Strange Days

九州北部山岳戦(1日目)

2007年04月28日(土曜日) 23時55分 天気:良好

 明けて土曜日。いよいよ九州北部7連戦の始まりだ。まずは歴史の島、志賀島を回り、大宰府、九州国立博物館と回る予定だが、さて。


 ちょっと寝不足気味の朝。アルコールをガーッと流し込んだ翌日には、必ずこうなってしまうのである。
 身支度をして、ホテルを出る。わがMR-4F改、重いサイドバッグとバックパックがついているので、車重は20kgに迫っているのでは。しかし、コツをつかむと、安定して走ることができる。坂道もそんなに苦にはならない。インナー26Tの勝利だ。
 志賀島まで、結局は博多湾を延々と回りこむ形になった。途中からJRと並走する形になり、やがてやたら駐車場ばかりの区画に入った。本土側の先端部に近い辺りで、少し走ったところでJR西戸崎、志賀島への分岐にさしかかる。志賀島に進路を取る。自転車乗りはポツポツと見かけるくらいだ。
 志賀島に渡る自然橋は、細くて嫌な感じだったが、ギアを上げて一気に渡りきった。
 志賀島の道は、交通量も少なく、おおむね快適に走ることができる。所々、妙に細い道があったりして、不思議に思っていたりした。その謎は、後に解ける。
 島に渡り、時計回りに走り始めてすぐ、陸側に公園のような区画が現れた。それが志賀島に来た理由のひとつ、金印公園だった。いうまでもなく、ここから金印が出土したのである。ホットドッグスタンドも出ていたりするのだが、小さな公園なのでそれほど来客があるわけでもない。
 金印は、山の中腹から出土したという。よくいわれるように、確かになんでこんなところに、大切な金印が、なんて思ってしまうような、なにもない場所だ。これを継承した勢力が、一時的な避難場所のつもりで埋めたのでは、などとも言われているのだが。
 でも、公園階段を上り、出土地点に立つと、対岸の博多が良く見える。またここからは、漢からの使者が渡ってきただろう玄海灘も見渡せるのだ。あるいは、衰亡した奴国の継承者が、往時の栄華を偲ぶ場所として墓所に選んだのが、ここだったのかもしれない。
 先に進む。志賀島は漫然と走るには良い場所だ。玄海灘に島影はなく、沖を行く船が近くに見える。交通量は少なめで、重い荷物を抱えている僕にはありがたかった。途中、一箇所だけプチ峠あり。
 一周する間に昼食にしようと思っていたのだが、これという場所が見つからなかった。結局、島に渡ってすぐの場所にある、観光センターの類に入った。じゃこの釜飯を所望する。これが大層美味な代物であった。さすがに魚のレベルは高い。
 本土に戻り、西戸崎から輪行で宇美に向かう。JRで二日市辺りまで出ようとも考えたのだが、宇美から走っても距離的には大差なさそうなので、このルートを取った。香椎線一本でいけるのも大きい。
 さて、輪行準備して、駅の時刻表を見たら、たった今行ったばかりのようだ。次は30分後。ついてない。
 駅舎で待っていたら、地元の方らしいおば様に声をかけられた。横浜から来たんですよ、などと話す。この方、地元の魚卸をやっておられるとかで、僕がさっき入った食堂も、得意先なんだとか。いろいろ話を伺う。この辺の公園には大きなアリーナがあって、有名どころのコンサートも頻繁に開催されるんだとか。それで、でっかい駐車場だらけなのか。
 また志賀島の道が一部細いのは、以前あった大地震の後遺症なんだとか。あれで、かなり道路がやられ、崩壊した個所も多かったそうだ。つい先日まで、島は片道通行の個所が多かったという。それで、妙に道路の狭い場所があったんだな。また道路のギャップが多くて走りにくかったのも、その影響らしい。なかなか面白い話だった。さっきの電車に乗っていたら、このおば様と話すことはできなかったろう。ついてる。
 やがて列車がくる。対岸のホームまで、一度線路まで降りてから回りこむのも、ターミナルならではの光景だ。2両編成のワンマン電車にゆられ、宇美に向かった。途中でさっきのおばさんが下車の際、地物のみかんを二つくれた。
 やがて宇美についたので、ここからは自走で天満宮に向かう。あとで宇美神宮には巨木があり、見所だと知ったが、後の祭りだった。そんなこと露とも考えず、天満宮方面に走った。
 大宰府までは九州高速道路の側道を行けるんじゃないかと思った。が、側道らしきものがない。大きく回りこむ形になった。
 イヤンな感じの車道を走りつづけ、結局は南から回りこむ形で大宰府に出た。大宰府政庁跡には、なんだかあっけらかんとした公園が整備されている。大宰府政庁は、海外の賓客を出迎えるべく仕立てられた、豪壮な建造物だったらしい。あちこちに門の跡が残っているのだが、その広さは都に次ぐものだったという。菅公が左遷されたというが、この規模からすればあまり左遷されたという感じはしないなあ。都から遠ざけられ、宰相の座をも追われた道真だからこそ、左遷の観もうっすらと見えてくるわけだ。
 さて、ちょっと右往左往したが、なんとか天満宮に到着。しかし、あまりに観光地めいていて、自転車をどこに置けばいいのか分からなかったので、参拝はパス。まあ政庁跡見学のおまけのつもりだったから。しかし、すでに15:00を過ぎていたので、九州国立博物館もパスせざるを得なかった。これは残念なので、また再挑戦だ。
 なんとか二日市まで出て、ここから日田まで輪行する。直通便はないので、久留米で鈍行を乗り継いだ。久留米の乗り継ぎにものすごく時間を食ったので、外に弁当を買いに出させてもらい、ここで腹に収めておいた。結局、これが夕食になった。
 日田についた頃には、すでに真っ暗だった。今日は輪行ばかりだった。宿泊するホテルまで走り、荷物を置いてから、川の方に散歩に出かけた。宵闇にホテルの明かりが並ぶ川辺は、ちょっと幻想的な眺めだった。
 ホテルに戻るとき、ちょっと店を探して、買い物をして戻った。明日はちょっと山越えをしなきゃならないので、早めに寝ないと。などと思いつつも、昨日と同じくアルコールを取って浅い眠りに苦しむ拙者であった。学習能力皆無!

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