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Strange Days
2000年09月30日(土曜日)
昼前、運動会が昼休みに入った頃、ドアのチャイムを鳴らす者があった。クロネコのおじさんだった。いや、クロネコのコスプレをした変なおじさんを思い浮かべてはいけない。ヤマト運輸の配送のヒトだったのだ。その手にはロカティオのパッケージがあった。受け取って、速攻で開封して使用を.....というところではたと困った。このロカティオ、NiMH電池2本で駆動するのだが、同封の物は未充電の状態なので、充電し終わるまで使えない。実は手許にはNiMH電池が12本もあるのだが、先週のうちに偶然全て使いきっていて、まさに充電中だったのだ。なんというタイミングの悪さ。しばし充電し終わるのを待つ。
やがて最初に通電していたセットが充電し終わった。早速ロカティオに叩き込んだ。
ロカティオはPalm3にGPSユニットをつけたくらいのサイズで、容積的には数割増しというところだろうか。ところが持ってみるとずっしり重く、倍はある感じだ。画面は1/4VGAサイズで、半透過型カラー液晶を使用している。表示はきれいで、明るいところと暗いところでは大変見やすい。しかし中途半端に暗いところではかえって見にくくなるのが困り者だ。CFスロットが二つあるが、一つはI/O専用で、モデムの類しか刺さらない。もう一つのメモリ専用スロットに余っていた15MBCFを差してみた。~
内蔵アプリはまあまあ及第点だろうか。日本語入力は仮想キーボードや手描き漢字入力を選んで使える。しかしこの手描き認識がくせ者で、"う"の字を認識させようとしてもなぜだか"="になったりする。ストレスがたまる、しかし漢字の認識率はかなり高いようだ。
内蔵アプリで不満なのはメモ帳が10ページ分くらいの容量しかないことだ。日本語入力用端末はMorphyOneを待たなければならないようだ。
この機械にはやはり1/4VGAサイズのデジタルカメラが着いている。操作方法は単純なのだが、シャッターボタンがとてつもなく重いのだ。誤動作防止の意味もあるのだろうが、これではぶれが発生してしまう。
さて、この機械はWebブラウザやメーラを搭載しているので、このままインターネットへのアクセスが可能だ。そこで手持ちのPHS、341Sを差してみたのだが、どうしてもうまく接続できない。まず、moperaとの接続を想定してないようだ。moperaはIDもパスワードも不要(というか無い)のだが、そういう設定を許してないようで「IDとパスワードを設定しろ」と申される。また他のプロバイダ、Biglobeを指定しても接続できない。ダイヤルアップ設定でのPHSの指定法は、機種名ではなくドコモPHSとかDDIのそれとかいった風に大雑把な括りで、機種毎の設定は自動的にやるらしい。341Sは未対応なので、そこでうまく行ってないのだろう。611Sに買い換えるか、いい機会だし。
次にGPSを試してみた。インターネットアクセスできないので、DGPSは使えない。純GPSでお空をサーチさせてみた。経緯度が出るまで3分弱というところだろうか。正確な所在地がやっと分かった :) 地図連動はやはり試せない。
そんなわけでコイツの実力発揮とまでは行かなかった。最大の問題はサードパーティ製のソフトがないことだ。まあ割り切って使うのは良さそう。
17時10分
暮らし
天気:曇ったり雨ったり
朝七時、突然、中田界隈の空に砲声が鳴り響いた。ベトナム戦争の記憶が蘇った(なんでじゃ)俺様は、条件反射で布団の下に潜り込み、愛用の10ゲージショットガンを手にベトコンの襲来を待ち受けた。ってそんなもん持ってない持ってない。
何ごとぞと思いつつ外をのぞくと、真正面にある中学校の校庭に色んな機材が並べられ、なにかの準備をしているらしい人影もちらほらと見られた。ははあ、今日は運動会なのか。そういえば、数日前に予行演習らしき事をしていたような。さっきの砲声は、決行を知らせる音花火(というのか)だったわけだ。~
今日は外出するつもりがないので、珈琲でも飲みながらのんびり眺めていた。といっても部屋から見えるのは、グラウンドの端っこの方だけなのだが。しかし賑やかな集まりというものは見ていて飽きないものだ。
ところが、昼頃からいよいよ空が暗く、怪しくなってきた。そしてついに閉会式直前に雨となった。雨の中、生徒たちが大わらわで後片づけに追われ、見ていて気の毒になる。しかしまるで運動会の終了を待つかのような雨だった。
2000年09月29日(金曜日)
23時56分
星見
なぜか週末になると曇りまくる今日このごろ。今夜もすっかりくもりで観望できない。ねらい撃ちされているようだ。
23時55分
暮らし
天気:曇ってますな......
残暑が戻ったり寒くなったり一進一退を繰り返してはいるが、全体的には明らかに涼しくなってきている。それどころか、夜中になるとかなり肌寒くなってきた。涼気に耐えかねて羽毛布団を出して使い始めた。秋だな。
2000年09月28日(木曜日)
23時55分
星見
天気:晴れ時々曇り
今夜はちょっと雲が多い。その代わりに風が少ないようで、昨夜ほどには星像が揺れない。しかし雲があるので、視界の中の土星はかなり暗くて、雲を出たときにやっとカッシーニの間隙を識別できるほど。雲の中にあると、本体の縞は見えず、カッシーニの間隙も見失いがちだ。
木星も似たようなもので、いつもは小さいが鋭い光輝を放っているガリレオ衛星も、今夜は背景に沈みがちだ。
毎夜毎夜だと体に堪えるので(というか堪えているので)、今夜はここまでで爆睡モードに入った。
2000年09月27日(水曜日)
23時55分
星見
今夜はほぼ新月。しかもまたも雲の無い夜空と、観望には適した夜になった。暑くも無く涼しくも無い気候もよろしい。惜しむらくは風があることだろうか。
今夜は期待が持てそうだったので20:00頃に一度寝入り、0:00過ぎに起きだした。カーテンを開けると空高くに輝く木星と土星が目に入った。既にすばるは手を出せない位置にあったので、まずは土星を見た。やはり風があるようで、ひっきりなしに像が揺らぐ。安定した瞬間にはカッシーニの間隙と本体の縞が見えたが、そんな瞬間が非常に希少な状況だった。とてもじゃないが強拡大は出来そうに無い。おとなしくUW6.7で100倍以下の眺めを楽しんだ。木星もガリレオ衛星との系全体を眺めるのが吉だった。
風呂に入ったりして2:00になると、オリオン座がそれなりの高さに上ってくる。M42はやはり大倍率では安定しないが、低倍率でその周辺の恒星群を視界に収めると、これはこれで見事な眺めだ。その下に燃えているシリウスが気になったので、M41をSW18の視界に収めると、ド派手なオリオン座周辺の眺めとはまた違った興があってよい。この球状星団、まだ低高度なのでかわいらしい眺めだ。
しばしコーヒーの香りをも楽しみながら、オリオン座から大犬座に掛けての星空散歩を楽しんだ。
寝る前にすばるを眺めておこうかと、アパートの前にMIZAR20*80双眼鏡を出した。まずはオリオン座を......。小三ツ星近辺の眺めは素晴らしい。100EDで見るよりも明るく感じられた。オリオン大星雲の明るい散光を真中に、左右に群れる微光星群が果てしない彼方から語りかけてくる。目を大犬座に転じると、こちらもM41を一発で探し出せた。結構良く見えるものだ。そしてすばるは......見、見えん。天頂付近、ほぼ85度近い高度にあるため、直視型のこの双眼鏡ではとんでもなく見難いのだ。ビーチチェアにでも寝そべって見れば別だろうが。それでも三脚を大きく傾け、無理やりに見上げてみたが、あまりの苦しさに一瞬しか視界に収めることが出来ない。完敗だ。
こういう状況ではこちらが有利と思い、フリーハンドで扱えるMIZAR10*42双眼鏡ですばるを眺めた。今夜もすばるは明るく燃えている。
しかし天頂付近での扱いを考えると、宮内から出ているような90度対空式の双眼鏡が欲しくなる。100mmのフローライトが40万近くするのだが、ああ、欲しい。
13時04分
デジタルギミック
天気:くもりのち快晴
ロカティオを昨日発注し、今日にはもうエプソンOAサプライからの返答があった。いわく「発注を頂いてから3営業日かかります」だそうな。これだと昨日から三日で届くように読めるのだが、金曜日には届くのだろうか。それともこの返信をもって注文の受領とみなし、それから3営業日ということになるのだろうか。案外、この会社の定休日が水曜日くらいだったりして。すると3営業日経過の日がまたずれることになるだろう。要するにそういった情報を持っているのはそっちなんだから、ちゃんと具体的な日時を示せといいたい。
こういう営業スタイルの文章は本当にユーザが必要な情報を網羅してないことが多いと思うのである。
2000年09月26日(火曜日)
23時55分
星見
0:00頃、フローリング部屋から空を見上げると、雲がほとんどない澄み切った空が広がっている。こんなすっきりした夜空は久しぶりに見た。
まずはC8EXを土星と木星に向けた。しかし像が揺れる揺れる。筒内気流のせいかと思って100EDに載せ換えて見たが、ややましになったもののやはり安定しない。どうやら高空に強い風が吹いているようだ。シンチレーション最悪の状況である。しかし安定した瞬間にはカッシーニの間隙が全周にわたって見える。
あまりにシンチレーションが悪いので、もっぱら低倍率ですばるを見ることにした。SWK22とSW18ですばるを見ると、背後の微光星に至るまでが群れて見える。すばらしい。透明度は高いようだ。高倍率でのシーイングは劣悪だが、低倍率でなら良好といえる。
しかし100EDの接眼部が三脚に当たってこれ以上動かせなくなった。そこでタカハシの50mmフィールドスコープをミニ三脚に載せ、すばるに向けた。20倍という倍率はすばるを見るには絶妙だ。視界一杯に星々が敷き詰められ、1万円しない望遠鏡の眺めとはとても思えない。案外に高い実力を持っているようだ。
やがてすばるが狭い窓の視界から消えたので、今度はワイドビノとMIZAR10*42双眼鏡を持って外に出た。ワイドビノを木星と土星の辺りに向ける。今夜は地平線から天頂部まで、雲がほとんど無い。降るような星空、というのにかなり近かった。ワイドビノでヒアデス星団から木星、土星、すばる辺りを視界に収めた。息が止まりそうだ。なんて凄い星空なんだろう。ヒアデス星団を形作る星々が絨毯のように敷き詰められた上に、木星と土星が星たちの王と王妃のように鎮座している。そしてその上空に王冠のようにきらびやかなすばるがきらめいているのだ。星空の宮廷、星たちのメリーゴーランド、遥か昔に消え去ったはずの星たちの瞬間的な相関が、何百年もたった今、僕の眼前に展開されている。その背後の、ぞれぞれパッとしない小さな星たちも、幾百、幾千、幾万となく、それぞれに精一杯の声をあげている。これらの星がどこからきて、どこに去るのかは知らないが、それらの不可思議な相関が、今この瞬間、僕の目に絢爛たる情景を焼き付けている。
まったく、今夜は寝なければならないのがもったいないほどだった。できれば空が白み始め、これらの星たちが太陽の光にかき消されてゆく様を見ていたかった。きっと泡沫の夢から覚めるような、不思議な想念をかきたてられる事だろう。しかし浮世に生きる会社勤めの僕には、そのような贅沢はなかなか許されるものではない。
アパートの前の道路に立ち、天頂付近のアンドロメダ座を見渡した。数え切れないくらいの星が光っているので、星座を見分けるのが困難なくらいだった。しかしやがてアンドロメダ星雲のひそやかな光を見つけた。200万光年の彼方から、それは確かに僕の網膜に届いている。昔の人は、この奇妙な天体をなんだと考えていたのだろう。
やがて2:00も過ぎたので、渋々寝床に着いた。それにしても、日本一明るい横浜の空でこれだけ感動できたのだから、状態の良い山奥の夜空を見たら即死するね。
帰宅して、すぐにgooショップに登録し、ロカティオを発注していた。果たしていつ届くだろう。話によれば数日で届くものらしいが。
しかしロカティオ買ってどうするつもりなんだろうね。ちょっと放浪するのに便利かもしれないが。
13時02分
音楽
天気:快晴!
