Strange Days

2001年08月31日(金曜日)

また宴会するずら

19時15分 暮らし 天気:雨ですか?

 先週辺りに、久遠氏のチャットで「バルチックカレーをむさぼりくわんかね?」と誘ったところ、オフの告知を方々に出しておいてくれた。本当にまめな性格だなあ。しかしなんと、赤井女史が参加するということになったらしい。ううむ、おやじ集団なら適当な飲み屋に雪崩れ込むことも可能だが、赤井女史が参加してくれる以上はそれなりの店を探さねばなるまい。ということで、現在、秋葉周辺でよさげな店を探索中。こりゃあ、神田に出た方が早いかな。まあなんとか目星はつけたが。
 しかしこのバルチックカレー、その名から様々な憶測を呼んでいるのである。いわく、「バルト諸国が日本国内で諜報活動するためのアジトだ」とか「日本海海戦に敗れたロシア兵たちが日本に帰化した名残」とか「海戦に敗れたロジェストベンスキー中将の末裔が経営している」とか。いやみんな僕がいってるんだけど。
 しかしまあ、バルチックカレーのホームページを見る限り、単なるチェーン店みたいだが。
 ともあれ、濃いメンバーとのおしゃべりが楽しみだ。

2001年08月30日(木曜日)

アルコールでへろへろ

23時55分 暮らし 天気:曇ってるみたい

 今日は月末に離任する上司の送別会で、戸塚駅東口にある魚民という飲み屋で飲む飲む。最初からピッチが早めだったせいで、終わる頃にはへろへろになっていた。まず、眠い。座ると眠り込むに違いないと思い、地下鉄では空席があっても立ったまま立場に向かった(これはまあいつもそうだが)。帰宅すると、案の定爆睡モードに移行。4時間ほども寝てしまった。
 起き出して、風呂に入り、ちょっと外に出てみると、雲が多い。いつもこうだ。すっきり晴れ上がった夏の夜なんて、今年は数えるほどしかお目にかかれなかった。横浜という土地がそうなのかもしれない。
 間もなくコケコッコータイムという頃に再びふとんに。

2001年08月29日(水曜日)

ごま味噌うどん試作

22時09分 暮らし 天気:曇りですか

 秋になって暑さも一段落したら、携帯ストーブを持って外でお食事、なんて考えている。キャンプもいいな。
 道具が揃ってないうちは簡単な調理しか出来ないだろう。また出来るだけゴミが出ないようにしたい。するとパスタや麺類に、適当にトッピングしたものがよさげ。しかし単なるパスタはゆで汁を捨てなきゃならない。その点、うどんやスープスパの類は、そのままスープに出来るので良さそうだ。基本はここに置こう。
 これから外気温は下がる一方だから、体が温まるものにしたい。思い浮かぶのは、会社の食堂で食ったごま味噌うどん。これは出し汁にごまと味噌で味付けした、体が温まるようなものだった。まずはこいつを試作してみよう。
 まず出し汁を張って、すりごまを適量投入する。げっ、多すぎた。小さじ一杯程度で十分みたい。さらに味噌も大さじ一杯程度投入。多すぎるとただの味噌汁になっちまう。次にうどん。これは本当は乾燥うどんから戻してやらなければやらないが、今日は冷凍うどんで代用する。うどんが煮えたところで卵を投入。これで栄養的にはかなり高レベルになるだろう。最後にねぎを添える。持ち運ぶときは、ごまと味噌をすり鉢ですって、そこにねぎを練りこんでやるとよさげ。
 味は、まあいけるんでないか。少なくとも、寒いときにすすると体が暖まりそう(しかし夏に食っても)。今度は携帯ストーブを買って試してみよう。

2001年08月28日(火曜日)

連夜の鍋にお疲れ

21時08分 暮らし 天気:晴れ時々曇り

 昨日に続き鍋。今日で食いきるつもりなので、全食材を投入したところ、昨夜以上の分量になってしまった。ぐはぁ、食いきれるかな。
 なんとか平らげ、ちょっと横になっていると、いつの間にか日付が変わっている。宇宙の神秘だ! 3時間ほど寝てしまったみたい。慌てて起き出して、風呂に入ることよ。
 やっぱ、平日の鍋はやめた方が良さそうだ。往生するわ。

2001年08月27日(月曜日)

