Strange Days
Jump to navigation
«Prev || 1 || Next»
2015年1月01日(木曜日)
旅 ,
デジタルカメラ ,
山歩き
20:50:00
天気:晴れ時々粉雪
年が明けてしまった。こんなに寒い新年になろうとはね。
今日は、厳島に初詣に出かけようと思う。朝早くに家を出て、広島経由で宮島口に向かう。宮島口から、宮島へのフェリーに乗り換える。初詣客は、やはり多いな。
船上から見る厳島神社は、今までに見たことがないくらいに白く、寒々しい。今日はカメラはTG-1。
厳島神社の参詣へと向かう。ちょっと脇道を行き、1本内陸の道をゆく。
豊國神社五重塔も、赤が雪に映えていい塩梅だ。
海岸線に出ても、いつもならやる気なさげに、しかし絶好の被写体として彷徨いている鹿どもが、全く見当たらない。聞くとも無しに、人力車の兄ちゃんの話を耳にいれてみると、何でも奴らの寝床は山にあって、こういう寒い日はそっちに居るのだとか。
大鳥居に雪がかかっているのは、初めて見たんじゃないかな。
厳島神社に入り、初詣。こ
こから見える豊國神社は、いつでも格好の被写体だ。今日は一味違っている。
いつもならば絶好の記念撮影ポイントである、
大鳥居からの船着場だが、今日は雪で滑るために誰も入れていない。おかげで、荒らされていない雪の風景を撮ることができた。
太鼓橋も、こんな有り様。普通ですら登れない橋だが、こうなると特殊工具無しに渡橋は無理だ。
厳島神社を抜け、
清盛神社に立ち寄る。ここはもうちょっと、雪があっても良かったな。
厳島神社宝物館裏手の高台に登り、
豊國神社方面を望む。屋根がことごとく白いので、印象は新鮮だ。
ここには
宝塔が立っているのだが、これも屋根の暗色が雪の白色に変わり、別物だ。
時間はまだ午前。今のうちならば、上へのロープウェイも混んでないのではないか。そう思ったので、早足で紅葉谷公園に向かう。思ったとおりだった、ロープウェイには待たずに乗れた。来年以降は、可能な限り早くここに来ることにしよう。
ロープウェイから見える山も、結構白い。対岸の宮島口方面は真っ白だ。
終点獅子岩まで登り、2階の展望台兼食堂でまずは腹ごしらえ。肉うどんを食べる。
ここからの眺めは絶景だ。
さて、山頂にゆくぞ。しかし、いきなり苦難の道行だった。雪が積もって、一部凍りついており、おかげでとてもスリッピーな路面になっていたのだ。
これもんだよ。上りより下りが怖い。
今日は、山登りに備えて別送してあった、トレイルラン用の靴を履いていた。その御蔭で、なんとかコケ死ぬことなく、登って行けた。
途中、霊火堂で
消えずの火で沸かした白湯をいただく。誠に神妙至極である、などと適当な事を書いているぞ。
山頂まで登り切った。山頂手前の石段が、先下がりでしかも凍りついており、実に恐怖を誘う仕様だった。が、無事に展望台に登る。
展望台から見る山頂は、これ雪山じゃね? という有り様だ。時折強い風が雪を巻き上げ、プチ地吹雪となるのがたまらん。
呉方面を見ても、島々が結構白い。明後日のしまなみ行までに解けるかのう。
ロープウェイを下り、紅葉谷駅に着くと、そろそろ待ち行列が長くなっている頃だった。早く往復してよかった。
再び大聖院方面に向かう。マイナーな脇道を行き、ふと更に逸れてみると、こんな素敵な
苔道が見つかった。こういう場所があちこちに隠れているのが、厳島の侮れないところだ。
時間があるので、宮島水族館に入った。ここで楽しいのはカキ筏のプールだが、実に素敵なのがこの
太刀魚の水槽。薄暗いプールに、たくさんの太刀魚たちが、怪しく煌めいている。
温かい海の魚を集めた水槽は、もっと賑やかだ。
昼食が軽かったので、清盛神社対岸の店に入り、牡蠣には目もくれずにかつ丼と
ビールを頼む。牡蠣には、過去何度か当たったことがあるのでな。
来た道を戻り、帰宅。
2010年3月07日(日曜日)
山歩き ,
デジタルカメラ
23:55:00
天気:雪
帰路は降雪の中の、まさに雪中行軍となった。
[続きを読む]
2010年3月06日(土曜日)
山歩き ,
デジタルカメラ ,
自転車 (
自転車旅行検討 )
22:05:00
天気:雪降る山奥
ただの温泉旅にしては厳しすぎる旅の果てに待っていたのは、思いもかけぬ桃源郷でした。
[続きを読む]
2008年5月24日(土曜日)
モノ ,
自転車 (
自転車散歩 ) ,
デジタルカメラ ,
山歩き ,
食
21:44:00
天気:くもりのち雨
今日は昼から雨の予報だ。珍しく朝早くに起きたので、雨の前に町田方面に買い物に出かけようと思った。降ったら降った時と思い、雨具は持って出た。直前までは南会津に向けてSatRDayを連行しようと思っていたのだが、雨を覚悟して走るにはリカンベントはつらい。TCR-2で向かった。
