Strange Days

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2013年8月08日(木曜日)

緊急地震速報に振り回されて、"予防原則"なるものを考える

暮らし , 思考 21:44:00 天気:くもり
 夕刻、自席でExcelを、眉根を寄せながら睨んでいた時だった。
 突然、聞き覚えのある、しかし咄嗟になんだったかを思い出せないアラームが、職場のあちこちから鳴り出したのだ。そもそも、我がauケータイ2台も、それぞれに鳴り出している。これは、あれか、緊急地震速報。
 G'zを取り出して、文面を眺めると、奈良で震度7の予報だ。ええっ、エライことだ。
 騒然とする職場。しかし、奈良と中途半端に遠い場所の警報なので、一様に戸惑いを隠せない。
 数秒が経った。地面はピクリとも揺れない。それでも、奈良は如何に。
 しかし、その後も全く揺れは来ない。その上、関西方面の情報がTwitter経由で確認でき、やはり揺れた気配はないと。誤発報だったようだ。
 その後、気象庁が正式に誤通知を認めた。どうも、微弱な揺れを関西地方で検知し、同時に離れた三重沖では、地震計が不調で、それが偶然に『同時に起きた揺れ』として誤検出されてしまい、離れた場所で同時に揺れを検知→大地震だ、という判定が下ってしまったそうな。
 地震計の不調、アルゴリズムの不備はあるのだろうが、速報の性格上、過剰な通知になってしまう場合がありうるのは仕方ない。一箇所の強力な震源地と、複数の弱い震源地とを持つ地震を、それぞれに区別するのは、多分簡単ではないはずだ。誤通知はすぐに判明するのだし、逆に大地震時に通知されない場合を考えるならば、多少は過剰になってもやむをえないように思う。
 予防原則なるものは、このように真偽の判定が難しく、甚大な被害の存在が明らかであり、かつ直後には成否が明確になるような事象にのみ適用出来るのだと思う。福島第1原発事故の場合だと、その影響を過剰に言い立てるのは、その影響があまりに長期に、かつ甚大になり、影響が無い(偽)となった場合の回復が不可能になる。まあ、言い立てている人々は、回復させる気なんて無いのだろうが。そして低レベルの放射性物質に依る影響が、例えばタバコやディーゼル排気の影響に比べても低いものでしか無いのは、既に明らかなのだから、福島第1原発事故の影響範囲なんて、その周辺の高レベル放射性物質汚染域に限られるのも明らかだろう。だから、この場合には予防原則を言い立てて、過剰な影響をまくし立てるのは、害悪にしかならないのではないだろうか。
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2013年7月12日(金曜日)