疲労のたまった週明けは

20時44分 暮らし 天気:曇りだか晴れだか豪雨だか

 土日と元気に遊んだ週明けは、全身に倦怠感が漂っている。っつうか、遊びすぎなんだよ! この疲労感は、VAAMを使わなかった報いかもしれない。VAAMを飲みながらだと、ここまで疲労がたまらなかったからだ。いまさらながら、あれは威力があるんだと痛感することよ。
 疲労を吹き飛ばすべく、せめて夕食はたっぷり取ろうと思い、スーパーをうろつく。うむ、白菜があるな。鍋にしようか(こんな暑いのにか)。うむ、暑いしな、鍋にするか(熱死する気か)。ということで鍋にした。まだ8月だぜっ!
 予想通り、暑さに死にそうになりながら作り(台所は冷房が無いので)、涼しい部屋でたいらげた。一人で食うには食材が多すぎる。週末にやるべきだな。

2001年08月22日(水曜日)

台風一過......か?

17時34分 暮らし 天気:雨だ、強い風だ、が、暴風ではない

 前夜、夜通しNHKの台風情報を見てしまった。台風情報、萌えるよな。「うぉ、とうとう紀伊半島に上陸か!」とか。サッカーなんぞよりはるかに面白い。サッカーと違って、こっちが死ぬかもしれないんだからな!(それ、うれしいか?)
 朝、外は相当の風が吹きすさんでいる。この中を歩いて行くのはごめんだ。よって会社に「休むね」と電話を入れた。
 ワクワクしながら(なんでや)外の風音に耳を傾けていたが、全然強くなる気配は無い。むしろ、次第に弱まっていった。台風は確かに東京湾を横断していった。が、なんとその前に勢力を弱めていたのである。なんという腰抜け台風。そしてその前に会社を休んだ俺様、なんという腰抜け野郎だ。唖然とした。

2001年08月21日(火曜日)

台風......来るのか?

22時33分 暮らし 天気:くもりでしょ

 なんだか半信半疑だが、そろそろ台風が来るようだ。最近の台風は迷走傾向が強いようだから、果たして真っ直ぐやって来るのだろうか。しかし、乾電池の類が良く売れてるらしいのには笑った。いや、笑ってないで僕も買うべきか。

2001年08月20日(月曜日)

休暇も終わって

22時32分 暮らし 天気:晴みたいなくもりみたいな

 長い休みも終わり、ボーッとしたまま会社に出勤する。そしてボーッとしたまま仕事を片づける。なんかポカミスやってそうで怖い。
 南海を北上中の台風がやって来るような来ないような......。日本経済がはっきりしないせいか、台風さえも迷走してしまうようだ。

2001年08月19日(日曜日)

夏休みも終わって

21時30分 暮らし 天気:晴みたい

 夏休みも今日でおしまいだ。ちょっとブルーな気持ち。
 ぐっすり眠って、昼過ぎに起き出した。それから部屋の前に自転車を出し、それぞれに整備する。汚れや、汚れたオイルを落とし、新しいオイルを差しておいた。久しぶりにMTBに乗ると、前サスのストロークの違いがやはり分かる。BD-1も、もう少しストロークがあれば。
 しまなみ海道走破中にロードレーサーが気になっていたので、手頃な値段のを探してみる。手頃といっても、20万円くらいは出すつもり。ああ、一昨年くらいに20万円出すといえば、ノートPCを新調するくらいのことだったんだが。今は望遠鏡か自転車かになってしまった。こんなに趣味が激変するとはなあ。思えば、これも寮を出てアパート暮らしになったせいだろう。スペースがあるので、色々ものを置いておける。
 ロードレーサーとしては、ビアンキのやシュウィンのものが気になる。出来るだけ軽く、9kg切るくらいのがいいや。コンポはシマノの105かアルテグラがいいかな。ある程度高レベルなものを試してみたい。カンパニョロのも考えたが、補修を考えるとどうだろう。価格的にはジャイアントのTCR-1なんて凄くそそるんだけど。
 まあ買うなら2002年モデルが出そろう秋口ぐらいだろう。そしたら相模サイクルセンタ辺りで型落ち品とかを物色すれば、安いのが入手できるかも?
 その次に狙うのは、BikeFridayのAirLlamaだ。こいつは超軽量、コンパクトで、スーツケースにも収容できるくらいに分解できるサス付きATBだ。BD-1の能力を、そのまま拡大したようなバイクだ。またよくできたトラベルコンテナシステムも適用出来る。輪行時には折り畳んだり、あるいは分解してコンテナに納めることが出来、走行時にはそのコンテナをトレーラーとして牽引することが出来る。これは旅行を考えると凄くよく考えてあると思う。コンテナ自体が重そうだが、これには車輪をつけて転がすことが出来るので、それほどでもないかもしれない。
 望遠鏡でも気になるものがそろそろ出てきているからなあ。それにつけても金の欲しさよ。

