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Strange Days
2005年08月31日(水曜日)
20時56分
暮らし
天気:晴れ
朝夕とも、蝉の声がそぐわないくらいに涼しい。8月だというのに、すっかり秋めいている。
今年の夏は酷暑になるとか、猛暑で日本が滅亡するとかいった予報に対して、個人的には凄く過ごしやすかったと思う。電気代が、例年同時期より何割も少なくて済んだくらいだ。ちょっと拍子抜けした気分。なんて事を書くと、これから強烈な残暑にやられるのが俺クオリティ。
春~初夏の傾向からすると、秋も天候不順に悩まされそうな予感がある。せめて旅行に行く間だけでも、晴れていて欲しいもんだ。
今日はかなり晴れた日だった。こういう日にこそ、外に遊びに行きたいもんだ。などと考えつつ、外の見えない屋内で仕事する今日この頃だった。
10時47分
旅
天気:どうもなあ
引き続き電波受信中。
しまなみマスターの長岡氏から、大崎下島イイ!という助言を頂いたので、帰路に立ち寄れないかと思い始めた。
通例、二日で渡りきって、今治で1泊する。この今治から大崎下島まで、高速船の航路があるのだ。これで繋げば、三日目の朝に大崎下島に渡り、豊島へ。豊島から上蒲刈島までフェリーで渡ると、後は橋で繋いで本土まで走るのだ。大崎下島から一旦岡村島に渡ると、大三島が見えるだろう。瀬戸内をV字型に往復するわけだ。
なにか目当てがあれば、もっと行く気になるな。調べてみようと思う。
2005年08月30日(火曜日)
23時33分
暮らし
天気:雨だよ
台風が続々と発生しているせいか、列島の大気も不安定だ。今日は帰りに雨に降られた。
会社を出ると、路面が濡れていたので、雨具を着て自転車に乗った。走り始めた当初には、もう止んだかという雰囲気だったのだが、家までもうじきという辺りで、雨脚が強まってきた。雨粒が大きくなってくる。もっと降られたら、ズボンが濡れてイヤン、と思った。が、なんとかずぶ濡れになる前に帰りついた。
雨は緩急をつけながら、夜更けまで降っていたようだ。また雨の季節かよ。
2005年08月29日(月曜日)
19時20分
旅
天気:涼しいねえ
昨日、何処からか掘り出された紙箱を調べてみたら、なんと3万円分の商品券だった。これ、JCBのなんで、あんまり使い出が無いんだよな。でも、会社の食堂に入っている旅行会社で使えるはず。旅券がこれで買えるじゃないか。
というわけで、旅行を構想中。夏のしまなみで、尾道の大和セットを見られなかったから、もう一度しまなみを走ってこようかと思っている。秋のしまなみを走ってみたい。夏のしまなみは、あまりに苛酷だったから……。
11月になら休みを取りやすいので、11/3~6のいずれか三日でどうかと思っている。途中一泊は、大三島ふるさと憩いの家も飽きてきたので、大三島からフェリーで行ける島、大久野島か大崎上島に泊まりたい。調べてみると、大崎上島へは高速艇とフェリーが半々で、また便数も少なめだ。大久野島がいいか。国民休暇村というくらいだし、宿泊するにはいいんじゃないか。
2泊目は、サンライズ糸山がいいか。ここからの帰路が問題だが、単独行なら山越えで松山に出て、道後温泉に浸かって帰る、いつものコースを。そうでないなら、尾道まで戻るか、途中の島から船で本土に戻るルートもある。
というわけで、『秋にしまなみ』という電波を受信したので、企画してみました。どうよ? 誰か乗らないか?
2005年08月28日(日曜日)
20時15分
思考
天気:やや不安定
さて、昨日に続いて美術館だ。慌しいが、美術館の企画展が8月一杯というところが多いので、仕方ない。
本当は神奈川県近代美術館本館に行きたかったのだが、横浜美術館の今の企画展が8月中ということだった。来週末までの近代美術館本館を来週に見送り、横浜美術館に行ってきた。
最初は自転車で自走しようと思っていたのだが、R1を行くのも環状2号を行くのもイヤンな時期だ。トレンクルを担いで、地下鉄輪行することにした。こういう時、トレンクルは楽だわ。
桜木町で降り、横浜美術館まで走る。事前に問い合わせ、駐輪場があると聞いていた。が、周囲を一周しても、駐輪場らしき場所が分からん。裏手かなとは思うのだが。面倒になったので、ランドマークタワーに渡る跨道橋の脇に、トレンクルを貼り付けにした。
企画展のチケットは700円。常設展500円とは別に買わなければならないのかと思っていたのだが、これで全館閲覧できるという。安いなあ。
企画展は「わたしの美術館」ということで、横浜美術館の収蔵品のうち、人気の高いものを集めたもののようだ。展示室を6つ使い、それぞれにテーマを設定して見せている。
