Strange Days

2001年06月30日(土曜日)

明けの明星でKT-10調整

23時55分 星見

 ちょっと一眠りして、国宝探訪やらサイエンス・アイやらを見てボーッとしていたら夜明け前。寝ようと思って空を見上げると、東の空にやけに明るい星がかかっている。木星? いや、時期的には金星ではないか。
 KT-10をアパートの廊下に持ちだし、金星を導入して各種調整をやった。まずファインダーだが、前に合わせたハズなのにまたずれていたので、再調整した。更にピントを大きく外し、副鏡の影を見ながらその位置を中心に合わせた。なかなかうまく行かない。気力が続かないので、『まあだいたい中心ではないか』という辺りで手を打った。これで金星を見ると、ひたすら明るい星像が見えているだけだ。その北西に、もう一つ小さな星が見えている。まさか衛星では無いだろうな。衛星なら、木星という線もありそうだが。
 雲が多く、それ以外に星は見えなかったので、この辺で撤収した。ああ、実り多い日だった。

境川サイクリングロードへ

18時00分 自転車 天気:くもり(かと思えば雨)

 今日は絶好のサイクリング日和だ! ではなくて湿度の高い曇り空だ。でも体がうずうずするので、BD-1で境川サイクリングロードを走ってみた。
 14:00頃、空を見上げると、なんだかはっきりしない曇り空だ。湿度は高い気がする。大気に水の気配ありだ。しかし天気予報ではひたすら曇り。午前中ところにより一時雨という予報だが、これからは降雨確率が下がるという予報だった。それを信じて出発したのが誤りだった。
 せっかく買ったヘルメットだが、色が気にくわないので、も少しいいのを見つけるまでは帽子で我慢しよう。これでもきつめに被れば飛ばされることは無さそうだ。
 500mlのペットボトルにアクエリアスを詰め、気軽に走り出した。
 立場-湘南台線を、昼間に走るのは初めてだった。案の定、車が多い。しかもきっちり2車線なので、自転車が脇を悠々と走るのは困難だ。そこで所々ある分岐やらバスレーンやらを利用して後続車を通しながら、境川まで走り抜けた。
 境川に到達し、サイクリングロードに乗り込んだ。ちらほらと散歩する人、ジョギングする人、そして自転車で走る人がいる。路は幅2.5m程の舗装路で、自転車で走るには最適だ。ただし、本当に路が続いているだけで、途中で自販機だのなんだのがあるわけではない。少し走ると東屋があり、そこでサイクリング中らしい人たちが自転車を止めて談笑していた。というか、東屋を占拠していた。そのまま通過する。
 途中、境川に降りて行ける階段を発見したので、喉を潤し、階段を降りようとしたときだった。顔に、ぽつりと水滴が当たった。顔を上げると、ポツ、ポツという感じで雨が降り始めている。道ゆく人たちの足どりが早まった。ここで少し迷ったが、このまま走ることにした。雨量はそう多くなりそうに思えなかったからだ。頭のどこかに、気象庁の予報のことがあったのだろう。これが傷を広げるとも知らないで(笑)。
 徐々に強まる雨脚をよそに、僕自身は結構気分良く走り続けた。路は境川に寄り添うようにして、少し蛇行しつつ走る。沿道の田園風景が美しい。対岸の工事現場が、少し目障りだ。
 何kmか走って、ふと自転車を止める。喉を潤しながら、辺りの風景を眺めていると、なんだか前に見たような気がしてきた。気のせいではなく、確かに前に見たことがあったのだ。そこは六会、前の住所のすぐ東だったのだ。この辺りの田畑まで足を運んだことがある。ああ、畑の向こうのあの辺りに立ってたんだな。~
 この辺りで「小田急で輪行して帰っちゃうか」という考えが頭をよぎる。しかし今日は輪行袋を持ってこなかったし、この快調さなら六会日大前まで行くのも、踵を返して来た路を帰るのも変わらないだろう。
 雨は降っているが、この時点ではさほど強くなく、また走っているせいで上着はさほど濡れた感じがしない。時折、ロードバイクやMTBが忙しなく走り抜けている。ああ、もったいないな。きっとたくさんのものを見落としているだろうに。同じようなペースのファミリーバイクもよく見かける。アップダウンが皆無なので(川沿いなのだから当然)、非常に走りやすいのだ。
 路はやがて終点に到達したようで、いくつか一般道と交差した後、不意に途切れてしまった。それでも藤沢までは出ようと川沿いに走り続けたが、アパートの立ち並ぶ一角でさらに強い雨脚にさらされ、やむなく木陰に退避した。困ったなあ、と思いつつロカティオで現在位置を確認しようとすると、なんと電池残量が少なくてGPSを使えないのでやんの。電池を替えるのも面倒なので、やけくそで来た路を帰り始めた。
 少し走ると、サイクリングロードの始点に到達した。そこの案内看板を見ると、ここから藤沢市街をはさみ、もう一つ西の川沿いに海までのサイクリングロードが走っているという。そこからはさらに湘南サイクリングロードに行けるのだろう。町田まで続く長いサイクリングロードだ。次の機会に最後まで行ってみよう。
 さて、雨脚はますます強くなる。ここでフロントバッグに仕舞ってあったポンチョを引っ張り出し、着込んだ。をを、雨が直接当たらないだけで、ずいぶん快適になる。早く出せばよかった。しかし、当然のことながら腿から下は濡れ放題だ。これで意外な問題点が明らかになった。この間付け替えたペダル、こいつが実に雨に弱いのだ。すぐに滑ってしまう。これはやはり雨に弱い傾向のあるスニーカーのせいでもありそうだ。威力倍増。変速してガツンと突き上げが来る度に、ペダルから足が滑り落ちてしまう。実に危ないのだ。こりゃあ、ペダルは変えないとなあ。それと、今日なんざ転倒の危険性が高いから、やはりヘルメットは被った方がよい。もう少し丸いメットを探そう。
 やがて、路は立場-湘南台線に交差した。これが立場方面へは車が実に多い。タイミングを見計らって乗り込み、更に対岸側の歩道に乗り上げようとしたときだった。段差に、やや鋭角で乗り込んだため、前輪は乗り上げたが、後輪が段差に沿って滑ってしまった。久しぶりに大転倒でした。幸い、ひざを少し打ったくらいで、ケガはない。でも格好悪いなあ。
 そこからヒイコラ言いながら坂を上り、信号に当たった辺りで、サイクロコンピュータの表示が更新されてないことに気づいた。道端に止めて調べてみると、センサー部の磁石が外れていた。とりあえず磁石は外してしまった。そこからは大事なく、なんとか家まで帰りついた。濡れ鼠だ。
 濡れた着物を着替え、濡れた自転車の整備をした。出るときにワックスかけて、チェーンオイルもさしたばかりなのに(泣)。しかし汚れをふき取り、またワックスとオイルで磨きをかけると、生き返ったような塩梅になった。しかし、サイクロコンピュータは生き返らない。センサー部ばかりの問題ではないのだろうか。この前のケーブル延長の影響かもしれない。もう、無線式のに買い換えるべきだろうか。

2001年06月29日(金曜日)

いいかげん、雨でも降らぬか

19時59分 暮らし 天気:くもりでしょう

 曇り空である。しかしその合間に見える青空は、確実に青みを増しているのである。しかし曇り空には変わりない。夜にはどうしたって星が見えないのである。欲求不満である。暑さも次第にやりきれなくなってきた。ので、とうとうエアコンを使い始めている。まあ今夜など湿度がさまで高くないので、あんまりありがたみを感じていないのだが。
 全くもってはっきりしない空である。雨が降ったのは梅雨入り宣言直後ぐらいで、後はひたすら曇ってばかりだったではないか。ああ、そういう意味では「常に曇り」という実にはっきりした天気ではあったのだな。しかし、もうそろそろ雨が降ってもいいということにしようではないか(誰に向かって話してるんだ)。そうでなければ梅雨らしくないぞ。梅雨の醍醐味はじとじとじめじめの雨降りお天気だ!(そんな勢いつけていわんでも)。
 とはいうものの、雨が降ると星を見るどころか自転車で散歩も出来ないので、夜は避けてもらいたいもんだ。

2001年06月28日(木曜日)

KT-10のファインダー調整

23時15分 星見

 帰り道、ふと空を見上げると月が出ている。相変わらず曇っているようだが、月は明るく見えている。こいつを使えばKT-10のファインダー調節が出来るのではないだろうか。
 曇り空にめげて、しばし放置していたKT-10だが、一昨日の夜にゴム板を両面テープで鏡筒バンド貼り付け、それで完全に固定できるようになった。一応の完成だ。しかし、ファインダーの調節が出来てない。星が見えないからだ。今夜、それをやってしまおう。
 ベランダにKT-10&架台を出し、まず主鏡に月を導入。どうするかというと、正面から主鏡を覗き込みながら、鏡に映る像で月を探すわけだ。程なく、導入成功。次はファインダーを合わせる。これが難問。床に置いてあるので、直視型のファインダーは架台に邪魔されて覗き込めない。それでも、苦労しながら合わせた。
 床に置くことを考えると、ファインダーの位置は再考の余地ありだな。

今日も元気に朝からサイクリング

22時56分 自転車 天気:おぼろげに晴れかなあ?

