Strange Days

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2015年10月28日(水曜日)

嗚呼、青春の訃報に接し、藤沢周りで帰宅する牛すき鍋ナイト

SF , 思考 , 自転車 22:10:00 天気:晴れ
 昨日は、簡潔な飲み会。なので、自転車は置いて帰った。紹興酒をしこたま*1飲んだので、帰宅するなり沈没していた。
 なので、生頼範義画伯の訃報には、翌朝の今日になって接す。
 喪失感。自分でもびっくりするような喪失感。小松左京が物故した時に並ぶくらいだ。
 僕がSFに接し始めたのは、70年台も後半、日本ではSFが一度『死んだ』などと言われ始めた時代だ。それは、福島正実が牽引した日本SF第一世代に続く世代が立ち現われ、実際には黄金期を迎えつつあった時代だった。だが、その変質に耐えられない古手のSFファンたちが反射的に口にしたのが、過去への郷愁とセットのこれだったのだと思う。SFの洗礼を受けつつあった僕にはまるで関係ないことで、まさにその時代の、まさに黄金期を迎えた日本SFのエッセンスを濃厚に満たす、早川角川徳間創元といったSFシリーズが棚を埋めていた当時の本屋に通い、手に取っては乏しい小遣いで買うべき魅力を感じた本を買って帰り、本当に貪り読んだものだ。
 その中でも、事情があって角川へと版元が変わっていた小松の、未だに仰ぎ見るばかりの傑作長編群、そのビジュアルを担当したのが、生頼画伯だったのだ。一目でわかる宇宙の”色”。緑色に明るい宇宙は、天文写真とは全く違うものだった。その色こそが、僕にとってはSFのシンボルカラーになった。SFと言われて思い出すのは、あの生頼画伯の描き出した『緑の宇宙』だった。
 生頼画伯の訃報に接し、『あの色』をまた思い出し、その生みの親がこの世を去ったことの喪失感に直面したのだ。あの色が失われた、わけではないが、あの色の使い手がいなくなったことは事実だ。
 さて、別に悲しいからという理由ではなく、淡々と藤沢周りで帰宅。涼しくなってきて、だが暗いので、ちょっと心細い家路だ。
 夕餉は、悲しかったので吉野家で牛すき鍋膳(なんでや)。
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2014年12月15日(月曜日)

水玉女史逝く

SF 23:55:00 天気:明日は涙雨か
 さて、そろそろ寝支度をと考えつつ、ツイッターランドに目を向けたところ、衝撃的なツイートを目にする破目になった。水玉螢之丞女史の逝去を知らせる、ご親族からのそれだったのだ。
 僕は、水玉女史とは2リンクくらいでつながった、日本SF界の辺境のまた外れくらいに立っている。だから、余計に、SF人、オタクの行動を切り取って、少しの華やぎと諧謔を添えて見せてくれる水玉女史の手業を、自分が思う以上に歓迎していた観があった。灯台というか、電波塔というか。ああ、あっちがSF沼の一番深い場所なんだ、と。
 体調を崩され、入退院を繰り返されていることは知っていたが、ここまで深刻だったとは。斯界の明かりが一つ消えたような寂しさに襲われているのは、僕だけではあるまい。ご冥福をお祈りする。そして、楽しい時間をありがとうございました。
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2011年7月28日(木曜日)

