Strange Days

2014GW旅行5日目:宗谷岬

2014年04月30日(水曜日) 22時16分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:快晴

 いよいよ、この旅の目的地、宗谷岬だ。荷物を降ろし、身軽になって向かった。


 今日の目的地は宗谷。泊地の稚内からは至近だろうと舐めていたのだが、改めて調べると片道20km以上はありそうだ。
 荷物はVario一つにまとめてしまい、宿を後にする。
 稚内は拓けているが、声問を過ぎた辺りから、いきなり原野という感じになる。振り返ると、市街地では背後の山に隠れていた利尻岳が、遠く朧に見える
 走り続けるうちに、やはり目につくのは風車。なにかね、北海道では賑やかし目的で風車を建てる風習でもあるのかね。それだけ風があるということではあるのだろう。
 宗谷までの道は、海沿いの1本のみ。悩むまでもなく到着する。いかにも観光地という感じの、大きな駐車場を付帯した海沿いのモニュメント、そしてほど近い辺りの商店街が目に入る。
 まずは記念撮影。なにこのオッサンという感じである。
 振り向くと、海の向こうに陸地が見える。これがサハリンだ。後で思い返すに、実は初めて異国の地を目にした時だった。いつか取り返すぞ(危)。
 宗谷といえば、宗谷岬の歌。ちゃんと歌碑がある。
 観光地は、岬の突端だけかと思いきや、背後の丘陵地もいい眺めらしい。岬からではよく見えなかったが、登ってみると、なだらかな丘陵がおおらかに続く、気持ちのいい場所だった。
 この石積みの砦っぽいものは、日露戦争前に帝国海軍が設置した監視哨。今も背後の丘陵には自衛隊のレーダーが設置されており、日露が対峙する構図は変わらない。
 この監視哨は展望台になっており*1眺めが良い
 お腹も空いたことだし、と、その近所にあったラーメン屋に入り、ホタテラーメン塩味を注文した。海鮮風味を期待して塩味にしたのだが、普通の塩ラーメンにホタテがひとつヂャポンと入っている感じだった。
 丘を散策する。宗谷岬灯台は、高地にあるせいか、低地にある稚内灯台よりはコンパクトだ。これ以上は近づけない。
 この、登ってすぐ辺りにはモニュメントが数多いが、その中でもひときわ目立つのがこれ。1983年の大韓航空機撃墜事件慰霊碑だ。でかいな。他の、戦災慰霊碑の類が、もっとなだらかな丘に馴染むような、慎ましいものばかりなので、これの悪目立ちはなんとかならなかったものか。
 宗谷岬灯台から少し登った辺りに、こんなアンテナが建っている。LORAN局かと思いきや、おおわきさんにツイッターで、DGPS局じゃね、と教えられた。いつの間にか、LORAN局はほぼ全廃状態だった。
 この丘をほど登った辺りからの眺めが素晴らしい。Lumia1020でパノラマ写真を撮ってみた。もう少し暖かだったら、その辺の草地にでも一日中寝転んでいたい。
 居心地のいい場所だが、そろそろ午後も遅くなってきたので、稚内に引き返す。
 帰路、ふと看板が目に入った*2
 なんでも、この沢*3の水には霊力があり、それにまつわる伝説があるという趣旨だった。驚いたのは、その謂れの説明の中で、18世紀末には、この辺に和人の建てた厳島神社があったらしいということだ。その頃には、もうこんなところにまで進出していたのだな。
 帰路の富磯で、セイコーマートを見かけたので、軽食を買って休憩する。宗谷岬には無かったので、ここがコンビニの北限と思われる。
 宗谷岬先端部を一望すると、まあ風車の多いこと。白い爪楊枝のようにみえるものが、全て風車だ。
 帰りに、少し寄り道してゆこう。宗谷湾の奥まった辺り、少し内陸に走ると、大沼という渡り鳥の多い池があるらしい。立ち寄ってみた。
 池には、ビジターセンターを通らなければ出られない構造になっている。鳥インフルエンザを警戒してのことで、湖岸部にもバリアゾーンがあるため、実際には鳥達にそう近づけない。しかし、この数はなんだろう。ちょうどコハクチョウがやって来ている最中だったようだ。思いがけない眺めに会えて、満足。
 市街地に入りかけたところで、小社の鳥居前をうろつくエゾシカに遭遇。こやつら、こんなところを彷徨いているのか。
 一度、夕食漁りついでに稚内駅を彷徨く。駅は文化施設も入った複合型駅舎で、小綺麗なものだ。ここがターミナルだが、かつては連絡船で南樺太につながっていた。その名残がある。
 駅のコンビニで買い物して、一度宿に戻り、今度は徒歩で埠頭を彷徨いた。さっきの線路は、ここにつながって、連絡船へと渡されていたのだ。よし、何時かこの前につなげなおす*4
 夕景を観測。この旅の間、いい天気だったが、明日は崩れるようだ。いいタイミングで旅が終わった。

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