Strange Days

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2009年2月27日(金曜日)

家で病んで夢は枯野を駆け巡る

暮らし , 思考 23:55:00 天気:霙らしい
 せっかく休みにしたのに、外は物凄い寒さだ。雨がと思いきや、霙になっている。この急な冷気にやられたのか、昨日濡れ濡れになりながら走ったのが悪かったのか、体調を崩してしまう。微熱がずっと続いて、咳は無いがイヤンな感じの痰が溜まる。喉がずっといがらっぽく、空咳が出そうで出ない。いっそのこと出てくれと思うくらいだ。
 せっかく休みにしたのにと思いつつも、外の様子を見るにいずれにせよ外出するのも無理だ。
 Picasaで画像データの整理をやる。先週の写真を整理するつもりが、気が付けば過去の旅行のそれをつくづく眺めて過ごしていた。旅はいいね。あー、もう最高! とか盛り上がりまくるわけではないが、しみじみと『良かったな』と思い返すのだ。行ってきて、本当に良かったな、と。生きている間に、後どれくらいの場所を見て逝けるだろうか。この間、柏尾川の東岸を始めて走った時、ふと思いついたことがある。これで、世界の0.1%くらいは走ったかなと思ったのだ。なら、世界で見てない場所は、たった99.9%くらいだ。頑張れば、後300年もあれば行き尽くせそうじゃないか。
 益体も無いことを妄想しつつ、朝も昼も無く寝たり起きたりしながら、気が付くと真夜中。
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2009年1月11日(日曜日)

埜庵近美鎌倉

自転車 ( 自転車散歩 ) , 思考 , デジタルカメラ , 美術館 22:49:00 天気:晴れ
 起床は9:00。久しぶりに午前中に行動開始する意欲が湧いてきたので、二宮の吾妻山公園に行ってみようと思った。自転車は、やはり今年初乗りのSatRDayだろう。
 SatRDayを部屋から出し、集合住宅の前からさて走り出そうとペダルを踏んだ途端だった。金属音とともにチェーンがすぽーんと外れてしまったのだ。何事ぞと思いつつチェックすると、チェーンをつないでいるKMCのコネクタープレートがねじ曲がって外れているではないか。前に掃除した時、コネクターをちゃんと付けてなかったか。ともかく、なにせ部屋の前なので、すぐに取って返した。そしてConnex Linkを探し出して装着する。これでやっと走り出せる。が、今度はチェーン飛びが発生しまくるようだ。チェーンの一カ所で動きが渋くなっていたので、慎重にこじってスムースにしてやった。今度こそ、走り出した。
 ところが、今度は周期的な異音に悩まされる。調べてみて、チェーンの中間ガイドが歪んで、左右に振れているのが分かった。これはどうにもならんな。幸い、走行には支障なかったので、先を急ぐ。奇妙な異音をまき散らしながら走るキモイ自転車を駆って、境川を下っていった。
 藤沢で引地川に乗り換え、埜庵に向かった。なにやら、埜庵風雑煮というのを出しているとか。店に入り、大将から常連パスを入手し、早速雑煮とミルクイチゴを注文した。雑煮は、これはポトフにたまたま餅も入ってますという感じか。野菜がたっぷりで、西洋風の出汁と焼き餅がなぜかマッチする。この3連休だけのメニューらしい。ミルクイチゴは、前回来た時にも話題になったが、ミルク掛けの氷に、イチゴシロップを添えたものだ。寒い冬、暖かな部屋で氷を黙々と突き崩す贅沢を味わった。
 埜庵を出て、本当なら二宮に向かうべきところを、鎌倉に向かうことにした。駆動系のトラブルがあったので、自重したのだ。というのは言い訳で、本当は満腹になったら遠出する気が失せたのだ。
 鎌倉の近美鎌倉館の駐輪場にSatRDayを入れ、鎌倉館に入った。収蔵品展が開かれていたので、以前目にしたモノも含め、じっくり眺めた。
 多くの絵画を眺めながら思ったことは、絵画とは視点が描かれたモノではないかと言うことだ。もしも絵画の価値が、単純にモノを描写したモノというだけに留まるなら、今この時代に存在する価値はない。写真があるからだ。ところが、写真の登場後、絵画はむしろ大きな自己変革を遂げてきたっぽいぞ。それは、結局のところ、絵画に描かれているのはモノではなく、モノを見る作者の視点なのだということではないか。だからこそキュービズムやシュールレアリズムのように、モノの描写を離れた絵画が成立しているのではないか。
 そこで問う。では、写真もまた絵画なのだろうか、と。
 その答えを悶々と自問自答しながら、鎌倉館をうろついた。ここから見える源氏池が美しい。美術館を出て、鶴岡八幡宮を参拝。今日もおみくじ待ち行列の長さにめげ、引かなかった。
 さらに近美鎌倉別館での回顧展を見てから、SatRDayに戻った。いつの間にか、横にBromptonとBSモールトンがいた。駐輪場を出て、北鎌倉によじ登る。この先、大船までは延々と車がたまっていた。良い具合の夕焼けを横目に、日暮れてゆく大船に出て、そこから藤沢経由で境川に戻った。途中、東海道線と併走する辺りで、良い具合に燃えている夕景を撮った。
 真っ暗になる中、ハブダイナモは明るいぜと思いつつ帰宅。

2008年12月18日(木曜日)

藤沢周り帰還

暮らし , 思考 , 自転車 ( 自転車散歩 ) 20:08:00 天気:晴れ
 今日も藤沢周り帰還。結構汗を掻いて、帰宅した頃には背中がべっとりだった。冬にしては気温が高いな。
 走りながら、ふと、既に日没時刻は遅くなり始めているのだと思い出した。関東で日没が最も遅い時期は、だいたい12月初旬辺り。冬至の概ね2週間ほど前の時期だ。これは地球の公転軌道が楕円形であることに由来し、日常使っている平均太陽時と実際の太陽軌道から算出される真太陽時にずれがあるためだ。また地球の公転軌道面に対して自転軸が傾斜しているからでもある。
 そんなわけで、日常使っている暦の上では冬至はまだなのに、日没は遅くなり始めているという事態が発生するのだ。太陽暦そのものにも言われることだが、近代的な暦というシステムが、多くの部分で人間の直感に目をつぶり、数理的操作のための利便性に道を譲ってきた結果なのだろう。
 日没が遅くなり始めていると思うと、なんだか気分が明るくなってくるから不思議だ。たぶん、放っておけば11月末が一番気分の欝々する時期なんじゃなかろうか。例年、そこになんとなく旅行を持ってきているのは、イベントで気を紛らわせたいという潜在意識の果たせる技なのか。
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2008年9月21日(日曜日)

