今日は、ようやく船旅なしで、まるまる自転車での移動に充てられる。島の東海岸を回るのだ。
朝の西郷港の眺め。朝食は、ホテルで取る。段々と慌ただしくなってくる、港の動静を見下ろしながらの朝食は、格別。
今日は島後の東半分を回るつもりだ。概ね、島の中心を北上し、銚子ダムとかぶら杉を経由し、中村に抜け、白島海岸に到達してから、東海岸を南下してくる行程だ。
隠岐の西郷港の西側に口を開ける西郷湾は、細長い湾だ。北上する前に、まずはその口に掛かる、西郷大橋を渡り、
飛行場方面に立ち寄った。牧草を刈り取った後なのか、去年夏よりは拓けた眺めだった。
少し西郷方面に引き返し、北上し始める。すぐに玉若酢神社に到達する。ここの見ものは、古い社殿や現存する唯一の律令時代の駅鈴だけでなく、
八百杉という巨大な杉の木だ。巨大な古木だが、樹勢未だに逞しく、寄生樹を樹状に侍らせる大らかな器を感じさせる。年経た根は、地上に露出して大分経つのか、金属的な光沢すら帯びていた。ただただ、感嘆しながら眺める。
更に北上し、隠岐酒造を過ぎてしばらくの集落から、一時的に東に向かった。山中、延々と伸びる道を登ってゆくと、孤島にしては本格的な
銚子ダムが見えてきた。ダムから海まで見通せたら、さぞかし素晴らしいのだろう。が、四周は山に取り囲まれていて、南東の切れ目にも海は見通せない。
銚子ダムを後にし、さらにヘコヘコと登る。やがてトンネルをいくつか過ぎると、下りにかかる。すぐに見えるのが、これも巨木の
かぶら杉だ。ちょっと見えにくいので、増感してコントラストを強く掛けてある。根本が、蕪のように枝分かれしているので、この名がある。さっきの玉若酢神社でもそうだったのだが、この根本には水木しげる翁の妖怪像が設置されており、境港からここまでの延長を感じさせる。まだ先にもある。
中村まで一気に下る。時間的には意外に掛かって、ここらで昼食にする必要がある。目をつけていたさざえ村に向かうと、なんと貸し切りで入店できない。近くを通りがかった郵便配達の人に、いい昼食場所ないかと聞いたところ、このさざえ村か、あじゅまやという店しか無い。前者は先程の経緯の通り。そして後者は、去年の夏に立ち寄り、『隠岐牛カレー』なるものを食べて、微妙な気分に包まれた店だ。しかし、ここしか無い。
隠岐牛カレーも、肉が微妙すぎたのでと思い、
カレーうどんを頼む。これもまた、田舎の食堂風の飾りの無さだ。先に期待しないほうがいいと吹き込んだせいか、なぎの女史はインスタントの韓国ラーメンという、隠岐に来てそれかという昼食。一方、残り二人は日替わりを頼んだのだが、これは案外に美味だった模様。
白島崎に登る前に、中村におわす水木しげる妖怪軍団の帝、
翁その人の銅像を見てゆく。なんというパンパカな銅像だ。
白島方面へは、結構な上りをこなさねばならない。途中までは住宅が多いが、白島崎への登り口辺りからは、細い道になる。そこを行き着くと、駐車場が有り、売店が待っていた。売店で思わず冷たいアイスクリームを買い求めたが、きっちり冷凍されていたので、すぐ開封すると、必殺木製スプーンクラッシュを繰り出しかねないので、灯台まで持って上がった。
灯台は地味な佇まいだ。こんな高所に灯台があるのに、
見下ろした眼下の島にも立っている。たぶん、下のは岩礁回警告用、上のは航海用なんじゃあるまいか。
売店を挟んだ反対側に、展望台がある。
見下ろした海の清さには、何度も驚かされる。こんなに透明だとは。
中村に戻り、東海岸を南下してゆく。途中の海浜に降りてみた。漂着物が多い。
またしても自転車が揃ったので、シルエットを写してみた。
隠岐の東海岸には、奇観美観が多い。溶岩が冷えて固まった柱状節理が、随所に見られるのだ。
沖合の小島は、まるごと柱状節理の塊だ。
溶岩地形は崩壊が激しく、風雨に削られて様々な形をとる。途中で見かけたこの
小島は、まるでサメの背びれだ。
こんな風に、1kmも行かないうちに目を惹く場所に行き当たり、アップダウンも結構あるので、道行はゆっくりだ。しかし、
日暮れ時までには、西郷港に戻った。
夕食は、今日も外で。別のホテルの1Fに、まるで隠れ家のように入っている店だった。これは大当たり。海鮮揚げ物を問わずうまい。結構流行っている店のようだ。
そこで、思いもかけず口に出来たのが、この
ベコことアメフラシだ。ぬるりとしたスポンジっぽい、潮臭さのある謎の食感だった。
これで、隠岐の島での予定の日程は済んだ。
深夜、ガバっと起きだして、西郷の奥にあるコインランドリーまで洗濯に出かけたのだが、時間が既に0:00過ぎだったので、23:00閉店に間に合わなかった。24時間ではないとは。洗濯物はどうしようかな。とりあえず、ホテルの浴室で2着分洗っておいた。これで、本土までは保つ。