順路に沿って最初の部屋のテーマは『はぐくむ』。日本における近代美術の発展と、横浜のかかわりをテーマとしたものらしい。東山魁夷『樹』。ほの暗い中、奇怪でありながら秩序を感じさせる梢が、あらゆる方向に伸びている。今しもカラスたちがここに集まり、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てそうな、そんな破局の予感を孕んだ静けさと緊張感を感じさせる。下村観山『小倉山』。一人の公卿が、紅葉の舞い散る森の中に、茫洋とした顔で腰を下ろしている。秋の豊穣に満ちた森の中では、しかし滅びの兆しを覗かせる紅葉が、今しもはらりと舞い落ちようとしている。公卿の内面を感じさせる。この迫力には息を呑むばかり。横山大観『霊峰不二』。黎明、今まさに富士の峻峰が、明け方のほの明かりに浮かび出している。駿河の方から見ているのか、富士の右手は明るくなりつつあるのだが、左手には暗闇がわだかまっている。それは観測者の立つ手前の方にも名残を見せている。不二、の字を当てた辺りに、大観の思いが見えるようだ。
次が『はばたく』。横浜所縁の芸術家たちを集めたようだ。石渡江逸『横浜萬国橋』。昔の万国橋ってこうだったのか。川上澄生『南蛮船図』。南蛮船が盛んに来訪していた時代、横浜は単なる寒村だったわけだが。清水登之『ヨコハマ・ナイト』。かつての横浜の暗さが感じられる。
次は『出会う』。開港以来、横浜では洋の東西の交流が盛んとなり、芸術もまたそれに倣った。五姓田義松『外国人男性和装図』。西洋の技法を取り入れた絹絵師。フェリックス・ベアト『戸塚、東海道』。開国直後の日本を写した写真家。これが戸塚といわれても当惑する田舎ぶり。ヘレン・ハイド『かたこと』。作者は浮世絵に魅せられて来日し、新しい版画技法の誕生に貢献した女性芸術家。女性らしい、子供に主眼を置いた構図が楽しい。
次に『見つめる』。開国~産業革命と日本が進展して行った19世紀後半から20世紀に掛けて、西洋の芸術技法も大きな変革期を迎えていた。ポール・セザンヌ『縞模様の服を着たセザンヌ夫人』。セザンヌの人物画は珍しいそうな。少し退屈そうなセザンヌ夫人の表情が面白い。ジョージ・グロッス『エドガー・アラン・ポーに捧ぐ』。その通り、ポーのミステリーを連想させる、妙にドラマチックな構成が面白い。パブロ・ピカソ『肘掛け椅子で眠る女』。キュビズム最大の存在意義は、横でもみじ饅頭を食いながらペプシを飲んでいても気にならない点にあると思うんだ(すげえ暴論だ)。ギュスターブ・モロー『岩の上の女神』。モロー初体験。耽美だな、メルヘンだな。気の強そうな女神様の横顔に萌え。これに票を投じた人の『嫁にしてえぇぇ』というコメントに笑った。青ざめたキャンバスに浮かび上がる女神の裸身はエロい。
次が『ゆめみる』。横浜美術館は、シュールレアリスム関連のコレクションで知られているそうな。マックス・エルンスト『少女が見た湖の夢』。禍々しい怪樹に囲まれた、山中の湖。怪樹たちは人や、別の何かのように見える。超自然的な現象を感じさせる。サルバドール・ダリ『ガラの測地学的肖像』。超精密な筆致に息を呑む。ダリの絵筆には、毛が3本しかないものすらあったという。超絶技巧を目の当たりにする思い。しかし並べられた同画のための素描を見ると、ガラ夫人が実は何らかの建築物(鐘楼?)に見立てられているのがわかる。まさに測地学的肖像。同じく『幻想的風景 暁、英雄的昼、夕暮れ』。ダリがアメリカの滞在していた時、さる富豪の依頼で製作されたという大作。三枚の絵で構成されているのだが、それぞれがでかくて圧倒される。この絵に関しては、どこから鑑賞すればいいのか、距離を掴むのが難しかった。左手の暁、右手の夕暮れは、同じ風景の裏返しとも、左右一対のものとも思える。左手では鍵穴に蟻が群がり、右手では同位置に大柄な蟻がうずくまっている。中央の絵に描かれている人物は、背景の雲に上半身が溶け込み、顔は雁行する鳥たちにも見える。英雄的と題しているのに、この人物は明らかに女性だ。そして右手の絵では、この人物は今にも消えそうで、遠くに飛び去る鳥たちに名残が見える顔と、消えつつある足元だけが残されたものだ。丹念に見て行くと、様々な表象に仕掛けられたものが見えてきそうだ。
最後が『生きる』。最新のポップアートを中心として、現代の美術を俯瞰しようというもの。遠藤彰子『街(Street)』。ごちゃごちゃした構図に力を感じる。奈良美智『ランプ・フラワー・ガール』。この人は、マンガチックな女の子をモチーフに作品を作り続けているようだ。マンガ世代の芸術。
一通り見て、常設展を回ってから帰った。もう少し見て回りたかったのだが、集中しすぎたのか、頭がずきずき痛み、疲労を感じるようになっていた。しまったなあ、ここ、朝からくれば良かった。一日で見て回るには、惜しいくらいの作品群だった。
2005年08月27日(土曜日)
19時26分
思考
天気:晴れ
前から行ってみたかった、神奈川県立近代美術館の葉山別館に行ってきた。三浦半島を走って帰る時、これが完成しているのに気づいてから、一度入ってみたかったのだ。
家を14:00前に出た。ちょっと悩んだが、靴の都合から自転車は通勤用TCR-2にした。美術館の類は大概綺麗な化粧石を敷いているので、クリートでゴリゴリ削るのもなんだし、SPD-SLだとこける可能性があると思ったのだ。後で考えるに、換えの靴を持っていけばよかったんじゃないか?