9月の荒川サイクリングは久しぶりの水中走行だった

自転車 ( 自転車散歩 ) , 思考 20:22:00 天気:くもりのち雨
 今月の荒川サイクリング開催の日。前に江ノ島サイクリングで知り合った方が参加されるはずなので、出ておこうと思った。自転車は、これは久しぶりにMR-4F改を担いでいこう。なにせ、夕方から雨になりそうな予報だったのだ。まあ、東京駅に戻るあたりで降られるかもな、などと思ってはいた。しかしそれは、大甘の甘ちゃんでした。
 浮間舟渡着は9:00を10分ほどついた頃。ちょうど自己紹介が始まる前くらいだった。成り行きで殿を引き受ける。殿って意外にストレスが溜まるのだ。
 今回の参加者は30名位だろうか。それに対し、初参加の方が半分くらい。これは今までになく高率だ。荒川サイクリングの性質から、これは歓迎すべき傾向といえるが、運営上困る事態が多発した。2人並んで走る程度ならともかく、4人くらいで、反対車線まではみ出して走るのはダメでしょう。また自転車の運転そのものに不慣れな方が多く、突然道の真ん中に止まって、なにやら連れ合いの方から講習を受け始める始末。また迷子も多発したようだ。ハラハラしどうしだったが、そもそも自転車での集団走行はもとより、自転車の乗り方にも不慣れな方が多く、ある程度仕方なかったのだろう。いつものように全体の多くて3分の1程度の方が初参加で、自転車に不慣れな方もごく少数ということならば、常連がフォローする余裕もあったはずだ。しかし、今回ほどの比率になると、もう個々にフォローするのは無理だと思った。初参加者は先頭のベテランに着いて走るように義務付けないとダメだろう。
 混乱気味のサイクリングにさらに負荷をかけたのが、想像以上に悪化した天候だった。虹の広場に向かう間にもパラパラと来ていたのだが、対岸に渡ってからは本格的に降り始めた。今日はこれだけで済むだろうと思いつつ、ポンチョを持って着てよかった。ビバ、ポンチョ。しかし、強まる雨脚に、ブレーキの効きが刻々と悪化してゆく。
 昼食買出しのコンビニでかなりの離脱があり、最終的に葛西臨海公園に到達したのは15名程度だったろうか。大きな東屋に避難して、ようやく人心地ついた。
 今回はタンデムが3台も参加していた。またトライクで初参加された方もいた。初参加の方が毎回それなりにいるのは、悪いことではないというよりは、むしろ歓迎すべきことだろう。しかし、従来ならば常連が多く、少ない初参加者や自転車初心者のフォローも厚かったのだが、今回は比率が悪化しすぎて、とてもそんな余裕はなかった。でも、今回は従来になく初参加が多く、そこに悪天候のストレスがかかったからで、最悪パターンだったのだと思う。それでも、常連が自主的にフォローするというスタイルでは、立ち行かなくなるかもしれないという課題は内在しているわけだ。
 たぶん、先に書いたように、初参加者は先頭集団に加わるよう要請するなど、システマチックな解が必要な局面なのだと思う。それは荒川サイクリングの縛りの緩さを損なうものだけど、集団走行という目的からはやむを得ないものだと思う。荒川サイクリングのフリーさは、たとえば旧FCYCの多摩川サイクリングが、タイトな多摩川を走るためにタイトな隊列走行を要請されたのと同じく、荒川サイクリングロードのサイズの大きさに起因していたのだと思う。でも自転車走行に当たっての危険行為なんてどちらでも同じようなものなのだから、荒川でもそれなりの縛りを導入しなければならないのだと思う。
 おの氏に着いて東京に戻る間、東京シティサイクリングの参加者と思しき自転車乗りを見かける。こちらも非常に不満の残る運営だったらしい。それは僕も去年体感したけどな。自転車ブームの影で、なにかよからぬ事態が進行している気がしているのは、果たして僕だけなのだろうか。
 ずぶ濡れになりながら帰宅。しかしポンチョの中はへいっちゃらだった。やっぱり、ビバ、ポンチョ。

2008年8月13日(水曜日)

