Strange Days

アザレアツーリング本番

2005年06月12日(日曜日) 22時13分 自転車 天気:晴れた(びっくりしたなモー)

 意外にも晴れになったアザレアツーリング当日。意思疎通の難しいメンバーと共に、清里から軽井沢を目指す。だいたい平地なのだし、これだけ手厚いサポートが着いているのだから、不安は無い。とはいうものの、全行程を走りきれば、それなりに疲労するものだ。
 いろいろ文句を付けたくはなったものの、終わってみれば参加してよかったと思える企画だった。


 朝は4:30起床。身支度をして、5:00には山荘を出た。こぐ氏のおかあさんの運転で清泉寮まで送っていただいた。
 集合場所の清泉寮受付近辺は、受付開始時刻には多くの参加者が集まっていた。とりあえず、昨日の前夜祭の会場に入れられていたMR-4Fを取り返し、出立準備と参加受付を済ませておいた。半袖のウィンドブレーカー、ミネラルウォーター、ゼリー、そして朝食*1が提供された。走行を考えて、軽めの朝食を出されたようだ。昨日の濃霧が嘘のように、空には晴れ間が広がっている。遠くに均整の取れた火山が見える。富士山だった。
 荷物はトラックに預けておける。ゴールまで直通かと思ったら、実は途中のチェックポイントで待っていてくれた。これは便利。僕はまめ氏みはる女史こぐ氏と同じHチームに編入された。
 それぞれの準備が出来たら、スタート地点のアンデレ教会に。簡単なセレモニーがあり、アンデレ教会の神父さんによるお祈りがある。しかし、どっちかというと仏教徒である我輩が『アーメン』はなかろうと思ったので、無事を祈ってもらったものと理解した。
 出発はチームごとなので、きっとアルファベット順だろうと思ったら、我がHチームの出立は先頭の方だったらしい。てっきり後回しだと思っていた僕らは、自転車を取りにスタート地点を離れている間に、取り残されてしまった。Hチームのリーダーはアスリート系で気が早いのか、後を気にしないでドンドン行ってしまう傾向が強かったようだ。
 なんとか追いついて、まあグループ毎という感じで走ってゆく。しかし我がチーム、非ネイティブの連中はパワフルだし、僕は非力だしで、すぐに前後が切れてしまう。サブリーダーの働きどころだが、しかし綺麗に二つに分かれるわけではないので、二人でも足りない。非ネイティブ組に加わっている小柄な女性は、ギアシフトが不得意なのか、上り坂で遅れる傾向があった。また僕は、両者の中間を走る傾向があった。そこでほぼスタッフ格のまめ氏が活躍することにもなる。
 途中で休憩を挟みながら進んでゆく。中にはエイドステーションが設けられている場合もあった。運営が非常に充実していて、これなら初めてでも不安無く走れそうだと思った。
 開拓の碑という辺りでも休憩を取る。見晴らしよく、遠くに八ヶ岳が良く見えた。朝、車で送っていただいている間、周囲の山が綺麗に見えるのに驚いていた。こぐ氏のおかあさんの話では、この辺りでここまで周囲の山が良く見えるのは、珍しいことらしい。
 途中、どうしても未舗装区画を通らなければならない。ロードバイクでは苦行だったが、なんとか乗り切った。こぐ氏も難なく通過。まあ、BD-1でシングルトラックを行ってしまう人だから。
 午前中は快調に走り、11:00前には佐久に到着、ここで昼食となった。ちゃんと昼食場所が確保されている。昼食として供されたのは、カレーライス。ふつうの、家庭料理風のものだったのだが、ごろりと野菜が入り、辛味も程よく、食が進む。カレーパワーで進むのだ。
 更に走り続け、12:00前には小諸に到着した。ここから、一度東回りに坂を登り、千メートル道路という道を走ってから、軽井沢に入るのだ。さて、坂はつらいが、5%程度なのでなんとかなるでしょう。
