Strange Days

2015年08月22日(土曜日)

下関周辺をウロウロ

21時40分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , デジタルカメラ 天気:快晴

 昨日、下関の南西へと走った時、どこかの掲示に『自衛艦一般公開』の文字を認めた。宿に入ってから調べると、どうも唐戸市場辺りでやってるらしい。しかも、たか型ミサイル艇まで来るとか。これは見たいな。ということで、朝まず向ったのは、唐戸市場。行ってみると、岸壁に自衛隊の所属艦艇が3隻、待っていた。
 一番見たいのは、やっぱりPGでしょう。PGしらたかに、まず立ち寄った。はやぶさ型の最終艇であり、海自はPGの後続艇も、後継艇も計画してないので、これが最新最後のPGということになる。やっぱり、PG1号型から一気に大型化したとはいえ、小型艇とはいえ多様な任務は負わせにくいのだろう。
 前甲板で一際目立つのが、76mm速射砲。はつゆき以降のDDに採用されてきたのは、Oto Melara社製オリジナルのままの、ドーム型のものだったが、これは日本オリジナルの角ばったもの。ステルス性を重視したものだという。間近で見ると、想像以上にコンパクトで、艇内に給弾部を逃しているとはいえ、良くも76mm弾を100発/分も撃てるものだ。
 ふと振り返ると、並ぶ僚艦(挺)の向こうに、関門海峡大橋が見えた。
 艇内に入った。ブリッジは狭いが機能的で、どっちかというと旅客機のコックピットを思わせる。というのも、普通の自衛艦艦橋にはあまりない、座席が並んでいるからだ。近くの幹部が説明してくれたが、航走中は軽い船体に高速が相まって振動が甚だしく、全員が着席することになっているのだそうだ。ちなみにシートはレカロ。謎のこだわりだな……。
 艦橋直後には、チャフ・フレア射出機が設置してある。この艇にSAMの類は積まれていない。唯一の砲である76mmも、高速な対艦ミサイルに対しては分が悪いのか、もっぱらECMなどの欺瞞手段を講じて躱すつもりのようだ。
 艇中央にはブリッジから煙突に至る構造物が立ち並んでおり、その上をレーダーや通信、電子戦のためのアンテナが立ち並んでいる。コンパクトな船だが、電子装備は結構重そうで、精悍な姿だ。煙突直前の作業甲板には、舞鶴でも見た複合作業艇だ。マストは、船型に見合ったコンパクトなもの。
 この艇の存在意義は、このSSM1にある。あれ、両舷合計で4発か。他国は4連ランチャー2基とか、凶々しいものだが。ちょうど、上空をCH-47が通過してゆく。体験搭乗できるのかな。
 艇を降り、ヴァイタル・パートを側面から。実際に、中央部のCICを初めとする人員区画には、複合材によるヴァイタル・パート防御が図られているそうな。
 隣りにいるのが、多目的支援艦あまくさだ。ここで公開されていた3隻の中では唯一の自衛艦、つまり大体1000t超の基準排水量を持つ船で、専ら訓練を支援する役目を負っている。タグボートもあるので出番は少ないだろうが、故障艦の曳航も任務としているそうな。コンパクトにまとまったPGに対し、作業甲板が広くて、訓練支援機材がすっきり配置されている船型も幅広く、居住性も高そうだ。