実家に

暮らし , 思考 , 自転車 ( 自転車散歩 ) 20:12:00 天気:快晴続き
 朝は兄宅でゆっくりしてから、実家での墓参りに揃って向かった。母と兄弟三人が揃うのは久しぶりのことだ。
 墓参りの後は、呉駅の海側にある回転寿司店に入った。回転寿司も高級化が進んで、おまけに今日なんぞ50人待ちとか平気なのだから、回らない寿司の方がいいんじゃないのとは思うのだが。
 寿司後は買い物に向かう一行と別れ、モリスを目指した。って、まだ食いますか。ええ、その分控えてましたから。でもモリスは12~14と休み。しょぼん。代わりというとなんだが、フライケーキを兄一家への土産分と一緒に買った。そして兄たちと携帯で連絡をつけようとしたのだが、兄が自宅に電話を置いてきてしまった*1のと、母の携帯電話の番号を入れ忘れていたのとで、果たせない。大急ぎで実家に歩いて戻る破目になった。
 実家に戻って程なく、母たちと兄一家がやってきたので、フライケーキを土産に持たせる。これ、冷めたら冷めたまま食べる方が美味しいかもしれないのだが、オーブンで再度焼いてもイケルかもね。
 母の携帯電話の話が出たついでに、その使い方のレクチャーが始まる。au版かんたん携帯なのだが、それでも年寄りには使い方が難しすぎるようだ。まず自分の携帯の番号が分からない*2というので、電話番号を書いた紙をカメラで撮り、それを壁紙にしてやる始末だった。いや、いっそのこと、基本操作方を書いた壁紙を用意してやるべきかもしれん。
 兄一家が帰ったので、僕も遊びに出かける。今からだと、近所でしか遊べない。ということで、相変わらず凄い人込みの大和ミュージアムに出かけた。企画展は学徒動員に関してのもの。学徒動員でも給金は出たんだねえ。まあ戦後のハイパーインフレで無意味になったかもしれないが。
 1/10大和は相変わらずフォトジェニックだ。今日は砲塔がこっちに向いていた。回天の前に立つ度に胸が詰まる。俺はこんなものに人間を詰め込んで放ち、それでいて戦後能々と高笑いしながら過ごした奴らが居たことを決して忘れない。戦争の目的は正義ではなく、勝利だ。
 ミュージアムの前ではなんぞの催しがあるようで、テントが何張も並び、出店になっていた。そのうちの地ビールと、クレイトンベイが出している海軍さんのカレー(呉版)に目が行く。ここで飲んでしまったら、醒めるまで昼寝しなきゃならんぞと思いつつ、負ける。地ビールはバイツェンっぽく香ばしい飲み口だった。とはいえ、こんな暑いんじゃなに飲んでもうまいに決まっているんだが。カレーは喉を通りやすいカレーうどんにしてもらった。これは普通のカレーなのだが、食べるほどに香辛料の香りが腹いっぱいに満ちてくる感じ。普通のカレーっぽいのに、只者では無いという雰囲気だった。
 食後は、ミュージアム裏手のデッキに寝転がって、呉港を出入りする客船を眺めていた。ちょうどデッキに建てられた大和の実物大船首部模型の影になり、とても過ごしやすい。
 日が暮れかけ、酔いも引いた頃、二河川*3の河口で夕陽を眺めた。今日も、一日が無事に終わったな。
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2008年8月01日(金曜日)

ヒヤリハット事例

自転車 , 思考 23:27:00 天気:晴れ
 いやあ、危なかった。事故るところだった。
 今日は微妙に早めに帰宅できたので、立場のヨークマートに立ち寄ってから、少し戻った自宅に向かった。車道を30km/h弱で走り、車道から脇道に入ろうとした瞬間、歩道を突っ走ってきた自転車がギリギリを掠めていった。今の自転車は、確か一つ前の信号待ちで並んだ自転車だった。ということは、歩道を30km/hで走ってきたことになる。危ないなあ。しかし、危機一髪だった。こっちが直前に気づいてブレーキを掛けなければ、真横からかなりの速度でぶつけられていた事になる。こっちが悲惨な目にあうところだった。
 しかし、曲がる直前、確かにバックミラーで後方確認したんだった。それでも視界に入らなかったのは、バックミラーが右ドロップエンドにだけつけられていて、歩道側は視界に入ってないからだ。一応、左後方も振り向いたのだが、この辺は右カーブになっていて、少し振り向いただけでは目に入らないのだ。あの自転車、いろいろ突っ込みどころ満載な奴だったが、こういう手合いが珍しくないという現状が悲しい。
 とはいえ、出来ることは無かったのだろうか。歩道にあまり意識が行かなかったのは、車道側の車を意識していたからだ。ちょうど後続車が無かったので、歩道側の注意もそこそこに曲がってしまったのだ。だったら止まってれば良かったじゃん。いや、良かったではござらんか*1。後続車の無いことを確認した上で、止まってから歩道を振り返ればよかったのだ。止まることを惜しんだがために、結構ポテンシャルの高い事故寸前事例を体験することになってしまったのだ。
 後続車がいたら、一度やり過ごすのが正解だろうな。またほんの50m先の信号からも入れるので、そっちで入ったほうがより安全だったかもしれない。
 自分では慎重な性質だと思っていたのだが、そうでもないなと考えを改めさせられた事例だった。

2008年6月13日(金曜日)

横浜で蛍を見る

暮らし , 思考 , レジャー 22:49:00 天気:くもり
 さてさて、今日は気温高め、湿度もまあまあと、蛍が飛んでくれそうな日だ。今日こそは天王森公園の蛍を狩り立ててくれようぞ。
 時間調整のために藤沢から遠回りして、天王森公園には19:15頃に入るようにした。まだ少し火が残る時刻に到着すると、なにやら騒がしい。どうやら、今夜は蛍を見る会が催されている模様。おかげで、公園内に入ることが出来た。
 入って五分くらい待っただろうか。暗がりの闇が広がり始めた頃、視界を光るものがチラリと過ぎった。じっと目を凝らしていると、やがてあちらの木陰、こちらの梢に、フワリ、フワリと光るものが舞い始めた。いやあ、いたね、蛍。別に疑っていたわけじゃないが。
 考えてみると、蛍を見るのは初めてかもしれない。郷里の山の方では出るという話があったように思うが、果たしてわざわざ見に行っただろうか。
 蛍の光は、熱を感じさせない冷たい、白いもので、まるで白色LEDだ。熱をほとんど伴わない化学発光なので、よけいにそう感じるのかもしれない。
 ボランティアの人の話だと、ピークは20:00ということだった。確かに、その頃には蛍の光も随分増えて、『30頭、いや、それよりずっといる』ということだった。先週金曜日にピークがあって、その時には50頭ほども出たそうだ。
 20:00過ぎる頃には人も随分増え、騒がしくなってきたので、退散した。とりあえず、ずっとやろうと思いつつも果たせなかったことが出来たので、もう死んでもいい気分だ。いやいやいやいや、やっぱりイヤン。
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2008年6月06日(金曜日)

