Strange Days

いのちの日々

2000年02月19日(土曜日) 23時49分 テレビ

 その後はNHKスペシャルの再放送で、'93年放送の「いのちの日々」というホスピスの日々を追ったドキュメンタリーだった。
 日本にホスピスの思想が本格的に導入され始めたのは多分'90年代のことだと思う。'90年代に入って、ようやくあちこちの大病院を中心にホスピスが開設され始めたように思う(あるいはなんらかの法改正があったのかもしれない)。長岡の大きな病院に開設されたビサーラ病棟も、そうしたホスピスの一つだった。ここでは死病との無意味な闘争に残された日々を費やすよりも、心安らかに死ぬ道を選んだ人たちが、最新の医療機器と仏教を中心とした物心両面のケアを受けながら、最後の日々を過ごす。恐らく、すべての患者が長岡出身なのだろう。故郷で親族に看取られながらの死を待つのだ。
 ここに入院したある女性は、長岡の夏を飾る大花火大会を心待ちにしていた。しかしその願いをかなえる前、初夏に臨終を迎えた。あるいは悔いは残ったかもしれないが、家族に看取られながら、苦痛を出来るだけ抑制しながらの死は、無数の管を接続されて機械に生かされつつの死よりも、どれほど心安らかになりうるものなのだろうか。
 長らく大工として働いてきたある男性も、やはり花火大会を心待ちにしていた。彼は病棟に設けられた木工室で大工としての腕を揮い、一対のベンチを作っていた。それに座って花火大会を見物するのをなによりも楽しみにしていたのだが、無理がたたったのか当日は車椅子に座っての見物となった。しかしホンの一瞬だけベンチに腰掛け、願いを果たす事は出来た。この男性は夏の終わりには逝ってしまったが、少なくとも満足感はあっただろう。
 長らく東京で暮らし、小料理店を営んできた男性も、故郷長岡で死を待つ道を選んだ。7人兄弟の末っ子という彼は、妻に先立たれたばかりだ。妻と二人で切り盛りしていた店を置いての、心残りのある入院だった。彼は入院後しばらくして、無理を押して上京し、店を知人に譲り渡す手当てをつけて、心置きなく死を迎える事が出来た。
 長岡で薬局を営んできたある女性は、できれば正月を自宅で迎えたいと思っていた。今でこそ在宅ケアが盛んに取り沙汰されてはいるが、番組制作当時の段階ではまだその体制は整っていなかったため、心ならずも病室で迎える新年となってしまった。彼女は自らの生涯を手記につづっている。それは残していく夫や家族へのせめてもの遺産となりうるものだ。次第に悪化する体調に、好きだった川縁の散歩もままならぬようになってしまったが、それでも「心は少女時代のまま駆け回っている」と彼女はつづる。芭蕉の辞世の句、「夢は枯野を駆け巡る」を思わせるような心境に達していたようだ。この女性は番組中では存命のままだったが、放映直後に亡くなったそうだ。
 こうしてみると、それぞれ小さな思いは果たし、確かに家族に囲まれての死ではあるが、実際に死に赴く人々の気持ちは、死を体験した事の無い僕にはうかがい知る事は出来ない。満足感はあったのだろうが、同時に苦い現実を無理に受け入れるような面もあっただろう。しかしこうした必然の、受容の苦みをいくらかでも和らげるのがホスピスの役割であるはずだ。機械に生かされ、死と生の境界が限りなく曖昧になっているような現代医療の現場で、だからこそホスピスは重い意味を持つのだろう。


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