 暑いのである。夜中だというのに気温は25度を上回っているのである。熱帯夜なのである。寝苦しいことおびただしいのである。
 しかしながら、昨夜はなんの問題もなく寝入ることができた。というより、帰宅してすぐに気絶してしまったのだ(ダメじゃん)。なんだか疲れていたのである。その反動か、明け方の妙に早い時間に目がさめてしまった。そしてもう眠り込むことができなくなった。
 今朝はフレックス出勤のつもりだったので、出勤時刻までまだ6時間もある。このままでは眠れそうになかったので、また湘南台に自転車で散歩に出かけた。
 この間と違ってヘルメットをして行ったので、いくら飛ばしても帽子を飛ばされることはない。しゃかりきに漕いで25分くらいで湘南台公園に着いた。2回のアップダウンと、最後のアップがややきつい。お茶の代わりに持ち歩くようになったアクエリアスで渇きを癒し、しばし柔軟体操しながら一休み。時刻は5:00過ぎだが、周囲には散歩する人もちらほら見かける。湘南台からの復路は往路よりきついかも。なんとなく、全体的に立場/湘南台間は下りになっているような気がする。長い下りでは快調に飛ばし、上りはゆっくりと上る。がんばりすぎると、ひざがどうにかなってしまいそうだ。
 帰宅してサイクロコンピュータを見ると、瞬間最高速度は49km/hに達したことがわかった。長い下りのどこかでここまで出したんだろう。しかしこの速度で路面のくぼみに突っ込んだら、ストロークの短いBD-1のサスでは対応できなかったかもしれない。
 40km/h以上の高速では、BD-1は挙動に不安がある。もともとハンドリングが非常に敏感なので、くしゃみ一つで涅槃を垣間見れるかもしれない(危ない)。
 折り畳みが簡単でコンパクトになるし、とりあえずそこそこの走行性能を持ち、荒れた路面でもかなり追随できるBD-1は、輪行には持ち出したい自転車だ。でももう少し上の走行性能がほしい。そうなるとMTBやロードバイクをということになりそうだ。それらの自転車に目が行くのは事実だが、もう少し毛色の変わった自転車がほしいなあ。ロードの700cはおろか、MTBの26インチだって対向する歩行者にすれば怖くないだろうか。大きなホイールには、威圧感を感じるのだ。だから20インチくらいのミニベロでいいのないかなと思う。
 探してみると、フォールディングじゃないミニベロというのもかなり流行っている模様。折り畳み自転車ではダホンのスピードプロ、あるいはフレーム以外は同仕様のビアンキ・ミラノCD辺りがそそる。リジットだけど、21段変速でよく走りそうな自転車だ。しかしよりそそるのが、町田にあるケルビムという工房の20インチロードバイク。ロードっぽい外見に、20インチの小径ホイールがなんともファニーだ。高いけど、すごくそそる。これを見て、先週の土曜日に秋葉でこれを見かけたことを思い出した。雑踏を赤い、妙に細くてホイールの小さな自転車で掻き分けてゆく人がいたのだ。フルサイズのロードバイクほどには威圧感がなかった。
 でも、これを買うならふつうのMTBでしょう、という思いも強い。まあふつうのMTB買って、次にこれを買うか。あるいはフルサイズのロードバイクも買っちゃうか。
 しかしまあ、いまさら自転車に夢中になっちゃうとはなあ。
 夜、また近所の丘にダンスの練習に出かけた。ダンスっつってもダンシング、立ちこぎの事ですけど。この前より多少はうまくなったかなあ。でもぜんぜん楽にはならないことに気づいた。スプロケット交換の方が威力あるかもな。

2001年06月27日(水曜日)

OA機のWindows2000化

21時55分 コンピュータ 天気:くもりだと思われ

 会社で機上にあるのはもっぱらOA用に使っている機械で、こいつにはWindowsNTが入っている。開発に使う機械は、気の遠くなりそうなくらい遠くのマシン室においてある。こっちはまあいろんなOSが入っているわけだ。
 このOA機に40GBのHDDを追加したので、新たにWindows2000を入れてやることにした。OSを入れるのは割と簡単だ。しかし、この機械には、会社の業務で使う様々な独自開発アプリを入れる必要がある。それらがないと、勤休管理も書類のお仕事も出来ない。というわけで、いくつもあるそれらのアプリをインストールするわけだ。しかしソフトウェア一括管理システムが用意されており、それを使えば案外に楽に入れることが出来る。設定も、昔ほどには手間取らない。便利なもんだ。
 後はdelegateだのdnetcだのといった個人使用のものを入れてやるだけ。しかし個々のアプリの設定が残っている。特にブラウザ系は、旧アプリのメールだのなんだのを移さなけりゃならないからな。結構、こういう面で手間取るのである。今日中は無理でした。
 帰宅して、そういえば火星が内合ででっかく見えるんだっけ、と思いつつ、カレーを食ったら眠くて寝てしまった。なにやってるんだか。

2001年06月26日(火曜日)

坂道克服

21時52分 自転車 天気:おぼろげに晴れっぽい

 BD-1で突っ走る最大の障害、それは坂道。BD-1の1stと2ndギアの歯数が違いすぎるので、やや激坂という局面では2速では重い~、1速では回りすぎ~、という悲劇的傾向が強い。いっそ、1stギアを入れ換えちゃおうかと思ったりして。
 元々、BD-1は平らでアップダウンの少ない、しかし微小な突起の多い欧州の街路を突っ走るために作られた自転車なので、坂道は想定外ということかもしれない。いや、欧米人はパワフルに登りきるのか?
 BD-1の性格設定に輪を掛けて坂道属性を下げているのが、この俺様の軟弱さであります。なにせ、200mくらいの、だいたい3速で上ってゆける坂道でさえ、上りきるとぜいぜい言うくらいだ。いや、最後の10mが異様にきつい。ここが2速では辛い領域なのだ。
 シッティングで辛いのならダンシング(立ち漕ぎ)でしょう、というのが脳内シナリオ。だが、BD-1の低い重心はダンシングを異様に難しくさせている。正統なダンシングはかのダイワのウェブページで拝めるテクニック集にある通り、自転車を左右に振りながら乗る物らしい(知らなかった。そもそもあんまり自転車は振ってなかったな)。そんな正調ダンシングを会得して、坂道を克服だッ。
 というわけで、近所の丘に特訓に出かけた。サラリィマンの遊び時間は夜遅く、日が沈みきってからだ。真っ暗な坂道で特訓開始。ええっと、まず重いギアにしてぇ、ペダルに体重をかけてぇ、同じ側のハンドルバーを引きつけてぇ......。なんか、まっすぐ進みませんけど? 振幅が小さすぎて、振り子の周波数が高すぎるのだ。おかげで、体が着いてゆけないくらい忙しくなる。
 何度か挑戦するうちにちょっとずつ形になっては来た。だが、なんだかシッティングより異様に疲れる気がするんですけど? ギアが重すぎたか。
 しばし暴れて、そのうちに疲れきったところでやめ。ああ、こりゃあ相当イメージトレーニングを積まないと。

2001年06月25日(月曜日)

睡眠不足の極

22時51分 暮らし 天気:晴れなのですか?

 土日と元気に遊んだせいか、全身に倦怠感が漲っている。いや、これは体力を消耗したが故のものではないようだ。よくよく考えると、土日とも睡眠時間が6時間程度しか取れていない。僕の場合、平日の睡眠不足を土日で取り戻す生活をしているので、こんな短い睡眠時間では全然足りないのだ。仏陀は「睡魔に打ち克て(意訳)」などとのたまわれたが、眠いものは眠いんじゃい! いや、眠さより、気力がゼロゼロなのがつらいっす。不気味なのが、胸に走る痛みだ。この痛みはなに? これが恋なの?(絶対に違う) いやいや、これはきっと、呼吸系に負荷を掛けすぎたせいだぜ。丘を越える程度でも俺様のなまりきった体は、ぜいぜい息を荒げるのだ。このまま息を荒げてると逝き(息)ます、なんちゃって。こんなの明治期の書生でも笑わんわぁぁ!(絶叫) ともあれ、なんだかやばいチックな気分。
 そんなわけで早く帰りたかったのだが、こういう日に限って仕事が待っている。なぜか定時間際に次々と(号泣)。涙を振り払いつつ雑務を捌いた。
 帰宅した頃には気力は氷点下に下がっておりました。そのまま布団にもぐりこんで、いつしか爆睡。

2001年06月24日(日曜日)

ヘルメットを買おう

06時50分 自転車

 明け方に自転車したくせに、昼過ぎには結構元気に目覚めていた。今日はハンズで何某かの物件を探すつもりだ。最近、毎週のように行ってるなあ。
 横浜に出て、ヨドバシ経由でハンズに到着。地下の自転車売り場でヘルメットを眺めた。今朝方の疾走で、帽子では思うように飛ばせず、また転倒すると危険であることを思い知らされた。最近参加したBD-1メーリングリストでも、やはり同様の話題が出ていた。そこで、安い奴でいいから買おうと思ったのだ。
 ここにはオートバイ用品売り場も併設されているのだが、オートバイ用ヘルメットの品揃えに対し、自転車のそれはごく少ない。その範囲では、僕の頭にフィットするものは見つけられなかった。がっくり。上階でゴム版とゴム用両面テープを買って、JR横浜駅まで戻った。買ったもので、KT-10を架台に止めるつもりだ。
 しかし、なんとなくこのままでは収まらなかったので、そのまま地下鉄で湘南台へと出た。そして寄ったことが無かったマルシュに入ってみた。ここはMTB中心の品揃えで、店は狭いがパーツ類は豊富だ。ここで安価なヘルメットにサイズが合うものを見つけたが、色は白しかない。ガンメタが欲しかったのだが。とりあえず妥協して白のを買ってみた。この店、常連客がたむろしていて、店員にちょっと話し掛け難い。来月辺り、安価な入門用ロードバイクを買おうかと思っていたのだが、なんとなく相談しづらかった。
 これらの荷物を背負って帰宅した。
 さっそくヘルメットを試してみる。あご紐、サポートを調節すると、だいたいフィットするようだ。大体というのは、僕の場合頭に尻尾が生えているからだ。いい加減鬱陶しいので、そろそろ丸刈りにでもしようか。それにしても、ヘルメットを被った自分の頭は、そう滅多にお目にかかれないくらい笑える代物だった。
 夜、ヘルメットをかぶってしらゆり公園に駆け上がった。昼に走ると恥ずかしいもんな。しかし、恥ずかしさを別にすれば、実に快適だった。穴が開いているので通気性が高く、頭が蒸れることは無い。また風で飛ばされる恐れが無いので、いくらでもペダルを踏み込める。しらゆり公園で一休みし、今度は長い坂道を下った。そうそう、一昨日のうちに後ろブレーキの再調整をやったんだ。最近鳴くので、当りが均等になるようにシューの角度を変え、さらに引きが短すぎるようなので少しのばしてみた。すると鳴きは解消され、実に快適になったのだ。
 帰り着いた頃には汗だくになっていたが、ヘルメットのおかげで頭が蒸れる感じはしなかった。これは手放せなくなりそうだ。

2001年06月23日(土曜日)