訃報

SF , 思考 23:15:00 天気:雲がかかっている
 気のせいだろうか、このところ文学関係の訃報に接することが多い。
 今日は極めつけ。なんと野田大元帥閣下が逝去されたとは。確かにトシではあられたが、数年前にSFセミナー会場でお見かけしたときには、『まだまだ老け込んじゃいられんぜ』という気迫すら感じられる矍鑠振りだったのだが。
 これで銀河乞食軍団シリーズの完全完結はなくなった。誰か書き継ごうにも、あのケレン味のある文体と勧善懲悪、小が大を食うというスペオペの王道を行く展開は、大元帥閣下以外には醸し出せないものだ。まだまだ日本に紹介したいもの、紹介しなければならないものをたくさん抱えてらっしゃったろうにね。
 大元帥だけなら『まあ、いつかは』と覚悟していなくは無かったのだが、今日はもう1報、思いがけない訃報に接した。氷室冴子女史までが、とは。ここ10年ほど、いや'90年代以降はとんと消息を聞かなくなっていたのだが。
 氷室作品としては、やはり俺はコバルトの『雑居時代』が第1接触だった。あの数子さんは、ちょっとツンデレキャラのハシリっぽいところがあった。擬似近親相姦、ゲイ、学園モノと、それこそ様々な読み筋が雑居している小説で、ライトノベル*1ってこういう話を作れるんだと、その当時思ったものだ。まだ51歳。
 大元帥にせよ氷室女史にせよ、俺には昭和の時代のハヤカワ、コバルトを代表する作家だった。その二人が揃ってこの世を去ったという符合ぶりに、昭和の終わりが遂に来たと思わざるを得ない。後に残るのは、歴史となった昭和という年号だけでしかない。
 ハヤカワもコバルトも、ソノラマと違って存続しているので、なんらかの復刊フェアをやってくれないものかな。

2008年5月23日(金曜日)

光学兵器

科学 , 星見 , 思考 23:11:00 天気:くもり
 ずっとニコンのファーブルシリーズが欲しいと思っていたのだ。
 ありふれた公園の一角にある池から一滴取り、こいつで観察する。するとミジンコやら藻やら卵やら、なんだか正体不明の存在やらに対面できるというわけだ。なかんずくミジンコ狩りは楽しそうじゃないか。趣味として口外するのはナンだが。公園にもそのまま*1入ってゆける自転車との相性は異常。一日にいくつでも狩場を渡り歩いて、無数のミジンコと対面できるかと思うと、なんだか胸が熱くなるぜ。
 とはいうものの、ファーブルシリーズはそれなりの値段なのだ。一番安いミニでも\26000、一番欲しいフォトだと\65000だ。キャー! しかもフォトはCoolpixしか使えない。
 これは簡単に手を出せないなと思いなおし、とりあえずはルーペ型のもので楽しむ方向に頭を向けた。しかしルーペ型だとせいぜい5x程度の設定ばかりだ。これではミジンコは無理だわ。なら菌類や花粉かな。動かないので、ミジンコよりは勝算ありそうだ。
 対地光学兵器もよろしいのだが、やはりそろそろ対空光学兵器も新型導入の時期だ。8インチのシュミカセを手放して久しいが、あれは大失敗だったな。4インチ屈折程度では木星の縞には歯が立たない。まして、ここは日本一*2空の明るい横浜だ。まあヤビツにで担ぎ上げれば勝算あるかもしれないが。そんなわけで、8インチを手放して以来、木星は大赤班と縞一本の存在に成り下がっていた。白斑は無理でも、もう少し縞は増やしたい。
 というわけで、最新の8インチ鏡筒を物色中だ。いまどきの8インチはGPS+自動導入でらくちんモードが売りのようだぞ。僕の場合は見たい天体はほぼ決まっているので自動導入は要らないかもしれないが、それでもあればあったで気ままに未見の天体をハント出来るかもしれない。もっと気楽にと思ったら、経緯台に載せ変えれば済む話だろう。
 最大の問題は、部屋の中に荷物が多すぎて、置き場所を確保しにくい点か(虚ろな笑い)。
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2008年4月01日(火曜日)

前近美泉訪問:「萌えと縮み首」展

思考 00:00:00 天気:知るかよ
 ご存知の通り、近所に神奈川県独立前近代美術館が開館したので、これは便利なところにできたと思いつつ行ってきた。
 建屋は潰れたコンビニを改装したもので、とてもリーズナブルかつ明るい雰囲気にできたということらしい。『収蔵品特売中、\200/kg!』という手書きのポップがそそる。帰りに何がしか仕入れていこうと思った。
 館内に入る。番台に石貨を支払うと、猫耳メルヘンメイドな館員が案内してくれるシステムだ。秋葉原の本館からの応援らしい。前近代を謳いつつ、ずいぶんポップじゃねえかと思ったもんだぜ。
 さて、常設展から見ていこう。常設展は、まさに前近代、すなわち政治的に安全ではないある種の絵画や人形を陳列している。そういえば国家社会主義労働党やらが選定した退廃美術展覧会が全国を巡回中だが、ぜひとも併せて見て、誠実な一市民としては大いに学ぶべきだと感じた。静粛であるべき館内で『貧乏姫萌え~!』などと騒いでいるキモヲタどもを眉をしかめて眺めつつ、足早に立ち去った。あれ、僕もなんか叫んでた?
 本命の企画展は、『萌えと縮み首』と題したもの。縮み首は首狩族の習俗として有名な、いわゆる干し首だ。首を落として、骨を抜いたり薬品に漬けたりして製作するものだ。多くは呪術的意味を持ち、誠実な一市民的視点からは、まさに前近代の極みといえる。それを『萌え』というキーワードで解釈しようというのが、この企画展の目的なのだと理解した。僕は誠実な一市民としての冷静さと善意とを併せ持った目で、陳列された縮み首を見て回った。
 縮み首の大半は、'70年代以降の女性アイドルたちのものだ。つまり、萌えという概念が発生する直前の時代から、リアルな世界での萌えの発生と発展とを追跡しようという意図だろう。萌えが擬似的な保護欲を伴うものという説はよく聞かれるが、これらの強力な証拠を前にすると、確かにその通りと首肯せざるを得ない。縮み首には当人のコメントも添えられている。『気持ち悪い』というのが大半だが、『特徴がよく出ていると思います』というのもあって笑った。あんたの首を干したもんでしょ。
 失礼ながら名前を失念したのだが、まさに売り出し中という駆け出しアイドルの協力で作られた、5歳から5年毎の縮み首が興味深かった。たとえば15歳の時のものは可愛いといえば可愛いのだが、20歳のものに比べると激変している。やはり整形なのかなあと思った。ある意味、勇気ある企画といえよう。
 エントランスに抜けると、ちょうど一般参加企画が進められているところだった。『自分の縮み首を作りましょう』という、なんとも楽しそうなものだ。なんでも、一夜干しで作れるそうだ。
 誠実な一市民として犯してはならない世界を垣間見た感じがして、誠実に生きようという厳粛な誓いに背筋が伸びる思いがした。ワインを呷りつつ自転車を飛ばして帰途に着いたが、気がついたら道路の脇でなぜか血まみれでぶっ倒れていた。まあ、とにかく帰宅した。今日も実にアカデミックな一日だった。
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2008年3月15日(土曜日)

