Strange Days

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2001年8月18日(土曜日)

NHKスペシャル 「いのちの言葉」

テレビ 23:27:00
 今夜のNHKスペシャルは、ALS(筋委縮症)に冒されて、全ての表現の術を失った男性が、それでも脳波を介した"声"で周囲の人々と語り合うというレポート。
 ALSは、全身の筋肉が突然無力化するという恐ろしい病気だ。海外では車椅子の物理学者、スティーブン・ホーキングがその患者として著名だ。マイケル・フォックスもそうだったろうか。いずれにせよ、国の内外とも相当数の患者が存在している。その原因は不明で、治療の可能性は未だにゼロに近い。
 筋肉が無力化するということは、言葉を発したり、文字を書いたり、目くばせしたりという、人間のもっとも単純なコミュニケーション手段が行使できなくなるということだ。ホーキングは比較的幸運にも(といっても程度の問題ではあるが)指先の筋肉が使えたので、最初の頃はキーボードを介してコミュニケートしていた。しかし症状が進むと、視線を使った入力しか用い得なくなってしまった。このように、症状が進むに従ってコミュニケートがどんどん困難になってしまう。
 番組で取り上げられた男性は、そうした症状がもっとも進んだ例だ。指先はおろか、まぶたの筋肉すら弛緩してしまっているので、もはやあらゆるコミュニケート手段を失ってしまったのだ。それではどうやって外部とコミュニケートするのか。
 ALS患者は、しかし大脳を中心とした思考能力だけは全く損なわれることがない。そのことは、意識を集中した際に起こる脳波の変化は健常者と変わりないことを意味する。そこでこの脳波のピークを捕らえ、それを"ピッ"という音声信号に変える装置が考案された。これにより、少なくともその瞬間、質問者に対して同意したか否か程度の意思は表明できる。これにより、この男性は、「暑いか」とか「XXが見えるか」という程度の質問には答えることが出来るようになった。
 それにしても、思考能力が衰えないという点が、ALSの悲劇性をより強調しているように思う。肉体が生命維持や表現のためのものではなく、いわば精神の牢獄と化してしまうのだ。自分からはいかなる働きかけも出来なくなる。そしてそれを眺めているだけの"意識"......。なんという恐怖だろう。これほどの重い十字架を背負ってしまった人というのは、他にはあまりないだろう。もしも僕がそうなったのなら、むしろ発狂してしまうかもしれない。
 しかし、ALSは自殺する能力すら奪ってしまう。ALS患者は、あらゆる能動的な能力を失うという点で、際だった特徴を持っているといえるだろう。その生命の維持もなにもかも、他の誰かに委ねなければならないのだ。
 この男性は、先の装置が取り付けられるまでの数年ほど、外部にいかなる意思表示も出来ない状況が続いた。それ以前、無力化の進行に伴い、人工呼吸器の取りつけが必要になり、声を失うという経験をしていた。その時、この男性は呼吸器の取り付けに難色を示していた。これ以上、家族の重荷になりたくないと思ったのだ。しかし妻は呼吸器取りつけを望み、結局その通りになった。その前後から男性の"言葉"が荒れ始めた。周囲の医師、看護婦、そして家族に当たり散らしたのは、次第に失われて行く能力への恐怖だったのだろうか。しかし、視線を介したコミュニケートすら不可能になることで、遂にそれさえも失われてしまった。
 "声"が失われていた数年の間、妻は独りで怖かったという。果たして今していることが夫にとって良いことなのだろうか......。そういう疑問に悩まされたのだ。脳波を使った"声"は、それを解消してくれた。
 この装置を使って、より積極的な意思表示が出来るようにもなった。側で50音を順に読み上げ、目当てのところに差しかかったところで男性が意識を集中、"ピッ"という音を出す。それを拾って行くことで、文章を組み立てることが出来る。YES/NOどころか、"言葉"さえも取り戻したのだ。男性は、ごく単文で表現できる創作として、俳句を作るようになった。そして最近、その作品集を出版するに至った。
 言葉を取り戻す事は、男性と周囲の関係を再構築するのにも役だった。
 夫婦の次男は、子供の頃に父が周囲、特に看護婦に当たり散らす様を目撃して以来、この「嫌な男」をほとんど無視して過ごすようになった。彼には父の反応が理不尽なものに見えたのだ。彼は父が、これほどになってまで果たして生きていたいのかどうかが疑問だった。ところが、"声"を取り戻してしばらく経って語った父の言葉が、彼に衝撃を与えたのだ。長い沈黙の果て、父は「生きたい」と語り始めたのだ。「これほどになってまで生きたいなんて」と、次男は素直に驚きを感じたという。それから、彼は父に興味を持って接するようになった。
 長女は逆に、父が周囲に当たり散らす様を見て、医療の現場での至らなさを感じたという。彼女は現在、看護婦を目指している。
 このように、ALSの恐ろしさは、"声"を奪ってしまうことだと思う。他の病気やケガならば、他の手段で補うことも可能だろう。ところがALSは、あらゆる能動的な能力を奪ってしまうので、それが困難なのだ。脳波を使った"声"は、それを乗り越える数少ない可能性の一つだ。ホーキングがいうように、「ALSでできなくなることはそんなにない」が、それもなんらかの表現手段があってこそだと思う。ALSの治療を可能にする遺伝子医療がどれほど急進展するか分からないが、それまではこうした機器が患者の精神を救うことになるのだろうか。
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2001年7月08日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