湘南台に走れ

23時56分 自転車

 今日はまだ終わらない。帰宅して、うだうだと明け方まで起きていたのだ。なにか、昨夜の興奮冷め遣らずという感じだ。なにかネジが緩んでいたのか、「そうだ湘南台に行こう」という思いに、明け方捕らわれてしまった。
 時間は5:00前。交通量が一番少ない時刻だ。昼に未知の道を走るのは怖いが、この時刻なら車もいまい。そういうわけで、ごく気楽に走り出してしまった。
 アパート前の中学校の正面に走り、そこから長後街道に出る。その対面に延長する道が、湘南台に一直線に伸びているはずだ。BD-1を走らせた。
 道はほとんど2車線しかなく、また歩道も無いため、ちょっと危険そうな感じがする。しかしあまり飛ばせそうに無い道なので、あるいは自転車でも頑張れるかもしれない。
 走って感じたのは、意外にアップダウンがあるという事だった。丘を三つぐらい越える感じだ。その度に、坂に弱いBD-1では苦労することになる。横を車が走っている状況では、きっと恐怖を感じるだろう。
 最後の丘の手前で、道は境川と交差している。その西側に、細い道が沿っていた。それが境川サイクリングロードだろう。そして最後の坂道を登り、林を抜けると、そこに住宅街が広がっていた。早朝の湘南台公園にたどり着き、水分補給しながらしばし休んだ。
 帰路はさらにつらくなった。向かい風だったので、スピードを出すと帽子が飛ばされてしまう。その為、坂道を一気に下り、距離を稼ぐことが出来ない。帰り着いた頃にはヘロヘロになり、気分が悪くなっていた。これは糖分が急激に欠乏したためだろう。グリーンティとビスケットで当座の糖分を補給すると、ようやく容態が快復した。そして明けきった外の景色を眺めつつ就眠。元気なんだか虚弱なんだか分からない朝だった。

東京プチオデッセイ

23時55分

 四谷3丁目駅でおーぎや、妄言王両氏と別れ、営団地下鉄で東京方面に向かう。僕は営団の東京駅で下車。他の諸氏と別れを告げた。お疲れ様でした(というか疲れた)。充実した疲労感に満たされて営団東京駅の改札を出た。それが間違いの元だった。
 案内板でJR東京駅への向かい方を見た。が、地上にあるのは「JR有楽町駅」??? 営団「東京駅」は偽りかっ。いや、偽りではない。確かに東京駅なのだ、営団にとっては。「たまたま」、JR東京駅から離れているだけで......。なんてこったい。僕は営団の罠にまんまと落ちてしまったのだ。「ホッとしたところで罠」はライティングの基本技術だ。まさに教科書通りの罠に落ちた俺様を、帝都高速度交通営団は腹を抱えて嘲笑っているに違いない......。
 さめざめと泣きつつ、とにかく地上を東京駅方面に歩いた。地上にはJRの高架が走り、道を誤る恐れだけは無い。しかし、この時刻のこの界隈は、人通りが少なくて不気味なのだ。しかも街灯が少ない。それは全然問題なしだが。
 高架の下にはいろんな施設が入っている。飲み屋とかカフェが多いが、東京駅のごく近くまで来ても、うらぶれた雀荘があるのには驚いた。スターリングなら大喜びするかも。
 かれこれ15分ほど歩き、ようやく東京駅が見えたときにはホッとした。東京駅の前には、物凄い数のタクシーが客待ちしている。100台じゃすまないだろう。しかし、量的な面を無視すれば、地方都市、例えば故郷の呉市の駅前となんら変わりない光景といえる。質的な差異は無い。ただ、量が尋常ではないだけだ。地方都市のプチ東京化が進行しているが、本当は東京など巨大すぎる地方都市に過ぎないのではないだろうか。量の迫力で圧倒しているだけなのではないか。
 そんな思いに囚われつつ、東海道線の遅い便で帰宅した。ああ、今夜のNHKスペシャルは面白そうだったのに、見逃しちゃったよ。

赤井都女史結婚記念オフ

23時44分 レジャー 天気:くもり

 昨夜は2:00頃に寝たのだが、8:30には起きていた。今日は17:00から赤井都女史の結婚を祝して邪悪な集いがあるのだ。しかしその前哨戦として、笑夢君の「2万円でP4は買えないだろう」オフ(仮称)が開催されることになり、その現地案内人を拝命したのであった。僕は「ブワナ、ブワナ、大変よ」を連発しながらもその任に当たった。
 集合場所の秋葉電気街口キオスク前(サトームセン側)に到着したのは、なんと10:15。なんぼなんでも早すぎる。乗り継ぎが順調なときの東海道線の速さをなめていたが故の結果だった。やむなく、LaOXコン館の筋にあるドトールで一服した。
 頃合いを見計らって電気街口に出向くと、ほどなく笑夢君が到来。次第に東京に魂を引かれて行く彼に安らぎあれ。しばし雑談しながら待つが、残る久遠、DARL両氏は現れない。笑夢君が控えて置いた久遠氏の電話番号に掛けるも「通信中」となったまま。どうなっているのだ。こんなことで日本の再生は果たせるのだろうか、などと話しながら、笑夢君と共に電気街口をうろうろしていた。やがて久遠氏とつながった。一言、二言話した笑夢君は、サトームセン前のコンビニに向かって歩き出した。その前には、確かに久遠、DARL両氏がたたずんでいた。連絡の行き違いか、誰かの勘違いか、いつの間にか「電気街口のコンビニ前」と話が変わっていたようだ。久遠氏との待ち合わせは、こういうことが多い。チャットで打ち合わせてしまう(故に記録が残らない)のが癌な気がする。
 その足で、まずLaOXコン館筋の中古PC屋を攻める。Windows95が動く程度のノートPCという笑夢君の漠然とした要望だが、この時点でかなり微妙であることが分かった。さすがに2万円という価格帯のものは、ほぼジャンク相当のものばかりだったからだ。
 時間は11:00前。秋葉が本格的に混雑する直前の時刻だ。この辺で腹ごしらえしようと、今日は久しぶりに富喜に寄った。概ね好評だった模様。
 さて、引き続きZOA21近辺の怪しい路上販売、中古PCショップを見て回った。一度表通り側を駅まで逆行し、さらに末広町方面にT-Zone本館筋を進んでいった。こっちの筋には、中古PCはあまり置いてない。
 ここで一服しようということになり、スターベース筋を通って昭和通方面のドトールに入った。しばし雑談。笑夢君は悩んでいるようだが、他3人は「デスクトップにすれば」とか「Macがいいよ」とか無責任なことばかり言っている。
 店を出て、再びLaOXコン館筋に。アプアプなどを再度調べて回るが、笑夢君の悩みは深まるばかりだ。ここに来て「やっぱりCD-ROMドライブが無いと」という考えが頭をもたげてきたからだ。それもFDDと同時接続できないと、リカバリも出来ない。
 アプアプだったか、店頭にかなりお得な物件があった。Celeron667MHz、メモリ64MB、HDD8.4GB(?)、WindowsMeインストール済み、リカバリCD-ROMあり、で43000円。これはお買い得っぽいぞ。このままモニタに繋ぐだけで、充分使い物になる。せいぜい、LANボードが必要になるくらいか。ノートPCにさえこだわらなければ、この価格の物件がゴロゴロしているのに。
 なおも悩む笑夢君は、結局この界隈ではまだ買いに至らなかった。ここでまた一服しよう(一服ばかりのダラダラしたオフだ)と、末広町方面に道路を渡った。そして喫茶店を探してうろうろしていた時、今まで気づかなかった店を発見。ほとんど、OA棚に中古PCを並べただけのような、きわめて怪しい店だった。が、笑夢君はここで遂に条件を満たす機械を発見した。そして何某かの金を払い、東芝Satelite旧機種を入手した。九十九エンピツ館(旧T-Zone本館)近くの喫茶店にしけこみ、早速動作確認する。問題なく動いたようだ。価格的に足が出たが、望みどおりの機械を手に入れ、笑夢君はご満悦であった。でも、やっぱり43000円デスクトップの方が魅力的だ(まだいうか)。
 この喫茶店、あれほど混雑した秋葉の筋にあるにも関わらず、客が少なくて落ち着いている。アーモンド・オ・レも美味であった。久遠氏によれば、僕らは前にもここに来たというのだが......。全く記憶に無い。いや、もしかしたら滋んたちと来たかもしれないという、ほのかな記憶はあった。
 ここまでは今日のオフの前哨戦に過ぎない。時間的に17:00近かったので、そろそろ待ち合わせ場所に移動しようということになった。東京の殺人的に複雑な地下鉄網を乗り継ぎ、やってきました四谷三丁目。しばし地上出口で待っていると、やがて見覚えある女性が現れた。赤井女史だった。前回の花子宴会以来だろうか。久遠氏によれば、花子はもう無いそうである。赤井女史としばし雑談しつつ、残るおーぎや、妄言王両氏の到着を待つ。
 両氏はなかなか現れない。どうしたのかねえ、などと話していると、ふと通りの向こうで手を振る二人の姿に気づいた。もうすぐ到着だと見た僕は、疲れていたのもあって知らん顔していたのだが、なかなか通りを渡ってこない。やがて通りを渡ってきた二人が合流したのだが、二人によれば「待ち合わせ場所が違う」そうだ。ここでも当初の告知と皆の受け取り方が食い違っている。これでよく集合できたものだ。
 まあともかく、宴会場に向かおうではないか。我々はいい加減な地図を頼りに会場へと向かった。場所は無国籍料理店を名乗る店。到着するも、まだオープンしていない。店の前に座り込み、しばし雑談。ここでふと側の石版に目を留めたDARL氏は、「翔泳社だ」と大喜び。たしかにこのビルの上に翔泳社が入っているらしい。意外な発見だった。ロカティオでDARL氏と石版の記念写真をとって差し上げた俺様だった。
 さて、ようやく店がオープンした。ぞろぞろと店内に入り、席に着く。僕は赤井女史の真正面に座った。適当に出される料理と、適当に頼む飲み物で、いろんな話題に花を咲かせる。主賓である赤井女史の影響か、常に無くまじめな話題が多かったような気がする。話題の一つは「インターネット上のライティング系サイトはなぜ大成功できないか」というものだった(と、僕は受け取ったのだが)。比較的成功を収めているQ書房でも、客層の固定化は進んでいるからな、などと話した。ここで僕の考えを述べると、結局書き手の数に見合った編集者がいないため、玉石混交になってしまうのではないだろうか。「小説を書きたい」と考える人は多いが、「良い小説を世に出したい」という趣旨のサイトは希少だ。またその手のサイトの多くは、優れた編集者の仕事とはいえないように思う。その原因の一つは、選別する仕組みが確立されてないからだろう。とりあえず小説の選別までは誰もが考えつくが、編集者の選別(質の確保)まで思い至ることは少ない。インターネット上の文藝サイトは、それぞれのマスが小さく、読者からのフィードバックが有効に働いていない状況だ。また紙媒体の文芸誌のように、長い歴史の中で鍛えられてきた読者が着いているわけでもない。そういうわけで、優れた編集者を確保する仕組みが必要だと思うのだ。例えばslashdotのようなモデレート(記事内容の評価)とメタモデレート(評価者の評価)という仕組みが必要なのではないかと思うのだが。
 かれこれ3時間ほど、ラストオーダー後も1時間ほど居座り「いい加減にしろ(意訳)」と店から追い出されるまで喋り捲った。
 その後は次の落ち着き先を探して彷徨し、最終的にマックの2Fたどり着いた。ポテトをつまみながらなおも喋り捲る。いつものように魂が抜けかかっている妄言王を肴に、しばし雑談に花を咲かせた。話題は尽きないが、時間は尽きる。22:00前にマックからも追い出され、ようやくオフもお開きになった。ああ、楽しかった。またやりたいな、といつも思う。