 最後に乗ったのが、掃海艇うくしま。海自の掃海艇は、つい最近まで全木製で、この艇もそう。それ故、インテリアも気がふんだんに使われており、戦闘的なしらたか、機能的なあまくさに対して、なんとも居心地の良い船だった。しかし、前甲板にでんと居座るのは、凶々しい20mmガトリング砲。そういえば、世界の海軍で、ガトリング式機関砲を人力操作で設置するなんて例は稀だと思うのだが。海自は何故か好きだな。
 うくしまのブリッジはコンパクトで、掃海艇という性格ゆえか見晴らし良さそうだ。後甲板は作業機材が並んで広く、ここがこの船の要だと分かる。
 さて、今日は門司に渡りたいのだった。関門海峡大橋の真下、人道トンネルへと向った。途中で、どうしても目に入ってしまう、巨大ふぐ像。日本一らしいが、そもそもライバルになりたがる勢力は少なかろう。
 関門海峡大橋を見上げつつ人道トンネルへと潜り込んだ。真ん中辺りで福岡県に渡り、門司側に上った。
 ここで、タイヤの気圧が下がっている気がしたので、注気していたら、原付きを押してきた若い兄ちゃんから、「南の方に向かう良い道無いですか。沖縄に行きたいんだけど」という、すごい道の聞かれ方をする。鹿児島から、フェリーで沖縄に渡るつもりらしい。どうやら、地道を行きたいみたいなので、沿岸、東回りのほうが楽しいかな、別府もあるし、と答えておいた。こんな聞き方をするということは、時間が有り余っているんだろうな。
 お腹がすいたので、ノーフォーク公園のレストハウスに入り、ふぐ天入り冷やしぶっかけうどんを食す。暑いので、冷たいうどんは良い。ふぐもうまい。
 満足して、店を出たら、おじさんが追いかけてきて、これ落としてない、とANAマイレージカードを差し出してくれた。気づかなかったが、会計の時に落としたらしい。これは危なかった。礼を言いつつ、受け取る。ありがたいことだ。そして、こんな粗忽ではイカンな。カードを、財布のカードスリットに、深く差し込んでおいた。
 この公園からの、関門海峡大橋の眺めも素晴らしい。
 門司港と関門海峡直下とを結ぶトロッコ電車を横目に、門司港に向った。ここに来ると、いつもこの店に近寄っては、自転車で来たことをお思い出し、指を咥えて撤退する。なんて惨めな人生。
 気を取り直し、門司港を散策する。ここには何度か来たが、今までで一番好天だ。レンガ建ての建物が多い。
 跳ね上げ橋開閉を観察し、関門海峡大橋を、ほぼ真横から見る地点まで来た。この間、門司港周辺ではよさこいなんたらの類が開催されている関係で、ドンツクドンツクやたらうるさい。
 今まで入ったことがなかった、海峡ドラマチック館に入ってみた。中は、1Fが古い商店街を模した、土産物屋街になっていて、その上が展示物。最上階から、関門海峡を一望できる。1Fの土産物屋街は、ハリボテだが、照明を落としてある。高感度で撮ると、どうしても作り物感が出てくる。近くには、旧大連航路上屋が整備され、解放されていた。まだ、店舗の類は少ない。
 海峡を渡り返し、下関砲台跡に立ち寄る。これらの大砲を鋳造したのが、萩のあの鋳造所だったのだ。
 最後に立ち寄ったのは、橋のほぼ直下にある、立石稲荷大明神。鳥居の列を下ると、即車道という凄いシチュエーションなので、参拝するのが大変だ。
 ホテルに戻る。この日、下関周辺は、馬関祭りが盛大に開かれている。すごい人出で、普通の店があまり開いてない。その上、交通規制が強力に掛かっていて、いたるところで通行止め、一方通行(歩道もだ)になっているので、散々迷って、なにも見ないで帰って。というか、この祭り、どこがメインなのやら。

