South of Heaven


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マシン停止

2000年05月24日(水) 20時12分 暮らし 天気:晴れ......だと思う......

 朝、前日の出張疲れで深く寝入っていた俺様は、不快だがきっぱりした目覚めを迎えた。
 暑い。
 冬場に買った羽毛布団を頭から被って寝ていたのだが、部屋の中にいつの間にか暑気が侵入して、暑さにうなされながら寝ていたらしい。寝室には他の部屋のように電子機器がないため、いつもならむしろ朝方は涼しいくらいなのだ。ところが昨夜は、風が強くて障子を揺らすので、風の抜け道を作るために少し開いておいた。そこが暑気の侵入経路となったらしい。
 居間(というかマシン室というか)には暑気というより熱気がこもっている。朝方風が止み、気温が上がるにつれてマシンの熱気もこもるようになったと思われる。これでは昼間に熱暴走する可能性も否定しきれない。第一、帰宅した途端に、部屋にこもった熱気を浴びるのは嫌だ。
 というわけで、引越し以来連続稼動していたPC群の電源を、出勤前に落としていった。4台のデスクトップPCが停止するとこれほど静かになるとは(というか普段うるさすぎ)。
 帰宅すると今度はマシン群を再立ち上げする仕事が残っている。WindowsやOS/2はともかくとして、このLinuxな機械はソフトウェアRAID絡みで呪術を使わなければならないのではなかったかな。なにせ何カ月も連続稼動させていたので、以前の起動手順を思い出せない(爆)。ええい、ままよとばかりに起動すると、しかし案外にあっさり起動した。MOでエラーが出ているようだが、これもやはり呪文を唱えなければならなかったかな。単に認識できる領域(要するに媒体)が入ってないので文句をいっているのかもしれない。
 ともあれ、全部の機械をいちいちON/OFFするのは面倒なので、OS/2な機械だけ付けっぱなしにしようと思う。ここにはD-netのパーソナルクライアントがあるので、あちこちに分散しているノートPCからアクセスされる可能性がある。またメールなどはこの機械を使っているので、帰ったらすぐ使える体勢のほうが良い。

空が曇ってるなあ

2000年05月23日(火) 23時11分 暮らし

 帰宅してベランダに出てみると、空は晴れているのだが、霞がしっかりとかかって明るい星しか見えない状況だった。
 日付が変わる頃にまたベランダに出て空を見上げたが、霞はさらに濃くなっていて明るい星さえもほとんど見えない状況だった。月もくっきり見えはするものの、不気味な赤い月になっていた。霞に短い波長の光が散乱してしまったのだろう。早々に就眠した。

久しぶりに超早起きで名古屋へ

2000年05月23日(火) 22時09分 暮らし 天気:晴れですか

 今日は名古屋で教育を受けるために、日帰りで出張する必要があった。朝の8:50には名古屋は新栄にいなければならない。よって朝4:30起床なのである。
 空が白む頃に起き出して、簡単な朝食(スパ王)を5:30の地下鉄に乗るべく立場駅に向かった。地下鉄にはこんな時間なのに案外に乗客が多い。戸塚と名古屋の間では席は全て埋まり、立っている人も多いくらいだ。
 6:30のひかりで名古屋に。乗り過ごすと大変なのでしっかり目を開け、音楽を聴きながらの旅だ。名古屋には8:00過ぎにつき、新栄町には20分には着いた。
 新栄のビルにあるにあるわが社の教室に入るが、誰もいない。前の黒板には10:00から授業開始である旨が書かれていた。時間を1時間あまり間違えていたらしい(図らずも笑)。仕方ないので近所の喫茶店でモーニングサービスを食いながら一昨日分の日記を書いた。340円でコーヒー、トースト、ゆで卵、サラダまでついている。あいも変わらず名古屋恐るべしである。
 10:00になって授業が始まった。授業内容はWindowsNTの導入とやらで、文字通りインストールして初期設定をするというものだ。そんなことは散々やってきているので半分寝ながらでも楽勝だった。しかしまったく無駄な授業だったかというとそうでもない。ユーザ管理などは自宅で使う限りほとんど必要じゃなかったので、ここで体系的に学習して初めてよく分かった部分もあったのだ。
 昼飯は地下鉄の駅近くに出来ていた藤一番でラーメンを食らった。
 定時に終わってさっさと帰宅しようと名駅に着いたが、空席が19:00の便しか無かったので、それまでは暇つぶしに名駅地下の三省堂をうろついた。さらにホームできしめんを喰らう。今日は3食麺類である。
 19:00の便で新横浜に帰り、そこからうんざりするほど接続の悪い横浜線、京浜東北線、東海道線を乗り継いで、戸塚から地下鉄で帰宅した。