町田まで走り、ヨドバシに入った。18-55VRのキャップを絶賛紛失中なので、代わりのキャップを買った。担いで走るときには外しているのだが、無いと保管時に困る。ニコンのキャップじゃなくなるが、まあ仕方ないだろう。
次に南町田のモンベルショップに入る。先週はなんとなく買い逃してしまったが、JETBOIL用の専用ボンベとモンベルのチタン製スタックワッパー、それからなんだか目に付いたEspresso Pastaを買ってみた。山の上まで走っての軽食として、このところフリーズドライ食品を研究中だ。このEspressoシリーズはかなり評判がいいみたい。ワッパーは、ずっと使ってきたシエラカップの後継に買った。シエラカップは柄を畳めないので収容に微妙に困るのだ。このワッパーは完全に畳め、しかも同じサイズのものはスタックできる優れもの。
さて、このままでは面白くないので、雨が降るまではと思い、境川を南下していった。ずっと曇り空が続いているが、
花は色鮮やかだ。
高鎌橋下流側の工事が終わったと思ったら、いつのまにやら
堰がが出来ていた。なんか水しぶきが飛んでくると思ったら。見たところ、軟質素材を使っているように見えた。
南端の休憩所に至り、さて折り返そうかと思った時、雨粒がポツポツと顔に当たった。今までも何度もポツポツ来てはいたが、これは本格的なものになると思われた。急いで帰宅する。幸い、本降りになる前に戻れた。
帰宅して、しばらくして外を見たら、もう本降りになっていた。今日は助かったな。
さて、夕食として、Esporeso Pastaを作ってみた。買ったのはアラビアータ。ちょい辛い奴。熱源はPrimusのP-111。これ、大きめの鍋だと気を使う。ので、スパイダー型のP-123も買おうと思っている。
水を300ml、モンベルのチタン鍋で沸かし、パスタを全量投下する。ショートパスタで、いかにも食べやすそう。調味料も一緒くたになっている。それらを煮込み、水気が無くなった所で完成。チタン鍋なので熱が分散しにくく、うっかり一部を焦がせてしまった。
食べてみると、アラビアータだけにピリリと辛味が効いて、ぺろりと平らげてしまえる。夕食には物足りないが、山やサイクリング中の軽食にはいいな。
今度はご飯系のものを試してみよう。
2005年6月06日(月曜日)
山歩き
22:30:00
天気:良好
世間では新兵器の装備が進んでいるようだが、我輩も新兵器の入手に余念がない。軍拡は現代人の嗜みといえよう。
とはいえ、僕の新兵器など可愛い物。今日はさかいやから届いた品が四つほど。
一つはイスカの超軽量寝袋。今使っているさかいやオリジナルの安物は、1.2kgくらいもあって、おまけにかさばるので、これを持っていくとなるとキャリアの占有は必須となる。山に行くときだけでなくて、知人の家に泊まりに行くときなど、布団を汚さないで気兼ね無く泊まって行ける。
後は細かい物が二つと、大物が一つ。
大物というのがこれ、
JETBOILという携行システムコンロだ。これを
使用状態にするとこうなる。容量1l程度のコッヘルの中に、ガスバーナーとカートリッジが納まる。このバーナーをコッヘルの下にはめ込み、カートリッジを接続すると出来上がり。カートリッジは、事前にプリムスのものと互換性があるという情報があったので、手持ちの小サイズの物を流用した。
早速、水を沸かしてみる。250mlの水を100sで沸かせるという触れ込みだ。250mlの水を入れ、ガスに点火する。さて、インスタントコーヒーでも作るかい。カップにコーヒーを入れていると……もう沸いとるがな。は、早い。本当に100s程度、いや実際にはそれよりも10sは早かったろうか。本当に、あっと言う間に沸いてしまった。こりゃええわ。
この秘密は、コッヘルの下に並んだフィンにある。フィンがバーナーの炎を受け止めて、熱をコッヘル内部の水に効率的に伝えるというわけだ。実際、バーナーの傍、空気窓の所に手をかざしても、ほとんど熱くはないのだ。またコッヘルはネオプレーンの被覆がされているので、熱湯を納めていても扱いに困らない。
なんというか、この先のツーリングでは、これ以外の物を持ち歩くとは考えられない。これだけでほとんど片がついてしまう。そりゃあ小ささならトランギア+シエラカップが有利ではあるが、収納状態の収まりよさを考えると、この大きさにも意味がある。炒め物や焼き物はできないが、ソロツーリングでそれをやることは無いからなあ。どうしてもというのなら、トランギアを持ち歩けばいいだけだ。
これはいいものだ。この先、意味もなく持ち歩き、必要も無いのに湯を沸かしまくってしまいそうだ。
2004年10月22日(金曜日)
山歩き
10:51:20
天気:ヒジョーに好天
前からひるひる氏と相談していた山歩きのプランだが、ようやく決めた。仕事が遅くてすいません。
題して、南大菩薩に行こう!
