Strange Days

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2006年4月01日(土曜日)

中ノ鳥島へ逝きませんか

思考 00:00:00 天気:よいのか
 八丈島のついでに思いついた。さらなる離島旅行だ。
 ご存知の通り、南鳥島の北方には、中ノ鳥島がある。れっきとした地図にも載っていた日本固有の領土だ。南鳥島への交通手段は一般に開放されていないので、恐らくは小笠原、そしてこの中ノ鳥島が民間人にも足を伸ばせる大離島という事になるだろう。この中ノ鳥島にイキませんか?
 例によって現地の観光資源、交通手段は後で調べることになるが、北緯30度線に位置するこの島は、恐らくは暑すぎず寒すぎずの良好な気候だろう。自転車を持ってゆけるかどうかは分からない。
 情報らしい情報が無いことが、また想像力を掻き立てられる。離島の王様といってよかろう。まさに幻の島だ。
 いつ実施できるか分かりませんが、この中ノ鳥島旅行、目処がついたらここで募集します。さて、まずはグーグル先生にお聞きしないと。
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2005年10月23日(日曜日)

幻想への耽溺 シュバンクマイエル展

思考 20:43:00 天気:快晴
 晴れた! 久しぶりに、休日がすっきりと晴れた。なにかのご褒美のような、すっきり晴れた青空だ。
 さて、昨日思い出したのだが、神奈川県立近代美術館の葉山館で、シュバンクマイエル展が開催されている。今日はそれを見に行こう。でもあれ、"シュバイクマイエル"って記述じゃなかったのか。外国人名の表記は難しい。
 昼に家を出て、まずは長後のCoCo壱番屋で適当に腹ごしらえ。それから、境川を下っていった。今日はちょっとした荷物を積みたい。それと帰りには暗くなっているかもしれないから、MR-4Fを選択した。久しぶりに乗るけど、フルサイズロードに引けを取らない、軽やかな走行感が素晴らしい。荷物載るし、便利だし、これは手放せないな。売るならBD-1だなあ。BD-1は、もう手を尽くしたという感じで、あまり未練は無い。
 江ノ島に出て、鎌倉までは海沿いに走る。しばらくは内陸側の、鎌倉駅の裏に出るコースも使っていたのだが、結局はこっちの方が気楽だ。車は多いのだが、十分すり抜け出来るスペースがある。
 逗子マリーナ経由で逗子に抜け、後は海沿いに葉山館まで走った。それにしても、凄い快晴だ。
 チケット1000円なりを購入。同館では映画祭も開かれていたのだが、時間が無いので見送った。
 ヤンとエヴァのシュバンクマイエル夫妻は、チェコの映像作家だ。粘土や手書き線画を使ったものが得意で、また人形劇の類も製作している。ディスコグラフィーを読むと、そもそも最初は仮面劇と人形劇を組み合わせた作品の製作から始めたらしい。
 そういう映像作家なのだが、同時に多数の絵画、オブジェも製作している。特にプラハの春が潰えた後は、それを支持していた彼は弾圧の対象となり、創作活動に重い枷が掛けられた。その時期に、多くの絵画を製作していたようだ。
 チェコにはマニエリムスの伝統があり、人形作りに代表される工芸品の存在に象徴されている。一方で、シュールレアリスムの伝統も息づいている。シュバンクマイエル夫妻は、これら二つの伝統を背負って立つ、チェコの代表的アーティストということらしい。
 作品は、まだ会期中なので直接見てくれい。映像作品もDVD化されているようだ。それらを一言でいえば、キモくてえぐい。単に超現実的なだけではなくて、それらのディテールには現実のオブジェクトが見え隠れしている。多くはぬめぬめした生物的曲線を所有している。ことに現実の生物からパーツを借用している作品群ときたら。鳥の胴体に、人間の脳みその頭をつけて、左右に大たい骨を何対も、昆虫の足のように生やした"生き物"なんて。だが、これら『解剖図』、『博物図鑑』シリーズは、キモくてえぐいものではあれ、あまりピンとこなかった。なんでだろうと思いつつ眺めていて、ある作品を見てピンと来た。これらが動いている状態を想像できない、言い換えれば作り物感が強すぎるのだ。その作品は、それが肉をまとい、動いている様を想像できる、数少ないものだった。これはわざとじゃないか。つまり、創造物はあくまでも作り物なのだ。そういう作り手の思慮が窺えるように思えた。
 最初の部屋に、『人間が生き物たちを絶滅に追いやっている今、私たちに出来るのはそれらをアートの世界に再構成して生き延びさせることだけだ』*1なんていうヤンの言葉が掲げられている。なんだってそんな結論に至ったのか、その経緯は分からないが、あるいは彼らが、そしてチェコが担った歴史が、そう確信させているのではないかと思った。特にエヴァには、『芸術は現実を変えうる。なぜならば芸術も現実の一部なのだから』という思想がうかがえる。彼らの表現法であるシュールレアリスムにせよ、マニエリスムとしての立場にせよ、虚構を通して現実を扱う立場といえよう。いえようって、僕がそう思っているだけだがな。そして彼らには、まさに現実を変えた=チェコを自分たちの思う世界へと導く助力になった、という自負があるように思われた。
 美術館を出て、沈んでゆく夕陽と競うようにして、境川へと急いだ。南端の休憩所にたどり着く頃には、既に日は没していた。辺りは既に暗い。ハブダイナモは便利だなと思いつつ、帰宅。走行距離70km弱。葉山館は、中途半端に遠い。
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2005年10月02日(日曜日)