とりとめのないモノ

思考 , 自転車 ( 自転車散歩 ) , デジタルカメラ , 美術館 21:25:00 天気:ずっと晴れ
 先週行ってきた、近美鎌倉の中上清展を再訪してきた。見たかったのは2000年代以降の作品だけだったので、まあ戦闘時間の1時間もあれば十分だろう。
 自転車で出かけるつもりだったので、通勤自転車TCR-2を整備して出かけた。リムが汚れすぎて、ブレーキの効きが落ちていたので、リムとブレーキパッドも洗剤で吹いてやった。その時、フロントレフトのパッドがリムに乗り切っておらず、L字型にえぐれているのを発見。なんか左だけ減りが早めだとは思っていたのだが。とりあえずはさみで整形しておいたが、また近いうちに換えてやらねば。
 家を出て、境川を南下する。今日は暖かな天気なので、自転車乗りがとても多い。ちょっと空腹を感じ、PINYでパンを買っておいた。これが後で命綱になろうとは。
 近美に着いて、中上清の作品群と再会した。今日は心の準備が出来ていたので、前回のように打ちのめされることは無い。じっくり、自分の内面と対話しながら閲して行った。
 つくづく思ったのは、これは迷宮だということだ。光の迷宮などという作品に対する比喩ではなくて、これを閲している僕自身の心象を言えばのことだ。2007年製作の作品群は、期せずして作られた言語主義者用トラップというべきか。
 これらの作品群は、一見するとなにかの具象画に見える。あたかも雲の如き、あたかも孤峰の如き作品群は、いかにも現実の風景を誇張しただけのように見える。ところが、中上清の製作意図はそうじゃないはずだ。『なにかを描いた』ではなくて、『こう描いたらなにかが表現された』というのが正解じゃないのだろうか。もちろん作者にも最終的なターゲットはあったろうが、この技法を突き詰めるとなにが表現されるか、という過程ありきが本当のところだったんじゃないか。
 だから、僕が途方に暮れたのも当たり前だ。この作品群は『なに』が描かれているというわけでもない。強いて言えば光の表現のバリエーションに過ぎない。それを無理やりに言語化しようとするから、途方に暮れて立ち尽くしてしまうのだ。
 考えてみれば、中上清の過去の手業は、ほとんど抽象画に類する領域からやってきたわけだ。20世紀中の作品群は、曼荼羅をさらに抽象化したような様式のものが散見される。まるで、金色に輝く曼荼羅絵図が、年経る中で色あせ、その背景以外に見分けがつかなくなったとでも言うような。その最新の出力である2007年作品群が、抽象画的意味合いを持っているのは当然のことだろう。抽象画がとりとめないのは当然で、言語化するのが困難なのも当然だ。僕はそれを無理やりに言語化しようとして、一人相撲に陥ってしまったわけだ。
 それはそれとして、やはりこれらが何に見えるかを考えながら閲するのは楽しい。最大の作品は、三幅の絵で構成されている。中央の絵に見える<孤峰>は高く、その左右の絵には低く描かれている。その結果、<モノ>のもつ不安定さが強調され、結果的にあたかも浮遊しているが如き印象を醸し出している。
 見たいものは見たので、家路に着いた。鎌倉駅の裏からの抜け道を走っていた時、危機に見舞われた。あ、足が回らない。これはハンガーノックか。この道、トンネルが連続する上、この先もガードレールの関係で車とバトルせねばならないため、足が回らないのは非常に危険だ。トンネルを脱したところで、道端に自販機を見つけ、そこでPINYのパンを食べた。しばらくすると足が回るようになり、後は難なく車道を走って行けた。今日は油断したな。
 境川に入り、下流で日没後の空を撮った。日が落ちた後のこの色合いが、たまらなく好きだ。朝日を拝めるような生活をしてないというのもあるが、日の入りを見送った後の、今日一日が無事に終わろうとしているなという、ホッとしたような気分がいい。
 帰宅してしばらくして、昨夜ポチったばかりの18-55VRが届いた。ヨドバシ、仕事速いな。

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2008年3月08日(土曜日)