大菩薩峠の南方にある黒岳~湯ノ沢峠を歩こう(できれば南アルプス、富士山方面の展望も楽しもう)という計画だ。
開催日:10/31
集合場所、時間:JR大月駅に8:00前後。新宿発スーパーあずさ1号で行く予定です。
以降の道程はひるひる氏のプランをいただきます。
大月から大峠までタクシー
大峠~黒岳~湯の沢峠~焼山沢経由~(天目山やまと温泉)~甲斐大和駅
または
大峠~黒岳~湯の沢峠~湯の沢経由~桑西 バスで大月へ
●黒岳南の草原と富士山・南アルプスの展望、落葉松も要所に。穴場です。★★★
穴場、という言葉に弱い僕は、ころりとやられました。
今のところ、ひるひる氏とみはる女史、そして僕が参加する予定。ですが、タクシーで大峠に行く際、料金を頭割りにすることになるので、できれば後1名、あるいはさらに4名(もう1台分)の参加者があった方がいい。
というわけで、後1名、あるいはさらに4名の参加者を募ります。まあ全部で5人は無理でも、3人以上いればタクシーに3人ずつ分乗できるけど。南アルプス辺りを気楽に歩くのは、これが絶好の機会なんじゃないかしらん?
ぜひぜひ、ご応募くださいな。
2004年9月30日(木曜日)
山歩き
22:25:00
天気:好天続く
さて、週末に迫った南アルプス登山に備え、打ち合わせと借り物の受け取りのため、ひるひる氏とお会いする必要があった。夜に恵比寿でということで出向き、首尾よくお会いできた。
お借りしたのは大容量のザック(50L)と、シェラフカバー。着替え、寝袋、食料を担ぐとなると、このサイズが要るのかと思った。
スタバにしけ込んで、取り出だしたるThinkPadで過去の登山写真を拝見させていただいた。うむ、E950はやはり名機だな。修理しよう。
10月初旬の登山を急いだのは、冬山は素人には無理だという思い込みがあったからだ。でもひどいアイスバーンとかにならなければ、その辺の女の子でも平気で登っている感じだ。防寒さえしっかりして、天候を読めば、という感触を得た。
恵比寿駅でお別れして、ザックを背負って帰る。意外に軽い。しかし長いので、頭のちょんまげ部が接触してしまう。いやこれは僕の方の問題か。
帰宅して、明日は朝トレするつもりなので、さっさと寝てしまった。
2004年9月28日(火曜日)
山歩き
13:19:00
天気:回復基調
別にインド亜大陸がロシアに近づいているように、南アルプスと横浜が近づいてるって話じゃない。
今週末、いよいよひるひる氏に御世話になって、はじめての南アルプス山歩きを決行することになっている。目指すは仙丈ヶ岳だ。
事前に送っていただいた持っていく物リストを眺めているのだが、むむむ、これは意外に手ごわい。今回泊まる小屋が本当の素泊まり小屋なので、寝袋だのマットだのを担いでゆく必要がある。後は飯を炊くための火気や食器、着替えなどなど。それらをまとめると、手持ちで最大の容量を持つKarrimor KIMM35Lでも、とても収め切れそうに無い。50Lくらい要るということだ。でもこのクラスのザックは高いのだ。20K\が最低のラインという辺りか。
今回は、上手く行けばひるひる氏からお借りできそうだということだが、今後も続けるならもっと大きなザックの購入も視界に収めないと。
意外に、それなりの覚悟を必要とするイベントになりそうだ。
2004年9月13日(月曜日)
山歩き
10:53:20
天気:なんか不安定じゃのお
山歩きのことについて、ひるひる氏にいろいろ相談している。その中で、まずは仙丈岳はどうだいという話が出ている。なにせこちらにまったく知識が無いもので、
仙丈岳ってどこにあるのよってレベルだ。地図を見たり、登山体験記を読んだりして、ようやく多少のイメージが湧いてきた。うん、良さそうじゃないの。
ひるひる氏に引率していただく関係で、あまり人数を増やして負荷をお掛けしたくは無いのだけど、それでも2~3人くらいなら増えてもいいんじゃないのと思っている。というわけで、同行者募集中。
10/2~3に仙丈岳に登ります。標高差1000mを前後二日で半分ずつという程度の負荷ですが、泊まる小屋に寝具も食事も無い(シーズンオフなので開放中)ので、最低でも寝袋と食料(そして火器も?)を担いでゆかなければなりません。
初日は甲府からバスを乗り継いで広河原->北沢峠に移動、そこから宿泊地の藪沢小屋に向かいます。ここで一泊。
翌朝、早いうちに小屋を出て、まだ朝のうちに登頂します。それからまた逆のルートで帰る、という流れになります。