"サイクリング大会"で車種を絞ること

自転車 , 思考 22:04:00 天気:晴れ
 ここ数日、Twitterで話題になっているのが、サイクリングしまなみのリカンベント(とタンデム)禁止条項。
 この催し、「タイムを競うレースではなくサイクリング大会」を謳っているのだが、その割に首を傾げたくのがこの条項。タイム競わないんじゃないの? なんで車種を絞るの? まるでロードバイク専用と言いたいような参加条件だ。実際、かご、ミラー、ラック、キャリアの使用を禁止する条項もあり、危険な状況で抜き差しすることを想定しているとしか思えない。といっても、今回経路に高速道を含んでいるというだけで、むしろ路面は良好なので、ファミリーサイクルでも問題ないんじゃないのという印象だ。大島の坂を越えていけるのなら、何ら問題ないんじゃないだろうか。
 "サイクリング大会"というお題目と、実際のスポーツバイク偏重っぷりに、なんともむず痒い思いをするのだ。そもそも、ロードバイク的な高運動性能のリカンベントなんて、いくらでもあるのになあ。オンロードのMTB程度ならなおのこと。
 ふと検索してみると、リカンベント禁止の"サイクリング大会"は散見される。実は、ツール・ド国東もそう。国東なんか、以前は平気で参加できていたのに、近年になって禁止に倒された例だ。国東の場合、暗いトンネルが多くて、毎度事故が発生していたので、警察の覚えが悪かったという話も聞く。警察の"指導"に対し、スケープゴート的に差し出されたのが、リカンベント禁止という条項だったんじゃあるまいかと疑う。でも、計時すら止めた今の国東で、車種制限する積極的な理由はないはず。
 その他、計時込みの競技会的なイベントを主催している企業に、『ヒルクライムのみ参加可能』という、謎も極まるような条項があったり、先日開催されたレース的な大会ではファミリーサイクル参加可だが、リカンベント禁止というわけのわからない条項も見つかる。
 リカンベントを巡る各大会での扱いは、真に奇妙至極なものだ。ほとんどの運営者が、実はリカンベントというものの実態を知らないまま、『よくわからないものは禁止』としているのではないかという気がするのだ。
 そもそも、『速さを競わない』、『参加者全員が協力し合い、道を譲りあって』、『安全なサイクリングを楽しむ』ことを目的と掲げている大会で、わざわざ高速化を促すようなロードバイクへの偏重/車種制限を実施することは、その掲げた理想に反するものではないのだろうか。
 自転車の楽しみ方は多様であるはずなのに、その啓蒙こそが第一目的であるべきサイクリングイベントがこの有様では、今のブームが去った後は、ろくに愛好家が残らないんじゃないだろうかねえ。

2013年2月15日(金曜日)

ロシアに隕石落下す

思考 23:48:00 天気:雨
 いやはや、驚いた。こんな事態が、本当に起きるとは。ロシアに隕石が落下し、その落下物(?)や衝撃で、多数の負傷者が出ているようだ。今のところ、死人が出てないのが幸い。
 動画を見ていると、地上にくっきり影ができるほどの明るさで、都市を上を過ぎっていったようだ。空中で炸裂したようで、その大音響が動画でにも残されている。火球の類が動画に残されることは、年に数回くらいあるのだが、これほどの規模で、これほど広範囲に残されたことはないだろう。
 東北沖大地震の際にも、あれほど多数の動画が残されることは無かっただろうと思ったものだが、今回の動画も我々に深宇宙に潜む脅威を訴え続けることだろう。
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2013年1月18日(金曜日)

なおも凍える冬日

思考 , 暮らし 22:32:00 天気:晴れだよ
 今朝も気温は低い。いつまで居座るのよ、この寒波。そんなわけで、まだあちこちに雪が残っている状況だ。
 気になるニュース。実は去年夏頃のニュースに、今頃気づいたのだが。
 つい先年、訪ってきた奈良は飛鳥大仏だが、実は鋳直しもされておらず、建立当時の状態で保持されてきた可能性が高まったという。もともと、何度も修復され、手先の一部しか元のままでは残っていないとされてきたのだ。しかし、金属組成の鑑定から、大部分は元のままとの結論が得られたらしい。本当なら、俺は飛鳥時代そのままの姿で、そのままの位置に鎮座している仏と対面してきたことになるのだな。うむ、歴史ロマンなりよ。
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2012年12月23日(日曜日)