中上清展/絵画から湧く光

美術館 , 思考 23:12:00 天気:湿っぽいよ?
 鎌倉館での企画展は、『中上清展/絵画から湧く光』だった。強い印象を受けたので、そのことを書こう。
 第1展示室に最近の作品、第2展示室に過去の作品を集めていたのだが、第1展示室に展示された最近の作品を見て衝撃を受けた。最初の絵*1の前に釘付けになってしまった。
 実はこの人の作品は目にしたことがあった。しかしそれは、PCの上でのこと。以前の企画展や、前に横浜美術館でやった近年のアーティスト6人展だったか、とにかく便利そうな企画展の開催要項を調べているとき、この人の作品を間接的に目にしていた。まああざといなというのが、その時抱いた淡い印象の全てだ。
 ところが、実物を前にして、その迫力に言葉を失ってしまった。文字通り、ううむとか、うぐぅとか、そんな唸り声しかひり出せない。中上清を検索すればその作品をモニタで見ることは出来る。だがそれは、実物のもつ迫力の朧な残滓に過ぎない。
 これは言語化できない領域の芸術だと思った。もちろん、そもそもある絵画の100%を表現できる言語なんて無い。でも描かれているものに関してはほぼ言語化できるだろうし、それを見た人の主観は半分くらいは言語化できると思っている。それが文学というものの目指している位置だし、現代の文学はその点に関してそこそこ成功していると思うからだ。
 ところが、これらの絵はなにが描かれているのか言語化するのが難しいし、そのくせに受けた衝撃の大きさを確実に伝えることも難しいように感じた。文学の最果て、断崖絶壁の向こうにふわふわ浮かぶ亡霊のようなものだ。
 光と影というとレンブラントだが、レンブラントの光は日光だ。いかに弱弱しくとも、それははっきりした光源を持っている。ろうそくを使った作品でも同様だ。
 ところが中上清の描く『光』は、それがなんなのかはっきりしない。日光なのか、もっと朧な月光なのか、さらには描かれているもの自体が光っているのか、いずれのようにも見える。レンブラントは筆、中上清はエアブラシ*2という違いもあるのだろうが、そもそも中上清はなにを描くかに関心が無いように見える。なにが表現されるかに拘っているように感じた。『こう描いてゆけばこれがあるはずだ』ではなくて、『こう描いてゆけば何が生まれるだろう』と。人物をその内面まで描ききろうとしたレンブラントとの差異を感じる。4世紀近い時代の違いもあるのだろう。これらの作品はアクリル絵の具で描かれている。
 面白いのは、絵画手法の差からか、2007年に描かれた作品群と、それ以外のものとに、大きな隔絶があるように感じたことだ。単なる抽象画だった古い作品群はもとより、2000年に描かれた作品群との間にも。2000年の作品群は、エアブラシで紙面に液滴を溜め、それを一方向に垂らすという技法で描かれている。その軌跡が奇妙に生物的であり、闇に光る花のように見えるのだ。が、2007年の作品からは、もはやいかなる生命の痕跡も見つけられない。2000年の中上清と2007年との彼との間に、いかなる変化があったのか興味深い。いやもしかして、単に新たなる技法への挑戦が、そういう結果を生んだに過ぎないのかもしれないが。
 今日はうるさい客のせいで没入できなかったので、来週また来ようと思う。最後に、討ち死に覚悟で言語化を試み、この記事を終える。*3

 そこは遥か高空の雲中とも、高山の稜線とも、月に照らされた砂丘とも、遥か海面からの光に浮かんだ海底とも、そのいずれであるともないともいえない世界だ。
 光がある。雲中を抜けた日の光とも、高空に狐絶した月の光とも、世界そのものの発光とも、そのいずれであるともないともいえない光だ。
 世界に光が現れる。射す、などという心強い光ではない。どこに光源があるとも知れない、その癖にはっきりと印象に残る光が、よちよちと、あるいはよぼよぼと、いざり寄って来たのである。
 光は<もの>の向こうから、その稜線を回って我々の目に届く。光が反射し、屈折し、透過し、回折し、減衰し、増幅し、重複し、分離し、過剰になり、過少になり、我々の眼に届く。
 その時、<もの>の姿を見る。ものは高山の稜線と、いくつもの尖塔に見える。だが海底に盛り上がる砂丘の稜線とも見える。また人智の外にある雲中の光景とも、大瀑布を見上げた様とも映る。
 光は稜線をようやく超えてくると、その<もの>の表面に走る襞のようななにかを零れ落ちてゆく。そしてやがて画面の外、<もの>が安住していた闇へと消えてゆくのだ。
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2007年7月29日(日曜日)