猛烈なる安っぽさ~篠原有司男展

思考 19:26:00 天気:晴れ
 さて、今日くらいはちょっと走ってこようかな。昼過ぎ、長後のCoCo壱番屋で久しぶりにカレーを食って、境川沿いに下り始めた。自転車はMasterXLだったので、今からでも葉山まで往復するのは余裕のはずだ。葉山の神奈川県立近代美術館葉山館に行ってくるつもりだった。
 しかし、この陽気が俺様の脳髄に染みとおってくる。逗子~葉山の狭い道を、必死に走るのはアホらしい。もういいや、鎌倉館の方に行こう(意志力皆無)。鎌倉館には、まだ入ったこと無いしな。
 鎌倉までは、海沿いルートを走った。鎌倉までは、色んなルートを通ってきたが、結局はここがいちばん楽なのかもしれない。道幅が十分あるのと、ほぼ平坦だからだ。車は鎌倉駅裏に続く道の方が少ないが、狭くて車と張り合わざるを得ないのが難点だ。
 鎌倉館の駐輪場にMasterXLを停め、900円なりを支払って入館した。ちょっとお高い気はしたが、これで別館も入れるのがお得なところ。
 鎌倉館での催しは、篠原有司男展だった。このオッサン知ってるぜ。ペンキまみれになりながら、白いキャンバスをバシバシ殴りつけてるのをテレビでやっていた。
 入ると、いきなり大判のキャンバスにド派手な色彩がぶちまけられたような、奇妙な絵に出くわした。この人、基本的に小さなものはあまり描かないようだ。見ているうちに、頭がくらくらと酩酊してくるような色彩だ。それも、悪酔いの方だろう。
 毒気に当てられながら、次の作品を見る。最初の展示室には、大判の絵の他、大きなモータサイクルのオブジェもあった。これが潔いくらい、正面斜め前からの観望"だけ"考えているような代物だった。すげえデフォルメだなと思いつつ、ちょっと毒気に当てられた気分で次に。
 ほとんど、こういう作品ばかりだった。そして問題のボクシングペイント。なんというか、こんにゃろこんにゃろこんにゃろこんにゃろこんちくしょー、という芸術家の意気込みだけが伝わってくるようなものだった。
 それにしても、全ての作品に共通する安っぽさはなんだろう。木材とアクリルボードと襤褸切れで出来たようなオブジェ、わざわざ見るのが嫌になるようなものばかりを選んだような色彩。
 しかし、見ているうちに、これは芸術家がまさしく意図したものではないかと思い始めた。確かに全てが安っぽい。しかし、そこに置かれている作品の一つ一つには、表層的な安っぽさなど吹き飛ばしてしまうような、中から突き上げてくるような迫力が漲っている。オブジェはそのマスをずっしりと感じさせられるし、絵画は描かれた者たちの烈しい主張に打ちのめされるようだ。後期になるほど、登場人物のモンスター化は進んでいるようで、とうとう目ん玉が飛び出してまでくる始末だ。だが、人間がモノから感じる質感*1は案外に騙しやすいもので、往々にして宛にならんという場面もある。これらの作品群は、そうした表面的な質感を内からぶち抜いて、その主張するところを適当かつ乱雑にワーッと叩きつけるような、異様な迫力がある。『汝、クオリアに騙される無かれ』、という芸術家の強い主張を空耳したような気分になった。お高く留まった高踏芸術の対極にあるだろう。とはいえ、ほとんどの作品を前にしての僕の態度は、アホのようにぽかんと見上げているばかりだったのだが。
 一通り見終わって、外へと抜けてゆくところで、一人のオッサンが館員を前になにやら滔々と述べているところに出くわした。美術館でこれは迷惑だな、と思いつつ、外に出た。そこで気づいたのだが、もしかして、今のオッサンこそが、恐らくは篠原有司男その人だったのでは無かろうか。
 ついでに別館にも立ち寄る。ごく近所だろうと、歩きにくいSPD-SLなシューズのまま、徒歩で向かったのだが、案外に遠い。北鎌倉への道の、傾斜が始まった辺りにあった。
 別館では『彫刻家のペーパーワークと彫刻展』が開かれていた。国内の現代彫刻家たちの作品と、彼らが書いたペーパーワークとが展示されている。彫刻家の中には、もちろんいきなりモノと格闘する人もいるのだろう。でも、多くの彫刻家は、まず頭の中で、そして次に紙の上に、モノとして表現すべき作品の構想を描くのだろう。この展示では、そうした企画としてのペーパーワークも多かった。しかし、一つの作品として独立したものも多かった。
 彫刻家が紙に描くという行為は、多分芸術家としての素養の一つであって、前提条件とさえいえるのだろう。だから、デッサンの一つであれ、もちろん作品としてであれ、プロとしての手馴れた手業を感じさせるものばかりだ。だが、紙に書かれるものには、実際には現実世界では表現不可能なものもあるはず。僕は、そういった彫刻家たちの"粗相"を拝めるのではないかと期待していたのだが、案外にそうしたものは皆無だった。もちろん、作品として描かれたものには、現実には不可能なものも多かったのだが。しかし、あくまでもデッサンの一つとして紙を扱った作家、作品としてモノと同列に扱った作家、様々だったが、モノの質感を越えるものはなかったように思えた。
 日暮れ時の境川を戻り、帰宅した。