2015年08月21日(金曜日)

本州最西端に立ち寄ってから下関に

23時50分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:雨のちくもり

 今日も少し湿っぽい朝だ。でも、距離的には自走圏内だし、雨ももうすぐ上がる見込みなので、昨日よりはよほど走りやすそうだ。
 雨の様子を少し見ていたので、9:00を過ぎてのやや遅い出発だった。良い宿だった。
 まず寄ったのが、駅の北方にある、中ノ浜遺跡。弥生前中期くらいの集落跡の遺跡で、甕棺が発掘された辺りを整備して展示している。簡単に行けるかと思いきや、家並みの細い道を「これで合ってるのかな」と不安になりつつ走るような場所だった。
 さて、この先は幹線を素直に走るつもりはない。一旦は北浦街道に戻り、南下したが、黒井村駅辺りから海へと向かう。といっても、この辺りでは海に出られないので、毘沙ノ鼻のある本州西端の突出部をショートカットし、南の吉母に出る尾根道を走ることにする。毘沙ノ鼻までは、これが最短ルートのはずだ。
 尾根道は、少しだけアップダウンはあるが、車のプレッシャーが皆無なので、快適。ちょっと湿っぽい天気が、玉に瑕だ。
 途中見かけた、光蓮寺。藤原不比等生誕地との説もあるそうだ。また、山中に観音堂、大師堂の類が多い。
 山道を一つ越え、二つ越え、山間の小盆地をつなぐようにして、大きくは尾根道を超えてゆく。
 吉母に抜けた頃には、まだまだ昼には早い時間。だが、この先に昼食を取れる場所がどれだけあるか、疑問だった。そこで、この辺で店を見繕えたらと思いつつ、海まで抜ける。立派な海水浴場はあるが、既にシーズンオフで、浜茶屋の類は見当たらない。しょぼん。
 仕方ないので、淡々と今日のメインイベントをこなすことにする。本州最西端、毘沙ノ鼻に向かう。吉母から北西、ゴミ処理場の方向に登ってゆく。キツイ坂道を一つ越え、二つ超えてゆく。道案内は励みになるが、高湿度と高気温が重なって、キツイことキツイこと。とうとう、急坂を押し上げるはめになった。
 消耗しつつも、高所にある毘沙ノ鼻展望台の駐車場に到着。手洗いと自販機があったので、一休みする。人気はない。一組、二組と車で来た一団が居たくらいだ。
 展望台は、整備間もないようで、小綺麗なものだ。展望は開けているっちゃ開けているのだが、なにせ湿っぽい天気だし、そもそも眼下に見えるのがゴミ処分場だというのは、かなり致命的ではなかろうか。
 吉母まで戻り、北浦街道に戻る。といっても、なおも素直に街道を行かず、海沿いの道を探しながら走った。なんてことのない住宅街の中なので、ワクワクはないけれど。
 吉見辺りまで来ると、幹線道路が海沿いに走るので、もう選択の余地はない。海の眺めを横に置いて、車と真剣勝負だ。
 いい加減、昼時なので、食事にしたい。しかし、この道沿いの店は、みんな入ったら負け的な佇まいだ。もう諦めて、セブン-イレブンで調理パンを買い食いする。これも負けモードではある。
 今日はできるだけ海沿いに走るつもりなので、やや内陸の山陰本線と並走している北浦街道から、ややもすると離れることになる。ところが、そうして離れた海沿いに、こんな立派な道があった。これは北浦街道のバイパスとして設けられた、新道。できたてホヤホヤみたいだ。すぐに海側に降りたかったので、あえて右側の歩道をホトホトと走った。
 下関市街*1近くまで来ると、長州出島という人工島がある。一目見ておこうと、住宅地の中を迷走したりしながら、架橋部まで来た。かなり凶々しい。
 その後も、幹線を通ったり、住宅地を抜けたりしながら、とりあえず下関駅辺りが見える所まで来た。宿は、下関駅間近だ。しかし、まだまだ日は高い。もう少し迷走しよう。今まで行ったことがない、下関の先端、小倉の対岸辺りに向かった。
 下関、それと一体化して見える彦島とを隔てる、小瀬戸の西端辺りに向った。ここからの、下関の眺めは新鮮だ。
 当然、彦島にも渡る。彦島には、小瀬戸西端のはるか頭上を走る車道の他、数カ所の橋で渡れる。メジャーなのは南端の橋だが、小瀬戸を仕切る彦島水門からも渡れるので、そっちに向かう。こんな風にチャンバーの両面に水門があり、船を通過させる際に切り替えるパナマ式水門になっているのだが、水位差無さそうなのになぜ?
 この水門は、片方必ず下がっており、どちらも自転車歩行者道なので、自転車と歩行者は常に通行可能だ。両面下がっている間は中央の車道も使える。
 彦島に渡り、さらに先にある竹の子島を目指す。ここは橋一つでつながっており、狭い瀬戸を挟んでいることもあって、あまり島という感じはしない。この橋から脇に逸れると、観音堂があるらしいが、気分でパス。
 割りと頑張って来た割に、島の果ての風景は冴えない。海岸沿いには工場があり、出られそうにない。
 宿にチェックインし、夜の下関に繰り出したが、何かの準備が進行中らしい風に見えた。その謎は、宿に戻ってから分かった。馬関祭りというのがあるらしい。なるほど、それで宿が、ここしか残ってなかったのか。

2015年08月20日(木曜日)

川棚温泉に向かう(この旅では数少ない輪行込み)

