも当然無いのだ。
ホテルに帰り、駅近くのコンビニで買ったカレーうどんやらお好み焼きやらをガツガツ平らげ、ビールで喉を潤した。たまらんものがある。
iPAQ212でスメタナのこういうときに聴くべき曲を聴きながら、カメラの写真を見直して旅の思い出を反芻して過ごした。後は足摺岬を見て、帰るだけだ。
今日の走行距離は126km。