小松左京逝く

SF , 思考 21:34:00 天気:不順
 ついにこの日が来た。
 昼過ぎに、Twitterで一報に接したときには、『ああ、ついにこの日が来てしまったか』という想いに囚われた。いつかは来るだろうと覚悟していたが、今日がその日だったとは。
 故人の業績について、改めて書き下すまでもなかろうと思う。しかし、世間にとっては、小松はその作品を知られ、というより、むしろ万博や花博のプロデューサー、映画との関わりで知られていたのではないかという気がする。それは故人にとって幸福なことだったろうか。もちろん、僕にとっては『復活の日』の、『明日泥棒』の、『さよならジュピター』の、『日本沈没』の、そして『果しなき流れの果に』の作者が小松であったことにこそ、意味があったのだ。
 小松は逝ってしまったが、80歳ならば大往生というべきで、あんまりしんみりしないで、笑って送りたい。僕の少年期からこちらの感性を形作ってきたのが、SFという文学の一部分にして異端じみた代物だった。分けても小松の占める位置は非常に大きいものだった。その小松は、『大抵の問題について、人類は乗り越えられる智慧を持っている』と語っていた。その通りだ。原発の問題に関しても、放射性物質の始末そのものには困るとしても、それを収集して、安全に保管する技術は持っている。戦争に関しても、少なくとも先進国においては『より安全な戦争』への道が模索され、またそもそも戦争となった時の相互ダメージの巨大さから、躊躇われる傾向がはっきりと見えている。いずれも、残るは人間そのものの心理的な問題なのだ。だからこそ、司馬遼太郎共々、日本の現状について言葉を聞きたい相手だった。本人も日本の行く末を見届けたかったに違いない。
 作家としての小松は、ここ20年ほども前に物故していたとも言えそうだが、それでもたまに浮上してこられては一言残してゆかれるのが頼もしかった。
 今夜は、どうせなら不謹慎な『(ス)サマジイ革命』でも追悼読書しようかと思ったが、そもそもどこにしまい込んだことやら。不誠実な読者をお許しあれ。
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2010年7月13日(火曜日)

J.P.ホーガン逝去

SF 23:36:00 天気:くもりのち深夜の雨
 ホーガンまで逝ってしまったか。まだ若いと思っていたけど、もう70前だったんだな。そして英国人だった*1のは初めて知った。なんとなく、アメリカのおっさんだと思ってた。
 ご多分にもれず、『星を継ぐもの』の鮮やかな展開にやられ、しばらく出る著作を買い漁っていたことがあった。妙に思想色が付いてきた頃から興味を失ったが、今更ながら評判を見るに、それでも佳作は生み出していたようだ。また少し読み返したい気がする。
 ああ、『ホーガンなんざ本物のハードSF作家じゃねえ!』論争が懐かしい。
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2010年2月16日(火曜日)

浅倉久志氏逝去

SF 15:01:00 天気:くもり時々雨
 悲しい。『誰?』という向きも多いだろうけど、SFを読んでいれば必ずといっていいほど*1お世話になっているはず。そういう大翻訳家が逝ってしまった。
 Wikipediaの浅倉久志の項に挙げられている主訳書を見ると、半端なSF者である僕ですら半分以上は読んでいるものだ。それくらい日本SF界のメインストリームを支えてきた人だった。
 もちろん面識はないし、顔すら存じあげてないのだが、それでも大変にお世話になりましたとお礼申し上げたい。ご冥福をお祈りいたします。

2009年5月27日(水曜日)

栗本薫(中島梓)死去

SF , 思考 12:31:06 天気:こんな五月の晴れ空に
 かなり危ない状況だったらしい、栗本薫女史が遂に逝去された。まだ56歳。当初100巻で完結予定だったグインサーガはとっくに100巻をオーバーランし、アニメも始まったこの時期の逝去は残念だ。まあ、グインサーガがちゃんと完結すると思っている人間は居なかったろうけど。
 かつてFSF*1のグインサーガ部屋に降臨したのを目撃した身としては、いささか感慨深いものがある。
 僕にとって栗本薫は『ぼくらの時代』だな。ぼくらシリーズでも、薫クンが僕の属する集団である"ぼくら"の紛れも無い一員であると確信できたこの本がいい。これを高校の図書室で手に取り、夢中で呼んだ時の甘酸っぱいような記憶が蘇るのだ。
 さて、追悼にグインサーガを読み返すか、などとは書きたくなくなるような長さが難だが、故人があのやたら長くて錯綜としてスカスカな話をどう着地させるつもりだったのか、推理しながら飛ばし読みするのも悪くは無い。
 そういえばここ数日、『クリムト薫』というどこでどう使えばいいのだという微妙ギャグが頭にこびりついていたのだが、あるいは女史の逝去を予感していたのであろうか。それはないない。