オリンピックやらなんやらでなかなか全部を見れなかった今節のみんなの歌だが、やっと全部録画できたので感想を書いておこう。
「むかしトイレがこわかった!」 炎のロッカー梅図かずおが吼える! 木魚のビートが熱いぜ!(爆)
「遠い空」 この季節になると「遠い~」という曲がたいてい登場するようだ。なかなか聴かせます。
「小さな手紙」 御三家でG3Kか。旧Gateway2000が社名を変更してよかったじゃないか(そうか?)。中高年世代のための歌だろうか。まさにみんなの歌。
再放送分は既に見たものばかりなので略。
2000年09月25日(月曜日)
23時55分
星見
0:00過ぎに空を見ると、薄雲がかかっているものの木星が輝いて見える。GP赤道儀の100EDをC8EXに載せ換え、木星に向けた。
さすがに薄雲がひっきりなしにかかる状況ではさほど明るくは見えず、細部も見えない。主要な縞数本が見える程度だ。しかし辛抱強く見ていると、こんな状況にも関わらずシンチレーションは結構安定している。雲があるのに? でもさすがに濃い雲が現れると見えなくなる。雲は濃くなる一方だったので、この辺で打ち切り。
ラピュータの情報を検索していて、面白い製品を見つけた。セイコーエプソンのロカティオという一種のPDAだ。こいつはPalmタイプのPDAにGPS、デジタルカメラを集約したヤケクソのような複合機で、CFスロットまで持っている。これに例えば661Sなんかを接続するとインターネットアクセスまでできるというのだから凄い、というか呆れる。そこまで無理に一体型にしなくてもいいのに。でもちょうどGPSと携行用デジカメが欲しかったので、これはかなりそそられる代物ではある。実際、gooのページで安売りされているのに気づいたときは、これはまずいと思った。衝動買いパワーが満ちてくるのを感じたからである。しかしワイドなアイピースだのG4Macだのニコンのテレコンだのといった物に対する物欲に満ちている今、さらにこんな余計なものに手を出すわけにはいかん! と己に気合を掛けても既に購入の算段をしている我輩である。とほほ。
17時59分
思考
天気:くもり時々晴れ
オリンピックたけなわ。各地では自国チームの勝利を祈る人々の姿が見られる。などと見てきたように書いたが、まあ概ね間違ってはいないだろう。
祈る、ということに関して、面白い記述を見つけた。どこぞのデザイナーの人が、教育に関わる親の事に関して書いたものだ。その人は海外での暮らしの中で、先進国の人々が子供の教育に無関心なことに驚いたという。その象徴的な出来事として、多くの人が子守唄を知らないということを挙げておられた。
このデザイナー氏は、「子守唄とは結局子供が健やかに眠れるように祈ることだ」と感じたという。子供は大人の思い通りにはなかなかならない。眠らせようとしても思うように眠らずぐずついたり、お話を求めたりする。そこで大人は子守唄を歌う。適当にあやしながら子供のために祈る。子供が寝入ってもまだ歌っている。大人は祈りつづけることで、子供をあやすことからのストレスを免れることができる。このような子守唄は、先進国よりも物質的に貧しい発展途上国に残っている。このデザイナー氏は、日本でも多くの親が子供のお受験などでジンクスを担ぐ様を目の当たりにし、日本ではまだまだこの「祈り」が生き残っていると感じたという。
まあ子供云々はいいのだ。このデザイナー氏の話で面白いと思ったのは、祈りとはままならぬ現実を前に心の平安を保つ方法の一つだ、としたことだ。人はなにかの課題を前に解決を図る。自力で、合理的な解を求めようとする。しかし現実は、必ずしも合理的な解を用意していてはくれない。むしろしばしば不条理としかいえない状況に陥ることがある。宇宙は人間にほぼ無関心だ。そこで太古、人は祈るという行為を生み出したのだろう。解を見出せないまま、その解決を超自然的な存在に委ねる。こうすることで人は最後の最後で責を免れ、心に平安を取り戻すことができる、ということだろう。
しかし先進国で生まれ育った人々(僕もそのグループに入るのだろう)は広く普及した近代的な教育の中で、常に合理的な解を選択するように訓練されてきた。否、世界には常に合理的な解が存在するという強迫観念を植え付けられてきた。しかし厳然たる事実として、僕たちを取り囲む世界には、どうやら合理的な解など滅多に無いようだ。合理、などというものが成り立つのは、一部の人間の偏狭な認識の狭間でしかない。自然現象を前にしたとき、そうでなくとも他者と相対したとき、そこに合理的な解があるという保証は何もない。そのことを先進国に生まれ育った僕たちは忘れがちだ。なぜならば、僕たち先進国の人間は、人間自身が生み出した様々な合理、すなわち科学知識や宗教という体系、あるいは圧倒的な物質文明の真っ只中に生きているからだ。人が設計したビルの中で暮らし、人が施工した水道の水を飲んで生きている間は、僕たちは自分を取り巻く世界が不条理の塊であることを忘れていられる。しかしひとたび地震でビルが揺らぎ、想定しなかったような災害が巻き起こるときに初めて、僕たちは合理というものの限界を思い知ることになるわけだ。
しかし物質的に乏しい発展途上国の人々は、生きる上でこの人間が生み出してきた合理の枠を、日常的に踏み外さざるを得ない。ままならぬ現実と日常的に向き合わざるを得ない。だから彼らは祈るという行為を日常的に遂行しているわけだ。そしてそれは、人間の心の健康を保つための、「合理的」な解決策でもあるのだろう。
僕には超自然的な、しかも人格的な存在などあるはずもないと思えるが、それなのに僕もしばしば祈るのである。しかしいまや祈りの価値は省みられることもないほど下落しているようにも見える。もしも僕たちの周りに祈る人の姿が増えるとしたら、それは今以上に困難な時代の到来を意味すると考えて間違いないだろう。
2000年09月24日(日曜日)
23時55分
星見
夜、20:00頃の空は曇っていて、星がほとんど見えなかった。こりゃダメだと思っていたが、寝る前の1:00過ぎに空を見ると、なんと雲ひとつない快晴が広がっている。ちょっと観望しましょ。
100EDにUW6.7を着けて土星を見た。シーイングは7/10程度だろうか。シンチレーションは乱れ気味だが、安定した瞬間にはカッシーニの間隙が全周にわたってくっきり見えた。本体の縞も特に濃い1本が明瞭に見えた。
Or7+2.2倍バローで見ると、さらによく見えたが、拡大して見えるという感じで、細部までは見えない。100EDの限界かな。
次に木星。こちらも本体の縞のほか、細かな蛇行の様子も見えた。しかし全体的に薄い感じで、C8EXとの光量の差を感じさせる。
試しに清掃したばかりのツァイスアイピース群で見ると、いままで感じられた汚れによるにじみが、遂に払拭された感じだった。
すばるは窓から見るにはつらすぎるので、ベランダに出て見上げた。しかしここからも屋根にかかってしまうのでかなりつらい。テレスコと10*42双眼鏡で見比べた。テレスコだと淡い光の塊という感じだが、10*42双眼鏡だとすばるらしい星の群れに見える。アパートの前に出てさらに見た。すばるだけでなく、木星と土星の脇に広がるヒアデス星団が、この双眼鏡の視界にちょうど収まって心地よい。小さく、ぎっしり密集したようなすばると、大きくV字に広がるヒアデス星団の対比は見事で、木星と土星込みで全天一の華やかな眺めになっている。
22時30分
テレビ
今夜のNHKスペシャルは、ようやくオリンピック縛りから逃れての新展開だ。というか通常営業なんですけど。今夜はスーダン内戦とその過程で出た多くの難民の命を支える国連援助活動の話題。
スーダンは北部がイスラム圏、南部が中央アフリカのネイティブ・アフリカ圏と接している。北部にはイスラム化したアラブ系住民、南部にはキリスト教などを信仰する黒人系住民が分布している。これらの人々は、長い間に大きないさかいも無く暮らしてきた。しかし'80年代に北部のイスラム系住民が掌握する政府が、急進的なイスラム政策を推し進めようとしたことから、宗教弾圧を懸念する南部の住民との間に内戦が勃発したのだ。今は南部の広範な地域を拠点とするスーダン人民解放軍と、北部の政府軍とが、南部の都市部を中心に激戦を繰り広げている。以来10年条経過しているが、いまだに終息する気配はいない。
紛争が長期化している背景には、南部に豊富な石油資源が眠っているという事実がある。これが無ければ、あるいは北部のイスラム政権も、南部の住民にある程度の自治を認めることで終息したかもしれない。しかし石油資源が存在する以上、南部の住民の自治をびた一文足りとも認めるわけには行かなくなったのだろう。
南部でゲリラ戦を繰り広げるスーダン人民解放軍にも問題がある。彼らが非常に精強ならば南部を完全に掌握することで内戦をこう着状態に持ち込めた可能性がある。しかし装備に勝る政府軍に対して都市周辺でのゲリラ戦を挑むしかなく、また南部の全ての部族が解放軍に同心しているわけでもないため、十分な掌握が出来てないのだ。その結果、南部では熾烈な殲滅戦が延々と続くことになり、都市を追われた住民や、農地の耕作が不可能になった農民が難民化し、食糧事情が極端に悪化しているのだ。そして彼ら難民の命を支えているのが、国連による食糧援助活動だ。
国連は周辺諸国から、トラックを使って直接食料を難民キャンプに送り込んでいる。その輸送を請け負っているのは、なんと周辺諸国の民間業者だという。この仕事は非常に報酬が大きいので、危険に関わらず請け負っているという。実際、トラック群が行く道は地雷が敷設されている可能性があり、また正体不明の武装勢力による攻撃がしばしばあり、コンボイに死傷者が出ることも度々だという。人民解放軍はこれらのトラックの通行料などを徴収するが、身の安全を保障するわけではない。また政府軍機もしばしば空爆を繰り返すので、四方八方に危険が満ちているといっても過言ではないのだ。
こうした援助活動は、実は飢餓の長期化を帰って推し進めるという主張がある。番組中でも住民の依存心が強まる一方で、自立する気持ちが薄れていることが描き出されていた。またこうした無償の食糧援助は、これらの地域本来の商業活動を効果的に破壊してしまうという指摘もある。いつぞやの他の番組での話だが、ノーベル賞受賞者の経済学者、セン博士が、「飢餓は食料全量の確保が足らないためだけではなく、流通がうまく機能してないためにも起こる」と話していたのを見た記憶がある。そのような目で見れば、例えばベトナム戦争中でさえもベトナムの農民は危険と隣り合わせのまま食料を生産しつづけていたのであり、その結果ベトナムでは餓死者が出るような飢饉はあまり見られなかった。問題は農民が危険を冒してまで農事に従事できる動機をもてるかどうかだ。そしてさらに効率的な流通機構が整っていれば、これほどまでに深刻な飢餓が長期化することも無かったのではないか。国連の配給する無償の食糧は、農民に死ぬ気で農作業を実施する動機を奪い、さらに戦地での脆弱な流通機構を破壊してしまっているという可能性は否定できないように思う。
しかし僕だって砲弾が降り注ぐ中での農作業はゴメンだし、実際に飢えている人がいるのに「自分で何とかしろ」とはいえない。難民たちの気持ち、そしてその救援活動に従事する人々の止むに止まれぬ気持ちも良く分かるのだ。
なんとも割り切れない気持ちだが、この紛争は結局どちらかの勢力が強大化するか、あるいはこれらの土地の価値が下落するかしないと終息しないだろう。煮え切らない紛争を前に、「国連軍の強化」という甘い夢を主張する人々の気持ちも、あながち分からないでもないような気がする。
