Strange Days

第6回東京・南会津サイクルトレイン2日目

2005年05月15日(日曜日) 23時03分 自転車 天気:雨やら雲やら晴れやら

 二日目は、尾瀬湿原への上りがメインになる。後は来た道を戻り、山口温泉で汗を流し、列車にバスで向かうだけだ。
 天気はめまぐるしく変わり、時に雨を降らせる。しかし、尾瀬を上がるに連れて高くなる雪の壁は、辛い上りも忘れさせてくれる。
 ところが、辛いが単純なはずの尾瀬への上りで、生涯最大の危機を迎えたのだった。


 昨夜、さっさと寝入ったからか、目覚めは早かった。3:00に一度目が覚め、それから何度か断続的に寝入っては起きを繰り返した。雨が降っているなと気づいたのは、明るくなり始めた頃だったろうか。
 6:00を過ぎ、窓を開けると、確かに外は雨の真っ只中だった。むー、と唸り、しかし思い悩んでも仕方ないので、出立準備をする。今日は雨天走行になると思った。
 宿の朝食を取り*1、外で準備をしていると、雨は小降りになっていった。が、まだ多少残っていた。まあ、ウィンドブレーカーで凌げる程度だろう。
 さて、いよいよ尾瀬への上りに掛かる。最初のうちは緩やかなものだ。みんなでゆっくり上って行く。左膝の故障、数日前に攣った右脹脛が心配だったが、いずれも労りながら使ったせいか、爆発には至ってない。
 一番辛い九十九折れの下で、小休止。ここからはめいめいのペースで上って行くようにと指示される。どの道遅いので、早めに出て、黙々と上っていった。
 きついといえばきついが、傾斜は致命的ともいえない。じっくり上って行く。
 両足を庇う癖が付いてしまい、なかなか踏み込む気になれない。また寒さがしみ始めた。周囲には雪解け水が溢れ、溶け切ってない雪が方々に残っているのだ。気温は10度を大きく割っていただろう。いくらレッグ/アームウォーマー装備とはいえ、半袖ジャージ+短レーパンにウィンドブレーカー程度の装備では、身体がかじかんでしまう。手袋だけは、雨天を予想してレイングローブだったのが助かった。指きりグローブでは、手の自由が利かなくなっていたかもしれない。
 やがて、九十九折れを超えた。後はやや平坦になるはず。GPSで見る限り、等高線の間隔は開いている。左を見ると、超えてきた九十九折れが、急傾斜の斜面に張り付いているのが見えた。防護柵も何もない道を走っていた。左に落ちたらやばいなあと思っていた。
 路肩に車輪止めのブロックがあるだけの区画に差し掛かっていた。ふと、ペダルを踏む感覚に違和感を覚えた。と、回しきれなくて、自転車が左に大きく振れた。左はアレなので、咄嗟にペダルを外し、自転車を捨てようとした。が、その勢いで左に飛び出してしまったのだ。
 崖に落ちた!
 見えたのは、斜面の手前に積もった雪だった。そこに落ちる。両足で勢いを殺した。大した高さではないと思っていたのだが、想像以上に勢いがあった。両足で制止しきれず、顔を雪に突っ込んでしまった。
 顔を上げる。一瞬、呆然としていると、道の上からまき氏に声を掛けられた。無事と答える。本当に、奇跡のように無傷だった。強いて言えば、サングラスが雪で汚れ、それにつけたバックミラーがずれたくらいか。転落したシチュエーションを思い返すに、まったく落ちた場所の運が良かったとしかいえない。
 その時の状況をまき氏提供の画像でゴージャスにお伝えしよう。落ちた僕の姿。大した高さには見えないが、自力ではよじ登れない高さだった。3mほどだろうか。ずっと左手の雪が多い部分に落ちたのだ。この辺の傾斜は比較的緩やかだったが、それでも滑落していたら無傷で済まないどころでは無かったろう。まして、20mほど手前の、急傾斜の崖に面した辺りで落ちていたら。
 MR-4Fの状況。主を失い、ぱたりと倒れた感じだ。
 周囲の状況。手前に来るほど傾斜が緩くなるが、左手に進むと急に傾斜を増す。事故現場(一団が立っている場所)の左手、10m進むと、道は取り掛かりのない急傾斜に面している。ここで落ちなかったのは、幸いだった。