寝袋と食料を担ぐというのはハードルが高いですが、きっとそれ以外ではさほど難易度が高くは無いんではないかな。
2~3人の同行者を募集中です。出来れば、山の経験者が一人くらいいると嬉しいです。
2004年9月02日(木曜日)
山歩き
19:14:00
天気:くもりっぽい
9月の遊ぶ予定は、9/19に東京シティサイクリング(あっ、参加費を振り込まないと)、25,26の南会津サイクルトレイン(今日、振込み案内が来た)くらいだ。
10月は? まだ全然未定だが、南アルプスの初心者コースを歩いてみたい。自転車のお仲間にも実は山歩き経験者は多そうなので、相談する相手には事欠かないで済みそうだ。
山歩きの本を読むと、南アルプスの初心者向けコースとして薬師岳周辺を挙げていることが多い。またここは自転車仲間から推薦されたコースだ。というわけで、ここが一番の候補なのだが、人気のコースなので混雑が心配される。山小屋で混雑となると、富士山の山小屋での苦い経験が思い起こされる。まあ、あれほどの混雑は無いだろうが。
この辺りを庭にしているという自転車仲間もいらっしゃるので、いろいろ相談させていただいて、決めようと思っている。やるなら10月最初の週末か、その次の連休だなあ。でもこの頃には初雪か。山の季節は早いなあと思う。
2004年8月24日(火曜日)
山歩き
19:41:00
天気:案外に崩れず
40点。登頂できなかったので、気分的には0点だが、いろんな装備を試せたし、現地の状況も分かったので、この点数。
次はさっさと寝るんじゃなくて、外で星でも見ながら過ごして、適当な時間に寝たいね。次に行くなら単独行だろう。
装備品編。
Karrimor KIMM 35lモデル。山岳用超軽量ザック。80点。軽さには100点満点をあげたいところだが、背当てがすぐに汗で濡れるのと、本当のザックなので自立的に形状を保つことが出来ないので、減点20点だ。もっとも、ドライ素材を使っているので乾くのは早いし、バンジーコードを締め上げればある程度形状をまとめることも出来るので、この程度の減点で済んだ。
Leki Air Ergo Anti PA(Ultralightモデル)。山岳用ストック。65点。これはこのストックとしての評価というより、ストックというものに対する評価を含んでいる。上りではストックは余計なものに感じることが多かった。荷物がさほど無かったし、両手がふさがっていることで不便を感じることが多かったし。しかし下りとなると、ほぼ必須という評価だ。砂走りではともかく、ごつごつした山道や、落差の大きい森の中の道を行くときには、大きな助けになった。もっとも、体調が良ければ、もう少し評価が変わったかも。ということでこの点数。
PrincetonTech Matrix2。1WのLEDを使用した軽量ヘッドライト。80点。夜道では頼りになる明るさ。PetzlのZipkaを使っている人が多いし、実用的には十分なんだろうが、真っ暗な夜道では、Matrix2の明るさが頼もしく感じるはず。ただ光線が収束しすぎる(一応、集光調整は可能なのだが、あまり調整幅が無い)のと、どうも6時間程度しかもたない点で、20点減点。夜通し歩くのなら、ユーコンHLモデルの方が向いている。僕は自転車でも使うつもりなので、軽いコイツにした。
富士登山でそれほど汗をかかなかったので気づいたのだが、真夏に低山を徘徊するもんじゃないね。真夏の奥多摩での悲惨な体験が忘れられないのだが、発汗を抑えられる秋の山歩きならばいいのではないかと思える。秋も自転車な企画が山盛りだが、その間を縫って南アルプスくらいまで遠征して、初心者コースを歩いてみたいもんだ。
2004年8月22日(日曜日)
山歩き
15:52:00
天気:下界ではよし
眠れないのだ。空気はねっとりと重く、客の出入りが多くて始終ざわついている。我々に割り当てられた寝床は、一番奥から5人分だった。僕は一番外側を選んだ。しかし布団が二人に一枚ということは、赤の他人と布団を分け合う形になる。その隣人は、ほどなくやってきたのだが、寝床が気に入らないのか、しょっちゅう姿勢を変えて、その度に僕とコンフリクトしてしまう。それが気になる。それ以上に、布団を被ると異常に暑く、また被らないと寒いという状況に、どうにも気持ち悪くなってきた。布団に入ったままうとうとしていたら、物凄く気持ち悪くなって目が一気に覚めた。全身から汗が噴出していて、それこそ体中が濡れた様になっている。我慢して横になっていると、不快感が募ってきて、ほとんど発狂寸前の有様だ。これはダメだ。アウシュビッツという言葉が頭の中を飛び交っている。外の空気を吸いに、トイレを使いに行く。既に0:00頃だったが、登山者が群れているのには驚いた。その時は、意外に寒くは無いなと思った。