年末の奈良行2日目

, 思考 , , 美術館 , 自転車 ( 自転車旅行記 ) 21:31:00 天気:雨時々止む
 今日は、前回回れなかった、明日香村周辺をうろつきたい。
 ホテルのしょぼい朝飯を食いつつ作戦会議。恐らくは、ホテル前*1の道を延々と南下すると、近鉄飛鳥駅まで出られそうだ。Bromptonを南下させていった。道は比較的広く、まあまあ走りやすい。下手にサイクリングロードを行くよりは楽だった。
 さて、ずっと南下してゆくと、地図上では橿原市に入った辺りで橿原神宮に出る。なんの予備知識も無かったのだが、要するに明治期の国家神道に置いて新設された、神武帝を祭神とする新しい神社らしい。正直、有り難みがないな。しかし、これもいい機会だと思い、立ち寄ることに。
 神社の前に、近くにある橿原歴史博物館に立ち寄った。遺跡の豊富な地故か、地味な佇まいの割に見応えのある博物館だった。
 橿原神宮の参道に回る。偶然にも、すぐ近くに滑りこんできた男性も、Bromptonでやってきていた。旅行にはいい自転車ですよね*2
 橿原神宮は、想像より豪奢ででかい神社だった。ここに見えている拝殿から、さらに本殿までの間はえらく離れている。むしろ遥拝殿の扱いだ。ちょっと、カミとのダイレクト感がない。
 橿原神宮から更に下ると、近鉄飛鳥駅。ここが今日の実質的なスタート地点だ。
 まずは高松塚古墳に向かう。古墳を取り囲む丘陵地を込みで公園化されており、高松塚古墳そのものは外形しか参観できない。別に古墳館があって、内部の状況などを知ることができる。
 高松塚歴史公園を離れ、次はと地図をまさぐってみると、どうもサイクリングコースが設定されているようにみえる。なので、その道を通ることにした。
 公園からやや北上し、こんもりした丘を越える道に入ると、鬼の俎があった。実態は、この近くにある*3鬼の雪隠と合わせて、一対の石棺を成していたようだ。こうした謂れのわからなくなった、しかし明らかに古墳の一部と思われる遺跡が多いのも、明日香村の楽しいところだ。
 一度丘を降り、車道と並走するような裏道にあるのが亀石。これも古墳関係なのだろうとは思うのだが、その用途が想像できない。呪術的な意味合いを持つ埋納品だったのか。
 お腹が減ってきた。橘寺近辺に出て、何の気なしに対面の川原寺に目を向けると、なにやら食事できそうな雰囲気だ。自転車を止めて、寺の脇手で鍋焼きうどんを頂く。雨もぱらつく寒い曇天だったので、この暖かさに生き返るようだった。
 その対岸にある橘寺には、やはり二面石という謎の遺構がある。亀石と同じ古墳関係なのだろうとは思うのだが。
 明日香に来たんだから、どうしても石舞台には行きたい。それほど離れてない場所にある、石舞台歴史公園に向かう。ちょっと雨がぱらついているのを気にしつつ、公園*4に入った。外から見ても中から見ても、明らかに古墳の玄室ですねという造りだ。しかし、たかが人一人を葬るのに、えらい手間だ。権力と富というものは、これを可能にする。
 この辺で雨が強まってきたので、石舞台歴史公園対面の売店で雨を凌ぐ。まあ、どうしても雨がやまなければ、雨具を着て最寄り駅まで走るだけだ。しかし、その前にせめてアレは見たい。雨が上がればいいが。
 そういう願いが通じたのか、濃い雨雲は通過していった。よし、アレを見にゆこう。
 さらに北に続くサイクリングコースに沿って走る。案内表示を拾いながら小公園に至り、山中に分け入ると、あった。酒船石だ。手塚治虫だ! 三つ目がとおるだ! これも、いやこれこそが極めつけに謎の遺構だ。写楽保介が説いたような、薬石混合台という説は無さ気だが、丘の下から発掘された亀型石造物の存在と考え合わせるに、なんらかの流体を扱う場だったという予想は成り立ちそうだ。実際、亀形石造物の方は、どう言い繕いようもなく水盤だ。
 次に見たいのは、飛鳥寺。その辺に向かう途中で、異界への入り口のような光景に出会う。
 更に北上すると、これも押さえておきたい古刹、飛鳥寺に行き当たる。本尊の飛鳥大仏は、その創建当時から動座していない希少な飛鳥仏だという。脇侍のうちの阿弥陀如来像も重文であり、残る釈迦牟尼仏とともに、この三尊は撮影自由らしい*5。ありがたくカメラに収める。
 この寺を突き抜けて、少し歩いたところに、蘇我入鹿首塚がある。なんの説明もなく、中途半端に造成中の場所にぽつねんと置かれ、いささか戸惑った。
 まだ雨の気配が残る中、最後に飛鳥情報館に立ち寄る。ここでは、この近くにある山田寺の遺構に関する展示がされていた。しかしまあ、古寺古刹に古墳だらけの土地だな。
  JRの桜井駅まで走り、輪行でホテルに戻った。食事は、なんだか鰻欲が最強に強まっていたので、三条通のうなぎ屋に入る。しかし炊いたご飯はあまり欲しくない。なので、鰻雑炊という変化球を取った。卵を絡めた鰻の雑炊がうまい。
 明日は平城京跡には行きたいものだ。
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2012年12月19日(水曜日)