経路は、鎌倉に駅裏側から抜け、逗子まで裏道、後はR134というものだった。車が多く、意外に時間を要した。特に鎌倉周辺の混雑には参った。
葉山別館は、完成して数年しか経ってないこともあり、綺麗な建物だった。ちゃんと駐輪場があるので、これでもかとばかりに多重施錠しておいた。入館料は今回の企画展では1100円。エントランスの奥に無料のロッカーがあり、手ぶらで回れるので助かる。
今日、急遽来ることにしたのは、今回の企画展が明日までの予定だったからだ。
今回の企画展は、北米原住民のホピ族が子供たちに与えている人形、カチーナ人形のコレクションと、それを蒐集したドイツの芸術家、ホルスト・アンテスの作品展示という内容だった。
ホピ族というのはUSA南部の州の高原地帯、メサと呼ばれている地域に住んでいる人々だ。争いを好まない、穏健な人々と言われており、スペイン人や他の北米原住民種族との紛争を避け、この高地へと居を移したといわれている。それが怪我の功名となって、今に至るまで集団としてのアイデンティティを色濃く維持し、共同体としての姿を維持してきた。
彼らは独特の神話を有している。この世界は滅亡と再生を繰り返しており、今の世界はそれらに続くものだというのだ。南山宏が喜びそうな題材だ。
彼らの生活はとうもろこしに支えられている。降水量の少ないこの地で、とうもろこしを収穫するには、詳細な自然観察と、畏敬の念が必要とされたのだろう。自然の力無くして生活は成り立たないという観察から、彼らは頻繁に祭祀を執り行い、自然に対して自分たちに有利な働きかけをしてくれるよう請願する。とうもろこしの収穫サイクルに沿い、一年の前半に頻繁に執り行われる祭りには、自然界の諸々の存在を仮託した様々な仮面をまとった踊り手が登場する。これがカチーナ。成年男子しかなれないこの踊り手は、名誉な職らしい。例えば雷、例えば雪の神が憑いたこれらの踊り手は、村の広場で、あるいは地下に設けられた聖なる空間で踊る。踊ることによって、踊り手たちに憑いた神々が、とうもろこしや自然に働きかけることになるというわけだ。
これらの踊り子の姿を、デフォルメを込めて再現したのがカチーナ人形だ。カチーナ人形は幼い子供たちに与えられ、神々への親近感と、それを中核とした共同体への帰属意識を持たせることを狙っている。
一体一体見て回った。初期のものは朴訥としたものだが、20世紀に入ると手が込んでくる傾向があるようだった。巨大な羽飾りをつけた、ど派手な仮面が登場してくる。また、初期の素朴なものには、日本の石仏やイースター島のモアイ像を髣髴させるようなカーブも散見される。これらの地域に跨る文化的同一性があったのかもしれない。
ホピ族のカチーナ人形に惹かれ、体系的に蒐集したのが、ドイツの芸術家、ホルスト・アンテスだった。巨大な顔に手足が生えたようなモチーフを書き続けてきたアンテスは、カチーナ人形に出会ってから、ホピ族の精神世界を自分の作品に取り入れようとしてきたようだった。アンテスの近年の作品には、なぜか梯子が書かれていることがある。その梯子は、ホピ族が祭祀を行う神聖な地下空間への梯子を意味しているようだ。
ホピ族の神話は、空間と時間の多重構造になっているのが興味深い。東は始まりの場所であり、西は終末の場所であるというのだ。日の出と日の入りを意味している。
一巡したら、もう閉館時間が近かった。帰路を考えても、そろそろ家路に着かねばならない。涼しい館内を出て、一路立場へと帰っていった。
2005年08月26日(金曜日)
夜、路上にインラインスケートで出て、ちょっと滑った。まだよちよち歩きというところ。今のところ、滑るか止まるしか出来ない。なにせ、とろいのでターンも出来ないのだ。止まって方向転換した方が安全なくらいで。
下がアスファルトだと恐いので、もしかしたら土の露出した公園の方が、今の段階ではいいかもしれん。
サイクリングロードを走る日はくるのか。
09時02分
暮らし
天気:台風一過なれどくもり
今回はちゃんと来そうだな、11号。
朝方からドヨドヨした天気が続いていたが、昼過ぎに一度雨が止んだ。その後も雨が強まったり弱まったりを繰り返していたが、日が暮れきって帰る頃には、かなりの雨が降り続いていた。
帰宅して、夜か深まるに連れ、雨は強まってゆく。日付が変わる頃、風もかなり吹くようになっていた。いよいよ御大の襲来か。
風は真夜中にはかなり強まり、部屋の外においてあるBikeEが、風に揺れるほどになっていた。雨も横殴りに近い。いよいよ防風圏か。というところで寝てしまった。
朝、既に風は収まり、雨も上がっていた。雲はまだ多いが、この分では昼には晴れるだろう。どうやら、台風はギリギリまでじらして、房総半島から上陸したようだ。神奈川県下は台風の西に回ったので、風そのものは激烈というに程遠いもので済んだ様子だ。それでも、風の被害は出たのだろう。
土日はいい天気になりそうだ。
2005年08月25日(木曜日)
20時04分
デジタルギミック
天気:台風絶賛接近中
うーむ。
京ぽん改絡みで目にした噂。これが本当なら、僕がやりたいことの大半は、これで出来てしまう。SDカード、130万画素カメラ、ミュージックプレイヤーとなると。モブログの更新も、移動中の音楽鑑賞も、これで出来てしまう。後は田舎を行動中にau携帯を持っていれば事足りる。MobilePを切って、DOCOMOのPHSも切って、au携帯の契約をまた一番安いのに戻せば、これで4X契約で使っても負担にはなりそうに無いな。後は、Bluetoothカードを持てば、Sigmarion3でもノートPCでも使えるからな。
本当にこのスペックで出てくれたら、いいんだけど。
2005年08月24日(水曜日)
20時15分
暮らし
天気:くもりのち雨
今日の帰りは、台風の影響がじわじわと効き始めた、雨。そんなに強い雨でも無いので、クリアレインジャケットを着て、レインキャップを被って、家まで走った。通気性の低いジャケットなので、蒸れるのが嫌なんだよ。
やっぱり、雨に降られたか、ツいてないと思いつつ、自転車をラックに掛けていたら、雨脚が見る見るうちに強まり始めていた。帰宅が少し遅れたら、やられていただろう。これは、ツいていたの?