布団に戻っても、また寝苦しさに苦しめられ続ける。それでも寝てしまえばいいのだろうが(代謝レベルが下がるので)、頭の芯にずっと頭痛が残っていて、それが安眠を妨げてしまう。深呼吸を繰り返し、様子を見ていたのだが、発熱があり、夏風邪だろうと思えた。注意深く思い返してみると、昨夜からこの状態は続いており、夏風邪にかかっているように思えた。こんな状態で、高山病に耐えられるはずもない。高山病にも、既にやられていたのかもしれない。
ともあれ、もう限界だ。朝まで寝床に横になっているつもりで過ごそう。そして富士登山はきっぱり諦めて、下山しよう。こんな状況で登っても、行きでも帰りでもパーティの足を引っ張るばかりだし、最悪降りるに降りれなくなるかもしれない。それが怖い。
結局、そんな状況で朝を迎えた。4:00を過ぎる頃、隣に寝ていたマモル氏が起き出してきて、いやあ眠れなかったね、などと話す。
そろそろご来光を、という運びになり、各々が身支度をして、大陽館の前に出た。寒い。長袖Tシャツ、モンベルの長袖ウィンドブレーカー、さらに雨具の上を重ね着したのだが、それでも寒さが染みて来る。寒さにガタガタ震えながら、だんだん明けてゆく空を見上げ、日の出を待った。やがて
美しい日の出を迎えたのだが、正直なところ、さっさと昇りやがれという気分だった。
日の出を待つ間、あまりの寒さゆえか頭痛を感じなかった。また意外に朝食が入ったので、あるいは登山可能かとも思えたが、まだ熱があるし、こんな状態で登山してもアップアップで、とても楽しむ余裕は無いと思えた。ごめん、下山しますと告げる。残念だが、また機会を作ればいい。
あゆこ女史が宿に尋ねてくれたところ、次の客が来るまでは寝ていていいということだったので、それまであり難く眠らせていただくことにする。宿を出てゆく4人に手を振ると、また布団に横になった。今度こそは眠れそうだ。
そうして1.5hくらい寝て、8:00過ぎに目覚めた。ええっと、さらに熱が出てますよ?(爆) やっぱり無理しなくて良かった。これ以上無理すると、歩くことさえおぼつかなくなる。さっさと下山してしまおう。
大陽館に別れを告げ、下山道へと出た。ここからしばらく、5合目の砂払いまでは、砂走りという直滑降ルートになる。この下りがはかどる。いちおう、両手にストックを持って、バランスを取りながら降りたのだが、使わないでバランスを取りながら降りた方が、ずっと速い様だ。しかし僕の体力が、とっさのバランスを取れるほどには残ってなかったので、ストックを使いつつ、着実に降りていった。しかし、一歩当たりに消費される位置エネルギーは大きく、当然膝への負荷は高い。膝が壊れそうなので、ストックは当てになった。下る途中、下の方からガスが登ってくるようになり、
頂上の方の状況が気になった。
意外に早く、砂払いに到着した。茶屋があるのだが、少し休んだだけでさらに歩き出した。ここからは、緑の中を掘割のような道を進んでゆく。大きな段差を降りることもあり、ストックは大活躍だ。
やがて、5合目の古御岳神社に出た。後は舗装路を歩き、5合目駐車場に出るだけだった。
食事をする気分ではなかったので、少し待ってバスに乗り込んだ。神奈川支部の掲示板に書いている間に、あゆこ女史から着信があった。頭がボーっとしていたので、なんの気なしにこぐ氏に掛けたところ、無事登頂できたとの事だった。やったね。しかし我輩の負け感は倍増した観がある。
バスは発車したが、道は昨日以上の渋滞振りで、路駐の続く駐車場近辺を抜けるのに、かなりの時間を要した。
御殿場駅に着き、食欲は無いが、かといってなにも食べないと倒れそうなので、クロワッサンとコーヒー牛乳を補給しておいた。頭痛は軽減されていたが、相変わらず熱がある。
御殿場線の電車が来るまで40分くらい待ち、やがて来た列車の中で少し寝ると、多少体調が回復してきた。さらに乗り継いだ東海道線でも眠れたのだが、おかげでかなり体は軽くなった。しかし夏風邪らしい発熱と軽い頭痛は続く。その上、喉がいがらっぽくなってきた。
こうして、なんとかかんとか帰宅出来た。なんか負け犬っぽくて悔しいな。しかしあんまり山歩きが楽しくなかったのが気になった。こういうことはある程度楽に出来ないと、楽しめない性質なのだ。自転車でも、本当に楽しめるようになったのは、遠出するのが苦にならなくなってからだった。