17時53分
星見
天気:雨かな晴れかな
安全週間だからというわけでもあるまいが、アパートの各室の警報機をチェックするという。先週のうちにその旨が通知されて以来、なんとなく土日はピリピリした空気に包まれていた。部屋の中が散らばってるからなあ。人と会うときも必ず相手方に出向いていた小心者の俺様だった。まあ来るものは仕方ない。カオスに極みにある我が部屋を突貫工事で片付けた。
検知器の検査にやってきたのは、50代と思しき実直そうな男性で、我がマシン群を見て「私らもこういうの(コンピュータということらしい)をやらないといかんのですが、講習料が日に5万円もかかりましてねえ」と愚痴る。日に5万はぼり過ぎかと思ったが、講師を呼ぶ場合ということらしい。僕らの業界でも、JSPだのソフトウェア信頼性だのといった講義を外で受けるとなると、やっぱり数万円かかるよなあ。しかし無理してコンピュータを導入することもないだろうとも思った。あれば確かに便利ではあるけれど、よほど凝ったマクロを利用しない限りは、Excelで作るのとワープロの表計算機能を用いるのとで、データの管理という意味では大差ない。
おじさんが帰った後、部屋が随分広くなった感じがした。いやまあ、ある意味では広くなったのだが。おのれがいかにこまめな整理に向いてない性格かを思い知らされるようだ。誰だ、血液型と性格が相関するなんて妄説を流した奴は。
せっかく広くなったのだからと、最近万年床状態だった(これがいかんのか)布団を片付け、広々としたスペースでレンズの手入れ。古代のツァイスサイズの4個は、何度か手を入れるうちにだんだんきれいになってはいたが、いまいちくもりが取れない。そこで以前手に入れていたカメラ用レンズクリーナ液と、昨日買ったブロワーでさらなるお手入れを実施したわけだ。
最初は望遠鏡本体に手を入れる。先端にある2枚ガラス構成のレンズを外し、クリーナー液で丁寧に洗浄する。長い間にこびりついた脂がきれいに取れた。コーティングも何とか無事だ。鏡筒表面の汚れを洗い落とせば、やっと見た目も良くなるだろう。
残るレンズ群も分解し、これもクリーナーで洗浄し、ブロワーでほこりを飛ばしておいた。次なる課題は、63mm径のこの望遠鏡をGP赤道儀に載せるアダプタを入手することだ。またスターベースででも相談してみるか。
2000年09月23日(土曜日)
23時55分
テレビ
今日も今日とてオリンピックばっか。23:00からの国宝探訪でようやく一息つく。
今夜は兵庫県にある浄土堂というお堂を取り上げた。このお堂と、そしてそこに収められている3体の仏像が国宝に指定されている。この寺は鎌倉期の東大寺再建に功があった僧、重源の建てたもので、再建資金に充てる浄財を募る際に建てられたものだ。重源はそこで戦乱に苦しむ民衆の声を聞き、当時信仰を集めていた阿弥陀菩薩の来迎をこの目で見たいという願いが大きいことを見抜いた。そしてまさにその阿弥陀来迎を再現してみせた巨大ジオラマが、この浄土堂なのだ。
重源は宋に渡ること三度という。その宋で見聞した新しい様式を取り入れて建造したのが浄土堂であり、弥勒菩薩像だったのだ。
浄土堂は外光を巧みに利用している。夕暮れ時、西日が差す頃に西側から外光を取り入れると、その暖色の光が黄金色の弥勒像をまるで後光のように照らし出し、荘厳な光景を作り出す。番組中登場した建築家は、建物と菩薩像がせめぎ合っているという。建物を設計したのは重源だが、弥勒像は各地の仁王像に名を残す運慶の作だ。信仰心に裏打ちされた技術が、気迫のこもった美を後世に伝えることになったのだ。僕もいつかは、夕暮れ時に沈んで行く弥勒像を眺めに行きたいものだ。
17時51分
暮らし
天気:くもり
なにせなにもしない日と決めているので、本当になにもしない。一日中ボーっとして、後は昼寝するだけ。あ、本でも読めばよかった。しかし本当になにもしないと、何も書くことがないのである。
2000年09月22日(金曜日)
19時49分
デジタルギミック
天気:雨っぽいけど曇り
昼頃に秋葉に向かった。買おうかどうしようか迷ったのだが、結局は買いに行くことにした。
昼頃、などと書きながら実は15:00を過ぎていたので(滅)、到着は16:30だった。
今日ばかりは天文関係のショップに寄る積もりはなかった。今日寄ると、またしても高価な広角アイピースを買ってしまいそうで。今月分の給与は残業がガタッと減ってるから、結構ピンチだったりする。といいつつラピュータなどという玩具を買ってしまう破滅型人生の俺様であることよ。
若松の地下に降りる。ラピュータは相変わらず山積みである。売れてないのか、補充しているのか。ここで「あった!」などと飛びつくと「まんまとかかりやがって」と店員が冷笑すること請け合いだ(ほんとかよ)。そこで秋葉慣れした俺様は、まずはその周辺を物色し、あたかも意外な掘り出し物があったかのような顔をして、ラピュータをレジに持ち込んだ。しかしこの方法を少量しかない商品に対して使うと、この隙に買われてしまうことがよくある(滅)。ここではさらに代替フロン使用のブロワーも買って出た。
時間的にもよいので先週のトンカツ屋に寄ろうかとも思ったのだが、気分的に鍋したいと思ったので今日はやめ。裏秋葉でドトールこいて帰った。
帰宅して早速ラピュータのセットアップだ。さすがに小さい。なにせ腕時計サイズなのだ。これでも16ビットのプロセッサに、128KBの主記憶、2MBのフラッシュメモリを持つコンピュータなのだ。構成的にはパーソナルコンピュータのそれとそっくりだ。初代PC-9801並だろう。
プリインストールされているのはスケジューラ、アドレス帳、メモのリーダ、ゲームなどなど。2MBはほとんど空いている。起動するとファイラが立ち上がり、ここからプログラムを実行したり、それと関連付けしたファイルを読み込ませることが出来る。動きは少し鈍い。しかし肌身離さず持ち歩けるPDAとしてはいい線行ってるかも。
この
ラピュータのWebページを見ると、基本ソフトがいろいろアップデートされている。それらを入れ換えるついでに、ユーザ作成のソフトウェアもダウンロードする。ランチャーは必須だし、フリーセルも同じくだ(爆)。かなり楽しめそうだ。
2000年09月21日(木曜日)
23時55分
星見
日付が変わって0:00過ぎ、かなり細くなってきた月に、100EDを向けた。UW6.7を着けて90倍でのムーンウォークだ。今夜はシーイングはそんなに良くは無いが、明日から連休なので心のゆとりがある。気の向くままに、じっくりと月を眺めた。
明け方に、再び100EDをのぞいた。既にオリオン大星雲はかなり高く掛かっている。その下のシリウスと並ぶM41を眺めた。シリウスのぎらぎらとした輝きに較べると、かわいらしい星団だ。この角度ならもうベランダからも見えそうだ。
かれこれ2年ほど前、セイコーからラピュータなる腕時計型PDAが発売された事がある。ごく小さいのにれっきとしたパソコンで、16ビットのプロセッサが載っているものだった。当時、興味はあったが、4万前後と高価だったので手が出なかった。ところでふと思い出したのだが、若松ではそのラピュータが4980円という桁が間違っているのではないかという価格で投げ売りされている。そんなことを思い出したのはG4 Mac Cubeの情報を探しているときだった。すると突然欲しくなるというお馴染みの衝動が強まってきた。僕もかなり衝動買い力がついてきたようだ(ヤな力だ)。
そこでこの情報を検索してみると、ぞろぞろ出てくる。要はラピュータにはメモリサイズ別に3種類あり、若松での投げ売り品は、真中のクラスのモノだということだ。
案外にフリーソフトウェアも見つかるし、遊べそうなアイテムだ。なんだか明日買いにいっちゃいそう。
10時46分
暮らし
天気:晴れ
今週も木曜日で仕事は終わり、三連休だ。再来週も月曜休みの三連休なので、このところ連休だらけだ。だからといって何をするわけでもなく、ボーッとしながらゲームでもしていることだろう。天気も「夜は」良くないという。なめとるのか。しかし、行楽に行きたい人には昼間に雨が降るより良いのだろう。世の中はうまくできているものだ(だからどこがだ)。
2000年09月20日(水曜日)
23時44分
星見
ふと思いついて、手持ちのアイピース毎の実視野を計算してみた。といっても正式な計算法は面倒なので、倍率で見かけ視野角を割るという誤差の多そうな方法をとった。少なくとも感じはつかめるだろう。
アイピースを縦軸に、横軸には(公称)見かけ視野角、望遠鏡ごとの倍率/実視野角を書いてみた。
アイピースと望遠鏡の組み合わせ毎の実視野角
名称 |
見かけ視野 |
100EDの場合 |
C8EXの場合 |
LV40 |
42 |
16.0/2.63 |
50.8/0.83 |
K28 |
50? |
22.9/2.18 |
72.8/0.69 |
SWK22 |
70 |
29.1/2.41 |
92.4/0.76 |
K20 |
40 |
32.0/1.25 |
101.6/0.39 |
UW18 |
68 |
35.6/1.91 |
112.9/0.60 |
WO13.8 |
65 |
47.4/1.37 |
150.5/0.43 |
Or9 |
40? |
71.1/0.56 |
225.8/0.18 |
Or7 |
40? |
91.4/0.44 |
290.3/0.14 |
UW6.7 |
84 |
95.5/0.88 |
303.3/0.28 |
Or6 |
40? |
106.7/0.37 |
338.7/0.12 |
LV5 |
45 |
128/0.35 |
406.4/0.11 |
LV4 |
45 |
160/0.28 |
508/0.09 |
一見して、100EDでも3度以下の実視野しかないことがわかる。Rich Field Telescopeなどと名乗るには3度以上必要とされているから、この構成ではRFTを実現できないことになる。実現にはNaglar5、LVW42などの2インチスリーブのアイピースが必要そうだ。Naglar5は31mm84度だから20倍強で4度強という広大な視野が得られる。しかし高い。一方、Vixenから出たLVW42だと15倍強で4.2度強の実視野が得られる。こっちの方がいいかな。貧乏人だし。ああ、Naglarは遥かに遠い.....。
22時44分
星見
夜、風呂に入る前にC8EXを月に向けた。月の高度はすでに35度くらいになっていただろうか。木星はそれよりさらに高い位置にある。C8EXにUW6.7(Poorman's Naglarと命名)を着けて、月面散歩した。
広角アイピースで夜空を流すことをスペース・ウォークなどというが、これはムーン・ウォークとでも言うべきだろうか。84度の視界に月面の光景が300倍で迫ってくる。まさに月着陸船からの眺めだ。残念ながらシーイングが良くなく、ひっきりなしに雲がかかる状況だった。時々、月の表面に不思議なものが見えることがある。まっ平らな月の海の真っ只中に、まっすぐに走る線を見つけることがあるのだ。まるで滑走路みたいに見える。光線の加減でか、ある月齢の間でしか見えないようだ。たぶん、海に別の大型クレーターからの噴出物が重なったものだろうが、丸か乱雑な線かで構成されている月で、こういう直線を目にするのは奇妙な感覚がある。