横須賀美術館探訪

思考 21:37:00 天気:くもりのち雨
 さて、今日は夕方から雨との予報だ。空模様は、確かによくない。でも行きたいところがある。
 5月に三浦半島を周回したとき、観音崎に美術館が出来ているのに気付いた。横須賀美術館が開館したということだった。ぜひ一度、足を運んでみたかった。
 さて、観音崎まで公共の交通機関で到達するには、JR横須賀線、あるいは京急三崎口線、浦賀線で最寄駅まで行き、バスを使うくらいしかない。だがもちろん、僕には折り畳み自転車がある。京急への乗り継ぎはちょっと苦労するので、JR横須賀線を利用することにした。最寄駅は北久里浜だ。
 Brompton*1で戸塚まで走る。パタパタ畳んで、横須賀線に連絡した。やはりローラーをインラインスケート用に交換した効果は大きく、以前よりも走行抵抗、直進性共に改善された。滑りすぎてのお散歩現象も、心配したほどではない。ドア横において、バッグで押さえれば十分だ。
 さて、北久里浜まで行くつもりだったが、雨の心配は少ないと見て、気が変わった。横須賀から走ろう。JR横須賀駅で降り、横須賀市街を抜け、馬堀海岸に出た。ちょうど、『美術館経由』とあるバスと並走する形になった。停留所も信号も多い街中では、自転車と変わらない速さだ。しかし、さすがに馬堀海岸に出ると引き離された。
 観音崎までの多少のアップダウンもこなし、京急のホテル近くにある真新しい美術館についた。あ、カメラ忘れた。
 駐輪場は、向かって左手のスロープを登るとあった。屋内式で、スタンドまである本格的なもの。ここならロードバイクでも困らない。でも、監視カメラも無いので、ちょっと恐いものがある。Bromptonを停めると、更に上の美術館に入った。
 企画展の観覧券900円なりを求めると、これで常設展の観覧も、別棟の谷内六郎館への入館も出来る。
 さすがに出来たばかりあって、非常に清潔で涼しげな佇まいだ。中にはロッカールームも用意されている*2
 企画展は、アルフレッド・ウォリスというイギリスの画家のものだった。この画家の特異な点は、画を書き始めたのが70になってからだということだ。それまでの半生を、船乗りや船具商として過ごしてきた彼は、70の時になにを思ったか画を書き始めた。それは、20世紀初頭という時代には、とっくに過去のものとされていた、素朴な具象画だった。ところが、それを新進気鋭の芸術家たちが、偶然にも目にしたのだった。ウォリスの登場は、なかなかインパクトがあったようだ。大戦間の時代、シュールレアリズムが幅を利かせ、ダリのような超絶技巧の持ち主が、美術界を席巻していた。ウォリスは、それら時代の最先端に対するアンチテーゼとして脚光を浴びたのではないか。
 ウォリスの画の特徴は、現実世界の構図だのお約束だのに無頓着で、自分が『見たまま』描いているという点だ。どういうことかというと、例えば船を真後ろから書いているとする。普通は船尾から(構図にも拠るが)上甲板側にかけてを描くはずだ。ところが、ウォリスは船の側面を書いている。つまり、後から見ているはずが、なぜか船首を向こうに向けて、右側に横転しているという奇妙な構図になるのだ。たぶん、船乗りだったウォリスにとって、船尾よりは側面の印象の方が重要だったのだろう。船乗りが船を識別する場合、側面図を参考にする場合が多い。だからウォリスがある構図の画を書くとき、そこに船を登場させたいのならば、頭の中の船(の側面図)を、必要に応じて配置していったのではないか。そこに描かれている横倒しに見える船は、ウォリスの頭の中にある、印象に残っている『見たまま』というわけだ。
 また、画のパーツのサイズも、現実を無視している。海から見た、浮かぶ船と大きな家という構成の画を書くとき、ウォリスは船を小さく、家の方を大きく描くのだ。家の前に並ぶ花を活ける壷が、海の上のスクーナーより大きかったりする。同じような関係は、船と魚、船と灯台などの間にもある。どうやら、ウォリスは一番描きたかったものを大きく描く*3らしい。
 だが、だからこそ強い印象を残す結果にもつながる。ウォリスの描いた絵は、ウォリスの関心の中心を、図らずもはっきり見せている。ウォリスの画を具象画とはいったが、こう考えてゆくとちょっと違うのかもしれない。
 さて、地下に降りると常設展がある。日本の近代画家の作品が並んでいる。なんだか暗い色調の画が多いように思う。近代画家が多いのは、浮世絵だの海外の古典だのに手を伸ばすと、途方も無い金が掛かるからなんだろうな。
 この美術館は、展覧室がかなり多い。企画展と常設展とで、併せて10を超えているようだ。小部屋が多いのは、出来るだけたくさんの作品を展示したいという意図か。
 一旦外に出ると、谷内六郎館に入った。なにやら新潮の表紙画を描いてきた人らしい。そういえば、なんとなく見覚えある気がする。
 館内では、この人の'58年近辺の作品が多数展示されていた。好んで幼い姉弟を描いている。それを見ながら思った。これは萌えという概念の源流の一つではないか。当時新潮を読んでいたオヤジ世代から見ると、この子供たちは我が子を連想させるものだったはずだ。だが絵空事だったから、そこに展開される四季折々の風物に対し、肉親に対するほど身につまされるような感情移入はしなかったはず。ほのぼのとしているくせにどこか邪まな、ごくごく軽薄な情念を憶えたはずだ。
 長々と書くのは面倒になったので、大胆にアブダクションを試みる。
 その軽薄な情念がホンの数回相転位するだけで、我々の世代が獲得した萌えという概念に直結するはずだ。萌えは現代に降り立った鬼子ではない。それなりに長い歴史を背負った、日本人なら誰もが知っているもののはずだ。あなただって解っている。名前を知らなかっただけで。
 さて、美術館を後にすると、帰りは北久里浜を目指した。浦賀近辺をぽたぽたと走り抜け、18:00前に北久里浜に着いた。後は戸塚まで、電車一本で戻れる。
 今日の走行距離は25km弱。戸塚までの距離を差し引くと、20kmくらいか。おいしいポタリングだった。
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2007年4月01日(日曜日)

真に正しきバス輪行用自転車

思考 20:41:49 天気:雨かよ
 昨日、たか氏主催の花見ツーリングに参加してきた。ツーリングそのもののレポートは、当日の記事に。
 このツーリングでは、花見ももちろんだが、もうひとつ目的があった。それはBromptonの情報を集めることだった。
 いまさらBromptonの情報をというのも少々馬鹿らしいが*1、僕は輪行性能という、今までさほど気にしてなかった観点から問うてみたかったのだ。それをバスに持ち込むとき、どうなるだろうか、と。なにせBirdyという、それなりに輪行性能に優れた自転車を持っていることもあり、ごく似通ったBromptonに食指が動くことが無かった。ところが、バスで輪行というより厳しい条件を考えるとき、ごく小さなはずのサイズ差が意味を持つように思えた。
 そういう目で見ると、Bromptonは確かに素晴らしい。畳んでも今ひとつ収まりが悪く、あちこち出っ張ってしまうBirdyに較べ、折り畳んだ状態でのまとまりのよさは芸術的だ。やはりこれしかないか。だが、実際にこれを持ち込むであろうフィールドを考えたとき、果たしてBromptonですら適合できるだろうか。
 考えても欲しい。それなりに走行性能が高く、しかも小さく畳める自転車を必要とする状況を。たぶん、それなりの登りが控えた、峠の中腹までという辺りだろうか。そして想像して欲しい、例えばハイシーズンの高地に向かうバスを。
 バスは山岳用の観光バス。車内は中高年の登山客ですし詰めだろう。そして登山の御仲間たちのお喋り、百名山おやじたちの薀蓄が飛び交い、なぜか登山前だというのにすっかり酔っ払っている輩まで居る始末。荷棚にリュックが溢れているくらいならまだしも、通路にまで今日のご馳走にタープ、なぜだかなぜかダッチオーブンまで積みあがっている惨状。そんなところに自転車を持ち込めるか? いや無理だ。Bromptonはおろか、トレンクルですら無理だろう。
 今まで、輪行性能となると、『畳んでどれくらい小さくなるか』を問題にしてきた。常識的には、それなりの走行性能を持ちながら、携行可能とするには、いずれにせよ折り畳むしかないだろうと考えていたのだ。だが、去年の宇都宮ロングライドの記事を読み返して思い出した。かなりの走行性能を持ちつつも、そもそも畳む必要のない車両が存在することを。
 畳む、という行為こそが、実はネックになっていたのだ。なぜならば、折り畳むからには分割部分の補強や固定のために重量増は必至であり、また畳むことで3サイズのいずれか*2を削減する代わりに、結局は別の次元でサイズアップになってしまう。
 発想を転換しなければならなかったのだ。折り畳みという機能にこだわるあまり、本質を見失うところだったのだ。逆転の発想が必要だったのだ。
 思い出せ、去年の宇都宮ロングライドで、向かい風に苦しむ我々をあざ笑うが如く、颯爽と追い抜いていった車両を。そうだ、あれならば畳む必要は無いし、走行性能の高さは*3疑うべくもない。
 たとえばコイツなんかどうだろう。荷物の積載法に疑問は残るが、低価格なのは嬉しい。なんといっても山道に持ち込んだときのインパクトが絶大で、リカンベントすら足元にも及ばないだろう点が気に入った。これで峠に挑んだ勇者はどれくらい居るだろうか。グーグル先生にお聞きしたい。
 Bromptonと利点弱点それぞれあるだろうが、じっくり研究して決めたい。