2001年06月22日(金曜日)

湘南台ってチャリ向きな土地かも

20時43分 自転車 天気:雨のち曇り

 なんとか近くに自転車屋は無いものかと探していたら、北方に相模サイクルセンター、西に湘南台のマルシュという店があることが分かった。相模サイクルセンターはかなり大きいらしいが、ここからだと地下鉄で湘南台に向かい、そこから相鉄を乗り継いでいかねばならないので、ちょっと遠い感じ。直線距離では大したものではないので自転車でも行けないことはないのだが。大物を買うことを考えると、ちょいと鬱になる。
 一方、湘南台にあるマルシュはスポーツサイクル専用らしいが、その手の用品は揃っているようだ。またMTBやロードの品揃えも豊富。ロードはともかく、MTBやクロスバイクに目がいっている僕からすれば、かなり魅力的な店に思える。なんといっても、チャリで直接行けそうだし、地下鉄で行く場合も図書館の近くで便利だ。
 以前から店の存在には気づいていたが、去年辺りは僕には全く無縁な類の店だと思っていた。まさか、いまさら自転車に夢中になるとはなあ。
 湘南台って土地は、実は北の方から流れる境川のすぐ側にある。この境川に沿って、町田近辺から境川サイクリングロードなるものが延長しているらしい。途切れ途切れではあるが、海にまで続いているらしい。そして海には湘南サイクリングロードがある。結構、サイクリング向きの土地なんだなあ。どっちかというと平板な土地だし。
 今週末は謎宴会があるので出かけられないが、時間あがれば湘南台から海に、そして相模湾へと攻めてみたいもんだ。

2001年06月21日(木曜日)

コンビニ開店

23時41分 暮らし 天気:雨でしょ、くもりでしょ

 朝、会社に向かう途中、長後街道に出た真向かいにあるマンションに目をやると、1階に準備中だったコンビニが開店していた。あれ、22日開店だと思っていたのに。
 帰路、立ち寄ってみた。入っているのはサンクス。確か、踊場交番前にもあったな。ここではラッキーなことに酒も扱っている。それ以外の品ぞろえはいたってふつう。なんか、電気屋はあるは吉野屋はあるはコンビニは出来るはで、この界隈は一気に便利になってしまった。きっと地価が高騰するだろうなあ。
 残るはPCショップと本屋と天文ショップと自転車屋が出来れば、もう100m以上歩く必要がなくなるのだが(プチ引きこもりだね)。
 夜、21:00前から、アフリカで観測されている皆既日食のストリーミング番組を視聴した。まだISDNなので56kbpsで我慢だよっ(おのれNTTめ)。最初のうちはRealPlayerG2で眺めていたのだが、皆既直前辺りにサーバーへの接続が出来なくなってしまった。G2でないRealでなんとか視聴できた。やっぱり、肉眼で見ないと感動は味わえないよな。
 その前後に、自転車で恒例のコースを走った。高回転低速運転を心がけていたのだが、帰宅した時の疲労感が違うような気がする。こっちの方が楽だ。その代わり全身から発熱していて、エネルギーを消費しているという実感はある。
 しらゆり公園からの下りで、前方をおばさん4人組が横隊を組んでしゃべりながら進んでいる。狭い道なので、通り抜けは出来ない。かといってベルで追い払うのも気がとがめたので、気づいてくれるまで徐行しつつゆっくり近づいた。やがてライトに気づいたおばさんたちは道を譲ってくれた。こっちも礼を言いつつ通過する。こっちの方が、強制排除より気持ちがいいよな。
 この辺りでライトが暗いことに気づいたのだが、案の定まもなく切れてしまった。とめて電池を換えることも無く、そのまま家まで突っ走った。しかし例の丘を登り、下る道は、真っ暗で怖かった。無理しないで電池を換えりゃ良かった。その為に換えの電池と携帯蛍光灯を持っているんだから。
 その後、酒を食らって就眠。

2001年06月20日(水曜日)

久しぶりに走った

22時40分 暮らし 天気:雨のちくもり

 傘が手放せない季節だ。今朝は風がやや強く、またしても傘のフレームが曲がってしまった。というかこの傘、フレームが柔すぎ。横風一発で歪むんだもんな。まあ妙に頑丈なフレームのせいで、メアリー・ポピンズ状態になるのも困るけど。
 昼前には雨も上がりきった。しかしどんより曇りきっている。帰宅して、数日振りに自転車でしらゆり公園に駆け上った。今日は脂肪燃焼を主眼にした高回転/低速走行を心がけたせいか、帰宅した頃には汗だくだった。下り坂でもブレーキを引きつつ回す。効果あるのかねえ。

2001年06月19日(火曜日)

いまどきのプレインストール

23時38分 暮らし 天気:くもり時々雨

 会社で使うマシンにP3/1GHz*2構成のコンシューマ機が加わった。メモリは1GB、ディスクは40GB(UW2SCSI)載っている模様。これでもコンシューマ機扱いなのが、時代を感じさせるのである。
 この機械、起動時にWindowsNT/Windows2000を選択できるようになっている。見ていると、MS-DOSベースでNorton Gohstを使って必要なOSを起動領域にコピーしているようだ。処理が早くて快適である。
 定時後は職場の歓送迎会が居酒屋であった。参加者40名超というのは今までに例の無い規模で、これなら立食パーティでも良かったのではと思った。
 酒を飲みすぎたのか、会の終盤辺りから眠気と頭痛に悩まされ始め、帰宅して間もなくバタンキューで爆睡。今日も自転車に乗れなかったな。

2001年06月18日(月曜日)

絶不調

22時37分 暮らし 天気:くもりのち晴れ

 寝不足である。絶不調である。週末に妙な寝方をしたせいか、あるいは夜食が重すぎたのか、昨夜はほとんど眠れず朝を迎える体たらくであった。夜食は体にいい事が何もないと分かっているのだけど、それでも止められない。欲望に忠実な生き方をする俺様である。しかしさすがに今回は堪えたので、もう寝る前2時間くらいは何も食わないぞ、と誓うのであった(すぐ忘れると思うがね)。
 日曜の夜は久しぶりに晴れ間が見えていて、今日もどうかなと思っていたのだが、残念ながらくもりだった。気分的に自転車を乗り回す気になれず、今夜は深夜徘徊はなし。

2001年06月17日(日曜日)