電子書籍であっても積読は積み上がる

デジタルギミック , 思考 23:21:00 天気:あったかい
 恐ろしいものだ。ここ数年、いや10年ほども、拙者はあまり本を読まなくなってしまった。末期的活字中毒の症状もどこへやら、自転車という新しい趣味と、なによりまさに活字そのものであるインターネットという新しい空間を得て、読書欲も大幅に減退してしまったのだった。
 しかし、遂に電子書籍の時代が到来した。わざわざリスキーな自炊に手を出さなくとも、物理媒体に縛られること無く、読みたい本を紐解ける。これは本読みとすれば、当たり前のようだが画期だ。読んでいる本を置いてきてしまい、別の本を割りこませるべきかという気持ち悪い悩みにわずらわせられる要が、もはやないのだから。
 最初はリハビリ用にと、読みやすい短篇集を読んでいたが、長編であっても中断すること無く、いろんな端末で読めるという利点にやられ、長年途中で読み通せなくなって弱っていた『幻詩狩り』を買い直し、さらには最近のラノベの流行りの表層くらいは追う真似でもしようと、目に付く軽めの小説、科学書、そして気になっていた本を買う。すると、早くも積読が積み上がりつつあることに気づく。なんという事か。電子書籍ですらも、彼奴らに悩まされようとは!
 しかしながら、物理媒体と異なり、電子書籍の積読は*1場所を取らないのが救いだ。アマゾンの場合はクラウドに収まる範囲でしか扱えないのかもしれないが、それでもかなりの冊数を溜め込めそうだ。Google Playの場合は、制限あるのかな。
 ともあれ、従来までとは一味違う、しかし軽くなったとはいえ積読圧に悩まされる点では変わりない、読書体験が素晴らしい。とりあえずはGoogle PlayとKindleの2本立てで、使い勝手はあまり変わりない。唯一といっていいくらい違うのが、Kindleの場合はPaperwhiteという専用端末を使える点だろうか。これが軽量かつ長寿命の気楽な端末なので、Nexus7で全部カバーできるのに、あえてこちらで読みたくなる出来だ。もうKindleに一本化してもいいかなと思うくらい。しかし、まだまだ揺籃期ではあるので、カラー書籍が十分に視程に入ってから、考えなおすことにしよう。当面は2本立てだ。
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2012年12月17日(月曜日)

自民大勝の月曜日

暮らし , 思考 22:50:00 天気:晴れ
 民主党のへなへなっぷりを見れば、これは当然の結果。しかし、この3年で失ったものは、あまりにも多いな。2大政党制を確立するタイミングなんて、経済的にまともになってからじゃないと無理に決まってたのに。こうして失敗してしまったわけだ。
 とはいえ、勝たせすぎじゃないか。民主大勝の時にも思ったのだが、ここまで前政権党を敗退させてしまうと、そこが持っているリソースが、一気に散逸してしまう。米の2大政党制のように、そうしたリソースの確保/解放が簡単ならいいが、日本の議会ではそうも行かないだろう。自民党が敗北直後に苦労したように、しばらくは民主党からもろくな対案が出せないのではなかろうか。
 選挙制度の不備は大きいにしても、やはりその時その時で民意が移り気にすぎるのが問題なんじゃなかろうかと、ものすごく上目線から語って終わりとする。
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2012年12月14日(金曜日)