2001年08月18日(土曜日)

神奈川に帰宅

20時26分 暮らし 天気:晴やら雨やら

 まだ体に疲労がこびりついている感じだが、今日帰らなければならない。月曜日からまた会社だ。
 11:00頃にBD-1で本通りに出て、モリスに寄ってみた。ちゃんとやってる。いや、当たり前なんだけど。これが当面最後のチャンスなので(次に帰るのは暮れ正月だし、その頃には正月休みに入ってるかもしれない)、当然入る。入り口近くの小カウンタに陣取り、大盛を待っていると、驚いたことにこの時間なのに待行列が出来始めた。といっても、5人待ち程度だが。さすがに何十分も並んで食べるほどではないと、この辺の住民もわきまえているのだ。
 しかしうまいなあ。あちらに戻ってもしばし思いだすことがある味だ。
 実家に戻り、出立準備をして、15kgくらいあるバックパックを背負って駅に向かった。もちろん、この段階ではBD-1にまたがっている。バックパックが疲れた肩に食い込む。
 呉駅前でBD-1を折り畳み、輪行準備をしていると、おじさん二人がもの珍しそうにのぞき込んできた。「これなに?」、「自転車ですよ」という会話があり、BD-1を見せてあげると、「便利そうやねえ」などと感心していた。自転車を持ち運ぶという行為は、やっぱり奇矯に映るらしい。
 新幹線の指定席を取れていたので、ゆっくりとホームに上がり、列車を待った。人は思ったより少ない。BD-1は車両最後部席の真後ろに置けた。これで一安心。
 のぞみの窓から見える沿線の空は、ほとんど鉛色、ところによりかなりの雨が降っている。しまなみを走るときにこれだと危なかったかも。いや、あの殺人的な炎天と比べれば......どうだろう。
 日が暮れきった19:00頃に帰宅した。

2001年08月15日(水曜日)

しまなみに備えて一休み

21時30分 暮らし 天気:晴

 明日はいよいよ、しまなみ海道走破の日だ。それに備えて、今日は体力の回復に務める。自転車で近所を散歩する程度。持って行くもの、残して行くものを選り分け、フロントバッグ、バックパックに分けておく。フロントに重い物を積むと、ハンドリングが相当重くなるので、軽くてすぐ必要になる物を前、そうでない物を後ろに詰めた。まあ、坂道も楽々な程度かな。
 しかし、台風が来るかと警戒していたら、猛暑復活とは......。
 散歩で図書館に立ち寄ったとき、一休宗純に関する本を読んでみた。五山はもとより、同じ林下の僧達にも向けられた侮蔑の言葉は、そもそも師の鉢を継ぐに当たり、兄弟弟子との確執の中で過激化したものだという。ちょっちせこいぞ一休さん、などと思うものの、ささいな不正にも全く我慢が出来なかったからこそ、あれほど破天荒な生き方が出来たんだろうな。ちょっと凡人には近寄りがたい世界だ。
 そういえば、今日は終戦記念日。

2001年08月13日(月曜日)