さっさと寝るダス

2000年05月22日(月) 23時09分 暮らし

 明日は名古屋に日帰り出張で、起床はなんと4:30。5:30には地下鉄に乗らなければならない。22:00には布団に入った。

そろそろ暑

2000年05月22日(月) 19時07分 暮らし 天気:晴れかな

 少々気温が低いという日でも、熱気が部屋のこもることが多くなった。なにせ、我が家のPCは全部が全部24時間運転だから。RC5-64暗号のクラックを試みているのだ。って人聞きが悪いな。そういうコンテストがあるんです。
 夏場のことを考えてデスクトップPCは全てエアコン直下に集めてあるが、昼間は会社に出かけてる間にエアコンつけっぱなしというのは、さすがに気がひける。隣室の住民に「死体でも保存しているのか?」と疑われかねないご時世だ。
 ところでこのRC5-64クラッキングコンテストでは、僕はDistributed.netに参加している。というか、この暗号破りコンテストに参加している人の大半は、研究者でもない限りここに所属するだろう。このD-netは、世界中の参加者の所有するPCにクライアントプログラムを埋め込み、それをデータ集配機能を持つD-netのサーバと適宜接続しながら、各クライアントでプロセッサの空き時間を利用してデータを処理しようというものだ。なぜ暗号破りを試みているのかというと、様々な暗号体系の中でのRC5-64の強度を検証し、それを元に米国政府が課している暗号技術の輸出規制を撤廃させようというのが狙いなのだ。
 ところでこの一般ユーザの機械でデータを分散処理しようという方式は、seti@homeでも取り入れられているものだ。参加者数はseti@homeの方が多いが、時期的にはD-netの方が早い。またseti@homeの標準クライアントがスクリーンセーバーとして実現されているのに対し、D-net側は一種のデーモンとして動作し、プロセッサの遊休時間を見つけるたびに小刻みに処理を実施していく方式だ。遊休時間を使用するという観点ではD-netの方がより効率的に思える。問題は各自の環境への悪影響だが、これも洗練が進んだ結果ほとんど影響が無いレベルまで進歩している。というか、ここ1年ほどの間に、システムにダメージを与えるような悪影響はまったく無かったといっていい。
 地球外文明の探査も夢があると思うが、現実に全てのユーザが利益を蒙るだろう暗号規制解除につながるD-netのチャレンジも、やはり同じくらい重要だと思うのだ。なにせ、地球外文明があるかどうかは分からないのだから(個人的には無いかもしれないと思っているのだが)。

観望なしです

2000年05月21日(日) 23時50分 星見

 今夜もくもりですね~。ということで観望なし。プンプン(`-´)