 集まってきた面々の手を借り、現場から10mほど離れた辺りで、引っ張り上げてもらった。もう一度落ちてはかなわんと思い、慎重に手がかりを探し、最後は引き上げてもらったのだ。意外に冷静だと自分では思っていた。が、後で思い返すと、落下地点で落し物の心配をしてないし、助けてくれた面々にも礼を言ってない。自分で思っていた以上に、我を忘れていたようだ。
 サポートカーが追いついてきたので、Q女史にティッシュをもらって眼鏡を拭くと、再スタートした。
 無事でよかった。なにか生き返った気分だ。しかし、なぜ落ちたのだろう。走りながら考えていたのだが、ヒントがやってきた。ペダルを回していると、急に重さを感じる瞬間があるのだ。どうも、MR-4Fのサスが仇になったように思える。MR-4Fのサスが稼動すると、サドルとBBの位置が変化する。それがペダリングにも影響して、重さの変化となって感じられるというわけだ。今回、僕は左足の故障を勘案し、サドル位置を少し下げていた。ところが、少し下げると、サスが縮んでBBに近づいた時、ペダルの接近により強く影響される。それが平常ならば問題にならないのだが、登りと寒気でへろへろだった僕には、ペダルを回しきる力が出し切れなかったのだ。それで進路が振れて、転倒に至ったということなのだろう。
 その後、まき氏に気を使ったりされながらも、順調に坂道を登り切り、すっかり雪の世界に取り残されたような、尾瀬のロッジに到着できた。暖かいお茶で一服する。生き返った気分だ。
 コーヒーを飲んで身体を温め、記念撮影した後は、気持ちよく下ってゆく。寒いし、雨がぱらついているので、下りでは雨具を着込んだ。さらに秘密兵器、靴下懐炉も投入。これで寒さにかじかむことはない。
 下りつつ、尾瀬の春を愛でる。そこここに雪解け水が流れている。
 下りきって、宿までの緩い下りは、かなり狂気のスピードレースとなった。みんな40km/h以上、さらには50km/hで突っ走る。僕もアウターでガンガン踏む。
 一度、宿に戻る。ここからはきらら温泉まで、ずっと一直線の下りだ。世話になった宿の親父さんと女将さんに別れを告げ、再びMR-4Fを走らせた。晴れ間も見えていたので、雨具は脱いだ。が、今日の天気は目まぐるしく変わり、我々を翻弄する結果になったのだった。
 幹線には、スノーシェッドがいくつも設けられている。その一つの手前で、丹羽氏が『水芭蕉を見に行きましょう』と一隊を止めた。脇に逸れると、これは思いがけない水芭蕉の群生地だった。非常に目立たない場所だからか、盗み取ってゆく不届き者も気づかなかったようだ。今日は尾瀬に登り、そこを後にしたはずだったのに、ここが一番尾瀬を感じられた場所だった。足元に咲く、一際大きな花をパチリ。
 その後も走り続け、きらら温泉着は昼前のことだった。温泉の手前辺りで、遂に雨に捕まったが、ひどく降られる前に滑り込むことが出来た。ここで汗を流し、昼食を各々で取った。また蕎麦を食いたくて、天ぷらそばを注文する。あまつさえ、生ビールまでも飲む。後はバス移動だからなあ。
 のんびり寝ていたかったが、この天気ゆえに座敷は大混雑だ。食堂でだらだら過ごしてから、バスで会津田島へと移動した。
 駅で出立準備を整え、入線してきた列車に乗り込む。これに4時間閉じ込められるのかと思うと、ちとうんざりする。
 帰路では、例によって歌声列車となった。これはチベットの僧侶と勇猛な少数民族ではなくて、それに扮した丹羽氏と某氏。別のコースに参加されている某氏の父君に、この扮装のまま挨拶に伺うという羞恥プレイが行われたようである。
 前回は、別コースだったのに歌声列車に参加するということをやってのけた俺様だが、今回はその気になれず、寝て過ごした。やはり、転落のショックは後を引いている。その瞬間は、助かったなあという程度のものだったのだが、後になればなるほど、もしもこうだったら、ああだったらと、恐怖が募ってくるのである。当面、峠に行けないかもな。
 ともあれ、結果的には楽しく、五体満足で過ごせたサイクルトレインだった。これでBからEまで制覇したので、次はAコースでまったりしたいな。
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