2009年5月02日(土曜日)

SFセミナー2009に参加(昼の部のみ)

SF , 思考 19:52:00 天気:晴れ
 ここ10年ほど、五月連休に旅に出てなければ参加しているのが、SFセミナーだ。
 最近、SFじゃない生活を送っているので、こういう機会にでもSF分を摂取しなければ。会場で同じ人種がこれだけ生き残っているのだと確認することは、僕の精神衛生上必要な行為になっている。とはいえ、前回の参加は2005年。久しぶりの参加だった。
 SFセミナーは講演会形式の昼の部、合宿形式の夜の部とあるが、SF者とリアルな面識の少ない僕には、夜の部は旨みが無い。ので、昼の部のみ参加した。
 御茶ノ水に着いて、会場の全電通労働会館に到着したのは9:30過ぎ。ところが開場してない。というのも、僕は10:00開演と勘違いしていたのだが、実際には10:00開場だったのだ。コーヒーを求めて近所を散策するうちに、開場時間が来た。
 今日は暗い演壇上の被写体を撮るべく、D90に70-300を着けて、三脚も持参した。これでは広角をカバーできないので、Powershot Sx10も併用したのだが、実際には70mmからではあまりにも狭すぎて、Sx10の方がよほど使い勝手が良かった。
 さて、一コマ目は『21世紀のファンタジー ポスト「ハリー・ポッター」の世界』ということで、小川隆氏と三村美衣女史がハリーポッターをファンタジーとして捕らえ、その影響を論議する。という展開にはならず、ほとんどが小川氏による『ハリーポッターは出版業界になにをもたらしたか』という打ち明け話に終始した。これはこれで興味深い。
 ハリポタは作者ローリング女史の銭ゲバっぷりで知られているのだが*1、その影響で大手流通には乗らず、口コミで広まっていったのが背景にある。結果、アメリカの大手流通*2がうかうかしている間に、イギリスの業者から通販する読者が絶えず、しかもそれは巻が進むにつれて問題が深まっていった。その根本には、英米の伝統的な出版スタイルの違いがある。アメリカでは販社に事前査読用の版を送りつけ、それによって発注数を決めて手配を掛けてもらうという形式だ。だから、校了から出版まではタイムラグがあるのが普通だ*3。また最初はハードカバー、後でペーパーバックという順列もかなり厳格に守られているらしい。一方、イギリスでは旧植民地向けに早い時期にペーパーバックを用意する文化がある。かつて本は全て船便で運ばれ、また経済力の劣る旧植民地では安いものしか売れないため、早い時期にペーパーバックを用意する必要があったのだ。その結果、早い時期に安いペーパーバックを手に入れたいアメリカの読者は、アメリカの輸入書店、あるいは海外通販を扱うイギリスの書店から購入することになった。そのため、アメリカの流通は、無視できない数の読者を失ってしまったらしい。
 さらに問題を深めたのがAmazonの存在だ。Amazonは英米の読者を分け隔てなく扱ったため、もっと簡単に英国出版のペーパーバック版を、早期に手に入れることが出来るようになってしまった。こういう国境を跨った巨大流通の勃興が、伝統的な出版業界の秩序を破壊してしまったということだ。
 日本でも、やはり大手出版業界に先駆けて、弱小出版社がハリーポッターを抑えてしまった結果、流通業界との齟齬を生じることになった。出版元が買い取り制を強いたため、体力の無い中小の書店が発注数を上げられず、逆にAmazonが当日配送制を採用した結果、Amazonによる寡占が進行してしまった。もはや本は本屋で買う時代ではなくなったと、白日の下の曝されてしまったのだ。日本語版版元の態度にはイラッと来るが、しかしここも巨大出版社ではないので、一発外せば体力がもたない。結局、モノがグローバルに流れてゆく時代に、ローカルな専売業者の意味はどこにあるのか。単なる物販の端末ならコンビニだけで良いじゃないかという、物流革命の一端が現れただけなのだと思う。