2005年08月23日(火曜日)
22時55分
暮らし
天気:雨っぽい
台風界の若手、12号こそは東海上に去ったが、重鎮の11号様がひたひたとにじり寄っておられる様だ。木曜日は、さすがに自転車通勤がつらそう。というか死ぬかも。
その影響というわけでもあるまいが、今夜は夏とは思えないほど涼しかった。これはもう、完全に秋の夜だねえ。この調子で熱帯夜を絶滅させて欲しいもんだ。
その代わり、湿度がずいぶん高かった。高気温には耐えられるが、高湿度には弱い僕は、またしてもエアコンを使ってしまったのだった。身体がねとねとする感覚に耐えられないのだよ。
それにしても、天気予報で『秋雨前線が~』などとあって、そんな時期になったのかと驚いた。明日、明後日は、秋雨前線と台風の揃い踏みで、ずいぶん荒れそうだ。
2005年08月22日(月曜日)
22時06分
暮らし
天気:晴れてる
夜風が秋めいてきた。八月中旬までに較べると、風は涼しくて、かつ乾いている。うん、この調子でいって欲しいものだ、という傍から、なんだかでっかい台風が接近中だosz
さて、秋になったらどこに行きたい、などと考えてみた。今年は南会津サイクルトレインが9月早くにあるので、秋の行事がぽっかり抜けている印象がある。
例年秋になると行きたくなるのが、新潟県十日町近辺だ。ここら辺、かの火焔式土器の出土地域なので、見て歩きたい。自転車で走るにも良さそうだ。地震で出来た断層も確認したいものだ。
それとは別に、せっかく東京の近辺に住んでいるのだから、美術館、博物館巡りもしたい。特に東京だと、自転車で回れる距離に密集しているので、トレンクル担いで、というのがハマリそうじゃないか。
あまり、というか全く食の方には気が回らんものだな。食べ物系の企画が、きっと川崎方面でいくつも企画されることだろう(笑)。
2005年08月21日(日曜日)
20時25分
自転車
天気:晴れ
今日は定例荒川サイクリングの日。関西よりトレンクルに乗った黒衣の放浪者が参加されるとか。ぜひとも迎撃せねば。
迷った末、自転車はトレンクルを選択した。BD-1は未調整だし、MR-4Fはスプロケが黒く汚れたままだ。強い南風が予想され、少しでも戦闘力の高い車両が望ましかったが、重いのはイヤンという心の声には逆らい難い。それに、秘策があった。
輪行で浮間舟渡に降り立つと、既に集合場所には
この人数。いつものより多目の参加宣言に加え、
mixiからの参加者も増大した結果、最初のミーティングの時点で60人という記録的人数となった。
今日の目玉の一つが、この
BikeFriday Two'sDay揃い踏みだった。青い車両はおの氏の、ラズベリーのものはお久しぶりのSHIG氏のもの。
サイクリングロードは、思った通り向かい風大安売りの世界。蛇行している上流側では、それでも風向きの変化を楽しめるが、まっすぐ河口に向かう下流では、ひどいことになりそうだ。早速、作戦開始だ。コバンザメで行こう。風除けになりそうなシルエットの大きめな自転車に、ぴったりくっ付いて行こうというもの。気づかれたら殴られるかも。こっちはシングルギアのトレンクルなんだから、こうでもしないと力尽きるやんけ。ちなみに、この日は4台のトレンクルが参加していたが、シングルのままなのは我輩の物だけだった。ブ、ブルジョアめ……。さらにブルジョアな事に、@nak(あ)氏を始め、チタンビームなBikeFridayでの参加者も、4名くらいいた。チタンビームって強そうだな。猿人バーゴンとガチンコで戦えそうだ。
一人、当てにしていたのに来ていない人がいる。どうしたのかなー、と心配していたら、最初の水門で追いついてきた。
momo氏は参加宣言どおり、半ばクロネコなおーいお茶仕様で参加されていた。早速凍ったお茶を売っていただいた。助かる。
虹の広場を経て、いよいよ河口域に入った。案の定、風はまっすぐ前から吹いてくる。早速、コバンザメはおこぼれに与ろうと、くっ付き先を求めるのであった。シングルギアの我輩が、何故か高性能自転車たちの先頭を引いてしまってトホホな局面もあったが、ついに最適な宿主を発見したのである。タンデムだ! かのタンデム自転車は、速度変化や進路変更が穏やかで、かつシルエットも大きめなので、コバンザメが追随するにはうってつけなのだ。コンビニまではおの氏の車両に寄生し、河口までは走り系の方にちゃっかり寄生した。おかげで、これほどの風にも関わらず、疲労感はあまり無かった。
昼食は、あまり入らなかった。食欲が無い。むりやり、たまご豆腐だけを流し込んだ。
解散後は、またしてもおの号に寄生し、東京駅近くの和菓子屋で
かき氷を食ってから帰宅した。
2005年08月20日(土曜日)
20時10分
自転車
天気:晴れ
巷では新型Birdyの話題が流れている。このフレーム、カーボンコンポジットかなあなどと想像しているのは楽しい。でも、出るのは遥か先だろうし、すぐに買い換えることも出来ない。手許のBD-1をなんとかするしかないのだ。
というわけで、ハンドル周りを換装した
BD-1で、夕暮れ時の境川を走ってきた。
MR-4Fにばかり乗っていたからか、BBが前に寄り過ぎなのを痛感させられる。プロファイルのカーボンピラーが後ろ乗り向きになっているのが大きい。サドルを前にオフセットできる小物でも無いかな。
新しいレバーは長くて、非常に引きやすい。もう少し浅くセットすればベストかな。しかし、スペシャのBGグリップは、やや期待外れだ。小指側の掌に痺れが出る。こちらは浅すぎたようなので、角度を深くすると、かなり改善された。