昼夜境界線の山脈の眺めも楽しく、日差しを受けて光る側の輝きと、深い渓谷の闇との対比は見ていて飽きない。
いいかげん風呂に入らなくちゃ、と思い、ちょっと間を置いた。
風呂に入って一服し、また望遠鏡を月に向けた。むー、相変わらずシーイングが安定しない。木星は縞が薄くて見難い。光量は充分だったので、フィルタを掛けるとそれなりに見えたかもしれない。どういうフィルタがいいんだろう。
望遠鏡を100EDに換えて月を見た。UW6.7だと、ちょうど月の全景が視野に収まる形になる。ムーングラスを着けるとコントラストが悪化する。しかし着けないと目が焼けてしまいそうだ。
次に木星に向けてみた。こちらでもシーイングは改善されないので、かなり上空の気流が乱れているようだ。筒内気流といい高空の気流といい、思うようにならないものだ。
17時56分
コンピュータ
天気:晴れでしょ
ふとTwoTopの通販ページを見ると、なぜかG4 Mac Cubeを扱ってますとの告知が。なぜこのタイミングで。背中を押されているのだろうか。
しかし望遠鏡関連でいくら使うか分からないし、そろそろ滅茶速いクライアントも組みたいしで、悩みは尽きないものだ。
2000年09月19日(火曜日)
23時55分
星見
いつものようにビールをかっくらって横になると、意識が4:00前にまでワープしていた。なんと摩訶不思議な現象であろうや!(寝ただけ)。
実は前日のうちにフローリング部屋の窓を全開して、C8EXを順応させていたのだ。さっそく空に目をやるが......見えんぞ??? 空は確かに晴れているようだし、天頂近くには木星と月が見えるのだが、それ以外の星がほとんど見えない。オリオン座もワイドビノでじっくり探してようやく見える程度のしょぼくれた眺めだった。霞がかかっているのだろうか。
シリウスをC8EXの視界に収めては見たが、どうもいつものような迫力にかける。それと星像がまるでまとまりが無い。ダメだこりゃ。今夜はもうあきらめた。
19時53分
暮らし
天気:晴れ
ちょっと暑気が戻ってきた観があったが、今日は涼しくて快適だった。帰宅して、全ての部屋の窓を開放して涼しい風を呼び込むと、エアコンはもう不要だ。夜中には風がぱったり止まったけれど、扇風機で外気を呼び込めば充分だ。
秋だな。
2000年09月18日(月曜日)
23時55分
星見
帰宅してビールをかっくらっていると、抵抗不能な睡魔が襲ってきた。2.5時間ほど寝て23:30頃にまた起き出した。東の空を見ると、土星、木星と月がランデブーしていた。高い位置にある月を狙ってみた。
C8EXにUW6.7を着けて月面散歩だ。うわっ、明るすぎて目が死にそう(x_x)。早速、ムーングラスを着けて光を和らげる。
昨夜は筒内気流がまるで収まっていないうちに見たので、細かい像は激しく揺れてよく見えない。急に気温が下がったので、こういう目にあったと思われる。
それでも300倍での月面散歩は楽しい。100EDでは見えない月のディテールが楽しめた。それもUW6.7の80度超の視界でだ。まさに月面散歩という感じ。見かけ視野45度くらいだと真っ暗な空間に穴があるという感じだが、80度超ともなると目の前一杯が月の光景という感じで、インパクトはまるで違う。月の表面の数キロメートル程度のクレーターが、広い海にぽつんと開いている様は、なかなか面白い眺めだ。またティコの中央丘陵もかなり良く見える。残念ながら筒内気流が悪化して(ってこれって酷くなるものなの?)、やがて細かいものが良く見えなくなってしまったのだが。
ちょっと間を置いて風呂に入ってきた。1時間弱置いたのだが、まだ筒内気流はかなり残っている。というかこれ本当にそれだけ? 地表でも風がかなりあったので、シンチレーションも安定してなかったと思われる。ダブルパンチだ。
それでも望遠鏡を木星に向けてみた。アンダースローだったので物凄く狙い難い。アンダースローというのは、赤道儀のバランサーとの位置関係が上下逆になることをいっている。窓の位置の関係で、こうしないと高い位置の星は狙えないのだ。この状態ではファインダーが下になるので、まず覗き込めない。
最初はSWK22で導入してみた。鏡筒自体を等倍ファインダーにして導入すると、濃い色の縞とぽつんとした点が見えた。あ、大赤斑がこんなに良く見えるんだと思い、UW6.7に換えたところ、それが大赤斑ではない事にすぐ気づいた。すぐ近くを巡るイオの影が、木星の表面に落ちているのだ。
びっくりした。こんなものが見えるとは思ってもみなかったのだ。だが大赤斑が見えるのなら、コントラストのくっきりした影が見えてもおかしくは無い。遥か彼方の木星で数時間前に起きた現象を"今"見ているのだと思うと、なんとも不思議で愉快な気持ちになる。あんまり感激したのでデジカメ画像を撮ってやろうとしたが、これは失敗。揺らぎが大きく、細部は写らなかった。
今夜も面白いものを見たなあ。
19時49分
コンピュータ
天気:晴れ
最近、G4Macのcubeがいいなあと思ったりして。iMacよりよほどそそる機械だと思う。
Macを手放してかれこれ5年にはなるが、当時は良く落ちる、使い難い機械だと思っていた。例のマルチファインダーはまるで大画面向けのGUIでは無いし、仮想記憶に関してもアプリケーション個別に割り当てなければならないというふざけた物で(今のOS9に至るまでこのままだ)、毎日同じアプリばかり使うわけじゃないしぃ、と思った僕はさっさと売り払ってしまった。
ところがMac OSXだ。マイクロカーネルを中心とした完全に新設計のOSで、仮想記憶はまともになっているし、システムエラーの類が発生する確率も低くなってる、らしい。まあ新設計のOSなので鵜呑みにするわけには行かないが、仮想記憶のような旧態依然たる部分が改善されることは大きい。それにNeXT OS直系のOSでもあるので、その意味では10年分の蓄積はあるともいえる。
OSXではGUIも変わっている。今のGUIがどんどん取り入れているクローズ/最大化/最小化ボタンが各ウィンドウの「左上」についている。右利きの僕には心理的に使い難そうだ。またファインダーでは各ファイルの詳細が右に出る。このどっちもMS系OSとは逆の配置になっている。そんなにMSの真似が嫌か。
またドックというよくあるアプリケーションランチャーも下端に着くようだ。でかくて邪魔になりそうだが、縮小することもできるとか。見た目はWarp3のそれを思わせる。
いろいろ言いたいことはあるが、ある結果にたどり着くまでのステップ数を削減すること、無数のウィンドウが開いて往生するという状況を改善すること、という方向性は明らかに正解だと思う。
いまや、MS-OfficeやPhotoshopに呪われている人以外は、ブラウザとエディタさえあれば大抵のことはできるだろう。そういう意味ではOSなどもう何でもいいので、後は基本的な使いやすさということになる。MacOSXがせめてNT並に安定したものになるのなら、大いに興味ありといっておこう(誰にだ)。まあとりあえずジョブスに(見てないと思うね)。
そしてcubeという機械自身もそそるコンセプトだ。拡張性が無いとはいうが、FirewireとUSBがあれば他に何が必要だろうか。このcubeとOSXの組み合わせが出てくるのが、結構待ち遠しかったりする。今出ても金無いけど。
2000年09月17日(日曜日)
23時55分
星見
天気:くもりのち晴れ
朝のうちは雨だったが、午後にはもう上がって、ところどころ青空ものぞくようになっていた。しかし切れ目は僅かだ。
19:00頃にベランダから空をのぞくと、空一面に白い雲がかかっている。観望は無理だなと思っていた。しかし寝る前、0:00過ぎにふと東の空に眼をやると、いつの間にやら雲は地平線近くに退き、澄み切った空が広がっている。すぐに望遠鏡に飛びついた(いや本当に飛びついたら壊れちゃいますけど)。
100EDにSWK22を着けて、まずはすばるを見た。この組み合わせだと29倍になる。70度ほどの視界一杯にすばるの明るい星々が散りばめられ、見事な眺めだ。しかしアイリリーフが短すぎる。
昨日買ったUW6.7で見ると、広大な視界一杯に星が散りばめられ、これも見事な眺めだ。しかし95倍にもなるので、カバレージは低い。広大な視野のおかげで50%というところだろうか。
すばるを堪能した後は土星だ。こちらはカッシーニの間隙が良く見え、本体の縞も確認できた。ただしOr7+2.2倍バローの組み合わせで。UW6.7では土星が小さすぎてよく見えない。木星も縞と大赤斑が確認できた。全体的に、UW6.7は100EDが得意とする大型天体向きではないと思った。
C8EXに載せ換えて、土星に向けた。さすがに100EDよりは良く見える。UW6.7でも300倍なので、視界に浮かぶ土星は非常に明瞭に見えた。ピントを慎重に出すと、今までに無いくらいにカッシーニの間隙も、本体のエッジも明瞭に浮かび上がってくる。今夜は思いがけない好シーイングだ。9/10くらいまではあげていいくらいだ。
木星も100EDに比較して縞が非常に濃く見える。ここでUW6.7に2.2倍バーローを組み合わせるとどうなるのだろうと思った。この手の広角アイピースはバローレンズを内蔵することで広視野と長アイリリーフを両立させている。しかしここにバローレンズを組み合わせると、バローレンズの2段がけになって像が劣化するということだ。しかしやってみると、木星は案外に良く見える。670倍という物凄い強倍率だが、思ったよりぼやけない。木星本体の細かな縞も良く見える。案外に使えそうだ。しかしやはり目が負けるというか、限界近いような感じも強い。
なんとなく広角アイピースが病み付きになってしまった感じだ。
2000年09月16日(土曜日)
21時40分
星見
帰宅して、早速UW6.7mmをのぞいてみた。をを、さすがに凄い視界だ。しかし空がこれでは......。
しょぼくれている僕を天の神は見放さなかった。19:00過ぎにふと空を見ると、雲の切れ目から月が見える。この機会を逃す手はないと、早速UW6.7で月を見た。
100EDに着けると95倍くらい、C8EXなら300倍超だ。100EDで月を見ると、視界の真ん中に巨大な月が浮かんでいる。凄い迫力だ。SW18mm+バローよりも迫力がある。考えてみれば、見かけ視野角が増えると、可視面積の方は半径の自乗で増えるのだ。この差は大きい。まさに星だらけになることだろう。月はディテールまで良く見えた。C8EXに替えたいところだが、その前に濃い雲がわき出して月を完全に覆い隠してしまった。今夜はもう無理そうだ。
欲求不満なので、アイピースの見かけ視野比べをやってみた。方法は二つのアイピースを左右の目で同時に見比べ、その優劣を判定するというもの。その結果、
UW6.7 > SWK22 > SW18 > WO13.5 > K28 > H50 ≧ LV4,LV5,LV40 > K20 > OR7 > OR9 > OR6~
という順番になった。
やはりというべきか、アメリカンアイピースの圧勝だった。意外にもSWK22がSW18よりも広視界だ。公称通り70度出ているようだ。トップからWO13.5までの差は極端ではない。この上位グループとK28との間に大きな断絶がある。K28は一応はツァイスサイズだが、実際にはねじ込み式でかなり太いアイピースだ。意外にも50度ほどの視野があるようだ。明らかにH50よりも広い。H50は公称45度で、LV短焦点と変わらないのだが、なぜかLVの方が小さく見えた。恐らく、LVのアイリリーフが非常に大きく、その分見口が深いせいなのだろう。その意味で、H50からLV系までの差は僅差で、ほぼ同一と言って良い。次のK20との差も差ほどでもなく、それ以下も僅差というところだ。全体的に40度程度は確保していると見てよい。意外なことにOrの3種は焦点距離、スリーブサイズの差にかかわらずほぼ同一だった。