テレビ 23:32:00
 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」"惑星改造 もう一つの地球が生まれる"の巻。~
 人類の活動が、地球環境に大きな影響を与えている事実が認識され始めたのは、前世紀末の事だった。フロン、メタンといった温室効果ガスが、地球全体の平均気温を押し上げるというシナリオが、幅広く認知され始めたのだ。もしもこの傾向が続けば、地球環境は生命が生存するに適さなくなるだろうと警告する学者もいる。物理学者のスティーブン・ホーキングもその一人だ。ドイツのマックスプラント研究所のシミュレーションによれば、今世紀半ばまでに極地を中心に5度近く平均気温が上昇する可能性があるという。これほど平均気温が上がれば、ピーク気温は10度近く上がるはずで、極地に堆積された膨大な氷が溶け出し、それがさらに地球系に別の影響を引き起こしてゆくだろうと見られている。人類の生存のために、地球外に生活の場を広げなければならない、という主張をする科学者は多い。
 地球外に居住の場を作る方法はいくつかある。その一つがテラフォーミング、地球以外の惑星、衛星を地球環境に近づける技術だ。その最大のターゲットになっているのが、地球のすぐ外側の軌道を巡る赤い星、火星だ。
 火星は地球より平均気温が低く、マイナス60℃にもなる。また大気は地球の1/100の気圧しかなく、液体の水もほとんど存在しない。このままでは生命は一瞬足りとも生存できない、苛酷な環境の星だ。しかし、火星の歴史を紐解くと、常に不毛(人類にとって)の惑星だったわけではない。火星は、その誕生直後には濃い大気と広い海があり、地球に瓜二つだったという研究結果がある。しかしその歴史のどこかで、大気と水を失い、赤茶けた死の星になってしまったのだ。その原因はまだよくわかっていない。星として小さいので、地球ほどの恒常性が確保できず、ちょっとした切っ掛けで死の星に向かうフィードバックが働いたのかもしれない。
 しかし、その大気と水が完全に失われてしまったわけではないようだ。
 火星の南極には、白い氷のようなものが堆積している。観測の結果、これは低温で固形化したCO2、すなわちドライアイスであることが明らかになっている。さらに、火星の大地には、莫大な量の水も潜んでいるという観測もある。火星の地表の所々に、まるで亀の甲羅のような文様が見える場所がある。実は地球の永久凍土帯にも、同じような文様が散見される。これは水分を含んだ土壌が低温で凍りつくと、その体積が縮小することにより生じるものだ。収縮した分だけ周辺に割れ目が生じ、そこに多量の氷が蓄えられる。その割れ目が新たな土壌に覆われると、亀の甲羅のような文様が出来上がるという寸法だ。極地でこの現象を観測してきた科学者は、同じサイズの文様には同じだけの氷が蓄えられているという研究結果から、火星の同一地形にも多量の氷が埋蔵されていると推測している。おそらく、平均数百メートルの深度を持つ海を作るくらいの。
 では火星のテラフォーミングはどのようにして進められるのだろう。火星地球化の決め手になるのは、皮肉にも地球温暖化の主犯とされている温室効果ガスだ。
 まず、火星の地表に化学プラントを建設し、大気中に多量のフロンガスを散布する。フロンは地球温暖化に大きな役割を果たしているCO2に対し、実に100倍もの効率を発揮する温室効果ガスだ。これを過去地球で生産されてきた量の半分ほども散布すれば、火星の平均気温は20度ほども上昇すると考えられている。するとドライアイスの沸点(昇華点)を超えることになり、今度は南極のドライアイスが気化し始める。これが全て気化すると、それらの温室効果の相乗により、火星の大気は地球の高山並になると見られている。とにもかくにも、生命が存在しうる環境にはなるわけだ。それはほんの1世紀で達成できると見られている。従来、テラフォーミングは1000年単位でしか実行できないと言われてきたので、この大幅な短縮は心強いものだ。NASAでテラフォーミングを研究している科学者は「地球環境の破壊をもたらす物質が火星の地球化を助ける」とその皮肉を語っているが、見方を変えれば火星の別種の、急激な環境破壊に役立てるということだ。
 さて、地学的には火星の地球化は達成されたわけだが、この後に大仕事が待っている。生態系の移植だ。人間だけが火星に住むわけには行かない。まず大気の大半をCO2が占めている状況では、人間は直接呼吸することが出来ない。酸素を増やす必要がある。これは太古の地球環境で、どうやって酸素の割合が増加していったか、という研究から、その方法が考案されている。地球大気中の酸素を生産した珪藻を利用するのだ。これにより長期的に、海洋を主体とした酸素生産は可能になる。が、火星では海洋の面積比が地球より小さいので、陸地における酸素生産を重視する必要がある。陸地での酸素生産の主体は、森林になると考えられている。しかし火星に森林を広げるには、大きな課題が残されている。
 地球上で火星に近い環境といえば、高山地帯が相当する。しかし高山では森林限界と呼ばれる現象が観察され、ある高度以上の土地には高木が生えない。この謎は、高山の土壌にあった。ある高度以上の土壌には、樹木が生息するのに必須なアンモニアなどを生産する微生物が少なく、結果的に樹木が育たないのだ。この問題を解決するには、高山に適合した新種の微生物の開発が必要だろう。
 おそらく、こうした技術を組み合わせてゆけば、次の千年紀には火星に人類の新たな居住圏が成立するだろうと思われる。しかしそれは、単に火星を地球化するということを意味するわけではない。そこに移植される地球種を、火星化するという意味ももつのである。
 生体学者たちは、人類が月で行動したりした時の記録から、人類の行動様式が別の環境では容易に変化することを発見した。たとえば、地球の1/6の重力しかない月では、宇宙飛行士たちは歩くより飛び跳ねて移動するようになった。これはどちらが効率的か、体感した人間が即座に適応したことを示している。
 環境の変化は、人体の形状や質にも影響を及ぼすと見られている。ベッドに横たわった状態では、全身に均一に荷重がかかるため、無重力状態に近くなる。この状態で長期にわたって生活した人の心臓を調べると、ポンプとしての役割が軽くなった結果、その筋肉が薄くなる傾向が発見された。つまり、低重力/無重力では人間の心臓は小さくなるのだろう。さらに、ジャンプして移動するとすれば、足や腕の形状も変わるかもしれない。
 実は、生命は新しい環境に適応してきたという歴史がある。初期の肺魚は、擬似的な無重力状態である水中から、重力が支配する地上へと一歩を踏み出し、歩行するという新しい形態を獲得し始めた。人類にしても、樹林で木にぶら下がりながら生活していたサルの一派から、生活環境の激変により歩くことを余儀なくされたことから自由に使える手を獲得し、頭脳を発達させてきたのだ。人類が宇宙空間に、火星に広がっていったなら、どのように変化してゆくのか興味は尽きない。
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2001年6月10日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