夢の跡 呉ポートピアパーク

20時25分 暮らし 天気:快晴

 10:00くらいに起き出して、さて何しようと思った。昨夜辺りに音戸の瀬戸方面か呉ポートピア方面かどっちかに走る予定を立てていた。気分的にはポートピア方面を目指したいところだ。その前に腹ごしらえ。中通りに出かけ、三日連続でモリスのそばを食った。明日から三日間、盆休みに入るそうだ。これが最後のチャンスだった。
 帰宅して、やはりポートピア方面に出かけることにした。音戸の瀬戸は、越えるのが面倒そうだ(渡し舟に乗らなきゃならないし)。
 フロントバッグを装着し、バックパックを背負い、呉市街の西端にある三条通という小さな商店街を海岸まで走った。海岸では幹線を避け、しばし一本隣の細い通りを走る。これは正解だったようだ。車がほとんど走ってない。やがてその通りも途切れ、幹線を進まざるを得なくなる。幹線の歩道を走るのだが、起伏が大きくて走りにくい。通行が少なく、車道を走るよりはましなのは確かなのだが。やがて小屋浦に抜けるトンネルとの分岐に到達した。このトンネルを自転車で通行できるかどうか未知だったし、結構長いトンネルだったので、海岸沿いの迂回路を進むことにした。まずはコンビニでおやつを仕入れておいた。
 迂回路を進む。ここは低い峠越えの坂道なので、ちとしんどいのお。しかし楽勝で越えると、やがて小屋浦駅を右手に見ながら通過。再び幹線と合流し、この辺からはあまりに歩道が通りにくそうだったので、もっぱら車道を突っ走った。やがて次のトンネルが現れる。ここを越えると、かるがという海水浴場がある。トンネルは細いので歩道を進まざるを得ない。トンネルの脇の歩道は、照明が明るかったので案外に通りやすかった。でも細くて怖いな。トンネルを抜けると、左手にかるがビーチが見えた。僕が子供の頃は、こんな小奇麗な場所ではなく、岩がごろごろしている岩場に仕切られた、小汚い短い砂浜だったのだ。バブルが僕らの思いでの地を、こんな小奇麗な別の場所に変えてしまったのだ(いやまあ別にどう変わってもかまわない場所だったけど)。
 かるがビーチは芋洗い状態で、寄っても楽しくなさそうだ。パスして、その先で自転車専用道が始まったところで、ガードレールを越えて岸壁の縁に腰掛け、おやつをぱくついた。BD-1もガードレールのこちらに止めた。軽いことは良いことだ。しかしまあ、肌がじりじりと焼けるような暑さである。
 時計を見ると、家を出て30分しか経ってない。もう少し進んで、やはりポートピアパークに行く事にしよう。
 再び車道に装備を運び込み、自転車専用道路を進んでいった。専用っていっても、車道の脇に線が引いてあるだけだが。しかし幅は十分なので助かる。
 しかし自転車道は、次なるトンネルの手前で終わっていた。ここも歩道を進む。照明が無いのでやや怖いぞ。
 トンネルを越えると、その向こうにデザイナーがホテル・カリフォルニア(むろんイーグルス)のジャケットとにらめっこしながらデザインしたような、呉ポートピアパークの建物が見えてきた。