しかしUW6.7の視野の広いところと来たら。病みつきになりそうである。
19時42分
暮らし
天気:雨
朝になっても眠れないでゴロゴロしていた。そりゃもう家中に響くくらいゴロゴロしていた。いや待て、これは空から聞こえてくるぞ。
ガバと起きだして外を眺めると、空にひっきりなしに閃光が走っている。うーむ、今日は天気悪そうだな。
お天気サイトを見ると、今日からしばし集中豪雨の危険性があるようだ。外に出かけるつもりなんだが、心配だ。そんなことを考えているうちに意識が途切れた。
昼過ぎに起き出し、身支度をしながら外をうかがうと、今もなお雷鳴がとどろいている。が、雨の方はそれほどでも無いようだ。傘をひっつかみ、秋葉に向かった。
東京方面も雷鳴天国だった。手早く済ませなきゃと、まずはKYOEIに向かった。
KYOEIはセールス中で、2Fのスペースで展示しているという。入ってみると、狭いスペースに品物が山積みになっていた。しかし客は僕一人だ。品物もそれほどは売れてないようだ。大丈夫か、天文業界。しかし世の中うまく出来ているようで、僕がお目当てにしていたMeade Ultra Wide 4.7mmだけが売り切れていた。ってどこがうまく出来ているのだ。腹立たしい展開にやるせなさ(笑)を感じつつ、それでもこっちの方がいいかもと思う同じUWの6.7mmを買ってみた。値札は17600だったのでそれを期待していたのだが、店員さんは電卓を叩いて15000+消費税の15750でいいという。これは儲かったかも。思いがけず安く入手できて、ホクホク顔で電気街に向かった。
若松でM100を見たが、思ったより使いやすそうだったな。8MB増設モデルなら1stPalmに推薦できそうだ。CLIEもTRG Proもあった。Palm全盛で、CEはE700くらいだろうか。
全体的に、WindowsMeの話題はまったく見られない。あって当然、注目に値しないアイテムという扱いだ。
腹が減ったので、丸五に寄ろうかと思ったが、まだ時間が早い。そこでPalm版秋葉原マップを眺めると、すぐ近くに富貴という豚カツ屋があることが分かった。そこに行くと豚カツ定食980円の札が出ていた。店は狭くって、時間帯が時間帯なので客は他になく、近所の親爺がクダ巻いてるだけだった。しかしなんとも家庭的な雰囲気がうれしい。出された豚カツは衣がカリッとしていて、なおかつ油もさっぱりしている。丸五のボリュームは望むべくもない。しかしご飯は茶碗に大盛りで、味噌汁も大きめの器になみなみと入っている。どちらも美味しい。これで980円なら文句はない。これはいい店を見つけたものだ。
その後、スターベースに寄った。どうしたことか、スターベースには珍しく5人も客がいる。ここでは前から気になっているカートンTA経緯台を買いそうになったが、来月まで我慢しようと決心した。金、無いもん。
その後、ドトールで一服し、相変わらず雷鳴が響く中、帰宅した。
2000年09月15日(金曜日)
23時55分
星見
それでも3:00頃、かなり高く昇ったオリオン座に望遠鏡を向けた。しかも見た! ってふつう向けたら見る。
今日もLV40で導入して、Or7+2.2倍バローで100EDの限界に挑む。ほぼ200倍の視界に浮かぶオリオン大星雲は、昨夜に続いて三つまでしか分解できなかった。まだ高度が低いからな。
次にシリウスに向けてみた。シリウスは非常に明るく燃えている。冷たく、明るい光だ。シリウスといえば。そうだ、その従者たるM41を探そう。冬とは位置が違うので少し手間取ったが、程なくM41を視界に納めた。まだ高度が低いせいもあるが、かわいらしい、パッとしない星団だ。M7やプレアデスを見慣れた目には、あまり華やかではない。しかしまたこの星団を眺める季節が巡ってきたのだ。
さすがに眠気が募ってきたので、ここで観望完。
20時39分
暮らし
天気:晴れのちくもり
今日起きたら夜だったので寝た(超核爆)。本当に起きたら辺りは真っ暗だった。もう、18:00には暗くなる時期になったんだな。
昨日、寝たのは3:00くらいだった。しかしまあ昼には起きるつもりで、0:00に目覚しをセットしておいたのだ。
確かに昼ごろに目覚めた気がする。それどころか、14:00頃に冷たい烏龍茶を飲みに台所に行った記憶もある。それなのに目覚めたのは18:00をとっくに回った時刻だった。世界は謎に包まれている!
しかしこんな時刻に起きたおかげで、今まで気づかなかったことに気づかされた。なんの気なしにテレビを点け、ETVに合わせると、なんとコレクターユイをやっているではありませんか。しかも見たことのない展開だ。自慢じゃないが、コレクターユイはほとんど見たので、大体の展開は覚えているのだ。フリーズが暴走する展開は見たことがない。しかしウォーウルフがいるから新シリーズではないのかな、なんて思ったりもした。しかしエンディングを見て答えが出た。新シリーズだった。そういえば前にnetnewsでそういう噂を目にした気がする。しかしコレクターアイとは。コレクターハルナはどこに行った。謎が謎を呼ぶ新シリーズである。
こんな時間に起きてしまったので、KYOEIのセールに行けなかった。今日は真性なにもしない日である。
2000年09月14日(木曜日)
23時55分
星見
帰り道、外に出て空を見ると、雲の切れ間から月が見えている。早速正門を出たところでテレスコを向け、しばしその眺めを楽しんだ。やっぱりテレスコでも色滲みは大きいな。
夜中の2:00頃から木星を眺めた。既に高度45度くらいにまで上がり、GP赤道儀のアンダースローでもぎりぎり見えるところだ。100EDに木星を導入し、Or7+2.2倍バローで眺めた。木星は太い縞の他、蛇行する細かい模様もうっすら見える。が、シンチレーションが安定しない。ほんの一瞬しか見えないのだ。諦めてオリオン大星雲に向けた。こちらも高度が低いせいでシーイングはよくない。どんな強拡大でもトラペジウムは三つまでしか見えなかった。
15時37分
暮らし
天気:晴れかもしれないが
明日から3連休、しかも来週末もそうだとなると、なんとなく気分はキャッチ22である(意味不明)。とりあえず積み上がっているお仕事をうんざりしながら片付けちゃえ。というか片づかないけど。
明日はKYOEIの大売り出しにでも出かけるか。
2000年09月13日(水曜日)
20時35分
コンピュータ
天気:くもりのち雨
仕事で、やはりというべきかWindows2000を扱わねばならない状況になり、不本意ながら(笑)会社の機械にいくつかインストールした。インストールには意外に時間がかかる。NTのつもりでやると5割増くらい時間がかかるようだ。まだヘビーな使い方をしてないので安定しているかどうか分からない。
W2KにさっそくCygwinを入れてみた。B20を入れるつもりだったのだが、Cygnusのページを見ると既に1.1という最新バージョンが登録されていたので、こっちを入れてみた。インストールは流行りのネットワーク・インストール。FTP機能を持った専用のセットアッププログラムで必要分だけFTPしてきて入れるというタイプだ。しかしIEとかMozillaとかのそれがIEやNCの設定を使うタイプなのに対し、これはproxyの設定を個別に出来、またネットワークから直接インストールするか、ローカルのディスクに落とすか、あるいはローカルのディスクからインストールするかを選択出来るようになっている。ネットワークトラフィックの効率と利便性を考えるなら正解だろう。
1.1の方がB20より安定しているという事なのだが、B20でもさほどヘビーに使っていたわけではないので実感は出来ない。しかしB20ではWindowsのディスク構造が丸見えだったのに対し、1.1ではインストールディレクトリがルートになる(つまり1階層下がって見える)。
ここでw3m 1.10のソースをmakeしてみたのだが、makeの最終段階でエラーが出る。というかgccで大量に警告が出るんですけど。あるエンティティが定義されてないという類のものが出るので、コンパイルオプションの問題だと思われる。しかしw3m使えないのはつらい。そこでCygwin用のw3mバイナリを取ってきて展開してみた。使えることは使えるのだが、ある制御コードをデコードできないようで、画面になにやらエスケープシーケンスのようなコードが生のままバシバシ表示されてしまう。参ったな。
とりあえずB20に戻そうかと思案中だ。
2000年09月12日(火曜日)
23時56分
思考
昨日書いた手の海のことだが、曖昧な記憶で書いたのでかなり間違っていた。あれは原人の類などではなく、今住んでいるアボリジニの人々の先祖が催していたものらしい。また海だけでなく、内陸部の洞窟などでも見られるらしい。しかし日野啓三が見たのが海岸の絶壁に開いた洞窟でのものだったのは確かだ。海と陸の境、つまり人界の果てから、黄泉でもある海へと向けられた手形たち。そういう光景こそ、幻視者が言語化できない真実を幻視するにふさわしいものだと思うのだ。
23時55分
星見
寝る前、2:00頃だったろうか、東向きのフローリング部屋で星を見た。100EDをすっかり高く上った木星に向けた。あれほど晴れやかだった空も、この時刻にはかなりの雲が湧いている。その合間にのぞく木星をLV5で見ると、シンチレーションは安定しているようだ。そこでBORGの2.2倍バローレンズにOr7を着け、ほぼ200倍で眺めてみた。100mmの100EDでは限界に近い。像はさほど明るくは無いが、木星のディテールがかなり良く見えた。色にじみは気にならなかった。しかしこういうシチュエーションではC8EXに一歩譲る。大口径アクロマート屈折、例えば一部で話題のSchwarz150辺りで見たらどんな感じになるんだろう。あるいはニュートン式では。天頂付近の観望も含めて、安価なドブソニアンが気になる今日この頃です。
21時33分
暮らし
洗濯をしていたときのことだ。もう遅い時刻なのでブザーを消して静静と操作をしていると、なにかが視界を過ぎった。目を向けると、あら懐かしい、イエグモ君じゃありませんか。子供の手のひらサイズの中型の奴だ。結構俊敏で大型のイエグモ君はかなりの脅威なのだ。益虫ではあるんだけど、こいつに足元を駆け回られたくは無い。見ていると、洗濯機の裏にもそもそと入り込んでしまった。寝てる間に出てこられると、かなり嫌だな。共存するしかないのだろうか。
20時31分
星見
天気:くもりのち晴れ
昼頃までは雨が降りそうなくらいのくもりだったのが、22:00前に帰宅する頃にはすっかり晴れ上がっていた。職場の玄関を出た途端、夜空に白々と冴える満月が目に入った。止むに止まれぬ衝動に駆られた僕は、正門を出てからテレスコを取り出し、それを月に向けた。テレスコで見た月は、周囲に色にじみも少なく、まことに晴れ晴れとした顔で浮かんでいる。後で気づいたのだが、今夜は中秋の名月だった。