テレビ 23:25:00
 今夜のNHKスペシャルは「宇宙 未知への大紀行」第3週、火星探査の巻だ。
 20世紀が始まる頃、パーシバル・ローウェルが「火星には運河がある」という観測を発表して以来、火星は人類の関心を惹きつづけてきた。
 1969年、アポロ計画が人類の月着陸という形で結実した頃、フォン・ブラウンは既に火星探査の青写真を提示していた。しかし、月探査は2週間程度、それに対して火星探査は1年以上の長期計画になると見られていた。それほどの長期宇宙滞在が、人体にどんな影響を及ぼすのか、当時はまったく未知の世界だった。
 宇宙開発競争の一方の雄、旧ソ連邦も、独自に火星探査を目指して実績を積み始めた。彼らはサリュート、ミールなどの宇宙ステーションに置いて、実際に長期滞在の経験をつみ始めたのだ。すると驚くべき事実が明らかになった。宇宙では人体の筋肉、骨の強さが急激に低下してしまうのだ。これはアポロ計画でもある程度顕在化しつつあった問題だが、年単位で実施される火星探査では深刻な問題に発展する可能性があった。そこで科学者たちは、適正な運動メニューを日常的に組み込むことで、かなり防止できることを確認した。
 しかし、肉体の問題よりも深刻な問題が明らかになっている。
 ロシアでは地上に準閉鎖系を作り、そこでも火星探査のための課題を追求している。ここで長期間の模擬実験を行ったところ、30日辺りから心理的な変化が見られるようになった。ミスが増え、注意力が散漫になった。ノイローゼ的な症状もあらわれた。閉鎖環境が人間心理に悪影響を与えているのだ。これは、ミールでの長期滞在実験でも見られた現象だった。
 ミールでは、地上に残した家族との交信などの時間を取ることで、心理的な問題をある程度克服できた。しかし、地球を遠く離れ、通信遅延が大きくなる火星探査では、こうした方法は難しい。そこで、小さな植物プラントが持ち込まれた。するとテスト要員たちは、この植物の世話に次第に熱中するようになり、同時に心理的な圧力の低下も見られるようになった。
 NASAでは、既に火星有人探査計画の精密なプランを立てている。それは近年の洗練された閉鎖系技術などを反映し、フォン・ブラウンが提示した計画よりはるかに軽量化されている。実施は2015年になるという。はたして実施されるか否か、楽しみである。
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2001年6月09日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:32:00 天気:くもり時々雨
 昼の間はぼんやりしておったそうじゃ(日本昔話風)。夕方になって、自転車でご近所を散歩。前のようなオデッセイではなく、いつものようにしらゆり公園に上り、立場界隈をうろついただけ。しかし、一周6km弱なのだが、丘を二つ上り下りするせいで思ったより歯ごたえがある。帰宅した頃には汗だくだ。
 夜、NHKスペシャルを見る。「飛鳥京発掘」。奈良の前に飛鳥に置かれた飛鳥京発掘の最新情報だ。
 飛鳥京は孝徳帝の代に飛鳥に置かれていた宮廷で、大化の改新直後、中大兄皇子らが新政策を画策する震源地となった場所だ。従来、飛鳥京跡とだけ伝承されていたこの地に、発掘のメスが入って以来、新発見が相次いでいる。既に主な建物の発掘は進んでいる。最近、大きな池の跡と見られる場所の発掘が進み、またしても新発見が相次いだ。
 飛鳥京に大きな庭園と池があったことは、日本書紀の記述などから分かっていた。また以前の発掘作業などから、池を囲んでいた石垣も見つかっており、その概要はおぼろげに知られていた。今回、その池周辺の9箇所を発掘調査することになったのだ。
 池は南北に100mもある大きなもので、中に島が作られていると考えられていた。中国で作られていた同趣向のものは、島と岸とが完全に独立し、そこに木橋が掛けられている。ところが、発掘が始まって、思わぬ場所に石垣が見つかってしまった。池の中と見られていた場所に、石垣で囲いハン築(字が思い出せない)で固められた土橋が現れたのだ。中の島は、いわば半島のように陸とつながっていたのだ。中国様式からは考えられない構造だった。そしてここで環状の池は区切られ、いわば"C"の字のような形になっていたのだ。
 さらに意外な事実が明らかになった。土橋の一方では池は60cm程度と予測された水深だったのだが、もう一方では同じくらい掘り下げても池の底が見えなかった。辛抱強く掘り下げて、ようやく2m下に底が現れた。つまり、トポロジー的には棒状といえる池の一方は60cm、もう一方は2mと奇妙に不釣合いな水深だったのだ。その深い方の池底からは、地下水が滾々と湧き出ている。この事から、池には地下水位を利用した水位調節機構があったと推定されている。池に大量の水が流れ込むと、水圧が掛かって水は下向きに流れ去る。逆に渇水などで水位が下がると、水底から新しい水が供給されるというわけだ。飛鳥周辺の地下水脈を算出してみると、ちょうど池の周辺にそれらが集まってくることが分かった。古代人はどうやって見えない地下水脈を見つけたのだろう。トライ・アンド・エラーだけでなく、予め地勢を"読む"技術もあったに違いない。今はすっかり失われてしまった、古代の叡智だ。
 池の沈殿物を調べたところ、植物の種子が多数発見された。主に桃、柘榴など、当時は薬として珍重された果物類が、池を囲むようにして植えられていたらしい。
 既に明らかになっていた建物の外観とあわせてみると、"水の都"飛鳥京の姿が顕になる。飛鳥京では、全ての建物の周囲に水路がめぐらされていた。そしてそれらが最終的に収束するのが、今回発掘された池だったのだ。水路周辺からは奇妙な形の石像が大量に発掘されている。それらは水の噴出口を持っており、水の都を演出していたものと思われる。天皇は神聖な新しい水を取り、これらの水を支配する権力者という立場を演出していたと考えられている。古代天皇の意外な一面だ。
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2001年5月27日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