01時00分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) , 天気:降ったり止んだり

 今日も西に向かう。泊地は川棚温泉で、距離的には自走でぎりぎりと言うところ。しかし、朝から雨っぽい天気で、なんとも意気が上がらない。途中のどこかで、輪行するつもりだ。しかし、どこまで走られるだろうか。
 宿を後にし、仙崎、長門市と経由しながら、海沿いを走って行く。ふと、山陰本線を走る電車が、大河ドラマのラッピングになっているのに気づいた。
 雨は降り続けていたが、強度は弱く、また時々止みそうにもなった。本当ならば、この先の油谷湾で一泊し、湾沿いに散策したかったのだが、宿を取れなかった。川棚温泉は、やむなくの妥協策だ。山陰本線に沿って、湯谷湾までショートカットする道を走った。そうだ、昨日は萩~三隅間で走った細い道を国道と書いたが、実際は県道だった。
 細かく言うと、道は海沿いに深川湾の西まできて、山陰本線沿いの、やや北寄りの道と、山間を通る北浦街道とに別れる。今日は北浦街道を延々と走った。
 この辺、道は結構いいのだが、沿道は田んぼばかりだ。店が殆ど無い。長門古市手前でローソンを見つけ、やっと休憩と買い物出来た。。
 この道も、長門古市で再び山陰本線と再会し、その後は一緒に西進してゆく。人丸駅に来ると、油谷湾までもう少しだ。雨はパラっときたり止んだりで、路面は乾きかけの所もあれば、しっかり濡れている所もあるという塩梅。
 人丸駅辺りで、わざわざ北浦街道を抜け、駅近くまで来たのは、ちょっと早い昼食場所を探すつもりだったからだ。しかし、店が見事にない。コンビニでなにか買うか。
 などと考えつつも、結局その先を急いだのは、やはりいまいちな天候を気にしていたからだ。雨の強度が上がると、走る気にならなくなる。道端のお地蔵さんにも、安全を祈願したくなるというものだ。
 伊上駅を通過する頃には、雨は強弱つけつつも、少し強まりつつあるように思えていた。うーん、完全自走は無理だろうが、さてどこから輪行すればいい。
 伊上を過ぎて、次の長門粟野、阿川辺りまでが、油谷湾の口当たりだ。対岸に半島が見えている。本当は、あそこにも行きたかった。
 長門粟野付近は、粟野川の河口がふた手に別れ、そこに漁港がある構えだ。何か店はないかと寄ってみた。漁港の対岸、島にも幾つか家屋が見えたが、いずれも作業小屋の類のようだった。一つ、この手の漁港に欠かせない、神社があった。
 ここもこれという飲食店が見当たらないので、更に先へと向かう。しかし、段々と走るのが嫌になってきていて、次の阿川辺りで輪行しようと考えだしていた。
 やや山岳戦気味の、山中の幹線をひた走り、下って出た浜が阿川ほうせんぐり海浜公園という場所。結構整備された公園で、これなら浜茶屋の類もあるんでね、と思って寄ってみた。しかし、あるにはあったが、営業は昨日まで。なんてこった!
 もう、完全に走る気をなくしたので、阿川から輪行することに決定。吾川駅で自転車をまとめてしまう。幸い、駅の近くに売店があったので、そこでパンを買って少し腹に入れた。昼食と言うには寂しいが、助かった。
 1時間以上待って、やってきた列車に乗り込んだ。券売機もない駅なので、ワンマンカーが来るかと思いきや、観光用のみすゞ潮騒号という、3両編成でやってきた。これ、全席指定じゃね? などと焦ったが、ちゃんと自由席はあった。しばし、車窓を*1流れる景色を楽しんだ。今回、阿川から飛ばしてしまったので、角島にも当然渡れなかった。次回は、油谷湾と角島を重点的に攻めたい。
 川棚温泉で下車。自転車を組み立てながらも、雨がパラパラと降り続ける天気に、宿までの1km程度の道行にすら、不安を覚える。まあ、濡鼠になっても、宿で何とかするだけだが。
 まだ、宿のチェックインまで、時間があるなあ。などと思いつつ、自転車を組んでいたら、ハブダイナモライトが点灯しないことに気づいた。これは一大事、とその場で修理を行う。怪しいのは、いつだってコネクタとの配線部なので、一度バラしてから、配線しなおした。工具がないので苦労したが、回復させることはできた。
 腹が減っているので、駅近くにあったうどん屋に入り、ごぼ天うどんを食す。ごぼ天が実に美味しい。
 チェックイン時間になったので、已む無く雨の中、宿まで走る。宿のある川棚温泉は、少し高台だった。幸い、登るというほどもなく、到着。ことぶき旅館という宿に泊まった。増改築を重ねてきた様が伺える、出入り口は1階だが、記帳所は2階にあるという謎の作り。全体的に古い作りの、年数がたった宿だったが、こまめに修繕と清掃を行き届かせてる様が伺えて、好印象だった。高台故に、内陸に引っ込んでいるのだが、響灘まで見渡せるのだ。
 しばし、濡らしたものの始末や、旅の記録に時間を費やし*2、風呂の後はお楽しみの食事だ。おしながきからして、期待できそう。
 これは温泉豆腐。ふわふわした食感で、重曹を使った湯豆腐みたいな感じ。
 小フクの揚げ物は、魚の旨味がジュッと染み出してきて、実に美味だ。下関で食べたフグとしては、この小フクの天ぷらが一番好きだ。
 イワシのつみれ鍋は、イワシのだしが実に効いて、濃厚というよりは切れの良い味わい。
 そして、ここで出会ったのかと驚いた、瓦そば。北限は秋吉台だったと思っていたので、ここで出されて驚いた。この他に御飯もついてくるので、油っぽい瓦そばには、少し苦戦した。が。美味しかったぞ。量があったけど、完食出来た。
 滿足しつつも、明日の天気を心配しつつ、眠。