世紀を越えて

2000年05月21日(日) 23時04分 テレビ

 今夜の「世紀を越えて」は脳死患者からの臓器移植をめぐる話題。
 脳死患者からの臓器移植は日本でこそ始まったばかりだが、欧米では既に日常化しており、毎年数千人の患者が臓器の提供を受けている。
 冒頭、脳死した男性から臓器を次々に摘出する現場が映し出されたが、まさに人間の部品取り、いや解体工場という感じだった。今や臓器だけでなく骨や皮膚まで利用されている。
 欧米では肉親の同意があれば臓器提供が可能なため、このように臓器移植が盛んになり、それが医療技術の発展につながってきたのだ。
 しかしこうした臓器移植の普及の陰で、提供する側と提供される側ぞれぞれの問題点も浮き彫りにされつつある。
 アメリカに住むある外科医は、重い心臓疾患に苦しめられた末、臓器提供を受ける事を決意した。そして提供を待つ間、彼には奇妙な性癖が現れたという。強盗や事故、火災といった悲惨な記事を追い、肉体は健康でも脳死を迎えた人を探すようになったのだ。それは彼には「ごく当然のこと」だと思っていたという。
 やがて心臓の提供者が現れ、彼は死の時期と宣告された3ヵ月前に移植を受け、そしてかなりの健康を取り戻すことが出来たという。
 しかし移植された心臓は彼に健康をもたらすと同時に、心の問題をももたらすことになった。
 移植された心臓は血管などの接続はされているものの、収縮パルス自身はペースメーカーで作り出しているようだ。そのため、心臓の鼓動は彼の心の動きとは独立して常に一定だ。奇妙なことだが、まるで一体感が感じられないという。「まるで体の中にエイリアンがいて、自分の生死を支配しているようだ」と彼は語る。
 さらに、自分が生きているのが正しいことなのだろうか問う疑問も拭いがたいものになる。一人の人間が死んで、一人の人間が生き長らえる。しかしなぜ提供者が死に、彼が生き延びることになったのだろう。そういういささか抽象的な悩みにも苦しめられた。彼は同じ悩みを抱いているだろう受領者の相談に乗るカウンセリングのボランティアにも関わっている。
 臓器移植は盛んになってはいるが、需給のバランスはいまだ需要の側に大きく傾いたままだ。脳死という概念を受け入れてきた西欧諸国では、もっとも大きな供給を見込める提供者、すなわち脳死者のうち、臓器提供に同意した割合を増やすためにあの手この手を尽くしている。
 オランダでは18歳以上の国民すべてに同意書を送付し、同意、拒否、同意の形態、そして提供する臓器などを決めさせる試みを続けている。国民はこの同意書をいつまででも保留できるのだが、それが大きな誤算を生んだ。いつまでも提出しない人が多いのだ。そのため、イタリアなどでは3ヵ月以内に提出することを義務付けている。しかもイタリアの場合、その後の同意内容の変更はかなり難しく、なおかつ一度提供を決めたらどの臓器を提供するか本人には決定権がない。これはイタリア憲法で国民は公共に尽くすこと、国家は国民の健康を国益として重視することが謳われているからだ。それにしても、これほど強制力を持つ法律を、しかも臓器提供という議論の余地が大きい分野で成立させるというのがすごい。日本ではまず成立しないだろう。しかも、これらの法律が成立している地域は復活の奇蹟を重視するカソリック圏なのだ。死体損壊に対する抵抗は、日本などよりもむしろ大きかったのではないか。これらの地域の政治にキリスト教が大きな影を落としているのは間違いないが、それを超克して新しい認識を切り開いていこうという西欧諸国の姿勢には、日本は学ぶところはあっても教えるものは何もないような気さえする。
 その西欧圏でも、脳死者からの臓器移植が一般化するにつれ、提供者の家族の提供を受けた人たちの事を知りたいという願いが顕在化してきた。
 元々、臓器移植では提供者と受領者のそれぞれが秘密にされる原則があった。臓器提供はあくまでも人の善意によるものであり、それがビジネスや他の関係を生み出してはならないと考えられている。だから双方に深い関係を築かないほうが良いだろうと考えられてきたのだ。しかし提供者の家族の「知りたい」という願いを無視しつづけるわけには行かない。提供者の脳死という最期をどうしても受容できない家族は数多くいるからだ。
 次男の臓器提供に同意したある家族も、それ以来次男の臓器の行き先を知りたいと願い、コーディネータに働きかけるようになった。当初、コーディネータからは、それぞれの臓器の提供を受けた人々の簡単なプロファイルが伝えられただけだった。しかし家族の方は次男の"死"にどうしても納得できないものを抱きつづけざるを得なかった。
 増えつづけるこうした声に、コーディネータたちも従来の方針を転換せざるを得なかった。様々な問題は考えられるものの、心の問題を放っておくことは、臓器提供という行為自身に悪影響を与えかねないと考えられたようだ。結局、双方に念書を取ることで対面を実現することにしたのだ。
 先の家族は、何人かの受領者の中から一人の女性に会うことができた。心臓の提供を受けたその女性も対面を希望したことから、ついに対面が実現することになった。
 提供者の母親は、感動的な対面の場面でその女性と抱き合った。「心臓が脈打っているのが感じられた」と母親は喜ぶ。彼女の息子の心臓は、別の生命を確かに支えている。
 ところが対面を果たした母親の認識は、ある部分で変化を遂げた。彼女が会ったのは他人に渡った息子の心臓なのではなく、息子の心臓を受け継いだ一人の女性なのだ。そのことを感じた母親は、ようやく息子の"死"を受け入れることができそうだという。
 僕が思うに、一人の個人から肉体の一部を部品のようにして取り出すというやり方は、今だけの一時的な方便に過ぎないように思える。クローニングや遺伝子改変技術のおかげで、別の動物から部品取りをするという技術が登場するのも、もう間もなくのことだと思える。恐らく、人間からの部品取りという抵抗の大きい方法にとった変わるのも、そう遠くない日のことだと思える。
 しかしたとえそうであっても、一人の人間の"部品"で別の人間が生き長らえるという事実が今あることに変わりない。それを一時の異常な現象ではなく、人間の生命をめぐる紛れもない一つの真実として考えることを怠りたくはないのだ。