テレビ 23:40:00
 今夜のNHKスペシャルは、「宇宙 未知への大紀行」第2週。"地球外生命を探せ"の巻。
 近年の生命科学の進歩は、人類の生命観に大きなインパクトを与えている。従来、生命など存在しないと考えられていた超深海、極地、さらには大深度の地中から、従来ではその存在が考えられていなかった生命たちが見つかっている。それぞれ、過酷極まりない環境に適応した生命が息づいていたのだ。
 これに意を強くしているのが、地球外生命に思いを馳せる科学者たちだ。彼らは地球の外に生命が存在することは"当然"だと主張する。しかし、その形態、生態は、人間の想像を越えるものになるだろうと考える科学者が多い。
 天文物理学的な分析などから、宇宙には生命が利用しうるリソースが、想像以上に豊富に存在していると分かっている。ある種のアミノ酸が星間物質の中に多量に蓄積されていることは、第1週でも取り上げられた。火星の地表に多量の水があったことは、既に事実として明らかにされつつある。今も、その地下には氷が埋蔵されていると考えられている。木星の衛星エウロパは、多量の氷に覆われた大型衛星だ。このエウロパの表面に走る、無数の亀裂を観察した研究者は、この亀裂の形成に液体の水が必要であると主張している。もしそうなら、少なくとも亀裂が形成される瞬間には液体の水が存在することは明らかであり、さらには氷の下に広大な"海"が広がっていると主張する向きもある。隣のイオの内部が木星の潮汐力で融解し、無数の硫黄火山が形成されているように、エウロパの内部も高温になっているはずだと見積もられているのだ。
 木星、土星などのガス巨(惑)星に、ガスで浮力を得て大気中を漂う生命を夢想したのは、確かカール・セーガンだったのではなかったかな(スターリングも「スキズマトリックス」で登場させていたっけ)。彗星のような氷塊の内部には、宇宙線との反応で酸素などの生命が利用可能なリソースが生じ、その上に特異な生態系が築かれているかもしれないと考える学者もいる。もちろん、SF作家たちは更に奔放な想像を働かせているのだけれど。
 一部科学者たちの楽観的な予想を支えているのは、宇宙の広大さと生命のしぶとさだろう。つまり地球上の苛酷環境でも繁栄する生命が見つかるのだから、宇宙全体からすればそれよりはるかに快適な環境は数多くあるはずであり、故に生命は宇宙に普遍的に存在しているはずだ、と。地球外生命の存在を確信する科学者の中には、「その存在確率は"1"(つまり100%)だ」と主張するものまでいる。こうなると、僕としては地球外生命探査は一種の宗教活動か、と揶揄したくもなる。
 なるほど。宇宙は広大で、生命の材料には事欠かないだろう。生命が存続できる環境も無数にあるには違いない。それならば、なぜ生命活動そのものを見つけることが出来ないのだろうか。それほど普遍的に存在しうるのならば、なんらかの形で生命現象そのものの証拠(例えば、生命活動によってしか生成されえないような複雑な分子)が見つかって良いはずではないだろうか。その理由を"宇宙の広大さ"に求めてしまうのは、僕にはあまりに無責任な態度に思える。もしかしたら、生命という現象が、本質的に不安定なもので、永続し得ないものなのかもしれないではないか。地球が貴重な例外だったのか、ありふれた一例に過ぎないのかは、いまだただ一つの観察事例(つまり地球生命)しか持たない僕たちには、答えを出しようのない問いだ。そもそも、僕たちは生命の"発生"しうる条件を充分に把握しているだろうか。地球生命発生のシナリオでさえ、二転三転しているのだ。「それほど容易に生命が生じるのなら、なぜ科学者の試験管の中で発生しなかったのか」という聖書至上主義者の指摘は、まあ措くとしてもだ。
 こうした地球外生命の存在論議に影を投げかけるのが、フランシス・ドレイクの公式と呼ばれる、銀河系に相互通信可能な文明が同時にいくつ存在しうるかを導く、例のアレだ。ドレイクに悪気は無かったのだろうが、なんとも意地悪げな公式ではないか。大半が人類にとって未知の変数で成り立つこの公式は、地球外生命の存在を確信する人々にとって希望の星となりうる。徐々に科学的に明らかになりつつある変数を埋め、残りは思い思いの数値で埋めてゆく。なんとか科学的に推定できるのはfp(惑星系を持つ恒星の比)までで、以降は全て"思い思い"としかいいようがない。確固たる根拠がないからだ。その結果、楽観主義者のはじき出した数値には希望的観測が満ち溢れている。公式の結果は"1000万"とするものもある。逆に悲観論者の答えには"1"(つまり地球だけ)というものもある。なんだか、楽観主義者は鼻でもほじりながら、利き腕とは逆の手で鉛筆を握り、机に投げ上げた足で紙を押さえながら適当に変数を埋めていったような感じがする。逆に悲観論者は、公式を一瞥すらせず、厳しい表情で言下に「"1"だ」と言い切った、などと想像したくなる。ドレイクの公式って奴は、なんだかむやみにこうした楽しい想像を誘発するのである。こんな想像をするのは僕だけだろうか(そうだろうな、たぶん)。
 ともあれ、実際に地球外生命の存在が確認されない限り、このいる/いない論争は決して根絶できないだろう。たぶん、楽観主義者と同じくらいの割合で、へそ曲がりな悲観論者(僕みたいな)もいるのだろうから。
 いるかいないか分からんが、それを直接探してみようじゃないか、というプロジェクトがSETI。かれこれ30年の歴史を持つこのプロジェクトは、インターネットの普及によって新たな段階に突入しつつある。それがSETI@homeだ。これはSETIの最前線を、アレシボ/大学間から、全世界の一般家庭に広げようという試みともいえる。近年、各個人が持つパーソナル・コンピュータの遊休時間を統合し、膨大な計算能力を持つ仮想スーパーコンピュータを成立させる試みが、相次いで実行されている。SETI@homeは、こうしたトレンドに乗るものだ。アレシボで受信したある周波数帯の電波信号を、小さな単位に切り分けてインターネットで配布する。そしてあちこちのコンピュータに仕込まれたクライアントで、遊休時間を使って解析、結果はやはりインターネットを通じて集めるというものだ。SETIというテーマの明快さもあり、非常に多くの参加者を集めている。もっとも、僕はSETIにそれほど血道を上げなければならない状況か、という点が疑問なので、あえて参加してないのだが......。
 たぶん、地球外生命の実在が確認されたとすれば、それは今世紀(いやいつの世紀でも)最大の事件となるだろう。人類に与えるインパクトは計り知れない。しかし、逆にその非在が明らかになることも、やはり巨大なインパクトを与えるだろう。いや、恐らく、後者のインパクトの方が大きいはずだ。いずれにせよ、地球外生命探査というテーマは人類の関心の焦点となりつづけることは確かであり、恐らくは何世紀にも渡って追求されてゆくことだろう。人類が存続するならば。
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2001年5月26日(土曜日)

