長い距離を走るのも今日までだ。今日は佐伯から大分まで。しかし、臼杵までは一気に輪行するので、そう激走しなくて良いはずだったが。
佐伯の朝は快晴。しかし、昨日より薄雲が増えた気もする。今夜半から天気が悪化する予報なので、気持ちよく走れるのは今日が最後かもしれない。
佐伯から臼杵まで、距離はさほど無い。しかし、道が山中の車道しか無く、長大トンネルが控えるという、いささか自転車に厳しいもの。ここは輪行してしまおうと決断した。
朝の佐伯駅から輪行し、
臼杵に降りる。内陸の臼杵磨崖仏に向けて走る。過去3回来たので、慣れた道だ。
臼杵磨崖仏の駐車場に自転車を止め、歩いて
磨崖仏を巡った。これは一番有名だろう、大日如来を中心としたホキ石仏群だったと思う。
多くの磨崖仏は、かつては立派な屋根付き仏堂に収まっていたのだが、寺域を持っていた満月寺の衰退に依って、野ざらしのまま長く置かれてしまった。石仏の多くが胸から下を失っているのは、この時に受けた侵食によるものだ。昭和になって再評価されるようになると、復旧整備が進み、今は全て屋根を設けて保存管理が図られている。
磨崖仏というより摩耗仏とも言うべき状態のものばかりだが、それだけに時の流れと、かつての威容を思い起こさせる物がある。
石仏窟をつなぐ道を歩いてゆくと、
初夏のこの時期だけ与えられる鮮やかな萌黄色に、真新しい仏堂が溶け込んでいる。そして、
こんなところでも記念撮影するおっさん!
石仏窟の下、今の満月寺との間に、観光水田と花畑の散策路が広がっている。中でもお気に入りは、この
田の神。良い笑顔をしておられる。
腹が減ったので、いったん臼杵市街の方に戻り、
ジョイナスで昼食。なぜか鶏を貪食したかった。
ところで、臼杵にはもう1ヶ所磨崖仏がある。そのもう一箇所、大日石仏の方は、まだ行ったことがなかった。昼食中に地図を見て調べると、道がわかりそうだったので、急遽こちらにも寄ることにした。
臼杵川を渡り、住宅地のが広がる丘の上に登ったその脇の崖に、
大日磨崖仏があった。いわゆる臼杵磨崖仏に比べ、規模は小さく、ものすごくマイナーなのか、僕が立ち入っている間、他の客は一組くらいだった。
仏堂の下の磨崖仏は、臼杵磨崖仏に比べて侵食が進み、顔貌の判別も難しいほどだった。しかし、なぜか胸を打つものがあった。山田正紀の「顔の無い神々」だ。
臼杵市街に戻り、少し観光する。この
龍源寺の三重塔は、江戸後期の建立で、この時期の仏塔は珍しいものだったそうだ。
駅に近い辺り、
旧藩時代に高位の武士が居を構えた辺りもうろつく。こんなに整備されていたなんて。通り過ぎるだけだったから、気づかなかった。
さて、もう昼を過ぎているが、佐賀関を通って、大分まで走る。時期的なものなのか、
鯉のぼりをズラッと並べているのに遭遇した。
海沿いに出て、佐賀関半島をショートカットする日豊本線と別れ、先っちょの方を目指す。いい塩梅に走っていたのだが、いつの間にか
高所のバイパス風の道に出てしまい、港に降りたくても降りられない状況になってしまった。降りても鯖缶攻城くらいなさそうだし、来たという事実だけを胸に、素通りする。
この先の愛媛街道は交通量が多く、苦労する。が、途中で
自転車道を発見。佐賀関サイクリングロード。この時は由来も何も分からないので、とにかく行けるだけ行こうと、道の駅を挟みつつ走っていった。
やたら真っ直ぐだし、専用トンネルまであって、これは廃線跡のフォーマットだがと思いつつ走った。後で調べると、やはり日本鉱業佐賀関鉄道という軽便鉄道の跡だった。1960年代まで、佐賀関の先端近くにある日鉱の精製所から、JR幸崎駅までを結んでいたらしい。
自転車道が尽きると、また幹線を走るが、広くなって走りやすくなっていた。しかし、大分は広い。市街地に入り、まだ着かないのかと思いつつ走っていたのだが、なかなか付かない。後半20kmほどは、車道を激走していた。志布志もそうだったが、この旅はそういう運命なのだろうか。
最終的に、大分駅近くのホテルに到着。今日もビールが沁みる。