リスクと個人

思考 23:14:00 天気:気温の割に寒い曇
 3/11震災以来のリスク論議、特に原発を巡るものがそうなのだが、単に『危険あり』というレベルに留まっているものが多くて、個人としてどう受け止めるべきか戸惑ってしまう。
 『危険がある』なら、まず回避を最優先すべきという考えはあるとして、しかしその危険にどの程度の重み付けをするかは、結構個人的な嗜好の入り込む余地があるのではないか。
 例えばタバコ。喫煙者にもまじめにリスクを検討して受け入れている向きもあるのだろうが、単に止められないというだけの理由で、リスクを無視している向きも多いと思う。それはまあ、まさに個人の嗜好なんだから、仕方ないんじゃないかしらん。
 しかし非喫煙者である僕とすれば、やはりまずは避けたいリスクではある。だから、飲食店では禁煙店を優先的に探すし、ホテルでも喫煙ルームはまず外す。しかし、もっと大きなリスク、端的に言って対人関係のリスク*1を避けるため、喫煙空間に身をおくリスクを取る立場だってあるだろう。つまり、大抵のリスクは個人のレベルでは交換可能だ。
 翻って原発。まるでこの世の終わりを告げるかのような、反原発論者たちの熱狂的な警告にもかかわらず、今のところ放射性物質で死に至らしめられたり、あるいは寿命が縮んだ人は居ないように見える。そもそも、見えているリスクは数十年単位での発がんリスクなのだから、即座に体感することは不可能だ。そして、概ね信用できそうな数値を受け入れるならば、そのリスクも先に上げた喫煙リスクに比較すれば、むしろ低いものだ。
 ぶっちゃけ、『リスクは避けるべし』という言葉が独り歩きしてないかな。先に挙げたように、他に優先して回避すべきリスクはあるだろう。また避けようのないリスクはある。原発即時停止論に見る『これはリスクだから絶対避けろ』という極論は、多くの人にとって受け入れがたいのではないか。原発リスクは多くのリスクと背反だ。停電リスクと直接相反する。火力を働かせなければならない現状からしても、輸入に伴うリスクは発生するし、第一に直ちに金銭に跳ね返る。そう考えると、原発稼働に伴うそれは、『避けるべきリスク』の第一ではないと思う。
 ここに、"原発直下"で相次いで"発見"されている活断層というリスクが登場する。しかしこれも、どう考えればいいのだろう。"発見"の契機が、活断層の年代に関する定義変更であることは間違いない。でも、その変更の契機が”今後活動の可能性がある断層”の根幹に関わる部分であることに困ってしまう。単に法的技術的な話じゃなくて、過去活動歴があり、また再稼働する可能性のある年代が長く見られるようになったという、地震学的な根幹に関わる変更だからだ。しかし、20万年動かなかった断層が動く可能性をそんなに高く見る必要があるのか? 例えば九州の巨大カルデラ噴火は1万年周期だ。それが完全に無視されている現状で、わざわざ十万年単位で再来するかどうかわからない変更に、それほどまでに備えなくてはならないのか? それがわからない。
 個人のレベルでは、停電リスクという大きなリスクの前では、『今』断層が動くかどうかなんていうリスクは、ごく小さいものに思える。稼働させて、時間をかけて対策してゆくべきではなかろうか。その上で、『今』活断層が動き、直撃してしまったならば、もう仕方ないと思うしか無いのでは。つまり、それは飲むべきリスクであると思うのだ。
 という思考の経緯を人に説明しようとすると、まず自分が混乱してしまうので、メモ書きとして書いておく。
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2012年12月03日(月曜日)

地下鉄通勤と笹子トンネルの事故

暮らし , 思考 22:02:00 天気:雨でした
 雨予報なので、地下鉄で通勤。だんだんとマスク姿が目立ってきた。かくいう僕も、喉元の保湿のためにマスクを着けている。
 昼頃から、笹子トンネルの事故情報が飛び交い始める。これは根が深いだろうな。昨今の”効率化”*1の果てに、最低限の資源でしかし最高の結果を求められることが当然という風潮が強まってきた結果が、これではないかな。ならば、今は滞りなくメンテナンスが行われている、他のトンネルでも、似たような事故が発生する確率が高まるかもしれない。今後しばらく、日本の国富が急激に回復するとも思えないし、リソースを見境なく絞る風潮は続いてゆくのだろうから。
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2012年1月17日(火曜日)

