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世紀を越えて

2000年04月30日(日) 22時20分 テレビ 天気:くもり

 連休も三日目ともなると倦怠感がみなぎってくる。水曜日までは大きなイベントがない。必然的に寝るか読むかの実にぐーたらな生活を送ることになるのだ。
 今夜は見たいテレビがあった。NHKスペシャル「世紀を越えて」。今夜は次第に恒常化しつつある生命操作の実態を追う。
 人の遺伝子を解読しようというヒトゲノム計画は、すでに80%まで進捗している。実を言えばアメリカの企業がすべて解読したと発表してはいるのだが、この発表には多くの専門家が疑義をあらわしている。しかし間もなくヒトゲノム解読が完了するであろうことは疑うべくもない(個人の個性という部分では恐らく依然として未知の部分が残るだろう)。
 その副成果(いや目的かもしれない)として人の病気のうち、遺伝子に要因を求めうるものの遺伝情報も明らかにされつつある。アメリカではそうした遺伝病の要因因子を持っているかどうかという遺伝子診断が普及しつつある。そのなかにはきわめてショッキングなものもある。ある男性は、自分もそうした遺伝病の一つの因子を持っているのではないかと疑い、遺伝子診断を受診した。彼の家族の何人もが、若年性アルツハイマー症に犯されているのだ。これは遺伝病だった。従って自分もその遺伝要素を受け継いでいるかもしれないと疑うのは当然のことだった。
 診断の結果は医師によって直接ではなく、カウンセラーを介して伝えられる。カウンセラーが伝えた結果はショッキングなものだった。彼も遺伝要素を受け継いでおり、発病する可能性が高いというものだった。これがどれほど衝撃的か理解できる気がする。これほど重い十字架を背負ってしまった人はそう多くはないだろう。
 彼は生きる気力を失ってしまう。その彼を支えたのは、そんな彼の人生を肯定してくれたある女性の存在だった。その女性が彼とともに病気と戦うことを誓ってくれたから、彼もまた死病の恐怖と戦う力を持てるようになったのだという。このような局面でカウンセラーの存在は大きい。彼は病気ではない。だがすでに死んだも同然だと自分をみなしてしまう。そうした心の葛藤に力を貸すのがカウンセラーであり、彼の生を肯定してくれる人々の存在なのだろう。
 別のある女性は、やはり家族に多かった乳がんと卵巣ガンの遺伝因子を持ち、発病する可能性が高いことを知った。その恐怖に直面した挙句、彼女はまだ健康であるにもかかわらず乳房と卵巣の切除手術を受けることにしたのだ。発病の恐怖から逃れるにはこれしかなかったという。
 遺伝子診断は生命の初期段階、受精卵の段階ですら実施可能だ。そのことによって、遺伝病の恐怖から子供を持つに持てなかった夫婦が、遺伝要素を受け継いでない健康な子供を得ることもできるようになった。体外受精で受精卵を複数つくり、それらの遺伝子解析から病気の遺伝要素を受け継いでいない受精卵のみを選別することができるようになったのだ。
 この受精卵に対する選別は、命の選別ではないか、すなわち受精卵の段階とはいえ人間の最初期段階でもあるのだから、他の受精卵たちの生まれてくる権利を阻害しているのではないかという指摘がある。
 この事に関していえば、それはダーウィニズムでいう適者生存というイデオロギーを、可能な限り隠蔽してしまおうという活動の一つだと見ていいのではないだろうか。近代に入って人間は社会ダーウィニズムを骨子とする資本主義社会を発展させてきた。人間の欲望をまあ概ね無制限に認める市場経済社会を駆動してきた社会ダーウィニズムの威力は絶大だった。しかし同時に優生学のような怪物を生み出しかねない危険をも孕んでいることをも、現代に生きる僕たちは知っている。後ろめたいのだ、適者生存なんて考えは。なんのためらいもなく社会そのものに適用できると考える人はよほどの少数者だろう。
 そこで胎児の選別が登場するわけだ。今意思的に行動している人に対して適者生存を適用するのにためらいがあるとしても、生まれる前の受精卵ならば後ろめたさは少ない。始末するにしてもわずかな量のたんぱく質が無駄になるだけだ(受精卵に魂が宿ると信じているのでなければ)。
 このように生命発生の早い段階で操作を加えようという考えは、旧来の価値観との衝突もそれほど大きくないだろう(なにせそのような段階があるという考えすらなかったのだから)。医療側から見ても都合のよい技術になりそうだ。だがこうした技術は生殖と出産という自然界で長い間に検証されてきた手法と違い、様々な検証がなされていない。いまや生物学的にも未知の領域に深入りしつつある現状で、いまさら検証もなにもないのかもしれないが。