2005年8月28日(日曜日)

横浜美術館にも行ってきた

思考 20:15:00 天気:やや不安定
 さて、昨日に続いて美術館だ。慌しいが、美術館の企画展が8月一杯というところが多いので、仕方ない。
 本当は神奈川県近代美術館本館に行きたかったのだが、横浜美術館の今の企画展が8月中ということだった。来週末までの近代美術館本館を来週に見送り、横浜美術館に行ってきた。
 最初は自転車で自走しようと思っていたのだが、R1を行くのも環状2号を行くのもイヤンな時期だ。トレンクルを担いで、地下鉄輪行することにした。こういう時、トレンクルは楽だわ。
 桜木町で降り、横浜美術館まで走る。事前に問い合わせ、駐輪場があると聞いていた。が、周囲を一周しても、駐輪場らしき場所が分からん。裏手かなとは思うのだが。面倒になったので、ランドマークタワーに渡る跨道橋の脇に、トレンクルを貼り付けにした。
 企画展のチケットは700円。常設展500円とは別に買わなければならないのかと思っていたのだが、これで全館閲覧できるという。安いなあ。
 企画展は「わたしの美術館」ということで、横浜美術館の収蔵品のうち、人気の高いものを集めたもののようだ。展示室を6つ使い、それぞれにテーマを設定して見せている。
 順路に沿って最初の部屋のテーマは『はぐくむ』。日本における近代美術の発展と、横浜のかかわりをテーマとしたものらしい。東山魁夷『樹』。ほの暗い中、奇怪でありながら秩序を感じさせる梢が、あらゆる方向に伸びている。今しもカラスたちがここに集まり、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てそうな、そんな破局の予感を孕んだ静けさと緊張感を感じさせる。下村観山『小倉山』。一人の公卿が、紅葉の舞い散る森の中に、茫洋とした顔で腰を下ろしている。秋の豊穣に満ちた森の中では、しかし滅びの兆しを覗かせる紅葉が、今しもはらりと舞い落ちようとしている。公卿の内面を感じさせる。この迫力には息を呑むばかり。横山大観『霊峰不二』。黎明、今まさに富士の峻峰が、明け方のほの明かりに浮かび出している。駿河の方から見ているのか、富士の右手は明るくなりつつあるのだが、左手には暗闇がわだかまっている。それは観測者の立つ手前の方にも名残を見せている。不二、の字を当てた辺りに、大観の思いが見えるようだ。
 次が『はばたく』。横浜所縁の芸術家たちを集めたようだ。石渡江逸『横浜萬国橋』。昔の万国橋ってこうだったのか。川上澄生『南蛮船図』。南蛮船が盛んに来訪していた時代、横浜は単なる寒村だったわけだが。清水登之『ヨコハマ・ナイト』。かつての横浜の暗さが感じられる。
 次は『出会う』。開港以来、横浜では洋の東西の交流が盛んとなり、芸術もまたそれに倣った。五姓田義松『外国人男性和装図』。西洋の技法を取り入れた絹絵師。フェリックス・ベアト『戸塚、東海道』。開国直後の日本を写した写真家。これが戸塚といわれても当惑する田舎ぶり。ヘレン・ハイド『かたこと』。作者は浮世絵に魅せられて来日し、新しい版画技法の誕生に貢献した女性芸術家。女性らしい、子供に主眼を置いた構図が楽しい。
 次に『見つめる』。開国~産業革命と日本が進展して行った19世紀後半から20世紀に掛けて、西洋の芸術技法も大きな変革期を迎えていた。ポール・セザンヌ『縞模様の服を着たセザンヌ夫人』。セザンヌの人物画は珍しいそうな。少し退屈そうなセザンヌ夫人の表情が面白い。ジョージ・グロッス『エドガー・アラン・ポーに捧ぐ』。その通り、ポーのミステリーを連想させる、妙にドラマチックな構成が面白い。パブロ・ピカソ『肘掛け椅子で眠る女』。キュビズム最大の存在意義は、横でもみじ饅頭を食いながらペプシを飲んでいても気にならない点にあると思うんだ(すげえ暴論だ)。ギュスターブ・モロー『岩の上の女神』。モロー初体験。耽美だな、メルヘンだな。気の強そうな女神様の横顔に萌え。これに票を投じた人の『嫁にしてえぇぇ』*1というコメントに笑った。青ざめたキャンバスに浮かび上がる女神の裸身はエロい。
 次が『ゆめみる』。横浜美術館は、シュールレアリスム関連のコレクションで知られているそうな。マックス・エルンスト『少女が見た湖の夢』。禍々しい怪樹に囲まれた、山中の湖。怪樹たちは人や、別の何かのように見える。超自然的な現象を感じさせる。サルバドール・ダリ『ガラの測地学的肖像』。超精密な筆致に息を呑む。ダリの絵筆には、毛が3本しかないものすらあったという。超絶技巧を目の当たりにする思い。しかし並べられた同画のための素描を見ると、ガラ夫人が実は何らかの建築物(鐘楼?)に見立てられているのがわかる。まさに測地学的肖像。同じく『幻想的風景 暁、英雄的昼、夕暮れ』。ダリがアメリカの滞在していた時、さる富豪の依頼で製作されたという大作。三枚の絵で構成されているのだが、それぞれがでかくて圧倒される。この絵に関しては、どこから鑑賞すればいいのか、距離を掴むのが難しかった。左手の暁、右手の夕暮れは、同じ風景の裏返しとも、左右一対のものとも思える。左手では鍵穴に蟻が群がり、右手では同位置に大柄な蟻がうずくまっている。中央の絵に描かれている人物は、背景の雲に上半身が溶け込み、顔は雁行する鳥たちにも見える。英雄的と題しているのに、この人物は明らかに女性だ。そして右手の絵では、この人物は今にも消えそうで、遠くに飛び去る鳥たちに名残が見える顔と、消えつつある足元だけが残されたものだ。丹念に見て行くと、様々な表象に仕掛けられたものが見えてきそうだ。
 最後が『生きる』。最新のポップアートを中心として、現代の美術を俯瞰しようというもの。遠藤彰子『街(Street)』。ごちゃごちゃした構図に力を感じる。奈良美智『ランプ・フラワー・ガール』。この人は、マンガチックな女の子をモチーフに作品を作り続けているようだ。マンガ世代の芸術。
 一通り見て、常設展を回ってから帰った。もう少し見て回りたかったのだが、集中しすぎたのか、頭がずきずき痛み、疲労を感じるようになっていた。しまったなあ、ここ、朝からくれば良かった。一日で見て回るには、惜しいくらいの作品群だった。
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2005年8月27日(土曜日)