BD-1ペダル交換その他

21時36分 自転車 天気:くもりのち晴れ

 昨日一日、昼まで寝て夜も変な寝方をしたせいか、明け方になっても全然眠れない。ああ、夜明けの光が憎い。
 16:00頃、思い立って横浜は東急ハンズに出撃。先週も行ったので、このところ毎週行っている。ヨドバシでNikonフィールドスコープに惹かれつつ(モバイル星見に良さそうじゃないか)、やがてハンズに至った。地下に下りて驚いた。自転車売り場が消えていたからだ。一瞬、本当に扱いを止めたのかと思ったが、より奥に移転しただけのようだ。売り場は縮小されたようだが、前のように自動車用品の扱いを止めたようで、その分見通しが良くなっている。前からBD-1のペダルを換えようと考えていたので、ここで軽いアルミ製ペダルとフロントバッグその他を購入した。さらに上階で折り畳みペダル取り外しに使うスパナキットを購入。さらにハンマーと釘、作業用手袋も購入。これはKT-10架台製作用だ。
 帰宅して、さっそくペダル交換に取り掛かった。交換する気になったのは、この純正折り畳みペダルの耐久性に問題があるという記事を見たからだ。今のところ、折り畳んで運ぶという事は無いので、普段は耐久性の高い通常のペダルを着けておき、必要時に折り畳みペダルに戻すつもりだった。早速、購入したスパナでペダルを取り外す。さほどの力も要らず、ペダルは外れた。どんなもんだい。では買った新ペダルを......。ありゃ、これ、どうやって着けるんだろう。ねじ込むところは埋まっている......。実は、折り畳みペダルの外し方を勘違いしていたのだ。ペダル側のボルトを外すのだと思い込んでいたのだが、実際にはクランクの裏側に六角レンチを突っ込んで、ねじ込んである台座ごと回し外すのが正しいようだ。なんてこった。まあスパナキットは無駄にはならないだろうが。
 この穴に合う六角レンチが、なんと携帯ツールキット(スイスアーミナイフ的な便利ツール集)しかない。こんな柔なのじゃとても外せそうに無いくらいきついのに。ぐはぁ、負けだ。チクショー、また新しいツールを買いに行かなければならないのか......。
 とりあえず気分転換にKT-10架台キット製作に取り掛かった。このキット、木ネジで止める方式なのだが、ちゃんとしたドライバーを使ってもネジ頭を舐めてしまう。慎重にやってこれだから、本当に嫌になってくる。もうネジはやめだ。釘で打っちゃえ。こういう短絡的な発想で、ハンマーと釘を購入したわけだ。なんと安易な。しかし、神は見ていた。予め木ネジ用に穴を開けておいたから簡単だろうと考えていたのだが、この穴が深すぎて釘がスカスカで役に立たないんでやんの(はからずも笑)。ダメすぎる。またしても打ちのめされる俺様だった。百戦百敗無勝の負け王たる面目躍如の瞬間であった。頭の中を"負けて負けて負け王"(2001年度レコ大受賞予定曲)がぐるぐると流れる。僕の人生は、やはり予め負け犬人生と定められているのかっ(激しく吐血中)。
 そこで2秒ほど考えて、その穴を外して釘を打つことにした。やってみると、これがあっさりとはまってゆく。木ネジの苦労はなんだったのだという快調さで、あっという間に組みあがってしまった。このキット、木ネジで組むようになっているのは、釘を使うと子供が組むときに危険だからではないかと思った。最終的にニス塗りするつもりで仮止め気分だった木ネジも、飛び出て見苦しいものは外して釘に変えてしまった。ニスは見えるところだけにしよう。これで架台が完成した。KT-10を突っ込むと、想像以上にスムーズに動いてくれる。原理的は分かったので、もしなんなら作り直しても良いな。かくして、まんまとリカバリに成功したのであった。負け王は返上して負け大名くらいに格下げだ。
 こういうときは色んな事を考えつくものだ。ふと、前に六角レンチのセットを買ったことを思い出した。探し出してペダルのネジ穴に当てると、ぴったりなサイズが見つかった。整備本で回転方向を確認し、体重を掛けてひねると、意外にあっさりと外れてくれた。負け王完全返上だぜ。
 新しいペダルはプラットフォーム型の、アルミ製の軽いものだ。折り畳みペダルは意外に重かったのだが、新しいペダルはシンプルな構造で軽くて、耐久性も高そうな雰囲気だ。銀色のペダルをつけてやると、なんとなく雰囲気が変わった。
 さらにフロントバッグも着けた。以前は購入時に着けてもらったビッグマウスバッグを使っていたのだが、これはロカティオ、ツール、財布くらいで一杯になる。こいつを今日買ったモンベルのバッグに換えた。本当は本来の使用法の通り、ハンドルの前に着けたかった。しかしサイクルコンピュータだのベルだのライトだのが充満したハンドルバーには、新たな場所を見つけることは出来ない。またハンドルの前はブレーキ、ディレイラのケーブルが交差していて、結構大きなバッグを取り付ける余地は無い。やむなく、ビッグマウスは外し、その位置に新しいバッグをつけた。ビッグマウスの方は、場所があれば前側に着けたかったのだが、やはり苦しい、ベルを外せばなんとかなるかも。しかしそれは躊躇する。結局、ビッグマウスは諦めることにした。
 新しいバッグは、真中に大きな部屋(プラ板で補強)、左右に小さな部屋という構成で、容量はビッグマウスの3倍くらいありそうだ。ツールを左右の部屋に放り込んで、真中にロカティオ辺りなら余裕で入りそうだ。
 ここで、ボトルケージ代わりになるものを思い出した。さっき、架台を作ってようやく部屋を片付けた時、前にサッポロ黒生についてきたボトル袋を見つけていたのだ。これは首のところに締める紐があり、さらにマジックテープでわっかを作って棒状のものにぶら下げられるようになっている。ハンドルバーに着けるには最適だ。ハンドルバーの空き地にこれをぶら下げ、500mlのペットボトルを入れてみると、ちょうどケーブル類で拘束されて、非常に良い塩梅だ。なんか前に較べると良くなった感じ。
 この新装備で早速しらゆり公園に駆け上ったが、新しいペダルはきしみも無く快調だ。また緩む気配も無い。フロントバッグもツール類を丸々飲み込んで余裕だし、ボトル袋も使い勝手が良い。なんか完全にリカバリできた感じ。
 なんだかんだで目的を果たし、気分が良いぞ。

2001年06月16日(土曜日)

泉区越境オデッセイ

23時55分 自転車 天気:くもりみたいですな

 夜のうちは雨が降っていたようだが、明け方には止んだようだ。ようだ、というのは夜といわず朝といわずぐっすり眠っていたから。なんと昼の14:00まで寝てしまった。16時間くらい寝てたんじゃないか。あまりに眠りすぎたせいか、何もする気にならない。
 真夜中2:00過ぎ、ようやく気力が快復してきて(というのはまたしても一眠りしたからだが)、自転車で散歩に出かけた。先日、サドルを前に出したのだが、確かにペダルを踏みやすくなった気がする。同時にハンドルが近くなって、ちょいとポジションが窮屈になった気も。
 今夜はしらゆり公園に上り、そこから更に東に向かってみた。ちょいと東に谷矢部公園という池がある公園があるはずだ。そっちに行くつもりで、いや実際には行き当たりばったりで、BD-1を走らせた。道なりにまっすぐ進むと、どんどん細い道に入ってゆく。不安を抱きつつもなおも進むと、やがて交通量の多い道路の真上を交差する陸橋に出た。さらに進むと下り坂になり、今度は別の幹線道路と合流した。通りを挟んで向かい側に、交番があるのが見える。ここはどこだ? ここでロカティオを取り出し、現在位置を確認してみると、踊場の近くに出たことが分かった。まあ、あんまり外れてはいない(しかし目的地には達してない)。素直に来た道を戻り、しらゆり公園からまっすぐに帰宅した。
 帰って、アトラスプロ2000(なにがプロなんだか分からんが)で経路を確認すると、だいたい立場~戸塚間の2/3位の所まで行ったことが分かった。しらゆり公園から向こうは戸塚区だ。という事は、多分30分あれば会社まで行けるなあ。自転車通勤も視野に入ってきた。
 もう一つ、アトラスプロ2000を見ていて気づいたのだが、アパートのすぐ前の中学校から南に伸びる道をずっと辿ってゆくと、実は湘南台に続いていることが分かった。これは意外な事実。今度、この経路で湘南台に出てみようかね。

2001年06月15日(金曜日)

日が長い

22時33分 暮らし 天気:雨ですかくもりですか

 夏至という時期ゆえに日が長い。朝、ふと目覚めた4:00前には、もう小鳥がさざめいて空が青くなり始めている。夜は夜で20:00くらいまで薄明かりが残っている。別に昼間が嫌いなわけじゃないが、なんとなく眠る時間が短くなったような、損したような気分だ。これから日が短くなり始めると、本格的な夏が来る。

2001年06月14日(木曜日)

まだまだBD-1調整は続く

23時32分 自転車

 片当りは解消されたBD-1後部ブレーキだが、今度は握りしろが大きいのが気になりだした。手許の自転車整備本によると、ブレーキレバーを引いて効き始めるまでの遊びは、全ストロークの1/3程度が良いということだ。今は半分くらい遊びになっている。確かに、なんとなく不安感がある。
 ブレーキの引きしろは、たぶんケーブルの長さによるのだろう。そこでVブレーキの構造をよく見ると、ケーブルを固定しているネジがある。これを六角レンチで緩め、ケーブル長を調節すると、見事に引きしろが調節できた。これで前後とも最適な引きしろになった、はず。
 それと、サドルの位置も気になっている。高さはいいと思うだが、前後の位置が、だ。BD-1に乗っているとペダルを踏む時にやや前繰り気味になるのだが、どうも違和感がある。実はBD-1を良く見ると、どういうわけかペダル軸がサドルシャフトより前寄りにオフセットされている。このせいか。
 そこでサドルを出来るだけ前に出してみた。サドルは前後2本のボルトで固定され、なおかつ傾きを調節できる構造になっている。前後のボルトを緩め、サドルを前に出し、傾きを見ながら固定した。これで実際によくなったか確認したいが、今夜は雨だしなあ。雨が上がるまでお預けである。
 こんな風にして、少しずつ整備の仕方を憶えてゆく日々である。

紫陽花始めました

21時31分 暮らし 天気:雨っております

 この間の日記で『あじさい咲かないかな』などとほざいていたら、アパートのすぐ目の前、中学校の生垣に青紫色の花が連なっているのを発見した。さらにアパートから長後街道に出る細い道でも、民家の垣根に赤紫の花がのぞいていた。雨に打たれている紫陽花は、味わい深くてエエのお。しかし、花の色の違いはどこから来るのだろう。咲いている期間だったか、土壌の希少金属だったか忘れてしまった。
 それで、Netscape6のサイドバーにある気象予報を見ていたら、「あじさい予報」なるものがあるではないか。こういう情報も流れているんだな。あじさいは、今は東北中部辺りを北上しているようだ(いや、あじさいが移動しているわけではなくて開花前線が)。

2001年06月13日(水曜日)

そろそろコンテンツに手を入れねば

23時29分 暮らし 天気:くもりのち雨 BGM:Rain Song/Led Zeppelin

 昼の間はくもりで、帰宅後BD-1で散歩に出かけた22:00頃までは湿っぽい風が吹いているだけだった。しかし散歩から戻った直後辺りから雨が降り始め、夜通し降りつづける雨の夜になった。蒸し暑い夜だ。
 さて(なにがさてだ)、この日記自身のアクセスは25~30くらいと結構あるのだが、トップページが案外に伸びない。何でかなと思ったら、随分長くコンテンツに手を入れてないのを思い出した。固定版日記とリンク集くらいしか手を入れてない、という状況が長く続いている。だんだん惰性化してきたな。そろそろ、梃入れせねば。まず当人にとってつまらなくなる。PC2001辺りは、いい加減ネタが積みあがってきたのだが。
 というわけで、そろそろと改編を開始。出来上がりがいつになるか、神のみぞ知る......。

2001年06月12日(火曜日)

お日様が見えない日々

20時28分 星見 天気:くもりでしょ......