 さてさて、自転車はどこに止めよう。メインゲートの脇に、ちゃんと駐輪場が設けられていた。しかしBD-1を盗まれると嫌なので、いつものチェーンロック(太)の他に、チェーンロック(長)を使って、近くの柵に括り付けておいた。ううむ、まだ不安だ。
 メインゲートを潜って中に入った。呉ポートピアだった時代には、入場料が必要だったのだが、市の公園になった今は、もちろん無料だ。今は評判がいいというが、そりゃただだからなあ。しかし、ただにしては過ごしやすい、いい施設だ。
 大観覧車などの遊戯施設は無くなっているが、真中に浅いプールがあって、子連れの客が子供たちを遊ばせている。その脇にある、目立ちまくるホテル・カリフォルニアへのオマージュ棟(1Fに店が入っている)を抜けると、海が見えた。向こうに見えるのは江田島、その手前の海を、広島/呉/松山を結ぶ高速船が、物凄い騒音を立てながら進んで行く。あんなうるさかったのか。
 海岸では釣りをしてもよさそうだ。なんか喉が乾いたので、お店で生ビールを買ってキューッとやる。ウマーッ。うますぎる。昼間から酔っ払う俺様。この時点で、これ以上先に進む気力を失ってしまう。
 ふと周囲を見ると、自転車を持ちこんでいる人も多いようだ。そもそも、敷地内にはBMXのトライアルフィールドがあるくらいだ。早速BD-1を拘禁から解き、敷地内に招き入れた。
 広い芝生の脇にある東屋で、ベンチに寝っ転がっている人がいたので、こちらも真似して寝っ転がった。快適だ。ベンチに日が差すようになったので、その辺の日陰になっている芝生に転がった。目を開けると青い空が、上半分を東屋の屋根に、そして真中を近くの植樹に切り取られて、しかし左右一杯に広がっている。爽快な眺めだ。その空を見上げながら、時間が過ぎて行くのを楽しむ。最近には無い時間だ。
 しかし風が来ないなあ、と思った僕は、今度は岸壁に面したレストルームに移動し、またしてもまったりとしたときを過ごす。そして気が向いたら、またまた芝生に寝っ転がりに行く。そんな事を繰り返しながら、2時間以上は過ごしてしまった。
 やがて、17:00になった。おうちに帰る時間だ(今決めた)。明日は天応桟橋から江田島に渡ろうと思いつつ、来た道を戻り始めた。
 帰路も往路とほぼ同じ道順だったが、道なりに進んで行くと、あれぇ、往路は避けた呉警固屋トンネルに向かっているぞ。見たところ、ここも他のトンネルと同じように歩道が設けられている。車道を行くのはきつい(煽られるし)。ここも歩道を通ろう。そんなわけで、長い(といっても200mくらい?)トンネルの歩道を進んでいった。これがもう、怖いのなんの。長いトンネルの途中では、意図的に照明が落とされているのだが、おかげで自転車の進む歩道の路面が良く見えない。なんかくぼみがあったら一発転倒だ。恐々進み、ようやくトンネルを抜けた。
 ほっと一息。外の空気が冷たくて心地よい。ちょっと一息入れようと自転車を止めたとき、後ろブレーキの引きが異常に短いことに気づいた。ブレーキ部を見ると、シューがグラグラになっている。見たところ、単に固定が緩んだだけのようだ。ツールで締めなおすと、問題無く走れる。しかし、なんで緩んだのか。
 実家の近くの薬屋で、ゼリー食とVAAM水と日焼け止めを購入。しまなみに備えて。