このままでは負け負け感に当面苦しめられそうなので、9月くらいにまた、今度は7合目のご来光をじっくり写す為に、登ることを考えている。頂上へのアタックは、また来年のシーズンに。
2004年8月21日(土曜日)
山歩き
19:47:00
天気:晴れているのは間違いない
朝、7:30に起床。いよいよ富士登山の日だ。朝食を取りながら、荷物の確認をする。懸案のストックは、ミキ氏に助言をいただき、分解することで収まりよくなった。水はハイドレーションパックに収めた。
さて、御殿場に10:30ということなので、JRを乗り継いで向かうことにする。乗り換え案内たんはなぜか小田急乗り継ぎ&(新)松田乗換えコースを勧めるのだが、到着時間が激早(9:40頃)という点を除いて、遅いし高いのだが。謎だな。
途中、平塚で快速アクティに乗り換え、国府津に、国府津でにち氏、マモル氏と遭遇し、御殿場線で御殿場入りした。
現地でこぐ氏、あゆこ女史の夫妻と合流。教えたいただき、御殿場から須走口までのバス往復切符を購入(\2500円)。
しばらく待って、やってきたバスでいよいよ須走口へと向かった。しばらくは
目の前に富士の姿が見える、おいしいロケーションだ。やがて市街地を抜け、富士あざみラインのすげえ傾斜の道に入る。トルクだけはバリバリにある観光バスなので、危なげなく這い登ってゆくのだが、速度は終始20Km/h前後だった。驚いたことに、こんな道にも挑んでゆくローディーたちが散見されたことだ。そういえば、近々富士ヒルクライムが開催されるから、その練習だろうかと思った。帰宅してから調べてみたら、この富士あざみラインでもヒルクライムレースが開かれるんだとか。このルートは、スバルラインのように比較的緩やかな上りではなくて、細かく傾斜が変わりつつ、平均で12%、最大で20%超もの道が続く、坂馬鹿大喜びの超級の登りだ。日本のエル・アングリルの名は、ここにこそ相応しい。いや、自力で登りたくは無いけれど。
バスは、路上駐車している車の横を通り過ぎて(上り線のみ、路駐規制されているそうな)、ゆっくりと須走口5合目駐車場に到着した。ここには食事も出来る土産物屋があり、腹ごしらえに山菜うどん700円なりを食った。肝心の山菜がわずかしか入ってないやんけ。
ここで、5合目の看板を前に
記念撮影した。僕は頭がボーっとし始めていて、あれ、もう高山病か、といぶかしく感じていた。後から思うに、これは夏風邪の予兆だったんだろう。
さて、身支度して、さっさと上り始めた。すぐに
古御岳神社に到着し、手を合わせる。しかし賽銭箱が見当たらなかったので、賽銭は出さなかった。そんな舐めた俺様を、祭神の大山祗神は見逃さなかった。
ここからしばらくは、緑の中を九十九折れの道が続いている。緑の中を歩いてゆく。
富士山の森林限界は2400m程度らしいが、そんなにすっきり森が消えてしまうわけでなく、樹木が潅木になり、また樹木になり、潅木が草になり、また潅木になりを繰り返し、やがて気が付くと木々は消えうせていた、という感じだった。一方、背後を振り返ると、いつの間にか御殿場の市街地が小さく見え始めている。小さな芋虫が群れているような地形は、ゴルフ場だろう。広大な草地は自衛隊の演習地だろうか。高度を上げるに連れ、御殿場の向こうに見える山の上に、小さな池のようなものも見え始めた。あれが芦ノ湖か? 去年の夏、死ぬ思いをしてあそこまで登ったことを思い出した。一方、左手に見える湖は、山中湖だろう。大きさは芦ノ湖と大差無いのだが、位置的に大きく上から見下ろす形になり、大きさが強調されているようだ。
そんな感じで、周囲の光景に目をやりながら上って行く。しかし、自分の体調に警報が発せられつつあった。やはり体がどうにも重いのだ。他のメンバーに全然追いついていけない。例によってこぐ氏が暗黙のうちに殿を引き受けてくれているのが心強い。だが気勢は上がらない。
やがて
6合目に到着した。たくさんの登山客が休憩を取っている。体の芯に重さを感じつつも、これなら上りきれそうだと見込みも立ち始めていた。ただ、自分でも意外なくらい水を消費してないのが気になった。こういうときは、よっぽど快調で汗をかいてないか、逆に体力を失いすぎて水を飲むことにすら気が回らないか、どちらかの場合が多い。後者の可能性が圧倒的に高いので、その後は気をつけて水を消費しつつ登って行く事にした。