近場に出かけよう

2000年05月21日(日) 18時04分 天気:くもりと晴れの遷移状態

 雨が上がった。空を見上げると雲が多いが、所々青空が見えて、そこだけは五月にふさわしい濃い青空だ。ちょいと出かけた。
 部屋を出た瞬間はいずみ中央からいずみ野の図書館にでも行こうかと思っていたが、立場駅が見えるとそっちに足が向き、湘南台の方に出てしまった。こっちの方がいろいろあって便利なのだ。
 湘南台の図書館では政治関係の書棚でいろいろ読み漁っていたが、異常に熱心に棚を眺め、本を次々抜き出している中年男性に気兼ねして、早々に移った。といっても三歩横に移動しただけだが。この人は要するに政治ヲタクなのだろうか?
 その三歩歩いた場所にあったのが、立花隆の「日本共産党の研究」。手に取って読み始めたが、いや面白いのなんの。高度なジャーナリズムと良質のエンターテイメントは両立しうる事を示しているのだろう。戦前、治安維持法下の共産党というアンダーグラウンドにしかなり得ない存在が、戦時色が濃厚になっていく日本でどうあがき、自滅していったかを解明した大著だ。文藝春秋連載当時から日本共産党自身との激烈な論争(といえるものではなく中傷に過ぎなかったのが残念、と立花は述べているが)を経たこの書は、版を重ねるごとに手が加えられ、戦前の国内共産主義史を研究する上での原典足りうるものになっている。非常に精緻に証拠を集め、確実な解釈を取り、そして新たな思考へと導いていく。一説には、'80年代に入っての日本共産党の退勢は、この本が与えたインパクトによるものだとさえ言われる。田中金脈に対する執拗な追跡が時の総理大臣を退陣に追い込んだことと思い併せれば、立花隆まことに恐るべしとしかいいようが無い。しかも、立花の筆致はなおも中立的なのだ。
 面白いのはその批判本が(主に日本共産党周辺から)山のように出版されていることだ。それほど痛いところを突かれたのだろうかと思いたくもなる。しかし今も論議に耐えうるほどの価値をもっているのは、当の「日本共産党の研究」だけだ。
 図書館は5時閉館なので、その前に出た。
 その足でPC屋に寄り、さらにダイエーの5Fをうろついた。なんとなくFMラジオが欲しかったのだが、思ったより高かったのでやめた。ここでは大皿と食器棚、そしてレジャー用の折りたたみ椅子を買った。折りたたみ椅子は観望の際に使用するつもりだ。
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