2001年08月12日(日曜日)

姪っ子襲来

20時23分 暮らし 天気:快晴だぞっと

 帰省中は暇があったら寝ているせいか、前夜は3:00近くまで悶々として眠れなかった。その割に起きたのは10:00頃で、快適な目覚め。さて、今日は兄夫婦がやってくることになっているのだが。
 もう一眠りしようか、などと考えていたら、やがて階下(2階で寝ていたので)が賑やかになった。ほどなく、姪っ子たち襲来。長兄は子供たちに甘いせいか、大人気だ。僕もどうやら顔を憶えられた模様。兄夫婦は車で出発し、母と僕はタクシーで墓地に向かう。長兄は、と聞いたら、「原付にガソリン入れにいったから、そのまま行くじゃろう」とのこと。しかし後で聞いたら、長兄にはそんなつもりは無くて、帰宅したら誰もいなくて慌てたとか。
 墓地に着くと、既に兄夫婦が掃除に精を出していた。姪っ子たちもいっぱしの役に立っているようだ(やっぱり危なっかしいけれど)。そのうち長兄も合流した。
 今年はやることが無くて楽でいいわ、などとデジカメを唸らせつつ怠けていたら、新手の集団がやってきた。叔父夫婦だった。従姉妹も子連れで参加している。みんな僕と会うのは久しぶりだ。従姉妹に子供ができているのも知らなかった。
 墓前に別れを告げ、墓地の下にある懐古調食事処に入った。そこで鍋焼きうどんを食らう俺様! 夏はパワーだ!(最近性格変わってきてないか?)
 汗だくになりつつ平らげ、車の乗員定数の都合で、帰路は僕のみバスで下山することにした。バスは10分毎くらいにあるので、すぐに市街地に舞い戻っていた。
 図書館に入り、しばし読書。与那国島の海底遺跡(様地形)に関する新書があったので、また読んでみた。例の木村教授による著作だ。去年の時点での最新情報が載っている。
 この海底遺跡様地形に関して面白いと思った記述は、地質学者など自然科学系の専門家に支持する声が強いのに対し、考古学者などからは常に懐疑的な声が強いという点だ。たぶん、木村教授が挙げる個々の証拠を分析的に見れば納得できるのだが、その存在丸ごと、つまり1万年以上前の大規模な遺跡という存在そのものを見るとき、あまりにも突飛で納得しがたいということではないかと思った。木村教授は個々の証拠を挙げ「これは自然には形成され得ない」という説明をする。それに対する反論もあったように思うのだが、まとまった形で発表されたものは無いように思う。そういう物を、誰かが出すべき時期にあると思うのだが。
 その足で市街地に寄ってみると、もう14:00過ぎなのにまだモリスが営業している! 最近は昼過ぎには閉まるだのなんだのと聞いていたからな。今日もおやつにモリスの中華そばを一杯。うめぇ。親爺さん、年取ってめっきり老け込んだようだが、まだまだ頑張ってほしいもんだ。
 さらに、家で食うつもりでフライケーキ6個を買って、それをぶら下げて二河川縁にある共済病院の前を歩いていると、なぜかそこの駐輪場に立っていた長兄とばったり出くわしてしまった。なんでも、次兄夫婦がまもなくここにやってくるとか。えらい偶然だ。
 ほどなく、姪っ子たちを連れて次兄夫婦、母がやってきた。駅前のそごうで買い物をするんだとか。餞別に、姪っ子にフライケーキをくれてやり、兄らと別れを告げて一度帰宅した。
 夕方、散歩に出かけた。BD-1を市民プールやら陸上競技場がある辺りに走らせた。陸上競技場の東側に、ささやかな水場が設けられている。初夏には蛍なんかも見られるそうだ。下流の方にある浅い、広い池に、一匹の錦鯉が悠然と泳いでいた。この池の主なのか、まったく悠然たるものだ。池の縁に座り込むと、その振動を感じたのか、偶然か、すぐ目の前まで寄ってきた。じっくり観察する。体のあちこちにうろこの剥離はあるが、大事にされているのかそれ以上の傷は無い。やがて鯉はまた悠然と泳ぎ出したので、僕もまた歩き去った。
 BD-1を中通りに走らせ、さっきフライケーキを買ったばかりなので、こんどはびっくり饅頭という名の二重焼きを買った。二重焼きとしてはかなり大判だ。それを抱え、さらに自販機で茶を買い、またかもめ橋まで行って、夕暮れに沈む港を見ながら、おやつをぱくついた。おおすみはまだ停泊している。その手前を、一隻のDDが入港して行く。最初、艦首が鋭いクリッパーバウに見えたので、くも型かあめ型かに思えた。でも良く見るとゆき型だった。有能そうな船だよなあ。こんな船をさっさと廃艦にしてしまう日本って、やっぱり金満大国なのかな。