 お日様、どころか自分の影さえも見えない日々が続いている。空は毎日曇ってばかり。かといって雨続きというわけでもない。なんだか中途半端である。降るなら降りやがれ、と、ちゃぶ台返ししたくなる我輩である。
 くもり空では星見も出来ん、というわけで、内職を目論む俺様であることよ。日曜日にハンズに出かけたとき、KT-10用の鏡筒バンド自作を検討してみた。こいつはドブソニアン架台で使うつもりだが、ベランダでの使用を考えると、経緯台でも使えるようにしたい。そこでこいつに合う鏡筒バンドを自作しようと思ったのだ。固定するプレートは天文ショップで調達すればいい。問題はバンド部だ。これは布バンドとプラスチック製バックルで解決しようと思う。KT-10は軽いので、強度的には問題ないだろう。滑り止めにゴム板少々も必要だろう。案外に簡単に出来そうだ。なんなら、プレートも材木からの削り出しで自作できるかも(架台側の固定スクリューが金属製なので、チトつらいかも)。更には同じ手法で超古い60mmF20屈折用のバンドも作れるかも。こいつは重いので、検討しなければならないが。夏までに作れるかな......。

2001年06月11日(月曜日)

グロッキー

20時27分 暮らし 天気:くもりらしいぞ

 朝、目覚めた。......んが? 体が動きません。重いです。ワシャもうだめじゃ。光が、光が見える(そんな大げさな)。
 この重さはなんだろう、と思いつつ麦茶を飲んだ。一昨日、深夜徘徊して雨に濡れて以来、どうも調子が悪い。それと、羽毛布団を仕舞って軽いタオルケットだけで寝ているせいか、夜中に体が冷えすぎている気がしていたのだ。羽毛布団とタオルケット。この中ぐらいの掛け布が欲しいなあ。
 ともあれ、会社には休むと電話を入れ、後はボーっと半分起きたまま横になっていた。

2001年06月10日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

23時25分 テレビ

 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」第3週、火星探査の巻だ。
 20世紀が始まる頃、パーシバル・ローウェルが「火星には運河がある」という観測を発表して以来、火星は人類の関心を惹きつづけてきた。
 1969年、アポロ計画が人類の月着陸という形で結実した頃、フォン・ブラウンは既に火星探査の青写真を提示していた。しかし、月探査は2週間程度、それに対して火星探査は1年以上の長期計画になると見られていた。それほどの長期宇宙滞在が、人体にどんな影響を及ぼすのか、当時はまったく未知の世界だった。
 宇宙開発競争の一方の雄、旧ソ連邦も、独自に火星探査を目指して実績を積み始めた。彼らはサリュート、ミールなどの宇宙ステーションに置いて、実際に長期滞在の経験をつみ始めたのだ。すると驚くべき事実が明らかになった。宇宙では人体の筋肉、骨の強さが急激に低下してしまうのだ。これはアポロ計画でもある程度顕在化しつつあった問題だが、年単位で実施される火星探査では深刻な問題に発展する可能性があった。そこで科学者たちは、適正な運動メニューを日常的に組み込むことで、かなり防止できることを確認した。
 しかし、肉体の問題よりも深刻な問題が明らかになっている。
 ロシアでは地上に準閉鎖系を作り、そこでも火星探査のための課題を追求している。ここで長期間の模擬実験を行ったところ、30日辺りから心理的な変化が見られるようになった。ミスが増え、注意力が散漫になった。ノイローゼ的な症状もあらわれた。閉鎖環境が人間心理に悪影響を与えているのだ。これは、ミールでの長期滞在実験でも見られた現象だった。
 ミールでは、地上に残した家族との交信などの時間を取ることで、心理的な問題をある程度克服できた。しかし、地球を遠く離れ、通信遅延が大きくなる火星探査では、こうした方法は難しい。そこで、小さな植物プラントが持ち込まれた。するとテスト要員たちは、この植物の世話に次第に熱中するようになり、同時に心理的な圧力の低下も見られるようになった。
 NASAでは、既に火星有人探査計画の精密なプランを立てている。それは近年の洗練された閉鎖系技術などを反映し、フォン・ブラウンが提示した計画よりはるかに軽量化されている。実施は2015年になるという。はたして実施されるか否か、楽しみである。

BD-1にさらに手を入れよう

19時24分 自転車 天気:くもり

 昼頃、横浜の東急ハンズに出かけた。前から実施しようと考えていたサイクルコンピュータのケーブル延長に、とうとう着手することにしたのだ。waniで情報を募ると、どうもシールドもない単純な電線対らしいといわれた。じゃあ単純に切って手持ちのケーブルで延長すればいいのだろう。しかし雨を考えると熱収縮チューブで処理したい。それらの買い物のために横浜に出たわけだ。
 地下自転車売り場でペダルレンチ、インフレータを固定するためのバンドなどを買いあさった。手ごろなサドルバッグなんかも探したが、気に入った物はなかったのでパス。気長に探すしかないかも。
 上の階で熱収縮チューブ、トーチ、手回しドリルなどを買う。最後のはオルヴィスの架台を作るのに便利かと思ったのだが。
 帰宅して、さっそく作業に掛かった。まずサイクルコンピュータ(キャッツアイのVelo100)のケーブルを思い切ってパチンと切断。ニッパで芯を出し、手元にあった耐熱ケーブルとはんだ付けしてしまう。このとき、予め熱収縮チューブをかぶせておかないと、お笑いな事態になりそうだ。チューブは取りまわしを考えて2分割しておいた。位置を決めてトーチ(使い捨てライタを使うタイプ)で熱を加えると、まあ大体ぴったりなサイズに縮んだ。ケーブルは2本独立しているので、チューブで処理しないとばらけてしまうのだ。後はチューブの終端をそれぞれテープで処理して出来上がり。ちょっとテープの処理がまずかったかな。まあ実用には響くまい。
 さらに、前から調節しようとして片利きが解消されなかったリアブレーキも、気合を入れて調節してみた。いろいろ試してみて、調節ねじの働きを誤解していたことが分かった。これはVブレーキの回転部を締めるもので、開放するとブレーキの遊びが大きくなるのだと思っていた。しかし実はブレーキバネのテンションを調節する物だと分かったのだ。これで左右調節し、さらに回転部にCRC556を添加すると耳障りな作動音も解消された。かなり良くなった感じ。
 インフレータはいろいろ試して、結局サドルパイプに縛り付けることにした。ちょいと長すぎて邪魔なのだが、他に適当な場所が無さそう。最後にペダルレンチは、実はサイズが合わなくて使い物にならないでやんの。というか、折り畳みタイプを着けているので、かぶせる型の六角レンチじゃないと難しそうだ。
 強化されたBD-1(まあ.001くらい加えていいかもな)で早速走り回ったが、別にブレーキの利きが画期的に改善されたとか(というか別に悪くなかったし)そういうことはない。でも片効き解消という点では、きっと長期的には意味があるのだろうな。

2001年06月09日(土曜日)

雨に降られてイヤ~ン

23時55分 自転車

 夜になって雨が降り出していたのだが、ふと真夜中に降り止んだ。そこでちょいと北に向けて走り出したのだが......。
 相鉄の線路を見下ろす辺りに到着した頃から、またしてもパラパラと降り始めた。うわ、やばいやんけ。大急ぎで駆け戻る俺様であることよ。しかし、さほど強くは無いものの、あっという間にメガネが水滴で見えなくなる。やばい、前が見えんやんけ。しかし、前が見えないのは雨のせいばかりではなかった。ふと、ヘッドライトが凄く暗くなっているのに気づいた。電池が切れかかっている。もう、かよ。つい最近、入れ換えた気がするのだが......。幸い、予備の電池があったので、雨が降り込まない木陰で電池を入れ換えた。真っ暗な中、電池を入れ換えるのは結構骨が折れる。しかも周囲に街灯一つ無い。客観的にはかなり怖い状況だが、当人は必死でそんなことを恐れる余裕は無かった。嗚呼、BD-1のサドル下に輝くLED警告灯が頼もしいことよ......。そうそう、今夜、ふと気づいてあることを試してみたのだ。BD-1に元からついているパッシブ型警告灯を外し、その台座に以前買ったはいいが台座が付けられなかったアクティブ型警告灯が合うかどうか、試してみたのだ。やってみると、一見、微妙に合わないように見えた。が、ちょっと強引に押し込んで、木ネジで止めると、実は一分の隙も無くぴったりであることが分かった。台座は共通規格らしい。早く気づけばよかった......。
 そんな風にして一気にグレードアップしたBD-1の後姿に勇気付けられながら、ようやく電池交換を終えた。最初、電池の向きを間違えて「着かんやないか~!」と涙目になったのは秘密だ。しかし、明るい光が復活した時にはホッとしたね。
 しかしながら、暗闇での電池交換の難しさを思い知った。この分なら、ライトを2組持って置いた方が良いかもしれない。

NHKスペシャル

22時32分 テレビ 天気:くもり時々雨

 昼の間はぼんやりしておったそうじゃ(日本昔話風)。夕方になって、自転車でご近所を散歩。前のようなオデッセイではなく、いつものようにしらゆり公園に上り、立場界隈をうろついただけ。しかし、一周6km弱なのだが、丘を二つ上り下りするせいで思ったより歯ごたえがある。帰宅した頃には汗だくだ。
 夜、NHKスペシャルを見る。「飛鳥京発掘」。奈良の前に飛鳥に置かれた飛鳥京発掘の最新情報だ。
 飛鳥京は孝徳帝の代に飛鳥に置かれていた宮廷で、大化の改新直後、中大兄皇子らが新政策を画策する震源地となった場所だ。従来、飛鳥京跡とだけ伝承されていたこの地に、発掘のメスが入って以来、新発見が相次いでいる。既に主な建物の発掘は進んでいる。最近、大きな池の跡と見られる場所の発掘が進み、またしても新発見が相次いだ。
 飛鳥京に大きな庭園と池があったことは、日本書紀の記述などから分かっていた。また以前の発掘作業などから、池を囲んでいた石垣も見つかっており、その概要はおぼろげに知られていた。今回、その池周辺の9箇所を発掘調査することになったのだ。
 池は南北に100mもある大きなもので、中に島が作られていると考えられていた。中国で作られていた同趣向のものは、島と岸とが完全に独立し、そこに木橋が掛けられている。ところが、発掘が始まって、思わぬ場所に石垣が見つかってしまった。池の中と見られていた場所に、石垣で囲いハン築(字が思い出せない)で固められた土橋が現れたのだ。中の島は、いわば半島のように陸とつながっていたのだ。中国様式からは考えられない構造だった。そしてここで環状の池は区切られ、いわば"C"の字のような形になっていたのだ。
 さらに意外な事実が明らかになった。土橋の一方では池は60cm程度と予測された水深だったのだが、もう一方では同じくらい掘り下げても池の底が見えなかった。辛抱強く掘り下げて、ようやく2m下に底が現れた。つまり、トポロジー的には棒状といえる池の一方は60cm、もう一方は2mと奇妙に不釣合いな水深だったのだ。その深い方の池底からは、地下水が滾々と湧き出ている。この事から、池には地下水位を利用した水位調節機構があったと推定されている。池に大量の水が流れ込むと、水圧が掛かって水は下向きに流れ去る。逆に渇水などで水位が下がると、水底から新しい水が供給されるというわけだ。飛鳥周辺の地下水脈を算出してみると、ちょうど池の周辺にそれらが集まってくることが分かった。古代人はどうやって見えない地下水脈を見つけたのだろう。トライ・アンド・エラーだけでなく、予め地勢を"読む"技術もあったに違いない。今はすっかり失われてしまった、古代の叡智だ。
 池の沈殿物を調べたところ、植物の種子が多数発見された。主に桃、柘榴など、当時は薬として珍重された果物類が、池を囲むようにして植えられていたらしい。
 既に明らかになっていた建物の外観とあわせてみると、"水の都"飛鳥京の姿が顕になる。飛鳥京では、全ての建物の周囲に水路がめぐらされていた。そしてそれらが最終的に収束するのが、今回発掘された池だったのだ。水路周辺からは奇妙な形の石像が大量に発掘されている。それらは水の噴出口を持っており、水の都を演出していたものと思われる。天皇は神聖な新しい水を取り、これらの水を支配する権力者という立場を演出していたと考えられている。古代天皇の意外な一面だ。