あの日

思考 23:10:00 天気:晴れ
 阪神淡路大震災から、丸16年か。
 あの頃には、既に関東にいたので、直接の損害は受けなかった記憶がある*1
 あの朝のことは、よく憶えてない。当時はテレビを良く見ていたので、きっと時々刻々と増えてゆく被害に驚きながら、見ていたことだろう。鮮烈に憶えているのは、高架道路が横倒しになった、あの光景だ。まさか、あんな頑強なものが崩壊するなんて、と。
 思えば、あの時にいろんなヒントがあったのだ。例えば、大地震はないと言われていた彼の地にも、その後の地質学的調査では幾度もの大地震に見舞われてきたことが判明している。それも、実は以前から文献調査では指摘されていたことだった。東北関東大震災でも似たような話があった。せっかくヒントがあったのに、生かせなかったのは悔しい限りだ。
 とはいえ、リソースは無限ではないのだから、すべてをベストになんて望むべくもない。喫緊の、それも影響甚大な課題からプライオリティを付けて、できるだけ早く片付けてゆくしか無いだろうなと思う。それでも、課題は積み上がってゆくだろう。
 こういう時にこそ、日本の強力な*2官僚機構の馬力が試されるのではなかろうか。もっとも、その上に載っている政治家たちが右往左往しているようでは、舵取りもままならぬだろう。
 個人的には、野田さんはダメ首相の一人だが、それでも任期を全うして欲しい。政治家のヘッドがコロコロ変わる状況では、官僚も国民も戸惑うばかりではないか。
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2011年12月16日(金曜日)

12月も残り半分

思考 , 自転車 22:56:00 天気:晴れてますね
 12月はもう半分しか残ってないって聞いた。デマだよ……ね……。そんな、今年はなんにもしてないのに……。
 やはり、3月以降、東北大震災の影響と、新しい仕事の状況が、俺を追い詰めていたのだろう。なんというか、あれからずっと時間が止まっていた気がする。
 しかし、意外に自転車旅行には行った気がする。震災直後のしまなみ縦走には行ったし、南会津には2回行った。また下関に入ったし、阿蘇にだって2回行った。意外に走ったな。
 来年はどれだけ走れるかわからないが、平和な年で有って欲しいものだ。まずは年末の奈良。
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2011年7月28日(木曜日)

小松左京逝く

SF , 思考 21:34:00 天気:不順
 ついにこの日が来た。
 昼過ぎに、Twitterで一報に接したときには、『ああ、ついにこの日が来てしまったか』という想いに囚われた。いつかは来るだろうと覚悟していたが、今日がその日だったとは。
 故人の業績について、改めて書き下すまでもなかろうと思う。しかし、世間にとっては、小松はその作品を知られ、というより、むしろ万博や花博のプロデューサー、映画との関わりで知られていたのではないかという気がする。それは故人にとって幸福なことだったろうか。もちろん、僕にとっては『復活の日』の、『明日泥棒』の、『さよならジュピター』の、『日本沈没』の、そして『果しなき流れの果に』の作者が小松であったことにこそ、意味があったのだ。
 小松は逝ってしまったが、80歳ならば大往生というべきで、あんまりしんみりしないで、笑って送りたい。僕の少年期からこちらの感性を形作ってきたのが、SFという文学の一部分にして異端じみた代物だった。分けても小松の占める位置は非常に大きいものだった。その小松は、『大抵の問題について、人類は乗り越えられる智慧を持っている』と語っていた。その通りだ。原発の問題に関しても、放射性物質の始末そのものには困るとしても、それを収集して、安全に保管する技術は持っている。戦争に関しても、少なくとも先進国においては『より安全な戦争』への道が模索され、またそもそも戦争となった時の相互ダメージの巨大さから、躊躇われる傾向がはっきりと見えている。いずれも、残るは人間そのものの心理的な問題なのだ。だからこそ、司馬遼太郎共々、日本の現状について言葉を聞きたい相手だった。本人も日本の行く末を見届けたかったに違いない。
 作家としての小松は、ここ20年ほども前に物故していたとも言えそうだが、それでもたまに浮上してこられては一言残してゆかれるのが頼もしかった。
 今夜は、どうせなら不謹慎な『(ス)サマジイ革命』でも追悼読書しようかと思ったが、そもそもどこにしまい込んだことやら。不誠実な読者をお許しあれ。
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2011年7月26日(火曜日)