2001年08月11日(土曜日)

故郷の街を走る

22時21分 暮らし 天気:晴れ(雲量大)

 前の晩は日付が変わる前に眠り、今朝は10:00に起きた。最近に無く健康的なパターンだ。
 11:00頃、母に「昼はなに食べる」と聞かれたので、モリスに食いに行くことを思い出した。ここで食い逃したら、帰郷した意味が無い(いやそこまでは)。
 BD-1を飛ばして(注:本当に飛んだわけではない)、中通のアーケードにちょいと止め、モリスで大盛りといなり寿司を食った。いなり寿司には具が入っている! なんで驚くかというと、ずっと前は具の無い酢飯とゴマだけの超シンプルなものだったのだ。それが超あっさり味の中華そばと絶妙にマッチしていたのだが。これも時代の流れというものか(そうか?)
 モリスの中華そばは相変わらずのうまさ。しかしそのうまさは、例えば100km彼方から客を引っ張ってくるような訴求力に富んだものではない。逆にあらゆる虚飾が殺ぎ落とされているから、例えばどぎつい家系ラーメンと並べると「なんだこれ」と思うくらいそっけない。そこがたまらなくいいのだが、例えば観光客がやってきて、試しに口にしたところで「うまいね」で終わるような気がする。いろんな「うまい」の中に埋もれてしまって、また来たいなどとは思わないのではないか。家系ラーメンのあざといまでに演出された"うまさ"のように、強烈な印象を残さないのではないか。でも地元民からすれば、毎日口にしてもまったく飽きがこないのが嬉しい。実際、この店は、高校の頃に毎日通っていたとか、昼食に毎日という近所の人がとても多い。そのままその味を忘れられず、機会があれば寄るようになる。僕みたいにだ。盆正月、帰省のときに寄る人がとても多いのだそうだ。こういう意味では、あまり例の無い、強力な地元の味だと思う。もしも"ひろしまラーメン"なんて企画があったら、僕はここを推すね。いや、他に例の無い味だし、即効性が無いから受けないだろうけど。
 モリスを出て、フライケーキを10個買って帰った。これも地元民には有名なお菓子だ。揚げパンの一種なのだが、下品になる手前の上品な甘さが絶品。
 実家に帰り、だらだら昼寝していたら、横浜で出しておいた荷物が届いた。早速フロントバッグを取り出し、取り付ける。うむ、カコイイ。しかし雨具だの工具だのを格納したフロントバッグは重く、かなりフロントヘビーな印象になった。回転モーメントが大きくなったので、ハンドリングの感覚がやや変わった。
 フロントバッグにデジタルカメラ、18*50ISを放りこみ、BD-1を走らせた。呉の西に走る二河川を遡り、二河峡というマイナーな景勝地に向かった。ここは小学校の頃の遠足や遊び仲間などで何度も来たことがある。
 記憶に残る二河峡には、たしか高いところにあるつり橋と、入り口辺りに茶屋があったはずだ。しかし両者とも見当たらない。つり橋はもっと奥のほうにあるから見えないのだろう。茶屋が無いのは寂しい。ここでコーヒー牛乳かガラナ(売ってるのかよ)を飲もうと思ってたのに。ミルクセーキとかな。
 仕方なく途中の自販機で買ったアクエリアスをぐい飲みしながら、どう見ての岩の原に過ぎない二河峡を眺めた。昔はもう少し水が多くて、岩も綺麗に並んでいたような気がするのだが......。大雨やら地震やらでやられたのかもしれない。そういえば、地震でやられたという家屋を、あちこちで見かけた。
 二級峡を後にし、二河川沿いを下っていった。ここでサイクリングコンピュータがおかしいことに気づいた。そんなに飛ばしてないのに30km/h出してることになってる! 後で調整しよう。
 二河川を下り、東岸の先端に防波堤が延びている。ここには良く釣りに来たものだ。しかし、その手前に立っている合同庁舎から防波堤に出られそうに無い。壁で囲ってしまったようだ。前は入りたい放題だったからなあ。しかし、海岸沿いは公園になったはずだ。不審に思いつつ近所をうろうろしていたら、「お兄さん、それチタン?」と、いかにも左官屋の仕事帰りという雰囲気のトラックに乗った茶髪二人組みに声をかけられた。「いや」と答えると、「普通のBD-1? ええね」。へへへへと思わず笑みがこぼれる俺様だった。
 かもめ橋という一番下流にある橋にBD-1を止め、海のほうを眺めた。おや、おおすみが停泊してるぞ。かなり沖の方だが、特徴的な全通甲板と、艦橋構造物の前後に設置されたCIWSが良く見えた。18*50ISを取り出して、さらにじっくり眺めた。こいつは、確かに「空母を作るつもりありません」なんていっても信じてもらえないよな。形からくる印象は強力で、いくら甲板に航空機を発着させられるだけの強度が無いといっても、このいかにもな形状を前に説得力を減じられるのは仕方ないだろう。
 目をさっきの合同庁舎に転じると、件の防波堤近辺で盛んに工事が進められているのが見えた。どうやら公園は造成の真っ最中のようだ。その庁舎の向こうに、護衛艦の上部構造物が見えた。どうもきり型の1隻と、FRAM改装したつき型護衛艦のような気がした。あとで思ったのだけど、最新世代のあめ型(むらさめ)だったかもしれない。
 さっきのサイクリングコンピュータの件を思い出し、周長を確認してみた。1650mm、いいな。ん、待て待て、1350mmが正しいんだぞ? 道理でおかしな表示になるはずだ。
 もう少し街をうろついた。港まで走り、呉と松山間の便を見た。ふむ、2時間おきくらいにフェリーとスーパーフェリーが出ているようだ。スーパーフェリー? なんじゃそれは。まあともかく、車を載せるくらいだから自転車も問題はあるまい。しまなみ海道走破の帰路は、松山に寄って道後温泉でウハウハしてからフェリーで帰ることに決定。
 それから図書館にも一瞬だけ立ち寄る。ほほお、この図書館は20:00まで営業しているのか。こいつは便利そうだ。

2001年08月10日(金曜日)