2015年08月19日(水曜日)

萩から仙崎へ

22時04分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:くもり時々ポツリ

 今日は萩から仙崎へと自走する。真夏のことだし、素直に輪行しようとも考えていたのだが、なにせ山陰本線は便数がものすごく少ない。特に、萩を含む長門市~東萩間は、交通機関としての意義を問われるレベルだ。なら、自走するかとなった。
 宿を後にし、一旦萩市街を経由し、西へと抜ける。後はR64を走るだけだ。しかし、このR64が、なかなか食わせ物だ。延々と山陰本線に沿って走るかと思えば、蛇行して山に海に向かったり、バイパスに別れたり、終いには三隅辺りで北浦街道へと乗り換えることになったり。これは、GPSマップの使いでがありそうな道だ。
 ともあれ、まずは山陰本線に沿って走る。萩の西隣、玉江駅を通過。道は、すぐに「家並みなぞ見飽きたであろう?」と言わんばかりに、速攻で山へと吸い込まれてゆく。というのも、この辺の海側は崖地で、家屋の立錐する余地も、道を通すそれも無いからだ。
 車のほとんど通らない、寂しいが走りやすい道を、淡々と走ってゆく。寂しいが、楽しい。楽しいが、坂はやはり嫌だ。これが、旅というもの。
 時々、山陰本線を過るので、ちょっと止まっては車両通過を待ってみた。しかし、元々本数の少ない山陰本線で、そんな都合よく通りがかったりはしない。
 海の眺めは良い。実に海の匂いのする道だった。
 山間の小盆地を抜け、よほど車が通らないんだろうなと思う荒れた山道を越えたところで、なんと都合よく車両が近づいてきた。止まって、カメラを向ける。Finepix S1は良いカメラだが、一大欠点はRawで撮ると連射できないこと。置きピンで狙った。少し早かったが、まあ仕方ない。
 三隅くらいまでは、大体は海を見ながら走る山道も細くて、これ本当に国道なんだよなと訝しみながら走る。
 昼食には早いが、道の駅三見が目に入ったので、そこまでへいこら登って昼食に。眼下に灰色の海が見え、なかなかの景勝。
 この辺りから、海岸に集落が目立ち始める。集落、田畑、高架の対比が良い。
 山道を抜け、三隅は三隅八幡宮の辺りで、今度は北浦街道に乗り換える。ここは厳然たる幹線道路で、沿線には家屋も多く、コンビニもある。眺めは詰まらないにしても、安心感はグッと増す。
 この公民館のような建物は、なんと長門三隅駅の駅舎だ。
 淡々と走り続け、海沿いに仙崎へと向かう。海側のトンネルを、さらに海側の小道でバイパスすると、トンネルの向こうがみすゞ公園という小公園になっているのに気づいた。トンネルの出口にそって、山の上までこうらしい。
 まずは、宿に荷物を置きたい。青海島に渡るべく、みすゞ通りも仙崎駅もすっ飛ばし、青海大橋に向かった。これはまた、エラい橋だ。船を通すために、かなりの高度まで持ち上げているのだ。歩道が広いのが救いか。
 橋を渡り、西に向かった港辺りまでは、家屋も商店も多い。しかし、宿のある青海湖の辺りまで来ると、人家はまばらだ。