ホピ族の人形を見てきた

思考 19:26:00 天気:晴れ
 前から行ってみたかった、神奈川県立近代美術館の葉山別館に行ってきた。三浦半島を走って帰る時、これが完成しているのに気づいてから、一度入ってみたかったのだ。
 家を14:00前に出た。ちょっと悩んだが、靴の都合から自転車は通勤用TCR-2にした。美術館の類は大概綺麗な化粧石を敷いているので、クリートでゴリゴリ削るのもなんだし、SPD-SLだとこける可能性があると思ったのだ。後で考えるに、換えの靴を持っていけばよかったんじゃないか?
 経路は、鎌倉に駅裏側から抜け、逗子まで裏道、後はR134というものだった。車が多く、意外に時間を要した。特に鎌倉周辺の混雑には参った。
 葉山別館は、完成して数年しか経ってないこともあり、綺麗な建物だった。ちゃんと駐輪場があるので、これでもかとばかりに多重施錠しておいた。入館料は今回の企画展では1100円。エントランスの奥に無料*1のロッカーがあり、手ぶらで回れるので助かる。
 今日、急遽来ることにしたのは、今回の企画展が明日までの予定だったからだ。
 今回の企画展は、北米原住民のホピ族が子供たちに与えている人形、カチーナ人形のコレクションと、それを蒐集したドイツの芸術家、ホルスト・アンテスの作品展示という内容だった。
 ホピ族というのはUSA南部の州の高原地帯、メサと呼ばれている地域に住んでいる人々だ。争いを好まない、穏健な人々と言われており、スペイン人や他の北米原住民種族との紛争を避け、この高地へと居を移したといわれている。それが怪我の功名となって、今に至るまで集団としてのアイデンティティを色濃く維持し、共同体としての姿を維持してきた。
 彼らは独特の神話を有している。この世界は滅亡と再生を繰り返しており、今の世界はそれらに続くものだというのだ。南山宏が喜びそうな題材だ。
 彼らの生活はとうもろこしに支えられている。降水量の少ないこの地で、とうもろこしを収穫するには、詳細な自然観察と、畏敬の念が必要とされたのだろう。自然の力無くして生活は成り立たないという観察から、彼らは頻繁に祭祀を執り行い、自然に対して自分たちに有利な働きかけをしてくれるよう請願する。とうもろこしの収穫サイクルに沿い、一年の前半に頻繁に執り行われる祭りには、自然界の諸々の存在を仮託した*2様々な仮面をまとった踊り手が登場する。これがカチーナ。成年男子しかなれないこの踊り手は、名誉な職らしい。例えば雷、例えば雪の神が憑いたこれらの踊り手は、村の広場で、あるいは地下に設けられた聖なる空間で踊る。踊ることによって、踊り手たちに憑いた神々が、とうもろこしや自然に働きかけることになるというわけだ。
 これらの踊り子の姿を、デフォルメを込めて再現したのがカチーナ人形だ。カチーナ人形は幼い子供たちに与えられ、神々への親近感と、それを中核とした共同体への帰属意識を持たせることを狙っている。
 一体一体見て回った。初期*3のものは朴訥としたものだが、20世紀に入ると手が込んでくる傾向があるようだった。巨大な羽飾りをつけた、ど派手な仮面が登場してくる。また、初期の素朴なものには、日本の石仏やイースター島のモアイ像を髣髴させるようなカーブも散見される。これらの地域に跨る文化的同一性があったのかもしれない。
 ホピ族のカチーナ人形に惹かれ、体系的に蒐集したのが、ドイツの芸術家、ホルスト・アンテスだった。巨大な顔に手足が生えたようなモチーフ*4を書き続けてきたアンテスは、カチーナ人形に出会ってから、ホピ族の精神世界を自分の作品に取り入れようとしてきたようだった。アンテスの近年の作品には、なぜか梯子が書かれていることがある。その梯子は、ホピ族が祭祀を行う神聖な地下空間への梯子を意味しているようだ。
 ホピ族の神話は、空間と時間の多重構造になっているのが興味深い。東は始まりの場所であり、西は終末の場所であるというのだ。日の出と日の入りを意味している。
 一巡したら、もう閉館時間が近かった。帰路を考えても、そろそろ家路に着かねばならない。涼しい館内を出て、一路立場へと帰っていった。
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2005年8月08日(月曜日)

