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Strange Days
2004年06月25日(金曜日)
20時50分
思考
天気:暑いなあ
ふと気づいたら、もう夏至を過ぎているじゃないか。ああ、なんてこった。これからは、なんとなく全てが終わってゆくような気分になるんだよな。たとえ真夏に、太陽に炙られている最中であっても。
逆に冬至を過ぎると、ますます寒くなる時期であっても、なんとなくなにもかもが芽吹いてゆくような気分になれるから不思議だ。
太陽ってのは偉大だねえ。ぱやぱや。
2004年06月10日(木曜日)
10時06分
思考
天気:今日明日はいいようだ
子供の頃は自転車に上手く乗れなかったのだ。
小学生の頃、自転車を買ってもらった。時期的には例のウィンカー自転車全盛期の直後だったせいもあり、ごくシンプルなママチャリっぽい小径車(22インチだったか)を選んだのだった。ところが、どうも人の様には上手く乗りこなせない。その頃、通っていた小学校では、自転車免許制なるものが施行されていた。要するに、月一くらいで実技試験を開き、それに合格したものだけ自転車を乗り回す資格を与えるという趣旨だった。考えてみれば、いくら義務教育期間中とはいえ、学校側にそんな権限が無いはずだ。まあ、生活指導の一環だったのだろう。僕には、この制度が非常に窮屈に思えた。そんなものを取るくらいならと、隠れてこそこそと乗るのが関の山だった。そのせいか、自転車に積極的に乗るという習慣は無かった。自転車なんて無くてもなんとかなる、狭い生活圏だったこともあるのだろう。その結果、自転車に乗りなれないうちに、飽きてしまったのだと思える。
中高と進んで、いつの間にか自転車たちも処分されてしまい、出掛けるときには公共交通機関を使う暮らしに慣れてしまった。
就職してしばらくして、転勤が続くようになった。名古屋に暮らしていた時期に、人からお買い物自転車を借りて、というか勝手に使っていいといわれて、乗っていた時期もある。子供の頃に乗っていた自転車に較べ、ずいぶん安定するもんだと思っていた。しかし、今思い返せば、危ない乗り方をしていたように思う。
こんな風に、僕にとっては自転車なんてごく希薄な存在感しか持たない、あっても無くてもいいものだったのだ。また、自分は自転車に上手く乗れないんだという、コンプレックスみたいなものもあったと思う。
4年前の秋、趣味の天体観望のための移動手段として、自転車はどうだろうと考え始めた。近所の、ちょっと暗い場所まで出かけるのに、歩いて行くには遠いし、車は大げさだし(免許無いし)、などと考えてゆくと、自転車がちょうど良いと思えたのだ。しかし、自転車なんて置いたら、部屋が狭くなってしまう。しかし、世の中には折り畳み自転車というジャンルもあるようだ。そういう目で探してみると、折り畳み自転車は既に大きなジャンルを成していると分かった。車種の選定には紆余曲折はあったが、BD-1に決まり。これにキャリアをつければ、中型双眼鏡と三脚くらいなら載るだろう。
2001年の3月末に、BD-1が届いた。物凄く久しぶりに乗る自転車は、いちいち乗り方を思い出さなければならない始末だった。が、一度乗り方を思い出すと、今度は乗ること自体が面白くなってしまったのだった。思うに、子供の頃に自転車を乗り回して遠出するということが無かったので、今頃になってその楽しさを発見したというところだろう。そしてずっと心の中に隠されていたコンプレックスが解消され、その反動で自転車ラブな人間になってしまったのだろう。
結局のところ、天文趣味がやや疎かになってしまい、自転車中心の生活にまでなってしまったのだった。老いらくの恋は激しいというしな。
それにしても、3年で9台という購入台数は、激しすぎである。人として足を踏み外しかけていると思ったので、流石に去年はトレンクルを引き取っただけに抑えたが。
そろそろ、自分が欲しい自転車がはっきりしてきたので、自転車の一部を処分し(しかしこれが難しい)、車種を絞ってゆこうと思っている。
稼動回数が低下している望遠鏡たちも、もっと使ってやらないとね。