やがて森林限界を完全に越えると、道は高山らしい曲がりくねったものへと変わってくる。周囲の見通しもよくなって、目を上げると、ずっと上を進んでゆく人々の姿も見える。今回、須走口というマイナーな登山道を選んだこともあり、そんなにしょっちゅう他の人とすれ違うということも無かった。
時間を気にしつつ、しかし僕の体力も気にしなければならずで、苛々しはじめた頃、また休憩ポイントらしき場所に出た。今日の宿泊地、大陽館はまだ上だろうと思い、旅姿を解かずに休憩していたら、実はここがそうだったことが判明した。拍子抜けした思いだったが、同時にホッとしつつ、今夜の宿に入った。
荷物を今日の寝床に置く。その寝床というのが、布団は一人用を二人で半分づつ、ベッドの幅は辛うじて大人一人分、という有様で、確かに評判通りの物だと感じた。ただ、荷物を置く棚が、頭の方に別途設けられていたのは助かった。今日は客の入りもピークで、廊下にすら布団が敷かれていた。他の、もっと人気のある登山道では、布団一つに大人三人が詰め込まれる場合すらあるようだ。
ともあれ、まずは食事だ。時間的に18:00を過ぎたばかりだったが、ここまでの上りをこなしてきた来た反動で、食欲は旺盛だった。
メニューはハンバーグ、キャベツ(微量)、多少の付け合せ、そしてご飯と豚汁だった。ご飯も豚汁もお代わり自由で、僕は豚汁を3杯もお代わりしてしまった。レトルトに毛が生えたようなカレーライス一杯きり、という富士の山小屋の常識からすれば、遥かに内容的に充実している。
疲労していたのと、明日は払暁とともに出発する見込みもあったので、早々と床に入った。しかし、これは悪夢への入り口だったのだ。
2004年7月25日(日曜日)
山歩き
21:09:00
天気:山の天気は良く分からない
さて、今日はみはる女史に誘われていた、奥多摩方面山歩きの決行日である。前日、本件に関して飛び交っていたメールを見ながら、まあだいたいこんなものが要るんじゃないかいというものを、ドイターのバックパックに入れておいた。持っていくものを考えると、20l程度のバックパックや、それこそヒップバッグでも十分そうだったが、D70を持っていきたかったので、30l弱のこれをセレクトした。しかしこのバックパック、自転車用で、空気流路確保の仕掛けがあるためか、かなりごつくて重いのだ。まあ何とかなるよといい加減に考えつつ、それを背負って家を出た。
今日の身支度は、上はユニクロのクールマックス長袖Tシャツ&フルジップTシャツ、下はCWX夏用に短パン。コンビニで食料、水を仕入れてから、地下鉄で戸塚に向かった。そして湘南ライナーで新宿に向かった。ここでホリデー急行奥多摩に乗り換える。車内で出発を待っていると、出発ぎりぎりに間に合ったマモル氏に声を掛けられた。
列車は中央線を走り、青梅線に入り、奥多摩へと向かう。途中でみはる女史と合流し、こぐ氏とは現地の御嶽駅で合流した。あれ、にち氏は、というと、体調不良で欠席だった。
駅舎で身支度を済ませ、本日のコースへと歩き出した。惣岳山、岩茸石山と回り、軍畑駅に戻るコースだ。いきなり、かなりの急傾斜を登ることになる。背負った荷物がずっしりと肩にのしかかってくる。この点、みはる女史には重過ぎると責められたのだが、余計な荷物を持ってきた記憶は無い。着替えは結果的には余計だったが、重量的には大したものではない。水とカメラ、そしてバックパックが効いている。カメラか、やはりカメラか。D70なんて持ってくるんじゃなかった。でも富士登山では絶対にこれを持って行くつもりなので、予行演習としてはこの重量の方が正しいのだ。富士登山では、かなりの重量を背負ってゆくことになるだろう。しかし、バックパックに関しては、もっと軽いのが欲しいと思った。今日の山歩きは、富士登山の予行演習か、単なる山歩きか、僕の中でいささか曖昧な位置づけだった。
最初の惣岳山までが、かなりの登りだった。最初のうちは元気良く進むみはる女史らのペースに着いていたのだが、これではすぐに脚が売り切れると思ったので、途中から完全にマイペースで歩かせてもらうことに(自分で勝手に)した。歩きのピッチを詰めて、一歩当たりの垂直移動を最少に抑えた。あはは、いきなりこんな状況かよ。
なんとか歩き続け、ついに惣岳山に到達した。万歳したい気分だ。脚はまだまだ大丈夫。だがまだ二山越えるんだとか。