大和ミュージアム

思考 17:57:00 天気:焼付くような空
 さて、帰郷した目的の第一を果たそう。
 昼前に起きて、まずは中通のモリスに向かった。いつものように大盛りを頼む。これよ、これが思い出の味よ。美味すぎるスープを飲み干すと、真夏なので汗がどっと噴出した。
 さて、いよいよ目的の第一に向かう。大和ミュージアムの視察だ。場所は中央桟橋の隣だ。近隣にショッピングセンターが出来、また駅裏には新しい施設がどんどん建てられている。駅を出た人の流れが変わりそうだ。
 大和ミュージアムの前には、戦時中に謎の爆沈を遂げた陸奥の装備品が陳列されている。これは主砲身。列強の16インチ砲に相当する、真41サンチ砲だ。長さと肉厚の分厚さに圧倒される。こんなものを連装で載せて、しかも装甲板を隈なく貼り付けた砲塔を、4基も載せていたんだ。
 館内に入る。常設展と企画展が別々にあり、共通券を買うとどちらにも入れる。この券で一日何度でも出入り自由だ。そして1Fに鎮座しているのが、1/10大和の模型だった。これを模型といわれても困る大きさだが。主構部上層のマスを感じさせる積層っぷりは素晴らしい。が、意外に繊細さも感じさせた。
 斜め上から見ると、艦橋が艦体中央に来る、バランスの取れた配置が分かる。甲板には台湾檜が使われているそうだ。強度甲板の上に、あえて木製の甲板を残すのは、米戦艦も墨守していたことだ。というか、空母も板張りだったがな。艦船設計が、本質的に柔構造であることに起因するらしい。
 全体的に、意外に対空火器が少ないように思えた。米戦艦のように、主砲塔の上や周囲にまでてんこ盛り、という状況ではなかった。あるいは、戦争末期の状況を再現したものではないのか。
 他の展示物も見る。これは特攻兵器の回天。実物を見て、あまりのチープさにショックを受けた。潜望鏡は、経年劣化を考慮しても、視野角、精度共にとても実用に耐えるものでは無いように思えた。こんなものに人間を詰め込んで、『死んで来い』といった奴らがいたのだ。しかも、そいつらは戦後ものうのうと生き延びたではないか。日本は戦争をしませんなどと誓ったところで、戦争は相手がいる話なので、永遠に守りきれるとは思えない。だが、こんな無惨な戦争の旗を振り、のうのうと生き延び、権力にしがみついた連中がいたということを、俺は忘れんぞ。そしてこの事実の方が、絶対不戦の誓いなどという不可能事よりも、ずっと重い意味を持つはずでは無いだろうか。
 零式艦戦。今見てもスマートな機体だ。
 甲標的の流れを汲む特殊潜航艇、海龍。浮沈制御にバラストだけではなく、大きな潜航舵の揚力を使用するなど、先進的な設計が光る。だが、これさえも戦争末期には、両舷の魚雷を発射した後、自ら敵艦に突入する特攻兵器に改装されたという。旧軍の特攻好きは、もはや病理現象と評せざるを得ない。
 大和ミュージアムを出て、呉ポートピアパークまで走った。夕方まで昼寝するつもりで、売店でビールを買い、途中で買ってきたたこ焼きをつつく。美味い。極楽なり。
 適当な日陰を見つけ、日が陰るまで寝て過ごした。起きてからはしばらく歩き回り、アルコールが抜けたことを確認してから帰宅。今日も暑い日だった。

2005年7月21日(木曜日)

みてみる

思考 11:12:38 天気:いいみたい
 それにしても、自分がなんの気なしに使う言葉で、最凶に気持ち悪いと思うのが『見てみる』だ。なんで『見る』が二重化してるんだよ! 『見る』でいいだろ!*1
 これはきっと、"目で見る"+"実施する"というそれぞれの意味での『みる』が重なっているのだろう。しかしわざわざ二つ重ねなくても、どっちか一方の意味での『見る』で十分な文脈でばかり使っている気がする。
 凡俗どもにはどうでもいいことかも知れぬが、美しい日本語使いを目指す我輩には、まさに生死に関わる問題だ*2。とりあえず、おやつの後に考えてみよう。*3

2004年10月26日(火曜日)