今夜の観望はサイコー

2000年04月29日(土) 23時59分 星見

 食事と風呂を挟んで2時過ぎ、再びベランダに出た。空はくもりが少なく、風も弱い。シンチレーションも悪くない。この時刻には既にさそり座が南中している。早速M4に挑んだが、このMIZAR20*80でもまだ見えない。M4との戦いは、いずれ8インチ級シュミカセ購入の時まで待たざるを得ないだろう。
 視線をサソリのしっぽの方に向け、M7をなんの気なしに視界に入れた。これは......今まで見たこともないくらい明瞭に、細かい微光星に取り囲まれた星々の集団が飛び込んできた。思わず、うぉ、すげー、とかなんとか、近所迷惑にならないくらいの声をあげていた。それくらいその光景は美しく、2度と忘れられないだろうと思えた。昨夜100EDで見たときより、さらに暗い星まで見えていた。これでプレヤデス星団なんか見てたら死んでたね。
 比較のために後で100EDも出してみたが、こちらでも同じくらいよく見えた。シーイングが昨夜よりいいようだ。さらにM7も難なく発見する。M22もちゃんと識別できた(相変わらず淡い"星雲"にしか見えなかったが)。M8も淡い明かりを感じとれた。いて座のもっとも豊穣な方向、銀河系断面(つまり天の川)方面を散歩してみた。細かい星々と、それを取り囲むようにして雲のようにぶちまけられた微光星が、視界一杯にひろがっている。恐らく、いくつかはM天体も目にしているに違いない。シーイングのいい田舎で見てみたいものだ。
 MIZAR20*80+カメラ三脚の組み合わせは、どう考えても100EDより軽量だ。そこで肩に担いで近所の観測ポイントを探してみた。街灯が多くて閉口したが、一軒の家の前の空き地でちょうど明かりが途切れ、数少ない適地に思えた。早速三脚を展開し、いて座方面に向けてみた。うん、良く見える。さらに天頂付近にも向けてみたが、このカメラ三脚ではちとつらすぎる。80°が限界だろう。さらに部屋の前で北天にも向けてみた。こちらもまことに美しいものだ。
 やがて夜が明けてきたので、ようやく今夜の観望も終了した。

MIZAR80mm双眼鏡のインプレッション

2000年04月29日(土) 22時17分 星見

 帰宅して、早速組み立ててみる。むう、三脚への取り付け金具をどう付けるのかがわからない。蝶つがい部の前面に着けるのだとスターベースの人は言っていたのだが、それらしい穴が見つからない。前面にあるいかにも取ってくださいといわんばかりのプラスチック製の部品を無理に引きはがしたが、穴は見つからない。これはいったい、どうしたことなのじゃ!(常田富士夫風に読め)。
 考えあぐねたので三脚の方を引っ張り出し、そこに取り付け金具がどう着くかを検討してみた。これはあっさりわかった。雲台の留め具にぴったりの穴が開けられていたからだ。そこから考えると、やはり金具のスクリュー部を双眼鏡の蝶つがい前面にねじ込むとしか考えられない。
 再び蝶つがい前面を検分した。良く見るとさっき無理やり取ったプラスチック部品の一部が残って、穴らしきものを埋めている。ここだ、ここに間違いないんだ! ファシスト退治のためにそれ以上の自国民を殺戮し尽くしたスターリンのように、鉄の意思を持ってその穴をほじくりはじめた。5分後、プラスチックは全て取れ、やはりねじ穴が切ってあったことが判明した。意思の勝利なり。ん、待てよ。ということは単にプラスチック部品がねじ穴に沿ってねじ込まれていただけか。回し抜けばよかったんじゃのお(核滅)。
 まあ結果オーライということで、とにかく金具を着けてみた。当たり前だがぴったりとはまった。そこで三脚に着けると、をを、なんとも操作性よさそうって感じぃ。
 早速ベランダに持ち出す。この時刻は南天にはろくな星座がないのだが(うみへび座よ、すまん)、それでも星が非常に明るく見えてくるのが感じられた。ワイドビノ、10*42はもちろん、100EDよりもなんとなく明るい感じだ。80mm双眼鏡の開口面積は、100EDとの比でいえば0.8の自乗の2倍、ざっと1.28倍ということになる(あってるんだろうな)。確かに明るそうな数値にはなった。

秋葉の裏へ

2000年04月29日(土) 20時16分 暮らし 天気:快晴

 今朝方早くまで観望していたわりには快適な目覚めだ。もっとも、昼は過ぎていたけれど。今日は秋葉になんとなく行きたくなったので、14:30頃には部屋を出た。~
 秋葉に着いたのは16:00前。そのまままずはスターベース方面に向かった。途中のカメラ屋でなんとなく三脚を見ておいたのがポイントだった(なんのだ)。~
 スターベースでは漠然と「でかい双眼鏡が欲しい」などと思いつつ、展示してある品を眺めたり持ち上げたりしていた。店の前に高橋製作所謹製の60mm双眼鏡が展示してあった。蛍石を使ったアポクロマートというフローライト原理主義者が泣いて喜びそうな代物だ。確かにそそられる。しかし店内にはもっとたくさんの双眼鏡が展示してあった。宮内の60mm対空双眼鏡もある。だが一番気に入ったのはMIZAR(またかよ)の80mm双眼鏡だった。かなりの重さだが、操作感は意外に悪くない。なんといっても3万弱という価格が気に入った。少し考えて、とうとうコイツに決める。さらに帰り道のカメラ屋で適当なカメラ三脚を買い、その足で帰宅した。なんと今日は電気街方面に向かいもしなかった。大きな荷物があったからね。~