NHKスペシャル「たった一人の医師として」

テレビ 22:34:00 天気:晴れ
 今夜のNHKスペシャルは、「たった一人の医師として」。辺地医療を志し、医療砂漠といえる襟裳町で11年間を過ごした1女医の話題。この人は、元々は大阪で平凡な主婦として過ごしてきたのだが、ある時に辺地を巡回して回る老医師の姿に感動し、辺地医療を志すようになったという。30台半ばで医大に合格し、40代に入ってついに医師免許を取得、総合病院で経験を積んだ後、'90年についに襟裳町に赴任し、念願を果たした。そして実に10年間、襟裳町ただ一人の医師を勤めてきたという。
 ひさびさにズンと来た。冒頭、間もなく襟裳を去ろうというこの女医さんが、11年間欠かさず続けてきた巡回往診で、あるお年よりの家を訪ねたとき、このお年よりが女医さんの手を握りながら涙を流すのだ。もちろん、別れが惜しいから。NHKの事だから演出(というか素人への"指導")は入っているのだろう。しかしこの涙は本物だと思った。そして悟ったね、この人は、僕なんかとは比較にならないことを成し遂げた人だと。一体、この僕がこの場からいなくなったとして、果たして何人が涙を流して惜しんでくれるというのか。最大限に希望的観測を積み重ねても、まあ皆無だろう。例えこの場で頓死したところで、肉親以外に惜しんでくれる人がいるとは思えない。いや、現代社会のドライな関係性の中では、大体そういう場合が多いのではないか。このご老人にとっては、この女医さんは涙を流して惜しむべき人なのだ。
 10年間、全住人の命を預かるたった一人の医師として過ごすことは、想像以上に過酷な日々であったらしい。全住人の健康管理を始めとする日常業務はもとより、いつ急患が運び込まれるか分からないという緊張感。まったく休みの無い日々。この人以前、2年以上仕事を続けられた医師が皆無だという事実が、辺地医療の過酷さをうかがわせる。そしてこの女医さんも、大阪に帰ろうと思うようになったという。しかし、ご子息に腫瘍が見つかり、その癌の疑いが晴れる経緯から、一人一人の住人に今までに無い親しみを感じるようになったという。自分が息子に対して抱いているような愛情を、この地域の人々一人一人が、互いに抱いているのだろう、と。そしてとうとう10年間も過ごすことになった。
 長年、医師はこの女医さん一人だった襟裳町の医療スタッフに、最近もう一人の医師が加わった。大病院の評価システムに疑問を抱いた医師が、やはり辺地医療を志してやってきたのだ。新しい医師が一人で切り盛りできることを確信した女医さんは、遂に大阪に、家族の下に戻ることを決意した。別れの日には、多くの人々の歓送に送り出された。
 それにしてもタフな人だ。30代で医師になることはもとより、志を貫徹してなおかつ60歳になるまで毎週の巡回往診を欠かさず続けるとは。単なる義務感だけでなく、一人一人に対して愛情を持つことが出来たからではないだろうか。そしてこの女性の志を支えつづけた、家族の応援も大きかったのだろう。~
 この女医さん、今後は淡路島で小さな診療所を開き、辺地医療を続けてゆくという。
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2001年5月13日(日曜日)

NHKスペシャル

テレビ 23:50:00
 今夜のNHKスペシャルは「被爆治療83日間の記録」。
 一昨年の9/30、東海村で国内初の臨界事故が発生した。事件の経緯は述べないが、科学技術社会の真っ只中にあっても、命に関わるような知識の欠如はいくらでもあるということを再確認させる事故だった。
 このとき、作業者の一人、大内久さんは健常者の平均被爆量(自然界には微量の放射線が常在している)の2万倍という莫大な放射線を浴びている。純粋な被爆であり、核兵器による被爆の場合と異なって高温火傷などの障害は無かったため、即死は免れた。しかし、通常の2万倍だ。医療関係者は2週間以上の生存は難しいのでは......と考えていたらしい。
 東大付属病院の緊急医療チームに大内さんの命運が委ねられたのは、事故から三日後のことだった。世界最先端の医療技術を誇り、豊富な経験を持つこのチームにとっても、これほどの放射線被爆というのは経験が無い。
 被爆直後の大内さんは、見た目は健常者と変わりが無い。わずかに日焼けしたような軽度の放射線やけどを負っているだけだった。しかし彼の内部では、はるかに深刻な事態が起きていた。高速中性子を浴びたため、全身の細胞核にある遺伝子が破壊されていたのだ。細胞は増殖することも、正常な活動することもままならないことを意味する。
 最初に立ち現れた危機は、白血球の激減に伴う感染症の可能性だった。健常者なら多少の雑菌が身近にあっても問題は無い。体内に入り込んだ外部の雑菌は、白血球などの免疫機構が働いて除去してしまうからだ。ところが、大内さんは白血球を生み出す造血機能を損なわれ、日々消費されてゆく白血球を補うことが出来なくなったのだ。この問題に対し、医療チームは大内さんの妹さんの血中から造血細胞をろ過し、それを移植することで対処しようとした。
 次に皮膚の脆弱化、腸壁の損傷の拡大が発生した。皮膚も、腸壁も、日々その表面から剥がれ落ちている。しかしその分を新しい細胞で補っている。ところが大内さんは新しい細胞を作り出すことが出来なくなったので、それらの皮質によって保護されている筋肉が露出し、わずかな刺激で出血などを起こすようになったのだ。体表に関しては人工皮膚の移植で対処しようとしたが、定着することが無かった。そして腸壁の損傷は、毎日リットル単位での体内出血を引き起こすようになった。失われてゆく血液と体液を補うべく、小刻みに輸血、輸液が行われた。
 組織の脆弱化は肺機能にも及んだ。急激な肺機能の低下に対処するため、人工呼吸器の取り付けが行われた。これ以降、大内さんは自らの意思を表現することが困難になった。
 一度は心停止という危機を乗り切った大内さんだが、医療チームにも打つ手無しという思いから、無力感が広まっていた。家族も回復を祈りながら千羽鶴を折りつづけたが、大内さんの容態から一つの決断に達した。次に心停止があっても、もう回復させない、と。
 臨終前の夜、大内さんの妻子が最後の面会に訪れた。そして最後の心停止。大内さんと家族、医療チームの83日間の戦いは終わった。
 大内さんが運び込まれたとき、医師団の中には治療不可である事を見抜いている者もいた。が、それを口にすることは医療チームの士気に響く。それ以上に、快復を(いかに絶望的とはいえ)祈っている家族の気持ちを思えば、決して口に出来なかったのだろう。
 しかし、大内さんの壊れてゆく過程(これは"死に向かう"などという生易しい事態ではない)を目の当たりにしたある看護婦は、「これはなんなんだろう」という根源的な疑問をおぼえたという。そこには、既に死界へと赴いてしまったにも関わらず、最新の医療技術に支えられてなおも"延命"されている事への、根源的な疑問が込められていると思う。最後に「これ以上の延命はしない」と決断したのは、望んでいるかどうかも(あるいは既に望む能力すら失われているかもしれない)患者を、生存日数というスコアで図る現代医療の現実に対し、医師たちが良心を選択した結果なのだと信じたい。
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2001年4月29日(日曜日)

NHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」

テレビ 23:18:00
 今夜は期待のNHKスペシャル新シリーズ、「宇宙 未知への大紀行」第1集が放送された。今回は「降り注ぐ彗星が生命を育む」と題し、彗星がもたらす破壊と恵みとを追跡する内容だった。
 太陽系の周縁部、冥王星軌道の遥か先に、微小な天体が無数に巡っている。オールトの雲と呼ばれるこの領域は、太陽系が生成された時に残された、材料の残りだ。ほとんどが水、すなわち氷で構成されている。
 このオールト雲は、元々は彗星軌道の詳細な解析により、その策源地として予言されたものだ。彗星はこのオールト雲から"転落"した氷のかけらが、太陽系中心部へと落ち込んでゆくことで生まれる。
 現在、地球上の生命の全てが、アミノ酸を基本とする有機化合物により構成されている。ところで、このアミノ酸には光学的特性から左旋系、右旋系という2種類がある。化学的特性はほぼ同一であり、また自然条件で合成すると同量生まれる。ところが、地上の生物が利用しているアミノ酸は、全て左旋系のみなのである。この謎は、生命が使用するアミノ酸が宇宙からもたらされたものだと考えれば解けるという。
 もともと、アミノ酸は星間物質として盛んに生産されている形跡がある。特に太陽系の生成時のような環境では、多量のアミノ酸が生じていた可能性が高い。しかし、地球のような惑星が生まれる時には、無数の天体が衝突し、重力エネルギーを熱に変えてゆく過程で高温になる。そのため、高熱によりアミノ酸は壊され、誕生直後の地球にはアミノ酸が存在しなかった可能性が高い。しかし、その後オールト雲から多数の彗星が飛来し、あるものは地球近傍にて多量の構成物質をばら撒き、あるものは直接地球に突入した。すると既に低温になっていた地表ではアミノ酸は壊されずに蓄積されてゆくことになった。実は、アミノ酸をある種の紫外線にさらすと、右旋系の方が壊されやすいことが判っている。この事から、長期間宇宙を漂っているうちに、彗星内部のアミノ酸は左旋系ばかりになってしまい、それが地表にもたらされたと考えられるのだ。
 彗星は、しかししばしば恐るべき災厄をももたらした。地球の生命史を紐解くと、しばしば大規模な絶滅劇があったことが明らかになっている。数千万年前、地球を大型の彗星が直撃した。カリブ湾奥深くに命中した彗星は、莫大なエネルギーを放出し、付近の海水、地殻を蒸発させ、巨大な津波で近隣の地表をなぎ払った。それだけではなく、遠く離れた地点にも焼け爛れた地表の破片が降り注ぎ、やがて地球規模の大火災を巻き起こした。火災は多量の煤を吹き上げ、大気を暗く濁らせ、光をさえぎった。太陽光を得られなくなった植物は絶滅寸前になり、その植物に連なる食物連鎖の諸相も共倒れになってしまった。地球上に、生物がほとんど存在しない時代が続いたらしいのだ。
 しかし、この大破局は生命に別種の機会を与えた。
 地球に降り注ぐ彗星の数をプロットし、地球の過去の生命種数を重ねてゆくと、驚くべきことに彗星による災厄が増えた時代に、生命層の大爆発が巻き起こっていることがわかった。これは、生命圏の壊滅という危機的状況に、新しい環境に適用することで立ち向かおうとした、生命の苦闘の跡を物語るものだ。地球の複雑な生命圏は、度重なる災厄のストレスがもたらすものだともいえるのだ。
 このように、彗星は地球生命圏のゆりかごとなり、また災厄をもたらす妬みの神ともなる存在だったのだ。いやあ、彗星恐るべし(落ちてきたらもっと恐るべし)。
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2001年4月28日(土曜日)

