Strange Days

2014秋の隠岐山陰ツーリング 5日目知夫里島へ

2014年11月11日(火曜日) 23時22分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ 天気:晴れ

 ツーリング半ばの今日は、未踏の知夫里島へと上陸するのである。船便の都合で、小さな島なのにまる1日いる羽目になる。間が持たないと思いきや。


 隠岐汽船は、都合3隻のフェリーを、本土と隠岐の島の間で運行しており、2隻は朝本土を経ってから往復、1隻は隠岐側から往復する動きを取る。この隠岐8:40初のフェリー、しらしまで、島後を離れるのだ。船上から見る西郷。さすがに、当面来る機会はないだろうなあ。
 約2時間で、知夫里島は来居港に入港する。なぎの女史とはここでお別れだ。しかし、再来週の福井ツーリングでも再会するのだよね。
 実は、隠岐ビューポートホテルに、自宅からサイドバッグと折りたたみリアラックを送ってあったので、ここから両面着けて走る気だった。が、本土に戻った鳥取のホテルでコインランドリーを使えるとすると、2着分+着てゆく1着で賄える計算だ。なら、ここで送り返して、軽装で走る方がいい。2着分だけをVarioに収めて背負い、サイドバッグは土産物を収めて送り返した。これで機動性は高まった。
 来居港から、坂道をえっちらおっちら登る。越えて、島の反対側、役場や小学校がある辺りに下った。ここらで昼食にしたいのだが、これという店がない。海岸線を彷徨いていたら、ちょうど近所の方と思しきご婦人と遭遇し、二言三言会話を交わす。その後で、聞いてみればいいんじゃねえのという事に気づき、引き返して、食事処を聞いてみた。おばさんによると、これという店はないので、さっき入港した船*1が運んできた弁当類が、そろそろ店に並ぶので、それを狙うと良い、とのこと。早速、神社に近い商店に入り、まさに陳列されたばかりの弁当をせしめた。その後、それを食べるべく、神社境内の東屋に上がってゆくと、眼下の店めがけて客がわらわらと寄ってくる。島外から工事できた業者の人などは、こうした店屋が頼りなのだろう。
 買ったお弁当は、本土で作られた寿司だった。この、むやみに迂遠な感覚はなんだ。小さな島では、水と食べ物はいつでも手に入ると考えてはならない。
 食後に目指したのは、知夫里島の東にある高平山頂上に立つ灯台だった。そこまでは、一山二山超えてゆく。小さな島だが、険しさは他のいずれに比べても甚だしい。
 高平山の真西には、島津島という小島が有り、キャンプ場があるようだ。そのせいか、こんな立派な橋がかかっている。ここから高平山に立つ灯台まで、荷物を背負って登ってゆくの、嫌だな。そこで、かの橋の袂にある公園に、荷物をデポしてゆくことにした。
 灯台までは、かなりの勾配の上りのみならず、そこら中に放し飼いにされている牛の投下物件をも避けねばならず、神経を使う。むしろ、放牧地の中に灯台がある感じだ。
 最後の30mほどの上りは歩きで、灯台にアプローチする。今まで見かけてきた灯台が、いかによく整備されていたのか、思い知るような野放図な雑草の原。その中に立っていた。いわゆるひっつき虫*2の多さには参る。それでも、目を海に投じると、爽快な眺めだ。人の手が触れてなさそうな自然は、眺めていて気持ちいい。
 牛たちに別れを告げ*3、さっきの橋から渡れるキャンプ場方面に歩いてみた。途中で見た砂浜は、こんななめらかな見かけなのに、まるでモルタルの壁のようにみっしりした踏みごたえだった。波がよほど静かで、掘り返されること無く、静々と隙間を詰めていったからだろうか。
 この辺、地学的に面白そうな岩質の壁が多い。奥まった神社の鳥居は、しかし激しい波浪に因る破損を見せていた。外界に面した、玉砂利の散乱する海岸の裏手にあるからか。
 この浜に、お松という娘にまつわる、伝承があるみたいだ。どっさり節という民謡の成立に関する民話だという。
 今日の宿は、景勝地赤壁に向かった途中にある、ホテル知夫の里。入れられた部屋は、元々洋室だったのを、和室スペースに改造したかのような、洋式の前室がついた部屋だった。ロビーもあって、寛げる。着いた時、ちょうど夕陽が落ちるところだった。
 夕食を取りながら、明日はどうするんべという話に。明日は昼までに来居港に行かねばならないのだが、赤壁方面への道は険しく、行って帰るだけでも難しいほどだ。そこで、タクシーを呼んで、自転車ごと載せて赤壁と赤山展望台を巡り、港に送ってもらうことにした。これでいいのだ。

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