2006年7月22日(土曜日)

自走で鎌倉の近代美術館に行ってきた

思考 23:55:00 天気:くもり
 今日は久しぶりに雨に悩まされることの無さそうな日だ。前からやりたかったことを2つ、片付けることにする。
 昼過ぎ、 MR-4Fで辻堂方面に向かった。境川を南下し、遊行寺の前を走る道を南西に向かうと、しばらくして左手にラーメン屋を発見した。発見したも何も、ここを目指していたのだがな。
 ここ、ねぎ家は、ずっと前は湘南台でだし家という店を営んでいた親父がやっているラーメン屋だ。一時、名前をねぎ家に変えて湘南台近辺の石川に移っていたのだが、去年だったかにこの地に再移転したらしい。だし家時代のラーメンを気に入っていたので、ちょっと確かめに行ったのだ。
 店は、以前よりもずっと小さく、カウンター10席、4人掛けテーブル2つという構成。店主の親父と、女性とで切り盛りしていた。石川にあった頃は、親父は常にピリピリしていて、いやんな緊張感が厨房にあったのだが、今は非常に愛想が良くなっている。
 頼んだのは叉焼麺と煮卵。スープは以前から家系にしては薄味だったのだが、今は更に薄くなっている。パンチは無い代わり、やさしい口当たりだ。煮卵は半熟で、絶妙な味付け。普通のラーメン+煮卵で十分だったかも。冷蔵庫から取り出してきたので、最初にラーメンに放り込んでおいて、温まってから口にした。
 腹が膨れたら、第2の目的地に向かう。鎌倉の県立近代美術館に行きたかった。雨の心配が少ないからか、鎌倉までの道で多くの自転車乗りと行き会った。
 近美で開催中だったのは、スペインのエドゥアルド・チリーダという彫刻家の回顧展だった。彫刻、なかんずく石を使ったそれは、眺めても不安に感じることが少ないので、好きだ。絵画だと、どうしても自分が問いかけられているような気になって、常に不安になってしまう。
 このチリーダというおっさん、環境型の大型オブジェ*1、石や鉄を使った小型のオブジェを得意としている。また素焼きの土器に線を刻んだ作品も多いし、紙を素材としたものも数多く残している。素焼きの土器シリーズを見ていると、クッキーが欲しくなってくる。
 比較的小型のオブジェ、特に鉄を使ったものは、大きくて重いものの持つ本質的な二律背反性、安定性と不安定性を常にバランスさせているように見えた。重くて大きいから、それは安定している。しかし重くて大きくても、重心次第では安定しない。チリーダの作品は、例えば箱型の土台の上に、水平方向に大きく延びた腕のようなものが突き出しているものが多い。一見して頭でっかちで不安定そうなのだが、良く見ると別の腕が接地していたりして、実はどっしりとした安定性をも表現に取り込んでいる。見る角度によって、その相反する要素が顔を出してくるわけだ。
 このおっさんの言葉として掲げられているものとして、一つ気に入ったものがあった。意図的に短縮すると、『私は経験を重視しない。それは過去に向かうものだから。私が重んずるのは知覚、未知なるものへと、未来へと向かう知覚だ』と。いいね、こういう言葉をさらりと吐く境地に立ってみたいものだ。
 鎌倉館の入場券で、別館にも入れるので、立ち寄ってみた。企画展は、『彫刻の変容』と題し、明治以降の日本での彫刻の展開を追ったものだった。簡潔に言えば、基本的に職工しかいなかった日本の彫刻の流れに、明治以降は西欧の写実主義の流れが取り込まれる。最初はそこにあるありのままを表現しようという流れだったのだが、やがて『見たまま』に、つまり自分の主観として表現しようという流れが生まれてくる。これが戦前まで。
 戦後、強烈な戦争体験を経た多くの作家が、さらに主観的な作品を手がけるようになった。ある意味、彫刻の私小説化だね。しかし、この流れに抵抗するように、むしろ公共の場で何かを展開しようとする動きも出てきた。彫刻の社会化だ。戦後の彫刻界は百花繚乱で、思い思いの方向に向かってはいるが、それを支えているのは素材の多様化、近代建築の要素であるコンクリート、プラスチック、ガラスなどの受容にあるといえるだろう。
 別館は、鎌倉館に較べてもずっと人が少ないのが良い。
 帰路も七里ガ浜経由で走り戻った。今日はやたらと後に着かれたり、逆に前を塞がれたりする日だったのだが、mixiを見るとどこかで岡山氏と遭遇していたらしい。全然気づきませんでした。
 さて、明日は休出だわ。
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