花粉症いえーい

思考 13:18:40 天気:雨だぜ
 朝から目の痒みと喉の痛みに悩まされている今日この頃。もしや花粉症ではという懸念が強まってきたので、顔を頻繁に洗ってアレルゲンとの接触を減らすという処置を行ったところ、かなり改善された。やっぱ花粉症かな。もういや~んってカンジ!
 ここ数年、甜茶を飲むことで状況が改善されてきたのだが、この時期にはヨークマートには甜茶の在庫が無いのだ。参ったな。ウーロン茶じゃ効果ないし。
 ところで、こうした健康食品信仰を悪用した商法に関して、国立健康・栄養研究所が警告を発しているって。7番辺りが、この甜茶での効果宣伝のパターンに当たっていると思うな。だが、例えプラシーボ効果でも効けばいいのだ、俺的には。それに甜茶の味は好きだしな。ということで、甜茶療法は継続決定。
 それにしても、血液型信仰の復活といい、最近はまたオカルトが蔓延って来ているような気がする。それも、科学の衣を纏っていたり*1、娯楽の衣*2をまとっているから始末が悪い。こういうのはト学会みたいな連中がいくら笑い飛ばそうとしても無駄で、学校教育の中で堅実な科学的思考を育てなければならないのだろう。
 極論すれば、英語、国語、歴史の授業を削減、いや廃止し、数学、科学、科学史の時間を倍増するべきなのだ。前者の魅力的なテキストなんて、両目を開けていればその辺にいくらでも転がっているから、はまる奴は勝手にはまる。英語だってNOVAがあるじゃん。人の書いた物をたくさん読んで、必要に迫られて自分も書く。そうしていれば英語だって日本語だって身に着くさ。昔の人間はそうやって”教養”を身に着けたんだ。
 しかし後者に目を向ける人は、物凄い変わり者だけじゃないだろうかね。科学的思考というのは要するに手続きの集合体なので*3、獲得するためには訓練が必要だ。個人では難しく、どうしたって教育機関で教育を受ける必要がある。今の風潮の根本原因は、要するにその訓練が足りてないって事だろう。それを増やすにはゆとり教育とやらを止めるか、ハードな科学にはつながらない分野の授業を削るかしかない。最初の極論は、そうして出てくるわけだ。
 こんなことを、花粉に効くじゃん*4などとほざきつつ甜茶をせっせと飲んでいる俺様のような者が主張するから、世の中はよくならないんだ。キエーッ!
 どうした、俺。テンション高いな。なにかつらい事でもあったか。ああ、花粉症かい。

2004年6月25日(金曜日)

夏至過ぎて

思考 20:50:00 天気:暑いなあ
 ふと気づいたら、もう夏至を過ぎているじゃないか。ああ、なんてこった。これからは、なんとなく全てが終わってゆくような気分になるんだよな。たとえ真夏に、太陽に炙られている最中*1であっても。
 逆に冬至を過ぎると、ますます寒くなる時期であっても、なんとなくなにもかもが芽吹いてゆくような気分になれるから不思議だ。
 太陽ってのは偉大だねえ。ぱやぱや。
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2004年6月10日(木曜日)

なぜ僕が心配するのをやめて自転車を愛するようになったのか

思考 10:06:04 天気:今日明日はいいようだ
 子供の頃は自転車に上手く乗れなかったのだ。
 小学生の頃、自転車を買ってもらった。時期的には例のウィンカー自転車全盛期の直後だったせいもあり、ごくシンプルなママチャリっぽい小径車(22インチだったか)を選んだのだった。ところが、どうも人の様には上手く乗りこなせない。その頃、通っていた小学校では、自転車免許制なるものが施行されていた。要するに、月一くらいで実技試験を開き、それに合格したものだけ自転車を乗り回す資格を与えるという趣旨だった。考えてみれば、いくら義務教育期間中とはいえ、学校側にそんな権限が無いはずだ。まあ、生活指導の一環だったのだろう。僕には、この制度が非常に窮屈に思えた。そんなものを取るくらいならと、隠れてこそこそと乗るのが関の山だった。そのせいか、自転車に積極的に乗るという習慣は無かった。自転車なんて無くてもなんとかなる、狭い生活圏だったこともあるのだろう。その結果、自転車に乗りなれないうちに、飽きてしまったのだと思える。
 中高と進んで、いつの間にか自転車たちも処分されてしまい、出掛けるときには公共交通機関を使う暮らしに慣れてしまった。
 就職してしばらくして、転勤が続くようになった。名古屋に暮らしていた時期に、人からお買い物自転車を借りて、というか勝手に使っていいといわれて、乗っていた時期もある。子供の頃に乗っていた自転車に較べ、ずいぶん安定するもんだと思っていた。しかし、今思い返せば、危ない乗り方をしていたように思う。
 こんな風に、僕にとっては自転車なんてごく希薄な存在感しか持たない、あっても無くてもいいものだったのだ。また、自分は自転車に上手く乗れないんだという、コンプレックスみたいなものもあったと思う。
 4年前の秋、趣味の天体観望のための移動手段として、自転車はどうだろうと考え始めた。近所の、ちょっと暗い場所まで出かけるのに、歩いて行くには遠いし、車は大げさだし(免許無いし)、などと考えてゆくと、自転車がちょうど良いと思えたのだ。しかし、自転車なんて置いたら、部屋が狭くなってしまう。しかし、世の中には折り畳み自転車というジャンルもあるようだ。そういう目で探してみると、折り畳み自転車は既に大きなジャンルを成していると分かった。車種の選定には紆余曲折はあったが、BD-1に決まり。これにキャリアをつければ、中型双眼鏡と三脚くらいなら載るだろう。
 2001年の3月末に、BD-1が届いた。物凄く久しぶりに乗る自転車は、いちいち乗り方を思い出さなければならない始末だった。が、一度乗り方を思い出すと、今度は乗ること自体が面白くなってしまったのだった。思うに、子供の頃に自転車を乗り回して遠出するということが無かったので、今頃になってその楽しさを発見したというところだろう。そしてずっと心の中に隠されていたコンプレックスが解消され、その反動で自転車ラブな人間になってしまったのだろう。
 結局のところ、天文趣味がやや疎かになってしまい、自転車中心の生活にまでなってしまったのだった。老いらくの恋は激しいというしな。
 それにしても、3年で9台という購入台数は、激しすぎである。人として足を踏み外しかけていると思ったので、流石に去年はトレンクルを引き取っただけに抑えたが。
 そろそろ、自分が欲しい自転車がはっきりしてきたので、自転車の一部を処分し(しかしこれが難しい)、車種を絞ってゆこうと思っている。
 稼動回数が低下している望遠鏡たちも、もっと使ってやらないとね。