 宿に着いたが、チェックイン可能時間までは、まだまだ時間があるので、周辺をうろつくことにする。宿から内陸に向かうと、意外に田畑があった。青海湖の周辺は、この島ではもっとも平地に恵まれた区画のようだ。周辺には休憩所などの設備がそれなりに整備されていたが、それらが活用されている気配はなかった。要するに、寂れていた。買い物できるのは、この自販機くらいだ。と思ったら、こんなところにもみすゞ物件が整備されている。誰が見に来るのだろう*1
 時間が有り余っているので、仙崎に戻り、駅を訪う。ここから伸びるみすゞ通りが、仙崎の大きな観光物件のはずだが、賑わっているふうには見えない。でもまあ、名うての寂しさハンターだった金子みすゞの故地には、あるいはふさわしいのかもしれない。
 チェックイン時間になったので、宿でチェックインして荷物を置き、また周辺の散策に向かう。宿は青海湖のほど近くに立つ、青海島シーサイドホテル。古い建物らしく、埃っぽい臭いがつきまとったが、意外なことにソフトバンクモバイル*2がちゃんと入ったので、助かった。
 身軽になったので、青海島観光だ。島の先端に走る。アップダウンが多く、天気も今一つだが、ガシガシ走るぜ。
 一山越えた漁港に、夏みかんの原木があるというので見に行った。案内板にそって向かうと、畑にあるのを発見。と思ったら、振り返った民家の庭先にあるのが原木だとか。ちょうど、このお家のおばさんが畑仕事をしていらしたので、話を伺う。なんでも、何処からとも無く流れ着いた実から生えたのが、この原木だったらしい。畑に立っているのは、それを農林試験所でクローニングしたものだとか。夏みかんの正体が未だにわからないというのは、一般的な果物なのに不思議だな。
 おばさんに礼を言って、先を急ぐ。プチ峠を越え、いくつかの集落を経て、島の先端は通漁港に到着する。ここに、かの鯨墓がある。その鯨墓の近所にある、くじら資料館に入ってみた。五島だったかで見た、でっかいそれと異なり、小ぢんまりしたもの。しかし、鯨一頭で七浦賑わうと言われていたほどで、大層な羽振りだったということだ。
 民家の間の、心細くなるような案内標識に従って山に向かうと、かの鯨墓があった。これは、鯨の胎児の墓であるという説を知っていたが、鯨そのものの墓であるという説もあるようだ。今回の旅は、これを見たかったので立案したものだ。
 ふと、俊敏な姿が、墓の裏手から近所の民家の屋根へと走る。なんと、ニホンザルだ! こんな所におるんか。まあ、東北の山に比べれば、よほど過ごしやすいのだろうが。
 くじら資料館を後にし、宿まで戻る。途中、小島に魅力的な小社を見つけるが、渡りようがない。
 宿に戻る前に、買い物しておこう。宿には夕食が無い。また仙崎へと渡り、街中のポプラでポプ弁を買う。橋から気になる場所が見えていたので、寄ってみた。弁天島といい、ここが埋め立てられる前は、やはり海上の小神社を抱える島だったらしい。橋を渡って、青海島側の公園で夕陽を待ったが、なんと雨雲が湧いてきて、よろしく無かった。
 宿に戻り、今日の復習と、明日の予習をしていると、雨が落ち始めた。この旅は、結構雨にやられるんじゃなかろうか。

2015年08月18日(火曜日)

結局、萩をうろうろする

20時48分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:晴れ晴れ(酷暑)