久方ぶりにしみじみと夕暮れ

暮らし , 思考 , デジタルカメラ , 自転車 ( 自転車散歩 ) 21:48:00 天気:雲多し
 真夜中に、芦田豊雄氏の訃報に触れる。バイファムに北斗の拳、見たなあ。しかし、一番印象に残っているのが、今なき月刊OUT誌上に持ったコーナーでの暴走っぷりだった。あれは、ただ事ではない切れ味だったな。黙祷。
 さて、今日は午前中に目覚めたものの、二度寝してふと起きると14:00前だった。寝過ぎだよ。
 とりあえず起きて、夕刻に境川に向かった。面倒なので、またMR-4Fの出番だ。ちょっと重いが、走りは十分軽いし、ギアはたっぷり30段もあるし、荷物も載るし折り畳めるしで、いい自転車だ。俺の10年間のノウハウが詰まった愛車だ。GIANTが未だに作り続けてくれるのが嬉しい。日本以外じゃ売れないだろうに。流石にフレームがぼろぼろなので*1もう、今のフレームに替えようかな。色がCPしか無いのが嫌なんだが。
 さて、とりあえず境川を大清水高校対岸の休憩所まで下り、折り返す。浄水場対岸の夕陽観測ポイントで、夕陽を撮る。機能はGH2、今日はGF2だ。カメラとしての能力は、どう考えてもGH2の方が高い。でも、写真を撮る時に、GF2の方が歓びを感じるのだ。GH2は形態的に従来型一眼の延長で、GF2はコンパクトデジタルカメラの延長で捉えてしまう。そのため、GH2では例えばD90に比べて足りない部分*2を想起してしまうのに対し、GF2ではコンデジで出来ないことを想起してしまう。ので、GH2にいまいちの物足りなさを感じ、GF2には新しい感覚を覚えるのではなかろうか。実際、タッチインタフェースを多用するのは、GF2の方だ。ハードウェア的には、GH2でも使える。しかし、カメラが重いので、片手で保持しながらタチするという動作が難しいのだ。タッチインタフェースは、カメラが軽量じゃないと活かしにくい。そういう点で、GF2でこそ、タッチインタフェースを使う気になるのではなかろうか。
 とはいえ、どうせタッチでコントロールするのなら、全てを制御したいのに、現状ではダイヤルやボタンの類を使わされてしまう。この点が、もう一皮剥けて欲しいところだな。あるいは、iPhoneにお化けみたいなカメラを載せてくるか、逆にカメラにAndroidが載るかだ。
 ここでの夕陽は、雲が多すぎて燃えなかった。少し北上した、送電線が林立している場所でも撮る。ちょっと燃えてきた。最終的に、湘南台を望む場所で、本格的な日没を見た。稜線の関係でこの差が生まれる。こんなにしみじみと夕陽を見送るのは、久しぶりだったな。
 スーパーで今週分の朝食を買って、帰宅。
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2011年4月17日(日曜日)