運慶の変貌

テレビ 23:16:00
 帰宅して、一息ついてから、国宝探訪を見た。なにやら癒し系の番組だなあ。今回の題材は平安末期から鎌倉初期にかけて活躍した仏師、運慶だ。
 運慶は源平が争い、結局武士によるヘゲモニーが確立されていった時期に、優れた仕事を残した仏師だった。彼は慶派と呼ばれる仏師集団の棟梁の家に生まれ、やがて仏師を統べる存在となる。
 運慶の若い頃の作品は、平安期の流れを汲む穏やかな風貌の仏たちだった。しかし源平合戦の過程で、慶派の活躍していた奈良の寺院が戦火に遭った。彼は東大寺再建の請願を立て、多くの作品を残していった。それらの多くは、最終的な勝者となった東国武士たちの好みに合わせた、荒々しい感情と張り詰めた緊張感をたたえた写実的な作品だ。そこには平家への怒りもあったのかもしれない。運慶は、時代の潮流に合わせた技法を学び、我が物としていったわけだ。そして、この時期の最高傑作が、東大寺南大門に置かれた阿吽二形の仁王像だった。写実的でありながら、それを大きく誇張することで現実を超えた緊張感を演出して見せたこの大作は、しかしたったの69日で製作されたという。それを可能にしたのは、多くの仏師を統べる棟梁の立場をもって初めて可能になる、徹底した分業体制だった。しかしさすがに製作時間が短すぎたのか、一度作った部分の手直しが数多くあったようだ。しかしそれが緊張感をもたらしたようにも思える。あるいはそれは、天才芸術家だけに可能な奇跡だったのか。
 最晩年、運慶が生きる仏教界は、鎌倉新仏教の興隆期を迎えていた。貴族と僧侶のためのものであった仏教は、法然の専修念仏運動によって最下層にまで自律的に広まりつつあった。そうした流れの中に、また新しい仏像が求められていた。そして運慶は、興福寺北円堂の諸仏でそれに答えたのだ。その中の特に印象的な2体は、無著、世親という古代インドの兄弟僧に題を求めつつ、その顔は日本人の、おそらくは同時代の僧侶の顔をしている。悟りを求めつつも悟りにたどり着けず、しかし怒りを抱くことも諦めることもなく進み続ける彼らの姿は、日々もがきながらも行き続ける道を選ばざるを得ない庶民の心情を反映させたものだったのだろうか。
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2001年4月21日(土曜日)

国宝探訪

テレビ 23:50:00
 時間が22:00に移動した国宝探訪を見た。今夜の題材は「白描絵料紙理趣経」。平安時代末期に流行した、きらびやかに装飾された仏教経巻だ。厳島神社に平家が奉納した経巻と同類のものだ。
 この経巻の特徴は、経巻の下地に製作途中の絵巻物を使用していることだ。絵巻物の下絵と見られる線画が、そのまま残されている。この経巻の但し書きによれば、後白河法皇が製作を進めていた絵巻物が、法皇逝去により未完成となり、法皇を弔うべく未完成の下絵にそのまま経文を書き込んだという。だから下絵がそのまま残されているのだ。その線画の内容は、一見して源氏物語のような、絢爛豪華な王朝絵巻に見える。実際、そのような意見が多い。
 これに異を唱える向きもある。というのは、この下絵には、ふわふわした毛玉のような、異様なものも書き込まれているからだ。これは物の怪ではないかともいわれる。当時、平治の乱を始めとする戦乱が諸国に巻き起こり、公家政権は危機に瀕し、市中は度々戦火に巻き込まれていた。人心は動揺し、物の怪のような超自然的な存在が広く信じられるようになった。そうした流れの中にこの経巻もあるというのだ。しかし別の意見では、この正体不明の物体は、隠れ蓑を纏って隠身の術を使っている貴族の姿ではないかとする。
 この当時、宮中のあちこちを、隠身の術を使って密かに見回るという筋書きが流行した。恐らく、スキャンダラスな絵物語に使われたのだろう。後白河法皇は絵巻物の収集、製作に熱心で、こうした流行の素材にも熱心だったのだろう。
 絢爛豪華な平安絵巻にミスマッチな題材の気もするが、怨霊の類が頻出することを思えば、そうでもなかったのだろうか。
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2001年4月14日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:51:00
 今夜のNHKスペシャルは、ロシアのテレビ局が撮影した北方4島の自然を追う番組だった。見たところ、ロシア人はこれらの島をあまり活用して無いように見える。あるいは軍用施設の存在は、あえて隠したのかもしれない。
 これらの島々には、日本の本土では見られなくなった自然が生き残っている。もしもこれらの島々が日本の実効支配下にあったら、恐らくここまで手付かずではいられなかったろう。そう思うと、なんだか複雑な気分ではある。また地名をNHKのナレーションではいちいち日本時代の古名に直していたのが笑える。恐らく、ロシアで放映した時には、カリングラードとかいったロシア名で呼んでいたのだろう。国後などは住民が7000名も住んでいるという。軍事的に占領でもしない限り、国後、択捉の"返還"などありえないように思える。自衛隊には、これらの島を奪還する作戦計画が存在していないのだろうか。
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2001年4月07日(土曜日)

番組改編

テレビ 22:40:00
 NHKの番組編成が、一部変わっている。土曜夜の国宝探訪、サイエンスアイは生き残った。特に国宝探訪は人気があるのか、22:00に移っている。サイエンスアイは相変わらず。
 ちょっと期待していた未来潮流系、あるいはYOU系番組の復活は無いようだ。
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2001年3月31日(土曜日)