 当初の予定では、今日は萩の沖合にある、見島に渡るつもりだった。しかし、フェリーの本数から見て、現地での行動時間が限られること、この時期には渡り鳥が少ないことから、取りやめにした。代わりに、萩をうろつこう。
 宿を後にする。って言っても、連泊するんだけど。
 まずは、東萩駅に近い、松陰神社辺りに向かった。松陰神社に用はないが、この辺にいくつかの歴史公園が整備されているのだ。その一つ、郡司鋳造所遺構広場。長州藩で大型兵器の鋳造を請け負っていた郡司家があったのがここで、その遺構が発掘されたのを契機に整備されたもの。こんな風に、鋳型を立てて、上から青銅を流し込んだ。幕末、西洋式の大砲を整備していたものの、下関戦争では新式砲を装備した四カ国艦隊にアウトレンジされ、一方的に敗れている。しかし、大型鋳造品を作る技術は持っていたので、その後は急速にキャッチアップできたわけだ。
 阿武川を渡り、南に走ったところにある、旧湯川家住宅に向かう。萩で、一番好きな場所の一つ。水路で水を引き込み、生活用水に利用していた。水がある家は良いな。坪庭も上品で、真に我が身と縁遠いからこそなのか、憧れる。
 更に南に下り、阿武川とその分流の橋本川とで分け隔てられた本土へと渡り、萩駅を訪った。そういえば、一度も来たことがなかった。今は東萩駅の方が乗り継ぎ駅、鉄道基地として比重が高まったが、かつての萩の玄関口であり、レトロな駅舎は瀟洒で見ものだ。中にはちょっとした博物室がある。
 昼食はどうしようかなあ、と思案しつつ、橋本川を渡り返し、川沿いに西進する。目に入った旧家が、いかにも観光物件然として整備されていたので、覗いてみる。渡辺嵩蔵という、明治大正の日本造船界の大立者の旧宅だという。萩市は、こういった旧家屋の保全に力を入れているようだ。
 田中義一旧宅にも立ち寄る。二階からの眺めが、実に清々しい。しばし、風の通る畳の間で、寝転がっていた。
 しかし、お腹の好き具合が厳しい。野生の本能が、給餌を強く求めてくるので、やむなく居心地の良い座敷を辞し、鍵曲を経て、平安古を通る。平安橋という、古い橋が残されている。萩城内と、城下町とをつなぐ、石橋の一つだったそうだ。
 村田清風旧宅などが集まる、武家町の通り。塀が巡らされており、修復の手がこまめに入っているようだ。
 この辺まで来ると、橋本川の流れは大きな堀のようによどむ。海とは、薄皮一枚で隔てられている塩梅だ。唯一の流れは、常盤橋から北に向かうお堀だ。
 萩城近く、萩史料館の並びにある、土産物屋で昼食。ガッツリ入れてます。暑くて、体力を消耗している。
 萩城内に入る。建物の残っていない、城址公園なので、むしろ石垣や堀が見渡せる。園内に移設された茶室周辺を散策していたら、おや寝坊助めが
 萩城の海際まで行ってみた。指月山の北辺には近づけず、萩市街から見えている範囲までしかいけない。
 博物館のある辺り、この辺も武家屋敷が多い博物館には入ってみた。さらに西に向かうと、ぽつんと残された大門に行き当たった。北の総門というものらしい。
 海側をうろつき、最後に阿武川を渡った漁師町を散策してから、宿に戻った。そんなに走ってないのに、真夏の徘徊は疲れる。

2015年08月17日(月曜日)

豪雨の中、とにかく萩まで向かう

23時30分 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 天気:豪雨のちくもり

 明け方、物凄い雨音と雷鳴に目覚める。これはやばいぞ。
 今日は、朝早くに新山口まで出てから、秋吉台を超えて萩まで走るつもりだった。しかし、この雨では無茶だ。雨はなんとかしても、雷には勝てない。死ぬ。
 仕方ないな、どうするかな、と思いつつ、雷雲の動きを観測していた。やっと、昼前頃になって、雨雲が薄れて去ってゆく気配が。まだ雨は上がってないが、動けそうだ。呉駅までMR-4を走らせ、電車で広島へ、と思いきや。なんとあまりの風雨に、呉線が止まっている。さすがだ、海に近すぎて虚弱な呉線よ!
 笑っている場合じゃない。幸いにして、すぐに運行は再開されたが、最初は駅間に待機中の車両があったため、ベタ遅れだった。しかし、この徐行も、すぐに解除された。広島に着いたのは昼過ぎのこと。
 もう、自走は不可能と諦め、電車で行くことにする。幸い、宿は東萩駅前だ。
 新幹線で厚狭、美弥線で長門市に。ここで山陰本線に乗り換え、東萩に入るのだが、接続が悪く、到着2分後だかに出るため、乗り換えの暇が無さそうに思えた。次の便は1時間半後だ。その時間を覚悟していたのだが、車両は到着ホームの向かいに居たため、難なく乗り換えに成功した。助かった。
 東萩で降り、駅前の宿に投宿。部屋が意外に広く、インターネット回線もあったので、助かった。近所のコンビニへと買い物に向かう途中、本数の少ない山陰線の通過に遭遇した。
 昨日の爆走、今日の不安な列車旅に疲れ果てていたので、早々とベッドに沈没した。

2015年08月15日(土曜日)

呉に帰省する

23時13分 , , 自転車 ( 自転車散歩 ) 天気:良いけど曇ってきたよ?