帰宅して、ベランダに出てタカハシ50mmフィールドスコープ(長いので以下T50FSと略)を月に向けた。100EDとかを出そうかと思ったのだが、もう遅いし、満月はディテールを見ても面白くないので、小口径で月全体を愛でることにしたのだ。T50FSでは月の西半球と東半球に、なぜかそれぞれ青と赤の縁がついてしまう。結構いやらしい色にじみだが、僕の場合はこれが気になったことは無い。しばし月を眺めて撤収した。
2000年09月11日(月曜日)
21時30分
思考
仕事の合間にgooのニュースチャンネルを見てると、海外のある催しが目に入った。平和を祈念するとかいった理由らしいが、「手の海」を再現する行事がどこかであったらしい。子供たちが色とりどりの手形を壁かなんかに大量につけたのだろう。
「手の海」という表現は初めて見たが、これは原人の類がオーストラリアの海岸などに残したものを指しているようだ。彼らは海岸線の洞窟に仲間を葬った後、その入り口などに赤い染料を使った手形を残していた。しかもそれは手を置いた周りに染料を吹き付けた「ネガ」だったという。
この話を初めて読んだのが日野啓三の「断崖の年」(だったっけ)の一節だった。日野はテレビで一瞬見ただけのこの画像を、幻視者ならでの鋭い感受性で「言語が誕生する瞬間」であると直感した。あるいは、その対としての「宗教が誕生する瞬間」であるとも言えるのではないか。これを残した人々は、昨日まで共に生き、暮らしていた者が突然モノに変わるという現象に直面し、その不条理さ、悲しみ、怒りを言葉の前段階としての絵画に残したのだ、と。ここまで書いて、これは芸術でもあるのだなと思った。それも、ムンクのように言語化できない不安や苦しみを画像化したものだ。死という不条理な現実を前にしたかつての人々が、弔いという意思を海に向けて開かれ、そしていっせいに蠢いている手のネガという形で結実させたものなのだ。
最初のニュースによれば、今回の催しで作られたのはペンキを塗った手をぺたぺた押し付けただけのお気軽なものだったらしい。呪術的な意味を持たなくなったこの行為に、はてさてどの程度の効果があるだろうか。
15時28分
暮らし
天気:雨だかくもりだか
今週は金曜日が休みなので気が楽だ。が、それまでにいくつも山がある。
今日も今日とて物凄く久しぶりにC++なプログラムいじりだ。Windows32のプログラムをHPUXに移植するのだが、Windwos固有の関数はともかく、マルチスレッド関係がaCCに無いのはなじぇ(X_X)。ちょっと途方にくれる俺様だった。
2000年09月10日(日曜日)
23時55分
星見
21:00からは「世紀を越えて」だったが、飯を作るのに気を取られてあまり真剣に見なかった(爆)。しかしまあNHKスペシャルはオリンピックに合わせた番組編成が続いているようで、「世紀を越えて」まで今回は合わせていた。ちとうんざりだ。番組では運動選手の能力を科学的に向上させるという筋の話が、当然のことながらドーピングの話と絡み合わされていた。
今夜は19:00頃にベランダに出て、昨日の機材大集合で忘れ去られていたタカハシ製50mmフィールドスコープ(長いので以下T50FSと省略)で月を見た。さすがに50mmという口径はテレスコよりも明るくて見やすかった。また20倍という倍率も月の観察には向いているようだ。古いビクセン60mmF15よりも像ははっきりして見やすかった。今度持って帰るのはこれにしよう。
0:00過ぎ、今夜は100EDでアイピース比較をやってみた。対象はすばる。
LV40。すばるがすっぽり収まる。像もくっきり。見やすい。
K28。これもすばる全体が見渡せる。しかし昨夜は気づかなかったが、視野の周辺では像の劣化がかなり激しい。ピントのずれと円周方向への伸びが著しいのだ。こういう限界があったのね。
SWK22。見かけ視野が広いので、これもすばるをほとんど見渡せる。アイリリーフの短さを別にすれば、これは非常に楽しい眺めだ。周辺での歪像はK28程ではない。
K20。K28と同じような傾向で、しかも見かけ視野が40度以下と狭いことに気づいた。すばるに対するカバレージは低い。
SW18。さすがに歪像は小さく、また広い視野にすばるのかなりの部分(60%程度?)が収まるので大変楽しい。
WO13.5。これも歪像がやや大きいが、見かけ視野の広さ故にカバレージは50%くらいはありそうだ。
Or6、Or9。どちらも周辺での歪像が大きい。また見かけ視野が狭いので見ているモノがすばるだという確証が乏しくなる。
Or7。アメリカンサイズ故か、前記Or.2種よりも視野が広く、また像の崩れもかなり小さい。
LV5。像の崩れは少ない。でももう少し見かけ視野を取りたいところだ。
このように、木星だのオリオン星雲だのといった小さな天体とは違う結果が出た。やはりいろいろ見比べないとアイピースの特徴はつかめないものだな。
その後は木星を見ようと思ったが、既に雲が広がり始めていたので断念した。
17時07分
暮らし
天気:晴れ
朝、起きたのは12:00頃。日曜日にあんまり遅くまで寝てるのもなんだからと、目覚しをセットしておいたのだ。起きて、しばしボーッとした後、久しぶりに戸塚に出かけた。いや、毎日のように出勤しているのは確かだが、わざわざ遊びに行くなんて滅多に無いことだ。
戸塚では図書館にまっすぐ向かった。最初、先々週に寄ったラーメン屋、いや支那そば屋に向かうつもりもあったのだが、出るまえに何も考えずに昼食をとってしまったのでやめにした。別にいつでも寄れる(得てしてこういう所にはなかなか寄らないものだ)。
図書館では前回の続きを読もうとしたが、誰かが借り出したのか見当たらない。まあいつ読み返しても理解度は変わるまい(つまりほとんど理解できてない)と思い、別の本を手に取った。日本の哲学者が書いた臨死思想に関する本だった。恐ろしいことに、この手の本はすらすら読めたような気になってしまう。使われている言葉が、基本的に僕たちの日常用語であるというのが大きいだろう。しかしほとんどアナロジーの連続なので、誤読する可能性も大変大きい。非日常の領域に設定された特殊な用語を駆使する場合と、あくまでも日常用語の範疇で記述する場合と、それぞれ一長一短あると思う。この本も面白いが、理解という点ではおぼつかない。
2000年09月09日(土曜日)
23時55分
星見
日が暮れて、ベランダを覗くと、月が昇っていた。雲が多くて星はほとんど見えないが、月は良く見える。テレスコマイクロで眺めると、月の表面が凸凹であることがよく分かる。ガリレイが月を見て「死の世界だ!」とぶったまげた気持ちが分かるような気がする。テレスコで見ると、月は青い輪郭がつくものの、それ以外の色滲みは見られない。天頂近くに見える数少ない星を見ても、くっきりとしたシャープな像を結ぶ。小口径故の点もあるが、かなり優秀なレンズを使っているようだ。
テレビを見て、1:00頃からフローリング部屋で木星を見た。すばるは既に高く昇り、フローリング部屋の狭い窓からは追えない。土星と木星が見えるので、手持ちのアイピースを使い較べてみた。望遠鏡はC8EX、シーイングは7/10程度。シンチレーションは安定していたが、しょっちゅう薄雲がかかる状況だった。
焦点距離の長い方からLV40。ビクセン製。木星も土星もくっきりと映る。倍率の関係で細部は見えないが、木星は縞がくっきりと見え、土星もカッシーニの間隙が見えた。しかし背景が明るくてコントラストが若干落ちる。LV40の特筆すべきことはアイリリーフの長さで、なんと30mm超もある。見口のゴムを折り返さなくても、メガネをかけたまま視野全部を見渡せる。見かけ視野は42度という事だ。こんな長焦点で良くこんなのを作れたものだ。ビクセン恐るべし。お勧めのアイピースです。なるべく安く買おう。
K28。やはりビクセン。ツァイスサイズのアイピースだ。20年以上前のものだが、分解清掃の結果かなりよく見えるようになった。木星も土星もくっきり見える。見かけ視野も50度くらいはありそうだ。アイリリーフは10mmくらい取れそう。しかしなぜかLV40に比べてコントラストがさらに悪い。清掃しても取れなかった汚れのせいかもしれないし、ツァイスサイズだからなのかもしれない。
SWK22。BORG製。こちらもくっきり見える。木星は縞に加えてその間の蛇行まで見える。土星はカッシーニの間隙がばっちり。このアイピースは見かけ視野こそ広いものの、眼レンズに目をくっつけないと見渡せないほどアイリリーフが短い。恐るべき見にくさだ。見口を折り返しても無駄だ。また周囲の歪像がかなりある。それ以外では軽くて扱いやすいアイピースだ。しかし無理に買うほどではない。
K20。これも20年以上前のビクセン製ツァイスサイズ。これも割りとくっきり見えるが、やはりコントラストは良くない。見かけ視野も45度くらいか。
SW18。MEADEのアイピース。手許にある中でもっとも高価だった。さすがに像のすっきり加減もアイリリーフも視野の広さも文句がない。しかし視野の端の方ではやはり多少の劣化があるようだ。お勧めのアイピース。
WO13.5。これもBORGの軽量安価なアイピース。これも広角だが見にくいアイピースだ。しかしSWK22よりはかなりマシ。オルソスコピックという割りに周辺での劣化もかなりある。しかしある意味ではSWK以上に使いやすいアイピースだ。凄く軽いので架台に負荷を与えないだろう。これもお勧め。
Or9とOr6。これも20年以上前のビクセン製ツァイスサイズ。コントラストの悪さは目立たないが、視野はやはりかなり狭い。当時の設計がそうだったと考えるべきだろうか。木星は縞縞とその間の蛇行がよく見え、大赤斑もこちらを向いていれば見えそうな見え方だった。しかし見口が省略されているのでレンズが汚れそうだ。
Or7。これは同じビクセンでも最近のアメリカンサイズ。コントラストがツァイスサイズの物よりよく、視野の広さもきっぱりした像も高価なLVに勝るとも劣らない。ただし見口が無いので汚れやすく、またアイリリーフ自体が短い傾向にある。それ以外にLV系統に劣るところはなく、また安価(半値から1/3)なのでお勧めだ。これも軽い。
LV5。さすがに像の硬さもアイリリーフの長さも良好で、大変扱いやすいアイピースだ。しかし少し重くて高価だ。比較的お勧め。
使っているうちにオリオン座が昇ってきたので、そっちにも向けてみた。
LV40。これでもトラペジウムを分離できる。散光星雲も蝶の形に見える。
K28。やはりコントラストが悪い。散光星雲がちょっとぼけた感じだ。
SWK22。くっきり見える。
K20。やはり少しぼける。コントラストの悪さが、散光星雲の見え味に影響しているようだ。
SW18。見渡せる視界の広さ、像の硬さ、散光の鮮やかさなど文句なし。
WO13.5。これも結構像が硬い。BORG恐るべし。
Or9、Or6。かなりよく見えるが、散光の再現性に乏しいようだ。
Or7。大解像度だがかなりよく見える。
LV5。やはり大解像度だがかなりよく見える。
全てトラペジウムは問題なく分離できて、散光星雲も蝶のような形が識別できた。しかしツァイスサイズのものはどうもぼんやりする傾向がある。これは真正面に街灯があって迷光が生じやすいという苛酷な条件のせいかもしれない。
こうしてみると、LV40、SW18、Or7、LV5くらいがあれば間に合うかもしれない。後は好みでWO13.5とかを足せばいいだろう。
木星が視界外に去ったので、テレスコマイクロをオリオン座に向けてみた。明るくないテレスコだが、利点が一つ分かった。暗い星が見えないので、星座の形がはっきり分かるのだ。夜空を見るにはつらいが、星座を見るには良いようだ。