2001年06月08日(金曜日)

キャリアを外してみた

23時29分 自転車

 自転車のキャリアを外してみた。前からいまいち無骨で似合わないパーツだと思っていたが、実用には便利なので着けたままにしておいた。しかし、結構重そうだし、メッセンジャーバッグがあれば大体の物は運べるので、思い切って外してみた。後ろのマッドガード取り付けネジに一緒に取り付けているので、これを外してやれば良かった。そしてマッドガードを付け直す......。うん、カコイイ。マッドガードがビュンとばかりに天を向いているぞ(爆滅)。どうも、キャリアの取り付け部の分だけ、予めマッドガードの角度を調節してあったようだ。どうもカッコ悪い......。まあそれは目をつぶろう。
 これで早速しらゆり公園に駆け上ってみたが、軽くて嬉しくなるほど違いがあるはずも無い。自己満足だね。
 しかし、手を加えれば加えるほど、こいつが可愛くなる(危ない)。まだ名前は付けてないぞ。

誰かが責任をとる社会

20時28分 思考 天気:曇りですか

 ボーナスも無事に出て、少しだけ気分がよい。だが、世間では恐るべき事件が発生していた。
 昼頃、gooのニュースチャンネルを見ると、「小学校に男が乱入。児童ら多数が死傷」という見出しがあった。それから、1時間おきくらいにニュースを眺めていたのだが、見る度に死者が増えている。しかも亡くなったのは小学校低学年の児童ばかりだという。いったいどうして、こんな、むごい......。日頃、不謹慎なことばかり考えている僕も、始まったばかりで、こんな不条理な終わりを迎えた子供たちの人生を考えると、どうにもやりきれなくなった。
 犯人に関しては断片的な情報しか入っていない。どうやら薬物を大量に服用していたとか、以前にも薬物を使った事件を起こしているとか、精神病院に処置入院させられていたらしいとか、そういう情報が飛び交っている。以前起こしたという事件はおぼろげに記憶にあるので、検索すれば出てくるかもしれない。
 しかし、もしも処置入院させられていたという情報が本当なら、誰が世の中に出してしまったのかという問題がまたしても問われることだろう。西鉄バスジャック事件と同様に、だ。犯人は処置入院以来壊れっぱなしだったのにそれを見逃したのか、あるいは外に出てからまた壊れたのか、あるいは壊れた振りをしているだけなのか。壊れっぱなしだったというのなら、それを見逃して野放しにしていた担当医師、あるいはそれを監察する立場にある人々の責任が問われるだろう。次の場合も、再発可能性が高かった(はずの)人物に適当な処置を取らなかった人々の責任を問われるだろう。最後の場合は、いうまでもなく当人の責任が問われる。いずれにせよ、誰かが責任を問われるだろう。いや、そうであって欲しい。またしても「誰も悪くありませんでした」では、社会に対する信用が低落するばかりだ。それよりは、誰かが必ず責任を負わなければならないという緊張感が欲しいのだ。世界の不可知性に逃げ込むばかりでは、何も変わらないのではないか。例え不条理であっても、誰かに責任が収束する結末であって欲しい。そしてその誰かが不条理だと考えたのならば、またそれを世界に対してアピールして欲しい。そのように議論が継続してゆかず、どこかで途切れてしまうのならば、亡くなった子供たちは本当に浮かばれまい。

2001年06月07日(木曜日)

今日も降ったり止んだり

21時27分 暮らし 天気:雨のちくもり(だが強烈に湿っぽい)

 今日も出かけるときはほぼ止んでいたのだが、夕方には雷雨が襲ってきた。が、意外に根性無しで、21:00頃に退社する頃には、すっかり上がっていた。
 帰宅して、雨上がりの道を自転車で走ってゆくと、ときおり水滴が落ちてくるような来ないような......。なんだかやばいと思ったので、すばやく周回して帰宅。しかし、別に雨が再び降る気配は無かったようだ。

2001年06月06日(水曜日)

入梅したようだ

19時26分 暮らし 天気:雨のちくもり

 関東でも気象庁から「入梅したと思われる」という発表があった。近年、入梅時期も梅雨明け時期もあてにならない観があったので、慎重な表現になったのかもしれない。
 朝方、まだ雨が降る前に出社し、雨を横目に仕事をして、さて帰ろうという頃にはほぼ上がっていた。助かった。
 夜中に、まだ濡れた路面に自転車を漕ぎ出した。なんかスリップしそうで怖い。一端、中田北消防団辺りまで東進し、そこからいつもの丘方面に街路を縫って走った。霧が出ていて、ヘッドランプがビーム状に照らし出している。をを、ちょっと左向きにオフセットしすぎかな。
 丘を駆け上がり、立場北方のグラウンドを横目に走っていると、後ろから車が迫ってきた。あまりスピードを出してなかったようなので、ダッシュで次のT字路まで走り、その直後くらいに脇を抜かれた。すると、そいつはパトカー様じゃありませんか。ゆっくり走ってたのはグラウンドの横にいつも違法駐車してあるウヨッカーの車両を気にしたのか、それとも俺様を観察していたのか......。
 帰宅して、今日届いた本を読んで、就眠。

2001年06月05日(火曜日)

死刑廃止論の背後にあるもの

23時23分 思考

 前に死刑廃止論に関して考察したようなしてないような、忘れようとしても思い出せない状況なのだが、何度か関連する話題は考察(というか妄想)したような気がする。
 死刑廃止論議の争点を洗い出すと、結局、

・死刑制度による犯罪抑止効果
・被害者への補償(の一環としての"命")

という2点が浮かび上がる。
 まず犯罪抑止効果だが、これははっきりしないようだ。「ある」とするのはもちろん存続論者だが、彼らは「きっと~だろう」という希望的観測に基づいている場合が大半で、はっきりした統計的な根拠を示した例はないと思う。それがあるのは廃止論者で、例えばアメリカにおける事例をケーススタディとして挙げているものが散見される。しかしそれらはいくつかの変数(例えば"重犯罪"の定義)を内蔵しており、恣意的に解釈されている可能性も捨てきれない印象がある。また相反する結論を出している研究もあるようだ。いずれにせよ、死刑制度に対する反応は人によってまちまちだろうし、民族的国家的文化的な影響も大きいに違いない。犯罪抑止効果を焦点に置くのは、廃止論にせよ存続論にせよ意味が無いのではないだろうか。やってみなければ分からない、というのが実際のところだろう。
 後者は効果という点では無意義という一言で片付くかもしれない。殺人犯の命を奪ったところで、被害者は決して生き返らないからだ。しかし、存続論者はまず遺族への慰撫という意味付けを強調し、さらには社会への影響(反社会的存在の抹殺による清涼感?)も強調するわけだ。しかし、全ての遺族が殺人犯の抹殺を一律に望むかといえば明らかにそうではない。日本でも、遺族が殺人犯と交流している例はいくつもある。また社会への影響も一律ではありえないだろう。犯罪抑止効果があるか、という論点と同じだ。
 しかしながら、弁護士会やNGOが無邪気に「(死刑囚)XX君を応援する会」などというものを組織しているのを見ると、暗澹たる思いになる。あれらは被害者の遺族をどう考えているのだろう。無邪気に「分かってくれるさ」で片付けているのではないか、と疑ってしまうくらい無神経なネーミングではないか。社会的な反応を考慮するならば、死刑廃止論者は顔の無い死刑囚という無人格の個人を念頭に置くべきだろう。あの種の組織は、死刑廃止論にとって逆風以外の何者でもないと思う。
 いずれにせよ、これらの論点はすっきりとは割り切れないもので、存/廃両論に対しては十分注意して耳を傾ける必要があるだろう。さもないと、一種の宗教対立に発展してしまう。
 僕が面白いと思うのは、廃止論の中に「人間には決して奪われてはならない権利がある」という主張が背後にあることだ。いうまでも無く、「人権」というものを意識したものだ。人権は何者にも、他者にも国家にも奪うことが出来ないものだ、とする主張だ。しかしそれを奪った"他者"はどうなのか、という存続論者の指摘はもっともなものに思える。この両者のうちどちらが真実かという問いに答えることなど、たいていの人の手に余るのではないだろうか。少なくとも僕にはその自信は無い。しかし、「奪われない権利」を蹂躙したのなら「奪われない権利」は失効するという見解の方が受け容れやすいように思える。というのは、もしも「奪った者」からすら「奪えない」とするなら、それを保証する別の実体が必要になるはずだからだ。例えば国家にも他の人間にも奪えないとすれば、それをこの世のどことも知れない超越的な存在が保証しなければならなくなる。超ルール的ルールとでもいうのだろうか。そんな思想は、どうにも気持ち悪いものに思えるのだ。結局、社会というものはその構成員同士が、それぞれの権利を切り売りしたり尊重しあったりして成立している、という見方の方がすっきりしていて好みだ。全ての権利は別の権利を尊重することで成立する(つまり無前提の権利は存在しない)という思想のほうが、世の中うまく回るのではないかと思うのだ。
 そんな風に人権絶対主義に疑問を抱く僕ではあるが、しかし死刑制度に対しては廃止論に組する。
 僕が思うに、二つの論点のそれぞれが収束しない状況では、実験的に死刑を廃止して効果を見るしかないのではないかと思うのだ。今、死刑制度を廃止しても、直接的に赦免される死刑囚の数はごくわずかだ。しかもその大半は、世間から忘れ去られている。死刑囚が死刑にならないことで社会が重大な影響を受けるとは考え難い。残るは、死刑制度がどんな影響を与えるかという点で、これは実験の結果を見るよりあるまいと思う。もっとも、死刑廃止論議の焦点は実効果というより、観念論に終始している観はあるのだが......。
 もう一点、たとえ人権論的な見地に立たなくても、死刑囚には固有の価値があると思う。彼/彼女からはなぜそこに至ったかという貴重な教訓をくみ出すことが出来るのではないだろうか。そして彼らが確かに罪を悔いているという確信が得られれば、遺族感情も随分慰撫されるのではないだろうか。もしかしたら、死など望まないくらいに。それらは、彼らを処刑して無言の存在にしてしまえば、もはや達成できないだろう。そんなわけで、僕は一応、フラフラと死刑廃止側に立っているのだ。