2004年5月20日(木曜日)

俺様らしい文章

思考 13:34:22 天気:台風接近中……
 ややっ、この凄惨な日記が、vividな印象なんていわれちゃったYO!
 それはたぶん、あれですよ。文体への考慮の無さとか、アドホックさ加減とかが、そう受け取らせているに過ぎないのですよ;^^)
 自分らしい文章を書くためには、自分というものを表現できる文体を把握してないと無理ですよね。さらにいえばその前提となる"自分"という表現そのものも。でも僕はそんな努力はしたこと無いから(正確にはやっても無駄とすぐに分かっただけだが)、この日記で意識的に文体を作っているなんてことは無いんです。いい加減に書き散らしているだけ。そして多分、それこそが自分らしさを演出する、戦術的な正解ではないかと思ったりして。んじゃあ、今正解を得ているのかというのは、うーむ。

2004年4月12日(月曜日)

松田新平氏逝く

思考 19:49:00 天気:なかなか
 逝ってしまったか。
 昔、ASCII-Netで、彼がjojo氏という人望のある人物とやりあってた時のことを思い出した。というか、ネット上で殺し合ってたというべきか。そのjojo氏が亡くなったとき、新平は『これで俺を許せないと思うような人が出てくるだろう』なんてことをいったのだ。それはjojo氏の人望の篤さを逆に浮き上がらせていた。もちろん新平もそれを承知していた。だからそんな発言になったのだと思う。新平も、死の直前数年くらいは、主に2chを中心に活動し、同時に敵を作りまくっていた。では彼を攻撃していた人々を『許せない』と考えるような者は出てくるだろうか。とてもありそうにない。死に方の違い、風土の違いはあれど、彼ははっきり人望というものを欠いていた。新平は一種の珍獣として生き、珍獣として死んだのだ。そんな風に自分をカテゴライズしてしまう傾向は、大昔のASCII-Net時代からあった。そんな生き方しか選択できなかった彼を悼む。
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2004年3月01日(月曜日)

ハイチの混迷

思考 10:48:11
 まるで恒例行事のようなハイチの混迷を、かなり他人事のように眺めている。アリスティドは事実上退陣し、さりとてそれに代わる者は無さそうだ。もしかしたら、かつてアリスティドを追った軍事政権の誰かが、再び政権を掌握するかもしれない。今回、蜂起した"武装勢力"(マスコミもアリスティドを追った勢力の正体を掴みかねているようなラベリングだ)の支柱を、アリスティドが解体したハイチ国軍の元軍人たちが占めているらしいという情報を見るにつけ、さもありなんという気になる。識字率が極端なくらい低いハイチでは、軍人は社会的なエリートだ。アリスティドは、その母集団である軍を解体することで、民衆へのアピールと、アメリカによる介入(ハイチ国軍にアメリカの影響が強かったことは確かなようだ)の予防を図ったのだろうが、まるで狼を野に放つような形になったわけだ。
 アメリカは、遂に国際世論の声(にこたえる形)で軍事介入するようだ。アメリカからすればシナリオ通りということかもしれない。アメリカがハイチ国軍を復活させ、"民主的な選挙"により旧国軍関係者を政権に据えれば、デュバリエ政権に見切りをつけて以来、アメリカが抱き続けてきたシナリオが、遂に完結する。まあ、国際世論は水物なので、ハイチ民衆の向かう先ともども、どう転ぶか分からないけれど。と、この辺が他人事のようだが。
 陽光と青い海に恵まれたはずなのに、世界最初の近代的黒人独立国家のはずなのに、火達磨になってのた打ち回っているような国、ハイチ。識字率の低さ、人々の横のつながりの低さが癌だと言われているこの国を、いったいこの世の誰が立て直すことが出来るのだろう。ハイチの人々に、いや人間に対して投げかけられた、大きな難問のように感じているのは、果たして僕だけだろうか。
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2004年2月29日(日曜日)