 さて、広島に向かうずら。
 今回、山口ツーリングのために、多めに荷物を持てるように構成した。自転車はMR-4を選び、これにモンベルのドライバッグをつける。こちらに自転車関係のブツを満載するつもりだ。その他に荷物は、ドイターのクエーサーを背負い、ここに入れることにした。
 空路、広島に飛ぶ。羽田では、手荷物預けが自動化されていて、驚く。自転車は、人がいるカウンターの方だ。自動預託のためには、どうやらサイズの制限がより厳しくなる模様。待合室に、USB給電ポートが用意された座席があり、良く分かってるのうと言いたくなる。
 広島空港から、バスで呉へ。実家に荷物を置いてから、中通りに向かう。もちろん、モリスだ。夏場は、こってりしたのもいいが、こののどごしの良い出汁味スープが素敵。
 二河峡に向かう。マイナーすぎて、地元民も観光地と思っていないが、海沿いの市街地から数km遡上するだけで渓谷に出るのは、考えてみると面白い。そんなに山が迫っていて、かつ扇状地が形成されなかったなんて。
 途中、二河川に掛かる木造橋、太平橋。かつては、台風の度に痛むわ流されるわで、至って脆弱な橋だった。謎なのは、そんな目に遭わされてきたのに、なぜか上下流の橋みたいに、鉄筋コンクリート造りに建て替えられないことだ。どんな理由で、木造であることを墨守しているのか。
 二河川沿いにヘコヘコと進み、山がぐっと迫ってくると、二河峡だ。もうちょっと頑張って、上流に歩くと、大きな一枚岩や、観音堂が出てくるのだが、アッチイのでここまで。意外に、行楽の人が多かったな。
 市街地に戻る。呉市役所の新庁舎が、完成間近のようだ。立派な建物だ。
 夕暮れ時には、海を見ていたい。ということで、大和ミュージアム。ついうっかり買ってしまう、黄金色の発泡する液体*1。仕方ない、日が落ちるまで、ここでブラブラするより無い。
 ミュージアムにも、もちろん入る。ここ、1/10大和を正面から見ると、でかい窓を背景に、思いっきり逆光になるので、撮るのが大変だ。背面からの方が撮りやすい
 正方向から取るには、上階に上がって撮り下ろす方が良い。
 海に出て、港を眺める。油断していたが、地平に雲が増え、日没は拝めそうにない。
 夕食は、街に出て、カレー屋に入った。呉では、海自カレーという行事というか制度が始まっている。海自の艦艇には、それぞれ固有のカレーレシピがあることが知られているが、それを店舗に提供し、いつでも楽しめるようにするのが狙いの制度だ。今日行ったのは、堺川沿いにあるカレーのマスター。掃海艇いずしまのレシピで、トマトピューレを練り込んだイタリアンなカレーだ。トマトの酸味が爽やかだ。
 明日は、どこかに遠出しよう。

2015年08月12日(水曜日)

夏の山口県西部旅行準備

22時10分 天気:晴れ

 山口旅行の下調べをする。日程は大体決めたが、じゃあどこにどんな見どころがあるのか、まだ調べていない。僕の旅行は、いつもこうだな。
 今回、初日と二日目は萩、翌日は青海島、さらに川辺温泉と来て、下関まで出る。萩では、沖合の見島まで渡りたいのだが、想像以上に遠くて、往復の船便を考慮すると、行動時間は4時間くらいしか無い。うーん、行くだけの価値はあるのか。
 青海島は青海島を見て、問題は次の日だ。油谷湾沿いに、半島の先端にある卑弥呼の里まで行きたいのだが、これが存外に遠い。本来なら1泊する必要がある距離だ。しかし、荷物を最寄り駅において、往復なら大丈夫かな。棚田も見たいのだが。ここは要検討。
 最終的には、現地で臨機応変に判断するつもりだが、恐らく天候に左右されることになるだろう。晴れて、しかも暑くもない空を望む。