最初の山頂まで、人と行き会うことも、追い越されることも、ほとんど無かったのだが、山頂には何組かの先客がいた。ベンチに腰掛け、持ってきた食料をもそもそと詰め込んだ。水の消費量はかなり多い。700ml弱のボトル+900mlのボトルで1.5l以上持っていたのだが、ここまででボトルをかなり使い切っていた。自転車の場合、道路沿いに遠出する場合などは、思い立って10分も走ればだいたい自動販売機にありつく。30分ごとにコンビニにありつくという計算も、法外なものではない。しかし、この山中では、そういった補給ポイントをまったく見込めない。気になるのが、先ほどから聞こえ始めていた雷鳴だ。遠くの方で鳴っているようだが、いつ我々の頭上に来ないとも限らない。
ある程度の休憩の後、惣岳山を下り始めた。この下りが、いきなり凄い急傾斜で、万が一落ちたら大怪我必至という観があった。こんな低山と舐めないで、軽いヘルメットくらいなら被るべきかもしれないと思った。
二つ目の山までは、それほど苦労することなく到達できた。ここは団体客で充満している塩梅だった。ストレッチして筋肉を解きほぐす。ふくらはぎに強い張りを感じていた。自転車だと、ここを酷使することは無い。ペダリングスキルが全く無い頃、無駄にアンクリングして引きつらせた時くらいだろうか。
いささかゆっくり過ぎるくらいのペースで、三つ目の山頂へと向かった。走破するのに不安は無いが、どれくらい疲労が残ることやら。普段の運動とは違う筋肉を酷使しているのだな。
三つ目の山頂も難なく登頂。とはいえ、さあ後一回り行こうぜ、などと言われたら泣いちゃいそう。とりあえず、これでお終いかとホッとしつつ、山頂で体を休めた。この先は下りなので、あっという間に軍畑駅に到着するだろうと考えていた。が、そんな山を舐め切った俺様を、山の神様は見逃したりはしなかった。
下ってゆく。かなりの急傾斜を下ると、すぐに寺があった。ここでトイレを使い、山門を抜けた。『ビール、ジュースあります』の張り紙にそそられたが、それは我慢だ。後少しで下界だ、と思っていた。事実、この寺の裏側までは、どうやらバスが通っているらしい。
更に下ってゆく。寺に近いあたりは、比較的平坦な道だった。いかにも『すぐ人家があるよ~』と気安げに話しかけられているようだ。が、進むに連れて、道は再び荒れてゆく。ガレ場が増え、傾斜も増えてきた。雷鳴はほとんど頭上に来たようで、ほどなくパラパラと降り始めた。幸いにして、雨はすぐにやんでくれたのだが。
登りでそれなりに消耗した体だったが、下りで余計に消耗し始めていた。段差が大きく、一つ下るごとに、脚全体に衝撃が走る。『膝を軽く曲げて、衝撃を吸収する』というみはる女史の教えを忠実に守っていたのだが、それでも次第にダメージは蓄積されていった。
ああ、この山道はどこまで続くのだ、などとうんざりし始めた頃、やっと終端を意味するらしい砂防ダムが見え、やがて舗装路に出た。そう舗装路に。だが特殊加工をしたような、物凄い傾斜の舗装路だ。ますますダメージは増大する。というか、もしかしたらトドメ?
この舗装路の下りが、想像以上に長かった。荷物が重いと、こういう状況でも不利なんだな。その上、自販機の類がまったく見当たらないのだ。水の残りが少ないので、少々心もとない。
結局、水にありついたのは、軍畑駅の近くまで降りて、自販機を見つけてからのことだった。
帰路は軍畑駅から青梅で中央線快速に乗り換えて東京へ、そこから東海道線で戸塚というルートを通った。かなり眠れたので、結果的には良かったのだろう。
帰宅して、風呂に入り、ビールを開ける。うむ、うまい。が、帰るまでに水を多量に摂取した後だったので、感動するほどではなかった。むしろ、体に残る辛さが目立った。
今回の山歩きでの反省点は数多い。荷物はやはり軽くするべきだとは思った。が、富士登山の予行演習としてみると、やはりこれでよかったのだとも思った。富士では今回ほどの急傾斜は少ないが、それなりの荷物を背負ってゆく必要がありそうだ。補給ポイントはいくつかあるので、水に関しては減らしていいかもしれない。しかし、荷物を背負って、疲労なく歩くスキルは必要かもな。それと、やはりシューズは買おうと思った。今のシューズは、街中で使うのには問題無いのだが、山歩きには微妙にサイズが合ってないと思った。軽登山用のを買っておいてもいいかなと思った。というのは、今後もこういう山歩きを続けてもいいかなと思ったからだ。そういう意味では、やはり山歩き専用の軽いザックも欲しくなった。
とりあえず、8月は富士登山に集中して、それから秋には何度か山歩きしようと思った。月一くらいでな。
«Prev || 1 || Next»