今夜の観望は大漁

2000年04月28日(金) 23時15分 星見

 帰って、望遠鏡で夜空を眺めた。昨夜に続いてオリオン座は冴えない。薄雲が出ているせいもある。さらに戸外に出て、2丁双眼鏡でかに座方面を眺めた。高度が高いが、ちょうどアパートの前の歩道に望遠鏡を出すといい眺めになりそうだ。
 丑三つ時になって、再び望遠鏡を出した。既にさそり座が西に傾きつつあり、いて座が南中している。さそり座のM4は相変わらず見えない。昨夜よりは夜空の透明度は高そうだが、それでも見えないものは見えない。夏至の頃の高度が高い頃じゃないと無理かもしれない。その替わりに昨夜楽しんだM8をしばし眺めた。
 ワイドビノとMIZAR10*42でさそり座の尾っぽを眺めているとき、細かい星が密集しているのに気づいた。そこに望遠鏡を向けた。SWK22で30倍弱で眺めると、視界一杯に密集した散開星団が飛び込んできた。位置的にM7だろう。M42と較べて明るい星が多く、とても美しい光景だ。写真に収めればさぞかしいい眺めだろう。
 その北西方向にある小さな集団にも気づいた。こちらはM6だ。双眼鏡でも容易に探し出せる。双眼鏡でも、望遠鏡でも楽しめる星団だ。
 さらにMIZARで南斗六星の北を眺めているとき、ようやく見分けがつくようなうっすらとした光の滲みを見つけた。これは位置的にM22だろう。しかしいくら高倍率にしても星に分解できず、まさに星雲状態だった。
 こうして一日にM天体を三つも見つけた希有な日になった。ますます天体観望が面白くなってきた。これも生きる意味だ!

ぐうたらな一日

2000年04月28日(金) 17時14分 暮らし 天気:晴れ

 明け方まで観望していたので、目覚めたのは昼過ぎだった。少し起き出して昼食を摂った後、再び午睡を楽しんだ。今日はどこにも行かなくても、なにもしなくてもいい。とは思ったものの、各種料金と夕食の調達のために夕方に起き出し、出かけた。

今夜の観望

2000年04月27日(木) 23時12分 星見

 帰宅する頃には春特有の薄雲のかかった夜空が広がっていた。望遠鏡を出してまだ西空にあったオリオン座に向けたが、薄雲と低高度のダブルパンチで冬の神々しいまでの美しさは既にない。
 深夜、ネットーサーフィンでいいページを発見した。アストロアーツのWebページにメシア天体の一覧があった。捜し方や簡単な概要などがあって、非常にためになるページだ。これによると何度挑戦しても敗れ去ってきたM4は6.4等相当。高度にもよるが、横浜の空は6等星までしか見えないのかもしれない。
 このページによると、そのさそり座の東に位置するいて座はM天体の宝庫、しかも見え難い系外星雲ではなく散光星雲、散開星団の密集地帯なのだそうだ。中でも干潟星雲ことM8は大変美しいとか。M4が相変わらず見えないことを確認して、ワイドビノとMIZAR10*42でいて座方面を眺めた。いて座は南斗六星の別名で有名な特徴的な星座なので、あっと言う間に見つかる。そして解説にあるまさにその位置に小さな星々と淡い光の滲みを発見した。
 100EDで眺めてみた。それは確かに散光星雲だった。光はオリオン大星雲よりも淡かったが、確かに美しい光を見た。
 久しぶりに感動した。ビクトル・エミール・フランクルというユダヤ人が、悪名高いドイツのユダヤ人強制収容所での体験から、生きる意味についていくらかの著書を著している。彼は毎日のように同胞が死んでいくのを目の当たりにした経験から、人が生きる意味についてこう書いている。「......あなたが愛して止まない音楽を聴いている瞬間に、生きる意味を考えてみるがいい。その瞬間、あなたは迷うことなく生きることを肯定できるはずだ」 言い換えれば、フランクルは生きる意味というものは通常は考えるなといっているのだ。そしてこの瞬間、僕は確かに人生を肯定するに足るだけのものを見ていた。
 M8を眺めている間に、あっと言う間に夜が明けてしまった。もう4時を過ぎると朝が来る。
 いて座周辺には美しい散開星団がいくつも存在しているという。それをじっくり眺めることが出来る夏が来るのが楽しみだ。

早出

2000年04月27日(木) 20時11分 暮らし 天気:晴れ

 GW直前の慌ただしい一日だった。今日中にどうしても上げなければならない仕事があり、その関係で1時間ほど早出する羽目にさえなった。午前中に片がついたので早く帰宅しようと思ったのだが、作った書類の不備で差し戻しされるかもしれないなあなどと考えていたら定時になってしまった。ぐはぁ(吐血)。
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