 やはり気管の不調が響き、大きく呼吸すると咳が出てしまう。一番軽いギアで、ゆっくり上っていった。途中で勾配のきついところがあり、無理しないで休んだりしたが、まあまあ早めに上れたと思う。
 きのこの森という、製菓会社と競合しないだろうかと心配になるような名前の場所まで、ざっと45分程度で上った。エイドステーションで口にするお茶のうまいこと。
 さて、後続を待っていると、Hグループのリーダーが『出ますね』と言い出した。流石にまだ5人くらい上ってきて無いのに気が早すぎる。まだ来て無いんですよというと、じゃあ待ちましょうという事になった。このチーム、非ネイティブとそれ以外は分けた方が良かったかもな。コミュニケーションが無さすぎで、リーダーもまとめるのを諦めている雰囲気だった。
 しばらく待つうちに、みはる女史が上ってきた。激重装備で数々の峠を征してきたこぐ氏はというと、絶不調らしく、更に遅れての登頂となった。まあスピードを競うわけでも無いし。
 全員揃ったところで、千メートル道路を走って、軽井沢に向かう。今までの行程からすれば、たいした道ではないはず。しかし、実はこの最後の20km足らずがきつかった。ほとんど休憩を取らず、ひたすら軽井沢へと急いだからだろう。ここでの疲労が、一番堪えた。
 いつの間にか軽井沢旧市街に入っていた。その前後から、なにか振動を強く感じるようになっていた。もしかして、と思ったが、そのままゴールのショー記念礼拝堂まで走った。そこで完走証と御褒美の飴をもらう。とりあえず所期の目的は果たした。
 自転車をチェックしてみると、やはりリアをパンクしていた。しかし、もう距離を走らないし、スローパンクぽかったので、とりあえず空気を入れておいた。
 こぐ氏が来ない。どうもパンクしているようだ。まだ待つというまめ氏とみはる女史を置いて、閉会式の会場となる、ユニオンチャーチへと向かった。
 閉会式では、寄せ書きに一筆入れて、招待者の挨拶、そして全員での記念撮影があった。全員とはいえ、来てない者も多く、100名ほどだったろうか。
 さて、解散となり、こぐ氏に電話を入れてみると、どうもまだこちらに向かっている模様。閉会式が終わった旨を伝えると、そのまま駅に戻るという。
 さて、僕も帰らなければ。荷物を受け取り、パンクした後輪を騙しながら、駅まで走った。ん、見慣れたBD-1が前に。こぐ氏だった。駅に着いて、こぐ氏はまめ氏、みはる女史を待つということで、とりあえず分かれ、輪行準備をした。やっぱりチューブは換えておこう。チューブを取り替えていると、ちっこい影がうろちょろしている。アザレヤツーリングに参加していた、小学生の男の子だった。100kmコースを堂々の完走。しかも既に何回も出ているらしい。えらいねえ。
 途中でまめ氏、みはる女史がやってきた。こちらの輪行準備が終わって先に改札口に上がると、こぐ氏も輪行準備を終えて人待ち顔になっていた。まめ氏らとは連絡がついているようだ。
 腹が減っていた。しなの鉄道の改札横にある立ち食いそば屋で天玉蕎麦を頼んだ。天玉でも500円ぽっきりだ。この蕎麦が、とても立ち食いそば屋のそれとは思えないくらい、しゃっきりして美味しいものだった。大都市圏での『なんだろう、このつなぎの塊は。蕎麦の香りもついているようだが』といった代物など足元にも及ばない。こういう店で気軽に出すのが惜しいほどだった。
 改札でまめ氏らに見送られ、長野新幹線で東京に、そこから東海道線、地下鉄を乗り継いで帰宅した。
 非常に疲れた、だが充実したイベントだった。もっと細かいところまで目が行き届けばいいのだけど、サポート体制の充実振りは印象的だった。来年、サイクルトレインはもういいから、本番のランにだけ参加しようと思った。

Add Comments


____