思考 15:54:02
 3、2、1、そして0。自分がそんな風にして<無>になってしまうのだとしたら、どんなに恐ろしく、そしてやるせないだろう。
 バラードの代表作(と自分で言っている)『時の声』では、主人公のパワーズ博士が、まさにそうした運命をたどる破目になる。パワーズ博士は、奇病ナルコーマにより、日々眠りが長くなってゆく運命にある。今日は8時間起きていられても、明日は7時間55分、明後日には7時間50分しか目覚めていられる時間が無い。そんな風にして切り詰められてゆく毎日。それをただただ甘受するしかないというのは、なんと残酷な状況なのだろう。やがて最後の目覚めへと、そして二度と目覚めぬ眠りへと繋がってゆく夜。その時間を正気で過ごせるとは、とても考えられない。
 だが、僕だってやがては"0"になってしまう運命にある。人として、いや生命として生まれた以上、終末の到来は避けられぬ定めだ。問題は、その瞬間が正確に分かっているかどうかだ。
 パワーズ博士の病は極端としても、明日をも知れない、いや余命n年などと宣告された人々は、数多い。そうした人々は、何段階かの受容のステップを踏んで(これは、今はオカルト方面に行ってしまったキューブラー・ロス女史の研究が著名)最終的な平穏を得るという。ロス博士の著作は、あまりにも物語的かつ自己完結的に過ぎると感じる部分もあるが、死を見つめることで人の内面が質的に変化したり、より生産的になったりするという事例は、その枚挙に事欠かない。まあ、確かなことなのだろう。そのことは、ターミナルケアの現場レポートを引けばいいだろう。また、一昨年亡くなった日野啓三が、腎臓癌からの生還を果たした後、生死という問題にさらに深い視線を注ぐようになった故事を引いてもいい。死は人間を謙虚にさせる。より正確には、死へのカウントダウンを聞くことは、だろうか。
 だが、死の運命からは、この宇宙そのものさえも逃れられそうに無い。量子論の、現在主流の学説に拠れば、最も安定した素粒子である陽子も、極めて長い時間をかけて崩壊することが予言されている。それはまだ実証されてはいないが、一方で宇宙空間そのものが拡大し続けているというビッグバン理論も、何度も修正を加えられながら、今や実証の段階に達している。ハッブル宇宙天文台を初めとする高性能の大型望遠鏡は、宇宙の果て、時間の果てで起きた、宇宙開闢直後の現象を捉え始めている。宇宙論と観測手段が精緻化されてゆけば、やがて宇宙の現年齢が年単位で、さらには時分秒単位で明らかにされるかもしれない。そうなれば、我々は宇宙の"誕生日"を祝うことが出来るようになるかもしれない。
 だがビッグバン理論は、宇宙に何らかの形での終末が訪れることをも、必然的に予言する。宇宙が閉じている(宇宙空間の拡大を反転させられるほどの物質が宇宙にある)のならば、宇宙はビッグクランチという、空間自身の消滅という形での終末を迎えるだろう。開いている(際限なく空間が拡大してゆく)のならば、物質は延々と希釈され続け、やがて構造を持った安定な物体は何一つ存在できなくなるだろう。そして陽子論の予言通りに、陽子が崩壊することが事実なら、宇宙にはほんのりした熱エネルギー以外には、なにも残らなくなるだろう。
 劇的なビッグクランチ、逆に延々と続く熱的な死、どちらにせよ、僕たちの文明は、やがて宇宙の死ぬ瞬間を算出できるようになるはずだ。そしてその時、僕たちの持つ時間という概念は、大きく反転するかもしれない。
 現在、時というものは、雪のように刻々降り積もって行くものだと信じられている。時間は一方へと増加するばかりで、それが反転することは無い。その認識は、人間の文明に、宇宙の永遠性への素朴な信仰をもたらした。だが、"終わる瞬間"の正確な時刻を知ったとき、人間たちは、終わりの"時"に向けてカウントダウンをするという誘惑を、果たして振り切れるだろうか。宇宙の死を前提とした、漸減的な時間認識、それが僕たちの意識を変えてしまうだろう。
 3、2、1、そして0。そんな風に宇宙もまた終わりを迎えるのだと知ったとき、もしかしたら、人間の文明はより謙虚に、そしてより無害なものへと変わってゆくのかもしれない。『時の声』で、宇宙から届く異星人たちの"放送"に耳を傾け、それらがみな宇宙の死へのカウントダウンだと知ったとき、パワーズ博士が初めて宇宙そのものの運命と同一化できたように。
 それでも、終末に背を向けて、この馬鹿騒ぎを続けてゆくのだろうか。それを知ることが出来るとしたら、それも宇宙論の発展の先に待つ、楽しみの一つではないかと思ったりする。
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2004年2月25日(水曜日)

自信満々のうろ覚え

思考 11:47:15
 昨日の日記で思い出した。なんかの書き物でどうしても『AがBの食事のおこぼれに与る』という表現を使う必要が生じた。そのものずばりの表現は『ご相伴に与る』だが、この読みを"そうはん"と記憶してしまっていた。"そうはん"をPCの日本語入力で変換しても"相伴"とはならないので、困ってしまったものだ。なんということだ、今や『御相伴』(いうまでもなく脳内音声では"ごそうはん")という言葉すら死語になっているのか。美しい日本の言葉はどこに行ってしまうのだ、などと嘆いたりしてな。しかしどうしてもこの言葉を使いたい。そこで読んで笑える辞書として愛用中の新明解国語辞典を引いたところ、見当たらない。PCにインストールしてある広辞苑にすら見つからない。さすがにここで自分の知識に疑問を抱き、"そうはん"の近辺を探してみたが、それでも見当たらない。悪いことに、調べているうちに、漢字表現の方も曖昧になってしまっていた。他の辞書はこの世のどこに行ってしまったか見当もつかない(腐海のどこかに埋没しているのであろう)。
 そこで、『~に与る』の用例を思い出し、Google先生に尋ねたところ、やっと『ごしょうばん』という読みであることを発見した。というか、この瞬間にそう習ったことを思い出した。こういう曖昧な情報の検索は、インターネット検索の方が便利だなあ。
 こういう誤った読みを記憶している事例は、まだまだ大量にあるはずなのだが、日常生活では多用しないため、なかなか発覚しないものだ。
 正しい知識のために、書き物をしましょうという結論(それでいいのか)。
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