最後に、外に出て10*42双眼鏡を天頂近いすばるに向けた。このクラスの双眼鏡の視界になら、すばるはすっぽり収まる。きらきらと美しい眺めだ。欲をいえば、もう少し集光力が欲しいところである。テレスコではいまいち暗いが、すばるははっきりと分かる。玩具には最適な代物だ。
22時03分
テレビ
天気:晴れ
前日寝たのが4:00頃だったろうか。目が覚めたのはなんと17:00。それ以前に14:00頃に起きだした記憶は在るのだが、どうもまた寝床に逆戻りしたらしい。これでは日記に「今朝起きたら夜だったので寝た」くらいしか書けないではないか。それにしても、二度寝の快感は捨てがたい。
スーパーに出かけた。盛んに「食欲の秋」を連呼していたので、思わずキノコだの野菜だのを買い集めて鍋をすることに決定した。季節的にまだ暑かったが、うむ、美味なり。
思ったより大量になった寄せ鍋を片付けていると、ETVの「国宝探訪」が始まった。今夜は京都の東寺講堂にある立体曼陀羅の話題。
東寺は京の守りの一角として建立された寺で、空海が責任者に任命された後は真言宗の中心となった。高野山が総本山なら東寺は朝廷との外交機関だったのだろうか。空海と言えば辞を低くして教えを請うた最澄を追い返した鼻持ちならない奴というイメージがあるが、同時に現実的な感覚に優れた活動的な人というイメージも在る。最澄のような(言い方は悪いが)学者バカと異なり、政治的な感覚をふんだんに備えた事業者という側面が非常に強い。日本中あちこちの残る(全部が空海自身の仕業とは思えないが)土木事業者としての彼の足跡を見てもわかるように、なにかの概念に現実的な形を与えるのが得意だったように思う。
その空海を責任者にしたのだから、東寺に大掛かりな建造物が次々に建立されるのも必然だったろう。意味付けはいろいろ在るのだろうが、とにかく作りたかったというのが本音だったのではないだろうか。その空海が最後に情熱を傾けたのが、唐より持ち帰った曼陀羅を仏像で表現しようという立体曼陀羅だ。これは密教で世界の中心に位置し世界を理解する智慧を表す大日如来を置き、向かって右手に5体の菩薩、左手には同じく5体の明王を配したものだ。1体でも古刹の本尊足りうる程の仏像をこれだけ配したものだから、そのマスの迫力は相当なものだと思われる。当時の人々は、マンハッタンを目にした移民くらいのインパクトを感じたのではないだろうか。
これらの仏像群には、内部に仏舎利が収められていることが分かっている。唐から持ち帰った貴重な仏舎利を封じたことからも、空海の思い入れの強さが分かる。先に書いたように空海は概念に形を与えることを追求してきた人だったのだから、密教の本質を大掛かりな立体曼陀羅に顕す事はその生涯の集大成のように思えたのだろう。事実、空海は完成を見ずして亡くなったので、結果的にも集大成となった。
曼陀羅というものが人間の世界認識の根底に関わっているというユングや仏教の主張は怪しいものだと思うが、図形としての曼陀羅には確かにあらがい難い魅力が秘められているようにも思える。空海という人は、その曼陀羅から様々な啓示を受けて形にしていった人だ。そのような定義付けをしたくもなる。
2000年09月08日(金曜日)
22時01分
思考
インターネットを流離っていると思わぬものに突き当たる。今日もなにかエロエロなものを追い求めて流離っていたのだが、なぜだかなぜか心身障害者を妹に持つ女性の手記のようなページに到達した。
その女性は物心ついた頃からその妹の世話をすることを期待され、また強制されもした。それはその女性の精神にも強い影響を与え、やがては妹の面倒を見ることが人生全体にわたる課題のようになってしまった。友達と遊びに行く約束をしても妹の面倒のために断らねばならないことが多々あり、またそもそもそんな外向きの約束をする余裕などないほど妹の世話に拘束されたという。中学校の頃には「医者になって妹の面倒を見る」事が将来のコースとして設定され、その通りの道を歩くことが家族から期待された。彼女はある程度までその期待に応えようとしたのだが、恋人を持つことも友人と外泊することもままならぬ生活に嫌気がさし、母親と喧嘩を繰り返すようになった。この母親は自分自身も障害者の我が娘に拘束される生活を続け、それを受け入れている人だ。それ故、娘の態度が「自分の妹のことなのに」と大変気に入らず、自分たちが望むコースを娘が辿らぬことに怒りを抱いている。自分が当然のこととして受け容れている境遇を、同じ家族である娘が拒むのが怒りの原因だ。
この女性は医大には入らず、環境関係の学部に入った。しかし結婚を両親に反対されたのをきっかけに、とうとう家を出て自殺を考えるようになる。そこで彼女はフェミニズムと出会った。しかし男性への怒りのみを漲らせたフェミニストと同じ道を行くことは出来ず、結局は「障害者介護が充実していれば」という思いからより社会的な運動に参加するようになったという。そして障害者の妹は施設に預けてしまった、ということだ。
かなりこの女性に同情した書き方になってしまったが、客観的には家族を見捨てて自分の思う道(それも社会運動などというキレイ事)に進んだわけだ。恐らく、この「手記」を読んだ人の何割かが自動的に「身勝手だ」という印象を抱くだろう。
この人は自分に与えられた境遇に背を向け、そこから生じる様々な義務をも見捨てて、自分の生き方を優先したわけだ。誰もが生き方を選べないという言説が説得力を持つ以上、それを論拠にこの人をなじる考えもそれなりの説得力を持つと考えるべきだろう。誰もが望んでいる人生を歩んでいるわけではない。誰もが嫌な義務を果たしているのだ、と。
しかし、ちょっと待って欲しい。万人が障害者の家族というわけではない。せいぜいがクラスメートに障害者を持っていたという程度だろう。そんな僕たちに、肉親が障害者であるという意味を理解できるのだろうか。
ちょっと考えただけでも、家族の介添えとして24時間身近にいなければならないという生活が、個人にとって恐るべきプレッシャーになることは想像に難くない。そのような生き方をこの先もずっと続けなくてはならないとしたら、絶望のあまり死を考えたくもなるというのもありうるような気がする。同じように障害者を家族に持つ人からみても、果たしてこの女性の感じたプレッシャー、絶望は理解できるかどうか確かではない。似たような境遇にあっても、周囲の反応でプレッシャーは変わるものだと思う。例えば、両親が他の家族の生活のために(その障害者である家族を)早々に介護施設に預けてしまうという選択肢もありえたわけで、それを実践する家族があったとしてもおかしくはない。この女性の場合でも、全く同じ状況にある母親との認識には大きな隔たりがある。母親はこのような生き方以外に無いと思い込んでいるのに対し、この女性はそれ以外の生き方をも希求するようになったわけだ。苦悩の根源もそこにある。他の人と同じように生き方を選びたいのに、障害者である家族が足かせ(あえてこう書くけれど)になり、思うように生きられないわけだ。施設に預けることが障害者自身にとって不利益になるとは限らない。充実した専門組織によるケアは、家族によるそれに勝るとも劣らないものになるだろう。愛情が心が、といったところで、果たしてすべての家庭にそれがあるかどうかは定かではない。
障害者自身の幸福と家族である自分たちのそれを両立させられるように、社会の援助の手が欲しいと思うのは当然のことだと思う。そこで介護施設の充実を、という思いに繋がるわけだ。しかしそこでここまでほぼ無関係であった僕たちにも影響が及ぶことになる。ありていにいえば、障害者介護の充実は、新たな社会負担をもたらすことになるからだ。
この事を僕たち障害者の家族を持たない者の側から考えてみる。障害者介護を充実させてその家族を解放することは、それら家族の社会への進出を促すものだ。今まで社会に貢献できなかった才能を役立たせることが出来るかもしれない。それは社会の利益に繋がるだろう。めでたしめでたし。
だがこのような割り切り方にはなにか抵抗を感じる。ヒトを社会貢献度などというモノで量ってしまう行為は、果たしてこのように濫用されてよいモノなのだろうか。なにか同情のような、この場合は障害者と家族全体を見守る慈悲(という表現はなんだが)のようなモノがなくては、僕たち自身がやりきれなくなるのではないだろうか。情を法や科学的視点から捌くのが現代社会ではあるけれど、家族というあくまでも個人的な空間に立ち入る以上、そのような眼差しが必要とされるのではないだろうか。僕たちがそのような眼差しを持つことが、障害者介護に先だって必要とされているのだと思う。もしもそれが僕たちに共有されていたら、この女性だってこれほどまで悩まなくて済んだのかもしれない。様々な約束よりも家族の安全を優先せざるを得ない。そういう了解があれば、障害者を家族に持つことから来るプレッシャーも、ずいぶんと軽減されただろうにと思う。
16時00分
コンピュータ
天気:くもりかな
Linuxマガジンを買うと、裏表紙にコンダラ2000の宣伝とともにあのペンギンが「そういえば...名前は?」と考え込んでいるイラストがあった。名前を募集しているのだとか。その広告を読んで激しい衝撃を受けた。しばらく立ち直れないかもしれない......そう感じるほどの。あの子ペンギンは「娘」だったのか!(核爆) てっきり元気のよい男の子だと思っていた。なんとうかつな俺様......ぐはぁ(吐血)。
2000年09月07日(木曜日)
19時59分
暮らし
天気:曇りときどき雨
8月中旬以降、ちっとも晴れんではないか。これはどうした事だ。まるで星を見る機会が無くて、欲求不満で頓死しそうである。望遠鏡にも黴が生えそうで恐いくらいだ。秋葉に行って防湿ケースを買ってくる事にしよう。
2000年09月06日(水曜日)
会社で、自席とテストマシンの間が随分離れてしまった。そこでリモートコントロールを導入しようと考えた。
この手のリモコンはこのきなんのきでも提供しているが、WindowsNT同士でのみ機能するもので、UNIXが並存する環境では使い物にならない。そういう汎用的な環境でのリモコンにVNCというのがある。
gooでサーチして適当な参考ページを見つけ、早速
VNCダウンロードサイトからVNCをゲットした。サイズは1MB程度である。これをリモコン対象(この場合はNTだった)にインストールし、パスワード設定をすると、他の機械のブラウザからコントロールできるようになる。最初、local Loopbackが初期状態では効いてないのに気づかず、自分のマシンからアクセスしてもはねられるので首をひねったが、他の機械からのアクセスでは問題なかった。
使い勝手は非常に快適とはいいかねる。なぜか時々キー入力もなにも効かなくなる事があるのだ。しかしこれは、リモコン対象機に入れてある仮想デスクトップ機能との相性かもしれない。
また、最初は日本語入力をどうすればいいのか迷った。リモコン元の機械で日本語入力をONしようとしても、自分の機械の日本語入力がONになるだけで、ブラウザ中の仮想画面では入力できない。これは特殊なキーシーケンスがリモコン対象機には送信されないためだと思われる。そこでリモコン対象機の日本語入力ツールバーを出しておく設定にし、それをマウスで操作することで日本語入力をON/OFFするようにした。これで日本語もちゃんと入るようになった。