しかしまあ、ポジションの問題は、もっと煮詰めないとダメだ。
サイクリングロード南端まで下り、引き返す途中で見かけた、
見事な夕暮れ。日が落ちるのが早くなってきた。
2005年08月19日(金曜日)
22時32分
星見
天気:快晴
夜、CANON 18*50ISを担いで、中田中央公園のさらに北にある耕地に向かった。道路に自転車を止め、双眼鏡を空に向ける。
今日は今までに無く透明度の高い空で、M6に向けるといきなり微光星20個くらいの集団が見えた。これこれ、この夜空なら、見る気にもなれる。
M7もかなり。M8は、月が近くにあるので、逸らし目で散光を感じられる程度だったが、M8と重なっている散開星団が分離できた。
M22もすぐに発見できた。ボヤッとした、夜空の亡霊のような姿だ。
透明度は高かったが、残念ながら月が近くにあったので、M6は20~30個の微光星が見えたかという程度だった。
もう少し、月が暗くなるまで、この状態が続いて欲しい。
2005年08月18日(木曜日)
22時53分
星見
天気:快晴
今日も暑い一日だった。空の青さは夏になってから、ほとんど見た記憶の無いものだった。
夜、帰宅してから、ベランダから夏の星座を狙ってみた。CANON18*50ISを持ち出す。
やはり、透明度は最近ではピカ一で、M6に向けると、暗順応が進んで無い状況でも、20個くらいの微光星が見えていた。少し天頂側に辿ると、M7も見える。
目を闇に慣らしてから、M8に向けた。月が近いのでつらかったが、逸らし目を使いながら見ると、散光がわずかに感じられた。
再びM6。やっと中心部の微光星の塊らしきものが見え始める。逸らし目を使うと、ぎりぎりM6全体が見えているかという感じ。大気は澄んでいるが、風によるシンチレーションが大きいのか、見かけ光度がころころ変わる。観望には綺麗でいい感じ。
ふと思いついて、さそりの尻尾の付け根辺りから、南天低くに辿ってみた。なんとなく見覚えのある星の並びを見つけ、目を凝らすと、やはり小さな散開星団を見つけた。NGC6087。マイナーな天体だが、これが見えると嬉しい。NGC6087を含むじょうぎ座には散開星団がいくつもあるのだが、M天体には一つも含まれてない。光度が低すぎて、メシエの観測地点からは見えてなかったのかもしれない。
望遠鏡か、80mmの双眼鏡を出そうかとも思ったが、周囲の家が明るすぎて、暗順応が進まないので断念。まだ星を見るには早い時間だ。
2005年08月17日(水曜日)
21時09分
星見
天気:晴れ
平和だなあ、などとのん気に書いていたら、急に忙しくなっちゃったよ。まず職場に人がいない。同僚はみんな休みで、唯一残っていた上司も身内の不幸で不在。しかも設計部署も誰もいない。ぴーんち。
製品に関する問い合わせに対応していたら、他に何もして無いのに定時を大きく過ぎてしまった。まあいいか、今日は定時退勤日だ。というわけで、さっさと帰宅した。わし、本当に忙しかったのか?
昼の間は晴れていたので、さぞかし夜空も透明だろうと思い、帰宅してすぐにベランダに出た。が、案に相違して薄雲が蔽っている。その上、明るい月も南東の空に掛かっている。CANON 18*50ISをさそり座に向けるも、M6ですら中心近辺の微光星が10個くらい見えただけだった。M7,M8なんざどこにいるのという状況だ。
今年は、どうにもすっきり晴れた日が来ないなあ。
2005年08月16日(火曜日)
20時38分
暮らし
天気:くもり時々雨
まだ盆の直後ということもあるのか、職場は静かなものだ。車も、心なしか少なめだ。日も短くなってきた。夏の盛りを過ぎようとしている。
昼の通り雨が打ち水代わりになったのか、夜になると急に涼しい風が吹き始めた。虫の音も秋モードへと変わりつつある。もうすぐ、エアコンの要らない季節が来る。残暑が長くなければな。
今年の秋は、南会津が非常に早めに実行される関係で、なんだかぽっかり開いている感じがする。なにがしかの企画を突っ込めないものか。
2005年08月15日(月曜日)
23時15分
暮らし
天気:はっきりしない
今日からお仕事。また職場まで自転車で通勤する日々が始まる。
どうも今週に休みを取った者が多いようで、職場の人口は半分以下という程度だった。これくらいの人口密度が適切だと思うのだが。
退社して、自転車で走っていると、ちょっとぽつぽつ来ているように感じた。が、それ以上悪くはならない。後一歩のところでこらえている感じ。風が生暖かく、湿っぽくて、不快だ。
ということで、帰ってからエアコンを入れてしまった。からっとした空気なら、暑くても耐えられるんだけどな。
空模様が今一なので、インラインスケートの練習をする気にもなれず、就眠。
2005年08月14日(日曜日)
22時07分
暮らし
天気:崩れそうで崩れない
昼前に実家を出て、新幹線経由で横浜へと戻った。東の方は空模様が今一だとかで、途中で雨に降られる事もあったが、関東に入ると雨らしい雨は無くなっていた。助かったな。
なにやら暴食台風が名古屋から関東へと侵攻しているらしいが、今回は迎撃できない。
家に戻り、自転車をラックに掛けると、やっと日常が戻ってきた感じがした。
明日からは仕事かあ。
2005年08月13日(土曜日)
20時04分
旅
天気:晴れ
2005年08月12日(金曜日)
21時23分
旅
天気:良好
大三島~伯方島~大島~糸山~今治市街
[続きを読む]