 などということがグダグダ壇上で続けられているうちにタイムアウト。残りは夜の部だって。
 ここで昼食。予めコンビニで買ってあったおにぎりとパンを、近所の小公園で食べる。昼時、近くのビルから出てきたサラリーマンや、路上作業員たちがたむろしている。
 さて2コマ目。『円城塔は私たちSFファンのものではなかったのか?』ということで、奇矯な作品を書いては文藝界から面白がられている、円城塔氏の創作態度のお話だった。円城氏は『表と裏が入れ替わる話を書きたい』などと考えながら執筆するらしい。ここまでは、例えば主線と伏線が入れ替わってしまう話を書きたいなあ、などと文藝を志すものなら誰でも思い当たるだろう、ごく尋常な創作態度だと思う。だが円城氏の場合、『それをトポロジー的に解析して、かつその図形を作図して実現性を検証する』という点がおかしい。興味深いとか面白いとか言う以前におかしい。なんでやねんと突っ込みたくなる。実際、喫茶店でストーリーを現す模型を作ったりしてるそうだ。
 そもそも円城氏は物理畑出身で、そういう思考に抵抗が無い、というよりもそういう思考の方が自然なものらしい。一番の読者は御尊父だが、新作を読む度にメールや電話でお小言を頂いているらしい。
 一つ心に残った発言がある。主流文学の中に可能性世界が取り込まれるのは一般化しているが*4、それらの興隆の背景にあるのは『無かったことにしたい』という意識があるのではないか、という指摘だ。確かにその通りで、数多くある仮想戦記は、まさにその『間違わなかった歴史』を書きたい、読みたいという意識無しには成立しないジャンルだ。『五分後の世界』もそうだろう。だがそれが不健全な現象なのかどうかは、判断を保留したい。
 円城氏の特徴は、ストーリーそのものよりも、そうしたライティング技法に関わっていると感じた。そういう意味では、筒井や小松、近くは夢枕獏に引き継がれてきた、SF文壇の伝統を引き継いでいることは間違いないだろう。これもグダグダなうちに『夜の部に』となった。
 3コマ目は『若手SF評論家パネル』ということで、最近早川が力を入れているらしい若手評論家発掘イベントによる発掘物を陳列するという趣旨。壇上に7名も居て、司会の森下氏が仕切りモードで進めたため、ややお行儀良すぎる演目となった。自分が評論するのは、自分が面白いと思った作品を紹介したいから、という極めて健全な意識をうかがわせる発言が心に残った。
 最後のコマは『天を衝け! 嵐を呼ぶ 中島かずきインタビュー』ということで、グレンラガンへの参加でアニメファンの注目を浴びている中島かずき氏へのインタビュー、という名目で繰り広げられる四方山話。中島氏はグレンラガンではむしろ抑え役に回っているようだ。出版社に籍を置くサラリーマンだが、最近名が売れたおかげで裏稼業だった脚本、演出の仕事が会社でも認知され、堂々と振舞えるようになったのがうれしいという。そもそもがゼネプロ~ガイナックス系の人材とずっとニアミスし続けてきたとのこと。
 今年もSF分をたっぷり吸収して帰宅。
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2009年4月23日(木曜日)