境川に桜の名残を探しに

暮らし , 思考 , ゲーム , デジタルカメラ , 自転車 ( 自転車散歩 ) 22:17:00 天気:ちょっと雲多し
 今日は遠出しようと思いつつ、昨夜なんとなく夜更かししてしまったので、結局昼頃まで無駄な時間を過ごす。なんとなく、Youtubeで東北大震災時の画像を見ていたら、眠れなくなってしまった。釜石市が津波に襲われる画像なんか、何度見ても慣れない。飽きないというより慣れない。大きな堤防を易々と乗り越えた、ただ多量なだけの水に、文明の痕跡が一掃される様に、何度も衝撃を受けるのだ。これは、世界貿易センタービル崩落とは意味が違う、人間の営みに永遠に掛かり続ける影の形なのだ。
 しかしまあ、被災地に人間の居住地帯を復興させるという考えは筋がいいとは思えないが、この先数百年は同規模の災害に襲われにくいだろうという考えもアリな気もする。少なくとも20mの大防潮堤は無しだろう。金が掛かるという以前に、上を考えたらキリがない。カリブ海に巨大隕石が衝突した時には、沿岸一帯に数百mの津波が発生したというしな*1。極端かもしれないが、今回はまさにその極端な地質学的事件が、我々の"今"起きたというのが教訓ではなかろうか。ならば、いつ来てもおかしくはないと言われる、九州巨大カルデラ噴火はどうするのだ。もはや減災と言うにもおこがましいほどに、微々たる対策しか取れない気がするのだ。日本はそんな激動する土地の上に立っているのだと、常に諒解して生きてゆく外はないのではなかろうか。ありていに言って、ある程度以上の事態が発生したら、もう諦めろと。
 そんな風に妄想に耽っているから、普段の生活が割を食う。今日も夕方になって、やっと外出する気になった。便利なMR-4F改で、境川に向かった。今日はD90を持って出た。最近、GH2ばかりだったからな。
 桜は、さすがに完了状態。まだ花びらを舞い散らせている樹が多いが、葉が伸びて花を隠してしまっている。
 遊水池で鳥を眺めていたが、これという奴が居ない。住み着いている青鷺が遠くに見えたが、近づいてカメラを向けた途端、下流に向けて飛び立った。餌取りだろう。
 MR-4F*2便利な自転車で、これ一台で賄えるんじゃなかろうかと思う。それはポケロケでもBromptonでも同じことだが、ホイールサイズの大きさから踏破性が高いこともあり、もっとも万能感が強い。欠点はトラベルケースで遠投という手が使えないことか。
 桜は終わっていたが、花は数多く咲いている。アパート前の花畑で、菜の花と芝桜のコラボを撮る。D90は、やはり撮った瞬間の充足感が強いな。
 帰宅して、今度はなんとなくQuakeのスピードラン動画を見始める。Chthonの野郎の頭の上を通過可能とは知らなかった。笑えるくらいの超ハイテクプレイだった。
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2011年4月01日(金曜日)

遂に我々は溢れかえるモノたちから解放されるのか

思考 00:00:00
 素晴らしいニュースだ。もはやコタツの上になぜか積み上がってゆく書籍共とも、まもなくお別れだ。

 【国内】グリッド家具実用化へ。家具の収納品と空きの情報を全世界で共有しあう試み始まる。既存の町内会、おばちゃんネットを利用し、各家庭の家具に収蔵された品と空き容量を融通しあう。価格を下げるために、インターネット接続機能は省かれる。代わりに加入電話(黒電話推奨)、町内会回覧板を利用。新聞の通信欄を使用して、遠隔地との接続も可能。将来的には国際郵便を利用しての全世界対応も。専門家A「隣家同士だけでなく、北海道と沖縄など遠隔地同士での砂糖醤油の貸し借りが簡単になる。まるで不要なのになぜか家にある物体の隠匿も楽に。福音だ」専門家B「隣家のおばちゃんがなぜかベッドの下のエロ本の存在を熟知していることが判明するなど、プライバシーにまつわる問題が起こる可能性がある。特定書籍は除外すべき」

 いろいろ問題はありそうだが、無限とも言える空き容量が手に入るのは魅力的だ。サービスの開始を心待ちにしている。
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