自転車持って帰省しよう

22時19分 暮らし 天気:晴れだか曇りだか雨だか豪雨だか

 9:00ぐらいに起き、帰省の荷物をまとめた。前夜、自転車のフロントバッグや着替えなどのかさばるものは、宅急便で送ってしまったので、TP235やカメラなど重くて小さ目のものが主体になった。ああ、こっちの方を送れば良かった。
 いろんな準備を済ませ、出かける前に吉野家で並280円を食らった。
 アパートから立場駅までBD-1を走らせ、折りたたんだ。ここからは地下鉄で新横浜まで向かい、JR新横浜駅で新幹線に乗り換えた。思ったより人手が多く、ここから名古屋までは立ちっぱなしだった。BD-1は輪行袋に入れてデッキの手すりの下に置いた。安定しているようだ。
 名古屋でかなりの乗客が降りたので、座ることができた。ここからはさほど混雑することは無かった。
 車窓の外の天気はころころ変わる。といっても、曇り空が鉛色になるか、明るくなるかという程度だったのだが。それが、京都を過ぎた辺りから、雨に見舞われるようになった。新幹線の運行も遅れ始める。明石以西で豪雨があり、列車が止まっているらしい。おかげで、列車が広島に着いたのは30分遅れだった。
 ここからは呉線で呉に向かう。どうも太田川で花火大会があったらしく、逆方向に向かう列車の乗客が、異常に多かった。
 呉着は暮れ切った19:00過ぎ。みどりの窓口で帰りの切符を購入しようとしたら、ピックアップした便は売切れだったのだが、その間ののぞみにちょうどキャンセルがあったため、確保できた。ラッキー。
 呉駅から夜の街にBD-1を走らせる。呉市街は、道路と歩道の段差が大きく、BD-1では少々走りにくい印象がある。
 実家に帰り着き、飯やら風呂やらでくつろいで、早々に就眠した。

2001年08月07日(火曜日)

涼しいなあ

20時11分 暮らし 天気:くもり

 8月に入り、突然夏が終わったかのような、涼しい日々が多くなっている。今年の酷暑で干からびるかと思っていたのだが、夕方以降は過ごしやすくて助かる。昼の間曇り空なので、地面が熱を吸収してないせいか、夜には非常に涼しくなるのだ。昼も30℃を越えるかどうかぐらい。40℃がどうだといっていたのが嘘のようだ。
 夜はエアコンを止め、窓を開けて、風を呼び込んでいる。しかし、今夜は雨が多少ぱらついたようで、隔日でやろうかと思っていた15km走行は止め。

2001年08月03日(金曜日)

暑さも一休み

20時33分 暮らし 天気:曇ってますか?

 今日はくもり気味のせいか、気温がやや低く感じられる。今週頭からは、連日30度超の猛暑に苦しめられてきたが、これで一息という感じだ。今週末にかけて、この過ごしやすい状態が続くらしい。お日さまさんさんというのは夏らしいけど、水遊び以外にゃ暑すぎる。これくらいがちょうどいいにゃ。はっきりいって、平日は雨でも全然かまわんぞよ。
 夜、MTBで運動公園の周りを15kmくらい走った。グラウンドに併設されている駐車場に、中高生とおぼしき一団が5人ほど、スケボーに興じている。まあ、まだ宵の口だからいいけど。さらに、別の場所でも座り込んで話に花を咲かせている連中が。警察のパトカーが巡回していたが、今の季節は掻き入れ時なのだろう。

2001年08月02日(木曜日)

まだ続くかこの忙しさ

23時33分 暮らし 天気:晴れやんけ?

 盆休み前のラストスパートとでもいうのか、今日も今日とて夜遅くまで残業三昧なのである。生活するのに精いっぱいという感じである。ああ、潤いがないっす。でもでも、これも盆休みにしまなみ海道を走るためなのだ。ガマン頑張るんです。
 しかし、混雑するであろう新幹線で、どうやってバーディを持ち帰ろう。結構頭が痛い問題だ。ゴルフバッグやスノーボードみたいに、宅急便で送れるようになれば一番いいのだけど。

2001年08月01日(水曜日)

暑さが戻る

20時32分 暮らし 天気:晴れ中

 先週末、土日は涼しくて快適だったが、もう夏が戻ってきてしまった。ほんと、たまらんよ。帰宅すると部屋にこもっている"暑さ"が襲い掛かってくる。
 今日は早く帰れたのだが、それを逃れる意味もあって、帰宅してすぐBD-1を外に出した。これで運動公園(立場北方の新公園はこういう名称らしい)周りを、しばしぐるぐる走る。踏まないで、回すように、という感覚が、最近になってやっと分かってきた。回しながら休むという技も分かってきた。しまなみ海道に通用するかな。最近は、少々では心拍数が上がらなくなってはきたのだが(でも坂はダメだダメだ)。
 部屋に戻って、ふと横になったら次の日になっていた。宇宙の神秘だ!(またそれかよ)。