J.G.バラード逝去

SF 09:47:35 天気:晴れ
 20世紀と未来とを同時に感じさせる作家、バラードが逝ってしまったか。
 俺的には、バラードといえば最近作でも世界シリーズでもなく、短編集だった。特に最初期に編まれた"The Voices of Time"こそが、俺的にはバラードの代表作だった。バラード自身もそう言ってたし。短編では長編に現れる人間ドラマ、悪く言えばメロドラマ分が薄まり、人間関係が単なる相関図にまで圧縮されてしまう。だからこそ、SF作家バラードの旨み成分が、一番濃く感じられるものだったと思う。"音響清掃"なんか、これ以上長かったらメロドラマとして分解されてしまいそうだったもの。
 半村良もバラードも逝ってしまったか。まあ、二人とも死んだふりして、亜空間要塞で人類への逆襲を図っているだけかもしれないけどな、へへ。
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2008年11月06日(木曜日)

マイケル・クライトン死去

SF 11:06:17 天気:好天のようだ
 おー、まだ若いのに。
 クライトンといえば、今は『ジュラシック・パーク』だろうけど、俺的には子供の頃に見た『アンドロメダ病原体』の方だな。目に見えない、得体の知れない死という存在は、年端も行かない子供だった僕には最強のトラウマだ。原作も、映画も面白かった。アル中老人と赤ん坊という対極的な生存者から、ウィルスの性質が明らかになるという謎解きが良かったね。この後、小松の『復活の日』を読むまでは、ウィルス物のNo.1だった。
 しかし、赤ん坊の血中酸素濃度って、本当に高いのかね。医学博士だったクライトンが書いたものだから、まあその点は隙が無いのだろうが。
 故人を全然偲んでないが、蔵書のどこかにある『アンドロメダ病原体』を掘り出せる気がしないからだ。もしも発見できたら読み直そう。

2008年6月06日(金曜日)

訃報

SF , 思考 23:15:00 天気:雲がかかっている
 気のせいだろうか、このところ文学関係の訃報に接することが多い。
 今日は極めつけ。なんと野田大元帥閣下が逝去されたとは。確かにトシではあられたが、数年前にSFセミナー会場でお見かけしたときには、『まだまだ老け込んじゃいられんぜ』という気迫すら感じられる矍鑠振りだったのだが。
 これで銀河乞食軍団シリーズの完全完結はなくなった。誰か書き継ごうにも、あのケレン味のある文体と勧善懲悪、小が大を食うというスペオペの王道を行く展開は、大元帥閣下以外には醸し出せないものだ。まだまだ日本に紹介したいもの、紹介しなければならないものをたくさん抱えてらっしゃったろうにね。
 大元帥だけなら『まあ、いつかは』と覚悟していなくは無かったのだが、今日はもう1報、思いがけない訃報に接した。氷室冴子女史までが、とは。ここ10年ほど、いや'90年代以降はとんと消息を聞かなくなっていたのだが。
 氷室作品としては、やはり俺はコバルトの『雑居時代』が第1接触だった。あの数子さんは、ちょっとツンデレキャラのハシリっぽいところがあった。擬似近親相姦、ゲイ、学園モノと、それこそ様々な読み筋が雑居している小説で、ライトノベル*1ってこういう話を作れるんだと、その当時思ったものだ。まだ51歳。
 大元帥にせよ氷室女史にせよ、俺には昭和の時代のハヤカワ、コバルトを代表する作家だった。その二人が揃ってこの世を去ったという符合ぶりに、昭和の終わりが遂に来たと思わざるを得ない。後に残るのは、歴史となった昭和という年号だけでしかない。
 ハヤカワもコバルトも、ソノラマと違って存続しているので、なんらかの復刊フェアをやってくれないものかな。

2008年5月21日(水曜日)

今日泊亜蘭逝去

SF 12:45:16 天気:くもりみたいだ
 『我が月は緑』は読んだな。他に読もうと思って積読になってる本もあったと思う。
 これで日本SF界の長老中の長老が逝ってしまった。この先、『XXは死んだけど、あの世で今日泊亜蘭と茶飲み話でも……』『いや生きてる、生きてるよ』というギャグを使えなくなってしまった。本当に洒落にならないことだ。
 今日は月を肴に一杯といくか。我が月も緑なれ。

2008年3月19日(水曜日)