2005年08月11日(木曜日)
21時26分
旅
天気:晴れ
2005年08月10日(水曜日)
18時55分
暮らし
天気:不安定
昼前、兄夫婦と姪っ子たちがやってきた。一緒に焼山の墓地に向かい、墓参りする。その後で、大嫌いな回転寿司の類に入った。この雰囲気が大嫌いなんだ。でも黙々と食う。
いったん家に戻り、自転車で出ようと思ったら、急に雨が降り始めた。少し様子を見ていると、雨はすぐに上がり、路面は乾き始めた。
また兄夫婦が実家に戻ってきたので、少し相手をしてから、車で姪っ子たちを桟橋に送る兄夫婦と共に、家を出た。姪っ子たちは、どうやら自転車に乗っているようだったので、『MTB要らんかね』と聞くと、欲しいという。よし、HARDROCK号をくれてやろう。しかし、今はMTBとはとてもいえない状況なので、とりあえず購入当時の状態に戻してしまおう。
また呉ポートピアパークに向かう。しかし今日は売店が休み。定休日だとか。悲しい思いをしながら、自販機の炭酸水をグビグビやっていた。すると天も哀れに思し召されたのだろう、急に強い雨が降り始め、雷鳴まで聞こえ始めた。って、これではいじめじゃ。
通り雨だろうと睨み、雨が止むのを待っていた。しかしなかなか止まない。それどころか、公園の近所にバンバン落雷し始めた。まあ、屋内にいるので、濡れることも雷に打たれることも無いが。この迫力あるショーは、なんだかんだで2時間ほども続いた。
一度雨が止めば、青空も見える。だが西の空には、次の雨雲が用意されているように見えた。この隙にと、家まで走って戻った。
明日からは、いよいよしまなみ海道だ。
2005年08月09日(火曜日)
18時52分
旅
天気:晴れ
今日はどうするかなあ。あそこ走ってこよう。あそこ、蒲刈を。
一昨年だったか、下蒲刈までは行ってきたんだった。今年は上下両島とも一周してみよう。
昼はモリスで食べたかったが休み。しおしおの気分で一度帰宅して、家で取り、それから出発した。
広へは休山トンネルで抜けてゆく。いつの間にか歩道と車道とが、アクリル板で仕切られている。誰かが排気ガスの点で文句をつけたのかな。おかげで歩道が1mほども狭まってしまった。
広、仁方と幹線を走り抜けてゆく。汗がダラダラ出る。暑いなあ。
やがて安芸灘大橋の裾野へと到着した。この橋、自転車は歩道を走るしかなく、歩道は南側にしかない。一度南側の歩道に渡るのが面倒だ。ここでせっかく持ってきたPowerShot S1が電池切れなのに気づいた。
まずは下蒲刈に渡る。上下の蒲刈島が共に呉に併合されてから、開発が急激に進んでいるように見える。やや俗な観光化が進んでいるようで、俺の蒲刈を返せていいたくなる。
下蒲刈島の海沿いに走っていった。なんということも無い、瀬戸内の島の風景だ。
上蒲刈島へと掛かる蒲刈大橋までは、本当にすぐだ。結構高所に掛かっているので、へこへこ上って渡る。
上蒲刈島も、以前に較べれば道の整備も進んでいる。全周に舗装路が走っている。
かなり走り続け、やがて県民の浜という場所に着いた。キャンプ場、海水浴場、レストランの類が集まっているようだ。多少の賑わいを見せている。こんな辺鄙な場所なんだが。
GPSの表示と僕の妄想センサーは、この先にもいけそうだと見当をつけた。この先では、さらに道が細くなり、1車線になる。
いい加減、暑くて嫌になってきたので、ちょっと水遊びした。靴と靴下を脱いで、適当な浜辺から海に入ったのだ。気持ちいい。身体にこもった熱が、スーッと抜けて行くようだ。
さて、ある程度、身体が冷えたのはいい。だが水が切れそう。心細い思いをしながら走って行くと、なにやら工事現場に自販機を発見した。地獄に仏とはこのことだ。
炭酸水をがぶ飲みしながら、現場の掲示を見ていると、どうやらここが豊島への架橋現場なのだと分かった。ここに橋が架かれば、遥か彼方の岡村島まで一本に繋がることになる。大崎上島、大三島までは、フェリーで渡れる。この橋が出来たら、このT字ルートを走るのもいいな。
再び下蒲刈を経由し、本土に戻った。休山トンネルを抜け、そのすぐそばにあるトップバイクで、頼んでおいた24インチのチューブを受け取った。予備チューブ1本だけになってたんで、助かった。
2005年08月08日(月曜日)
17時57分
思考
天気:焼付くような空
さて、帰郷した目的の第一を果たそう。
昼前に起きて、まずは中通のモリスに向かった。いつものように大盛りを頼む。これよ、これが思い出の味よ。美味すぎるスープを飲み干すと、真夏なので汗がどっと噴出した。
さて、いよいよ目的の第一に向かう。大和ミュージアムの視察だ。場所は中央桟橋の隣だ。近隣にショッピングセンターが出来、また駅裏には新しい施設がどんどん建てられている。駅を出た人の流れが変わりそうだ。
大和ミュージアムの前には、戦時中に謎の爆沈を遂げた陸奥の装備品が陳列されている。これは
主砲身。列強の16インチ砲に相当する、真41サンチ砲だ。長さと肉厚の分厚さに圧倒される。こんなものを連装で載せて、しかも装甲板を隈なく貼り付けた砲塔を、4基も載せていたんだ。
館内に入る。常設展と企画展が別々にあり、共通券を買うとどちらにも入れる。この券で一日何度でも出入り自由だ。そして1Fに鎮座しているのが、1/10大和の
模型だった。これを模型といわれても困る大きさだが。
主構部上層のマスを感じさせる積層っぷりは素晴らしい。が、意外に繊細さも感じさせた。