問題らしい問題は、ブラウザベースなので表示が重いこと、特殊キーが伝わらないのでその点の使い勝手が劣ることぐらいだろうか。案外に安定しているという印象を受けた。もう一つの難点はブラウザベースなので画面が収まりきらない場合があるということだ。リモコン元が大きな画面を使っていれば良いが、同サイズ以下だと確実にはみ出してしまうだろう。これは縮小表示できるDesktop on Callの方が良かった点だ。
17時57分
暮らし
天気:曇り時々雨
夏が暑いのは、戦艦がでっかくて帝国が強いのと同じくらい自明のことだ。しかし今年の夏は例年より暑かったそうだ。日照時間も長かったと言うことだが、実は関東地方だけは雨がちの天気だったとか。よりによって関東地方だけ。しかも「夜になると雲が湧いて星が見えない」という声を天文関係のMLなどでよく見かけたので、ほとんど天文趣味の人間を狙い撃ちしたようなものだったらしい。気象という抽象的なものに恨まれるようなことをした覚えはないが。ともあれ、虫の音がやかましくなってきた。
2000年09月05日(火曜日)
19時56分
暮らし
天気:雨
朝方、といっても9:00に目覚めた。やはり涼しい。外は雨がしょぼ降っている。残暑一転して初寒感じるというところだ。
出勤のために外に出ると、結構肌寒いほどの気温だ。天気予報の言うような30度を越える暑さになるとは思えなかった。驚くべきことに、この天候の最中でも正面の中学校では水泳の授業が実施されていた。みんな寒そうだ。鍛えろよ。
それにしても、星が見れない日が続いている。
2000年09月04日(月曜日)
19時54分
暮らし
天気:晴れのちくも
朝方、喉の渇きで目覚めた。台所に行って薬缶の残り水で氷水を飲み、喉の渇きを癒していると、ふと台所の方がずっと涼しいことに気づいた。畳の間の方はマシンを点けっぱなしにしている関係でエアコンを入れてあるのだが、外気温が低いとさほど働かず、かえってマシンの熱がこもることにさえなる。そういう状態になったようだ。
また寝床に入り、いつもの時間に起きだして玄関を出ると、涼しい風が頬を撫でていった。
会社を退ける時に外を歩いていると、また最近にない涼しさを感じた。シャツ一枚では寒いくらいだ(いや肌着で歩いていたわけじゃないです)。帰宅して部屋に入っても、いつもなら部屋に入ると熱気を感じるのだが、今日はそんな気配はない。外気を入れるだけで充分涼しいくらいだ。とうとうエアコンを消してしまった。
窓を開け、涼しい外気を入れる。今夜は快適に眠れそうだ。
寝る前に空を見上げたが、さほど濃くはなさそうだが雲が一面に張り付いていた。観望は無理だな。
2000年09月03日(日曜日)
22時53分
星見
秋葉に出て、若松を襲い(いやだから特殊部隊で襲撃したわけじゃないんです)、スターベースの方に歩いていく途中だった。高架の下で異様な車両を目撃した。わお、87式偵察警戒車だ。82式指揮車をベースにした25mm砲搭載の小型車両だ。6輪の、この種の車両としてはそんなに押しが強いわけでもない車両なのだが、一般車両の中に混じると異様な存在感がある。25mm砲の砲身こそ装備されてなかったが、それ以外は完全装備だった。サイズ的に、幅と長さは一般のRVの数割増しという程度なのだが、高さが倍はある。それが強烈な存在感を打ち出しているのだ。
87式を見送り、スターベースに入った。ここで店員さんにGP赤道儀のクラッチとノブについて聞き、案外に安かったそれらを購入した。さらにKYOEIに入って3000円しないOr.7mmとアメリカンサイズスリーブとツァイスサイズのコンバーターを購入し、疲れた足どりで帰宅した。
帰って、早速クラッチとノブを取り付けた。ノブはミザールの同じサイズのものだったが、長くて硬くて赤緯側のノブと引っかかりそうだ。そこでカスタム経緯台の柔らかくてしなるノブと取り替えた。
そして小さな星を視界に入れ、ツァイスサイズ、今日買ったアメリカンサイズOr.などを見比べた。いずれも見口が無いので少し観にくいが、案外に像は透明で澄んでいる。アメリカンサイズのOr.もアイリリーフが短いことをのぞけばLVと変わらないくらいの見え方だ。これならいろいろ楽しめそうだ。
17時51分
暮らし
天気:晴れ
前日、明け方近くまで起きていたのに、9:00に起きだして出る用意をした。ぽんちえさんの出演する劇を見にゆくのだ。場所は新宿の小劇場。行った事の無いところだったので、とりあえずワイドビノとデジカメをバックパックに放り込んで飛び出した(窓から飛び出したわけでも天井を突き破って飛び出した訳でも無いぞ)。
新宿に着いたのは11:15分頃。まずはヨドバシの類に入ってマクロスライダーなる代物を探したが、良くわからなくて捜し出せなかった。まあこれは、死ぬほど欲しいというものでもない。
久しぶりに新宿界隈を歩いたが、今日はなぜだか右翼が多い。ロシアが、ロシアがいってるので、プーチン大統領(愛称はプーヤンと今決めた)の訪日に合わせたものらしい。右翼の皆さん、営業ご苦労さまです。さっさと一人残らずくたばってください。
11:40頃に劇場に入ると、そろそろ受け付けが始まっているところだった。ざっとステージの構成を鋭い視線で観察し、当てずっぽで後ろの方のシートに着いた。開演までの間、場内にはなぜだかなぜか僕が一つ残らず歌えそうなアニソンがかかっていた。
しばしアニソンを聴いていると、最後になぜかQueen&イギリスおかま野郎(名前忘却。ボウイだったと思う)のUnder Presserが流れ始め、そのまま劇の導入部に雪崩れ込んだ。
劇は桃太郎と義経伝説に、様々なものを脈絡も無く混ぜ合わせたものだった。笑いの多い話の割に客席からの笑いが少なかったのが残念。しかしぽんちえさんは準主役として良い味を出していたな。劇は途中までは少ししんどかったけど、終盤はちょっと燃えました。熱演でしたね。
終演と同時に飛び出した(くどいようだが窓から飛び出したわけでもロケットジャンプしたわけでもない)。出てぽんちえさんと会えばよかったと思ったが、まあまた機会もあるだろうと思い直した。
2000年09月02日(土曜日)
23時55分
星見
すばるが高くなる頃、望遠鏡を空に向けようとした。おや、赤経モーターが動かない。なんと昨日スイッチを切り忘れ、電池切れになっていたのだ。ダメじゃん。
赤経モーターがないと今のGP赤道儀の構成では微動できない。これは困るので、明日にでも赤経モーターに取り付けるクラッチと微動ノブを買ってこようと思う。あるいは、赤経モーター用のAC電源アダプタを買ってくるか。
そんなわけで細かく動かせないので、導入するのは大きな天体に限る。もっぱら昴を見た。LV40、SWK22、SW18、そしてWO13.5を取っ替え引っ替え見た。かなり高度があり、かつ透明度が高いので、昴の像はクリアだ。大解像度ではシンチレーションが安定してないのがわかるが、WO13.5くらいまでならなんら問題は無い。散開星団を構成する星の一つ一つが鋭く像を結び、青い光を放っている。見ていて目が痛くなりそうなほどだ。本当に美しい光景だ。こういう美しいものを見たことがなければ、見る気になったことさえもない人がいるというのは、まことに不幸な事だと言わざるを得ない。
風呂に入り、ビールを開けて、再び望遠鏡をのぞき込んだ。今度はもう地平線から顔を出しているオリオン座を眺めた。オリオン座も大変豪華な星座で、砂時計型のどの頂点を眺めても、明るい恒星が光り輝いている。そしてそのベルトの下の小さな三ツ星は、散光星雲の王様と言うべきオリオン大星雲が鎮座している。今夜はシンチレーションが安定してないので、トラペジウムはやっと分離できる程度だった。しかし低倍率で小三ツ星全体を視界に納めると、周囲に散らばる微光星がそれぞれにワッと声を上げているかのように存在を主張しあい、なんともにぎやかな眺めになる。今夜も満足できる観望だった。
23時48分
テレビ
23:00からETVでやってる「国宝探訪」。今夜は僕にとってはお馴染みの厳島神社と、そこに平家が奉納した写経を取り上げている。このどちらももちろん国宝だってさ。
厳島神社は参拝する度に回廊の長さにあきれ果てるが、アレは寝殿造りを模したものなのだそうだ。それでぐるりと回り込んだ回廊の内側は、満潮時には海になる。以前は厳島は全島が神聖視され、人が住むことを禁じられていたそうだ。当然、神社の祭主も本土に住んでいるのだが、必要に応じて舟で直接神社の乗りつけられるようになっている。それで回廊が大きく回り込み、本殿の真正面が空いているのだ。
この厳島神社に平清盛ら平家一門が奉納したのがいわゆる平家納経だ。これは和紙を赤く染め、そこに金箔、銀箔などをふんだんに使った豪華絢爛なもので、平家一門の富の凄さを見せつけるものだ。その製作手順を再現して見せていたが、非常に根気と注意力を必要とする、見ていて胃が痛くなりそうな作業の連続だ。僕にはとても務まるまい。
この経の一部の地に用いられている波の文様が、この納経から20年ほど前に製作された後白河法皇らによる別の教典のそれと一致することがわかった。この事は、朝廷に仕えていた工芸者集団を、武門である平家が受け継いだことを示している。恐らく、貴族から武士へという権力の推移の様を表しているのだろう。それにしても美しい。
17時47分
暮らし
天気:晴れ
昼頃には目覚める心づもりもなくもなかったともいえなくもないかもしれないだが、事実は目覚めたのは15:00過ぎ。あたたたた。
アパート(を詐称する集合住宅の一種)の前の中学校では、生徒たちがクラブ活動に勤しんでいる。空にはまだ夏の気配が残っているが、秋の匂いも少しずつ漂い始めている。散歩しようかなと思ったが、なんとなくゲームに没入。ダメじゃん。
2000年09月01日(金曜日)
23時55分
星見
夜、GP赤道儀上の100EDを空に向けた。が、木星も土星も雲の中に隠れている。時々雲の切れ間から現れるが、薄雲をまとったままだ。
100EDで見ても面白くないので、テレスコマイクロを向けてみた。このテレスコマイクロ、NIKONの威力か像はかっちりしまっている。ところがやはり20mmの悲しさで、さほど明るくは見えないのだ。まあ風景用だろうから、星を見ようというのがそもそも間違いだろう。
それでも振り回しやすいので、雲の切れ間からのぞく星たちを眺めて楽しんだ。まあそれなりの楽しみ方というものはある。
その後、3:00過ぎに東の空を見ると、もうオリオン座が上り始めていた。雲がすっかり消えていたので、早速100EDでオリオン大星雲を視界に収めた。風があるのか、シンチレーションは安定しない。それでもトラペジウムは4つまで分解できた。いつもながら美しい眺めだ。
19時45分
暮らし
天気:雨のち晴れ
朝のうちは雨だった。傘を持って会社に急ぐ途中、いつものように風に吹かれて足下がびしょびしょになる。まったく、レインコートでも着ていくか(蒸れると思うね)。学生の姿がドッと増えて、今日から新学期なんだと思い出した。背中が重い。今日は早く帰れたらぽんちえさんの参加する劇を見に行くつもりで、バックパックにカメラだのなんだのを詰めてきたのだ。
そんな用意はしてきたのだが、今日は無理だと思っていた。職場の引っ越したマシンを、さらに入れ換える必要があるのだ。それが人の使用時間の関係で定時後になる予定だったのだ。
ところが、案外に早くマシンの使用者がいなくなったので、昼には早々にマシンの移動が終わってしまったのだ。これで観劇に行けるかなと思っていたら、あに図らんや定時後の会議が入ってしまった。うひぃ。明日はたっぷり寝る予定なので、明後日行こうと思う。