Arthur C. Clarke

SF 13:01:54 天気:悪化中
 *1古典SF3巨匠最後の一角が逝ったか。
 これで古典的SF作家は絶滅したのか。いや、まだだ、ブラッドベリが居るじゃん。
 だが生涯一技術者としてSFを書き続けて、まだ新作出してくれるかなと思い続けたのはクラークだけだな。
 今日は星でも見ながら一杯、と思ったら雨かい。

2007年9月02日(日曜日)

Y's新店、ワールドコン、CA6

SF 19:09:00 天気:晴れ
 さて、ワールドコンの空気くらいは触れておこう。昼頃、MR-4F改でみなとみらいに向かった。今日はなかなか快調で、保土ヶ谷の坂も25km/hを維持して越えてゆけた。
 今日の主目的はワールドコンだが、もう1つ寄りたいところがある。桜木町に出来たY'sの新店舗にも立ち寄りたかった。桜木町駅から見て、高島町寄りの方、歩行者自転車用の通路がある間近にあった。ここ、前は自転車関係の団体が入っていた場所じゃなかったか。
 店の前で雑誌の取材を受けた。どうせならSatRDayで来ればよかった。
 新店舗の名称はY's Road店。名前の通りにロードバイク主体の店で、1Fが売れ線ロード&整備スペース。2Fはその他自転車。3Fがパーツ類と3F建になっている。かなり広い店だ。Y'sは変なパーツも扱ってくれるので、この先重宝しそうだ。
 さて、ワールドコン。結局、展示ホールAには無料で入れることが分かったので、ここを冷やかすことにした。
 駐輪場を探してうろうろした挙句、警備員に聞いて実質無いことが判明。その指示で、展示ホール前の旗の下に止めた。ハマチャリなんて企画をやる割に、自転車には冷たいのよね、横浜は。
 さて、展示スペースに入ると、思わず顔がにやけてしまう。いるいる、お仲間が。すっかりSFの人ではなくなったと思っていたのだが、そうでも無いらしい。この世間とは明らかに異質な空間を支配する言語を、僕の皮膚感覚はちゃんと理解していた。CA6でオークション会場を動画で撮ってみた
 ホール内を一周するうちに、見慣れた顔に遭遇。ちょうど加藤画伯のサイン会があったようで、居並ぶファンの差し出す本に、次々にサインしておられた。せっかくなので声を掛けようと思ったが、なにせ行列ができているのでそれも忍びない。加藤画伯が気づいてくれないかとうろついていたが、それも無理でした。後で思ったのだが、俺がその場で加藤画伯の本を買って、サインしてもらえばよかったじゃないか。しかし、画伯のヴィジュアル本はあらかた持っているのだよね。
 会場を後にして、再びR1を突っ走って帰宅した。
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2007年8月27日(月曜日)

ワールドコンいよいよ

SF 22:02:00 天気:晴れ
 今週末からワールドコン2007が始まるのだった。アジア初のワールドコン開催ということなのでぜひ参加したいが、参加費が高額なのと、平日までは休めないのとで、土日の1日参加券で入場する予定だ。幸い、横浜市民割引というのがあって、パーティセクションなどには参加できない、各種のビハインドが設定されているなどの制限はあるものの、半額以下*1で入場できるのだ。しかし発行数に制限があるようなので、早めに行かないとね。
 とりあえず、ヒューゴー賞授賞式は見たい。
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2007年4月12日(木曜日)

ヴォネガット死去

SF 19:49:31 天気:星冷えしそうだ
 カート・ヴォネガットが死去したそうだ。あんまり人の死に重み付けするのは良い趣味じゃないだろうが、拙者にとってはレムより堪える。レムは生き死にを超越した存在でもあったがな。ヴォネガットは、作家として以前に、戦勝国の人間でありながら戦勝国側の暴虐を告発してきた知識人として、貴重な存在だったのだ。
 また全著作を読み返してみるか。目が回る目が回る。
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