斜め上から見ると、艦橋が艦体中央に来る、バランスの取れた配置が分かる。甲板には台湾檜が使われているそうだ。強度甲板の上に、あえて木製の甲板を残すのは、米戦艦も墨守していたことだ。というか、空母も板張りだったがな。艦船設計が、本質的に柔構造であることに起因するらしい。
全体的に、意外に対空火器が少ないように思えた。米戦艦のように、主砲塔の上や周囲にまでてんこ盛り、という状況ではなかった。あるいは、戦争末期の状況を再現したものではないのか。
他の展示物も見る。これは特攻兵器の
回天。実物を見て、あまりのチープさにショックを受けた。潜望鏡は、経年劣化を考慮しても、視野角、精度共にとても実用に耐えるものでは無いように思えた。こんなものに人間を詰め込んで、『死んで来い』といった奴らがいたのだ。しかも、そいつらは戦後ものうのうと生き延びたではないか。日本は戦争をしませんなどと誓ったところで、戦争は相手がいる話なので、永遠に守りきれるとは思えない。だが、こんな無惨な戦争の旗を振り、のうのうと生き延び、権力にしがみついた連中がいたということを、俺は忘れんぞ。そしてこの事実の方が、絶対不戦の誓いなどという不可能事よりも、ずっと重い意味を持つはずでは無いだろうか。
零式艦戦。今見てもスマートな機体だ。
甲標的の流れを汲む特殊潜航艇、
海龍。浮沈制御にバラストだけではなく、大きな潜航舵の揚力を使用するなど、先進的な設計が光る。だが、これさえも戦争末期には、両舷の魚雷を発射した後、自ら敵艦に突入する特攻兵器に改装されたという。旧軍の特攻好きは、もはや病理現象と評せざるを得ない。
大和ミュージアムを出て、
呉ポートピアパークまで走った。夕方まで昼寝するつもりで、売店でビールを買い、途中で買ってきたたこ焼きをつつく。美味い。極楽なり。
適当な日陰を見つけ、日が陰るまで寝て過ごした。起きてからはしばらく歩き回り、アルコールが抜けたことを確認してから帰宅。今日も暑い日だった。
00時01分
暮らし
天気:すばらしく晴れた
しばらく帰省と旅行を挟む関係で、このBlogの更新が滞りそう。
というわけで、簡単に更新できるMoblogを始めました。
モブログよりどうぞ。
Nucleusにもモブログ風プラグインがあるんだが、時間がないのでロリポのそれをそのまま確保してみた。100MB分、レンタルスペースとは別に使えるということだしな。
ということで、モブログたんはたまに更新するので、たまに見てやってちょうよ。
2005年08月07日(日曜日)
19時29分
暮らし
天気:雲多いね
さて、広島に帰るんじゃ。
荷物はMR-4Fとリアにつけるドライバッグ。その他の荷物はKIMM35lに入れて背負った。さあ、出発。ありゃ、パンクしてますよ? やばいタイミングだったので、チューブを入れ換えた。以前、荒川サイクリングからの帰路に修理した部分が、修理不全だったようだ。パッチの一部が剥離し、空気が漏れていた。
やばいなあと思いつつ、急いで立場駅に向かい、MR-4Fを折り畳む。地下への階段に足を踏み出した時、発車した地下鉄が巻き起こす風が、背中を押した。乗り逃がしたか。次の便まで9分も待つ。
次の便で新横浜に向かう。時計を眺めつつ、半分諦めていた。しかし、間に合うかも。葛藤が続く。
とにかく新横浜に着いたので、地上に。あれ、いつもの経路は駅舎改装工事で閉鎖中。物凄く遠回りさせられました。改札を抜け、ホームに上がったら、なんと今まさに乗車便のドアが閉まるところだった。完全に諦めていたのだが、どこかで走れば間に合ったかも。全てが裏目に出た感じだ。
次の便に乗るも、意外に乗客が多い。なんか嫌だな。しかし、名古屋で一気に空いてしまい、難なく最後列のシートを確保できた。
広島からは呉線で呉に向かい、呉からはMR-4Fで帰宅した。途中、中通に立ち寄り、銘菓
フライケーキを買っておいた。
実家は、重い屋根瓦が乗っている関係で、夏はかなり暑くなる。エアコンをガンガン掛けていた。でもまあ、静かで落ち着くものだ。
2005年08月06日(土曜日)
22時10分
暮らし
天気:晴れ
明日には帰省するので、準備をしておかないと。不急の荷物は別便で送り、当座のものを背負って帰ることになる。毎度の事ながら、自転車を持っての帰省は大変だ。
夕方、近場でうろうろしたくなった。EPIC号を引き出して、まずはサガミに向かう。3号店を冷やかし、次には町田のヨドバシへと向かった。ここではiPodの類を偵察する。Appleは大嫌いな企業だが、総合的にはiPod以外を念頭に置くのは無理。ハードはともかく、音楽データのダウンロードまで考えると、Appleの方が縛りが緩い。まあ、なにせAppleだから、金になる方向が変ったら、あっさり方向転換するだろうけど~。
ヨドバシを出て、境川沿いにを南下してゆく。途中で見かけた
夏の風物詩。まだまだ日は高かったので、思わず飯田牧場に行っちゃったよ。今日は
抹茶の苦味を楽しんだ。
帰宅して、西の空を見ると、雲の切れ目から陽光が漏れ出し、
燃えているようだ。しばし見とれていた。
2005年08月05日(金曜日)
夜、ささっと定時で帰宅する。待つほどもなく、カンガルー便の人が荷物を持ってきてくれた。Yahooオークションで落札したインラインスケート様御一行だ。
早速取り出してみる。モノは、
サロモンのオプティマ、プロテクター、それらを収納するバッグとツールというところ。意外に状態は良く、特にスケート本体は新品とあまり変わりない程度のモノだった。ホイールはちょっとちびていたが。
早速、アパートの前で遊んでみる。