そろそろ梅雨だなと思う

20時22分 暮らし 天気:くもりのち雨

 近畿、東海でも入梅したそうな。今年はどれくらい降るだろうか。
 帰宅する頃、空はどんよりとくもり、駅までの道行きで雨がぱらつき始めた。帰り着くまでもってくれよ、という願いが聞き入れられたのか、帰宅した後でしょぼしょぼと降り始めたようだ。こうなると部屋の中の湿度は急上昇、俺様も下着姿でうろつくふしだらさだ(おやぢだからいいけど)。よっぽどエアコンを除湿運転しようかと思った。
 望遠鏡や本を置いてある角部屋がやヴぁい感じなので、除湿機でも置こうか。

2001年06月04日(月曜日)

また変な時間に寝ちまったい

22時21分 暮らし 天気:くもり

 比較的早く退社できたので、19:00前にはアパートに戻っていた。部屋を開けると、こもっていた熱気がむわ~と襲い掛かってくる。カーッ、やっとれんわ。早速窓を開けて風を呼び込んだ。それにしても、今夜はエアコン入れようかと思うくらいの暑さだ。風が弱いというのもあるのかも。
 夕食にカツどんを食らい(痛風になりそう)、横になっていたらいつの間にか真夜中になっていた。宇宙の神秘だ!(またこのパターンですか) ともあれ、ごそごそと起き出して風に当たりに自転車を走らせた。いつもの丘に上る。そこまで長い下りあり急な上りありとバラエティに富んでいる。よって、丘に上がった頃には汗が噴出していた。うわ、あっつ~(X_X)。なんだか逆効果なのである。
 帰宅して、結局暑いので扇風機を入れたまま寝た。これがエアコンになるのもそろそろだろう。

2001年06月03日(日曜日)

泉区ご近所オデッセイ

20時56分 自転車 天気:晴れ

 昼過ぎに目覚めた。休みの日はこんなのばっかりだ。なんだか一日が半分になったようで、少し損した気分だ。
 さて、運動不足解消にと、BD-1にまたがって散歩に出かけた。まずはしらゆり公園へと駆け上り、いまいち確定しない往復コースの確認。いつもなら帰路に当たる道を、今日は駆け上がった。下りはやや怖いが、上りはなかなか楽しい道であると気づいた。
 しらゆり公園で一息つき、今度は立場北方の丘に登った。途中で喉が渇き、坂の途中にある自販機で茶を喫した。風に当たるせいか、想像以上に喉が乾く。特にツーリング用自転車でボトルケージが重視されるのも分かる気がする。BD-1用にも買わないとな。
 丘を下り、かまくらみち方面をぶらぶらする。ここでまず迷子になる。現在位置はどこだ! こういう時に限ってロカティオを持ってきてないのである。まあ逆に辿れば同じだろうと思い、少し逆走して、いつもの丘を確認する。その途中にある北上するわき道が気になったので、そちらに乗り入れてみた。野球の練習場脇を抜けると、住宅街が広がっている。そちらに入ると、道が下り始めた。ここは一体どこだ?(パート2) どうやら東横線方面に近づいているらしい。そこから少し走ると幹線道路があり、渡ってしばらくすると掘割のようなものが見えた。側に自転車を止めると、やはり東横線の線路だった。駅もすぐ近くのようで、バスターミナルが見えている。こんなに近いんだなあ。ママチャリだとけっこう辛そうな距離だが、BD-1で30km/h巡航するとあっという間だった。
 そこから逆行してゆく途中、市街地で小型PETボトルを扱っている自販機を見つけ、ウーロン茶のものを買った。500mlサイズなら、BD-1のビッグマウスバッグに入る。でも口は閉まらないけど。まあ落ちることはあるまい。
 この体制で、帰路の急坂にチャレンジだ。サドルをあげたためもあり、案外楽に坂を上がれた。やっぱりしんどいが。坂を上がりきったところで停め、ペットボトルの茶を味わう。山頭火の「へうへうとして水を味わう」を思い出した。いやあ、一口一口のうまいこと。
 そこから東に向かい、交通量の多い細い道をこわごわ走り抜けた。脇に逃げられない農道を走り抜けるのは緊張する。時々、車を通すために止まりながら、南下していった。
 南下してゆけば立場近辺に出るだろうと考えていたのだが、どう考えても見慣れない住宅街に出てしまった。電柱の標識を見ると、中田北2丁目。ちょっと東にずれたか。まあ南下すればやがていつもの道に出るだろうと思っていたのだが、一向に出ない。道がどんどん東方向に曲がってゆくのだ。ここはどこだ!(パート3) そこで南に抜ける道に入ると、またしても東に曲がってゆく。標識に拠れば中田北3丁目。さらに遠ざかっているではないか(爆)。意地になって走りつづけていると、やがてようやくまっすぐ南下する道に出た。そしてやがて長後街道に行き当たった。中田駅のさらに東側辺りに出たのだ。どうも、しらゆり公園の北側を迂回した形になったらしい。
 ここからは良く行く道を走り、ようやく帰宅した。放浪時間1時間弱。12kmのオデッセイだった。いや、ご近所ポタリングは楽しい。

2001年06月02日(土曜日)

星見ましょ

23時55分 星見

 日付が変わる頃、ベランダにC8EXを出し、沈み始めたさそり座に向けた。今夜はそこそこの透明度があり、シーイングは6/10くらいだろうか。M7はよく見えた。M6は隣家のアンテナに掛かってよく見えない。双眼鏡には映っていた。M8は微光星がたくさん見えて、さらに散光もやや感じられた。M22も見える。
 ファインダーに火星を入れ、LV5、UW4.7の260倍超で眺めた。火星のサイズは、先々月くらいに見たときよりも大きくなっている。既に木星よりかなり大きく見える。そして前に眺めたときには見えなかった、暗い影のような模様が見えた。火星の南極側(?)に、斑点のような影が見えていたのだ。これはアイピースを変えても、また視界の位置によっても消えなかったので、本当にそう見えているらしい。もしかしたら、火星の地中海跡かもしれない。
 真夜中、18*50ISをキャリアに括りつけ、自転車で例の丘に登った。が、気が変わってそこから少し南下した寂しい道に自転車を止めた。ここは街灯が全く目に入らないし、木立もないので、非常に広い視界を取れるのだ。しかも、車が通るということもない。
 ここでしばらくさそり座、いて座方面を眺めた後、路面に寝転がって頭上に向けた。真上に、夏の大三角形が見えている。はくちょう座の位置を確認し、アルビレオを視界に入れた。をを、この姿勢は楽だ。立ったまま見ると死にそうだったが、この姿勢なら手が震えることもない。アルビレオは、やっぱり拡大しないと楽しくない星のような気がする。
 最後に沈みかけている月に向けると、大気中の微粒子のせいか、赤っぽい不気味な色になっていた。

渋谷ムルギーオフ

19時49分 暮らし 天気:晴れ

 渋谷に集うてムルギーカレーでも食そうではないか、というムルギーオフを決行した。12:00前にハチ公口に到着、待っていると、やがて久遠氏が登場した。予想通り、久遠氏以外は誰も来ない。2週間後にも大きなイヴェントがありそうだし、単に「暑いからヤダ」というのもあったのかも。
 さて、飯食おうか、という事で、まずはムルギーに向かった。ムルギーは相変わらず地味~かつあやし~く営業している。カレーはうまいのか、スパイシーなのか、こくがあるのか、まろやかなのか、それらが渾然一体となったものなのかはっきりしない、しかし印象深いものだ。なんでも、ムルギーというのは『鳥』のことで、鶏肉カレーを意味するらしい。他店では「ムルギーカレー」というのはメニューの一つだ。
 ムルギーを出て、Book1stを放浪し、最終的にはガードしたのフルーツパーラーに落ち着いた。おやぢ二人がこういう店で対座しているというのは、しかし渋谷では意外に浮いてないな(いずれにしてもヤだが)。ここでも久遠氏といろいろ喋り捲る。久遠氏はフィクサーへの道を辿りつつあるのか(誤解)。いや、いろいろ面白い話を聞けました。もっとも、半分くらいは外を通る女子高生の生足を眺めていたのだが(おやぢだキサマは!)。
 17:00過ぎに久遠氏と別れ、秋葉に向かった。なんかいいもんないかなーと、物欲しげな顔をして歩く。しかし、結局東芝製NiCd電池を買っただけだった。後で、スターベース辺りで手頃な双眼鏡を買えばよかったと思い出した。

2001年06月01日(金曜日)

まだサドルを調整しとるのかっ

20時48分 自転車 天気:くもりの範疇かと思われ

 夜、いつものように自転車で丘登りコースを走ったとき、まだ膝に負荷がかかりすぎているように思った。ペダルを踏み込むとき、体重がうまく掛からないのだ。まだ低すぎるのかと思い、帰ってきたところでサドルを少しあげ、また一周した。途中でまだ足りない気がして、さらに上げた。戻ってきて、まだ足りないように思ったので、さらに上げてみた。これで一周してみたが、相当具合が良くなっている。かなり乗りにくい印象のあったBD-1だが、その点はかなり改善されたように思う。しかし、かれこれ5cmはアップした故か、足つきは完全になくなってしまった。止めたとき、うまくしないと転ける可能性がある。しかしよくしたもので(どこがだ)、トップチューブを飛び越えて降りるのは簡単になった。一長一短だな。案外、ストップ・アンド・ゴーの多い町中では、少し扱いにくい自転車なのかもしれない。そんなことを気にしなくてもよいくらい広い自転車専用道路があればいいんだけどな。