……む、難しい。まず立てない。立ってもどうすれば止まれるのか分からない。滑り系のスポーツなんざやったことのない僕には、まず滑り出すまでが大変だった。
1時間ほどあたふたしているうちに、なんとか滑り出して直進するところまでは行った。が、曲がれない止まれ無いというのはどうにもならん。教則本を買って初歩から学ばねば。
いつもと違う筋肉を使ったせいか、脇腹とかが痛い。なんだか腹筋を異常に使った気がする。いい傾向だ。
はてさて、これで気持ちよく走れるところまで行けるかな。
2005年08月04日(木曜日)
21時21分
自転車
天気:晴れ(だが相変わらず雲量大)
最近、パンクの神が我が身に宿ったようだ。今日もやられてしまった。
会社からの帰り道、暗い坂道をへこへこ登り、踊場のユニクロから領家に走る道に出たところだった。横断歩道で信号待ちして、青になったので走り出したら……。なにこのゴロゴロ感? またやられたか。パンクだ。さっそく、歩道の脇でパンク修理に取り掛かった。といっても、チューブを入れ換えるだけだが。暗いので、さすがにパッチ当ては難しい。
5分ほどで入れ換え、ロードモーフで空気を入れる。やはりeショックマスターブラスターとは空気の入れやすさが桁違いだ。リアサスも、実はこいつで空気を入れられることが分かっている。4月に荒川までBikeEを持って行った時、牢名主様のポンプをお借りして試してみたのだった。さすがに200psiは無理だが、なんとか底突きしない程度なら入れられるだろう。今度のしまなみには、eショックマスターは置いて、これを持っていこうと思う。
汗だくになりつつも修理し終わり、自走で帰宅した。まず入れ換えたタイヤの気圧を規定まで入れてから、パンクしたチューブの検分に掛かった。何故か、バルブの真下にでっかい穴が空いていた。タイヤには特に異常は無かったんだけどなあ。気圧も正常だったはずだし。バルブの近辺は肉厚があって、万が一リム打ちしたらごっつんこと底突きしやすいのは確かだな。なにか納得がいかない。リアのタイヤはかなり減っているので、そろそろ前後入れ換えた方が良さそうではあるのだが。
さて、入れ換えたチューブは、実はTCR-2を買った時に着いてきたという、ある意味純正、ある意味太古のチューブなのだが、大丈夫かいな。
2005年08月03日(水曜日)
21時24分
暮らし
天気:晴れ
昨夜、早めに寝て、十分に睡眠時間を確保したところ、風邪の初期症状は治まった。まだ熱っぽいが、気分はずっといい。なんだか睡眠不足だったみたい。
帰りに、TCR-2のサドルを3mmほど上げておいた。これだけ上げるとかなりトルクが出せるようになって、坂道もするすると登って行ける。腰を引けば大腿部後部の筋肉を活躍させられるので、この辺がベストではないか。
今夜もかなり暑かったが、五厘刈りでベルベット状態のドタマのおかげで、エアコン無しで居られた。心なしか、夜になると気温が急降下する日が多いようだが、今夜はあまり下がった感じはしなかった。
帰省に向けてMR-4Fを整備しなければと思うのだが、面倒なんだよな。チェーンは洗っておいたので、これでごまかすか。
2005年08月02日(火曜日)
23時24分
星見
天気:薄雲がなあ……
帰路、会社を出る頃には、なんだかねっとりした湿気と、空一面を蔽う雲が嫌な感じだった。降るかなというくらいで。
しかし、帰宅する頃には、なんだか空が暗く、晴れ間が多いようだ。相変わらずすっきり晴れてはくれないが、ちらほらと星も見えた。
CANON18*50ISを向けてみた。やはり水蒸気が多くて、のっぺりと白い。あまり星は見えない。しかし、十分に暗順応させてから、さそり座の尻尾の方を執念深く探すと……。あった、M6だ。今年初めて見たな。薄雲を通してなので、明るめの微光星が20個くらいしか見えないのだが。
その他、干潟星雲もM22も全く見えず。すっきり晴れてくれないものか。
22時55分
暮らし
天気:いい感じ
なにが悪かったのか、朝から風邪気味でつらい。くしゃみと鼻水が止まらない。熱もあるようだ。体調が下降気味だ。扇風機が強すぎたか。それにしても、デリケートな身体になったものだ。
ともあれ、つらくても仕事は待ってくれないので、カフェイン摂取で気力を持たせながら、なんとか一日を過ごした。つらいので、残業はさっさと切り上げる。
帰宅して、PCの前に座っていたら、いつの間にか意識を失っていた。凄く眠い。それでも風呂には入って、さっさと寝ることにした。
この時期、汗の始末を怠ると、エアコンで冷えてえらい目にあってしまうのだ。歳のせいか、エアコンが嫌いになってしまった我輩だ。
2005年08月01日(月曜日)
23時54分
暮らし
天気:くもり
今日は晴れといえば晴れなのだが、雲も多いという印象のある一日だった。おかげで、直射日光がいくぶん和らいだようだ。
それにしても、毎日エアコンを入れていた去年に較べ、今年はまだ過ごしやすい。エアコンがほとんど稼動して無いのが証拠だ。これはあれか、五倫刈りか、五倫刈りなのかっ! 実際、頭から熱が簡単に抜けてゆくので、暑い場所でも汗をかきにくいし、汗をかいてもすぐ乾いてくれる。始末が非常に楽だ。
それと、大気中に水蒸気が多いのか、今年は雲が多い印象がある。特に夜、綺麗に星空が見える日が稀だ。夜になると、どこからか雲が湧いてくる観がある。今夜も薄い雲が一面に出ていた。おかげで、今年はM6,7,8に面会してない。
さて、涼しくなってきたので、寝るか。