NHKスペシャル「星明かりの秘境カラコルム」

テレビ 23:23:00
 今夜のNHKスペシャルは面白そうだ。「星明かりの秘境カラコルム」と題し、山岳写真家藤田弘基氏のカラコルム遠征を同行取材したものだ。
 藤田氏は世界中の有名峰を写真にとり続けてきた山岳写真家だ。アルプス、ヒマラヤなどを写真に納めてきた藤田氏は、近年カラコルムに取り組んでいる。カラコルムはパキスタン北部、ヒマラヤの西方にある大山塊だ。ヒマラヤ同様、インド亜大陸がユーラシア大陸に食い込む圧力が生み出す造山運動により、今なお盛り上がり続けている。地理的に交通の不便な辺境地であり、世界第二位の高山K2などが集中しているにもかかわらず、今なお人の侵入を容易には許さない。富士山の倍以上の6000m級の山は数知れずあり、無名峰も多いという。
 去年の初夏、藤田氏は例年のようにカラコルム入りした。藤田氏が最初に向かったのは、カラコルム西部にある5000m級の峠だった。峠といっても稜線のすぐ側は1000mも一気に落ち込む急峻さで、多数のポーターを使って険しい道行きをしなければならない。藤田氏はこの峠にテントを張り、すぐ側の高峰群を写真に収めようとした。藤田氏が得意なのは星空と風景を一緒に写し込んだ星景写真と呼ばれるものだ。藤田氏は特殊なカメラを用意して晴れ空を待ったが、天候が崩れて実に一週間以上も待機する羽目になった。ほとんど命の危険を感じるようなシチュエーションだ。たかが風景写真とはいうものの、これは完全に命懸けだ。
 藤田氏が次に向かったのは、南部のパキスタンに近い高原地帯だった。短い夏の間、この近辺には高地に暮らす人たちが家畜を連れて上ってくる。藤田氏は短い夏に咲き乱れる花たちと星空とを一枚の写真に納めるため、雲の無い夜をまたしても待ち続ける。写真家は瞬間的なシャッターチャンスをものしなければならないことも多いのだろうが、常人の想像を絶するような忍耐も必要なようだ。更には風のない夜に、波一つない湖面に映る星を写し込んだりもした。
 最後に藤田氏が向かったのは、カラコルムの中心に近い、人が足を踏み入れることのほとんどない高原地帯、スノーレイクだった。ほとんど本格的な登山チーム並の陣容でこの高地を目指した。スノーレイクは、険しい峰に囲まれた広い雪原が、まるで雪をたたえた湖のように見えることから付いたという。危険にさらされながらも雪と岩以外なにもないスノーレイクに到達した藤田氏は、思いがけないシャッターチャンスを得た。はるか遠くに見えるK2が夕映えに燃えている様を写真に納めたのだ。K2を西方から望めるポイントがほとんどないので、このような写真が撮られることはまれだという。
 藤田氏は、スノーレイクを見下ろす稜線から、空を行く星、静かに立ち並ぶ山、そして星明かりに映える雪原を写真に収めることが出来た。この写真、どこかで出版されるのだろうか。欲しくなったな。
 それにしても、この藤田氏のハードな遠征に同行したNHK取材班も、これまた大変な苦労をしたことだろう。しかし、一生に一度くらいはこの目で見てみたい光景だ。
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2001年3月24日(土曜日)

NHKスペシャル「誕生の風景」

テレビ 23:30:00
 今夜のNHKスペシャルは、「誕生の風景」。21世紀の最初の年に、三つの命の誕生の風景を見る。
 世界最先端の医療技術が、命の意味を変えつつあるという。アメリカでは、人工授精技術の進歩が、全く新しい種類の"養子縁組"を成立させている。
 ある夫婦は、長年子供が出来ないという悩みを持っていた。そこで人工受胎(?)という手段を選択した。この方法の目新しい点は、受胎する受精卵の精子、卵子共にこの夫婦のものではないということだ。この受精卵を提供したのは、やはり不妊治療に人工授精という手段を選択した、別の夫婦だった。
 恐らくキリスト教圏に根強い考えだと思うのだが、命の始まりを受精の瞬間だとする考えがある。堕胎に非常に非寛容なキリスト教圏では、胎児を既に人間とみなすという思想が支持されている。ならば、その胎児の始まりである受精卵をも尊重するのは、そうした思想の持ち主にならば自然な考えだろう。
 人工授精では、実際に使われる以上の受精卵が用意される。それらのうち、ごく一部だけが用いられ、残りはたいていの場合破棄される。しかし受精卵を破棄することに、それを人間の始まりだとみなす人々は、耐えがたい罪の意識を持つようだ。そこで、こうして"生まれた"受精卵を生かし、自力では人工授精も出来ない夫婦との間に"養子縁組"を取り持つ組織が現れた。先の夫婦も、そうした組織が仲介して、別の夫婦の不要な受精卵を提供してもらったのだ。しかし、この"養子縁組"は、提供者の夫婦にある種の不安を抱かせた。
 受精卵を尊重して別の夫婦への提供に同意したことから分かるように、提供者夫婦も受精卵を既に人間だとみなしている。少なくとも、それを否定しきれない。その"我が子"を別の、見ず知らずの夫婦に提供することは、果たして正しかったのか。その夫婦にどう扱われるかという不安もあったようだ。むしろ我が子として生み育てるべきだったのではないか。それは別の楽しみを、いわば別の"未来"を見せてくれたのではないか。死児の齢を数えるという言葉があるが、この場合は未生の児の歳を数えて、不安や希望を見出しているわけだ。
 そのような不安に満ちた日々は、やがて新生児の遺伝子解析の結果が出たことにより、終止符を打った。今回のケースでは、対象の夫婦に対して二組の、別々の夫婦の受精卵が同時使用された。そして新生児は、先の夫婦と遺伝上の関係が無いことが明らかになったのだ。この夫は「人生の一部が終わった」と形容した。妻は「ホッとした」といった。それぞれ、遂に生まれ出事の無かった"我が子"の運命に区切りがついたことを感じている。
 裕福なアメリカのキリスト教徒の間では受精卵すら尊重されるのに、同じキリスト教圏のフィリピンでは今、生きている子供たちが深い貧困にさらされている。首都マニラでは、地方から職を求めて集まってくる人がスラムを形成している。スラムに住む子供たちは、その日の食にさえ事欠く有様だ。
 スラムに暮らすある一家は、両親と男の子一人、女の子二人という家族構成だ。父親には定職が無く、時々運転手をして現金を得ているに過ぎない。生活は、この父親の乏しい現金収入にかかっている。
 最近、母親はまた妊娠した。キリスト教圏のフィリピンでは妊娠中絶は厳禁であり、妊娠は即出産を意味する。しかし貧しい暮らしに、4人目の子供は重荷だ。
 国民の平均収入が低く、貧困国とされているフィリピンで人口増加に歯止めが掛からないのは、宗教的な理由により前記のように中絶が困難であるからだ。その一方、避妊に対する意識も低い。
 政府は中絶を厳禁しながらも、人口増加に歯止めをかけるべく避妊そのものは広く普及させようとしている。しかし、国民の側の意識の問題により、あまり真剣には受け取られていない。日本がそうであるように、避妊では男性側の処置が手軽で効果的だ。コンドームの使用は、日本ではほとんどデフォルトと考えてよいくらいに普及している。しかし、フィリピンでは避妊は女性の責任とされ、より確度の低いペッサリーや、危険を伴う避妊手術しか普及して無いようだ。政府の政策に沿って、出産直後になら無料で避妊手術を受けられる。しかし、この女性はそれに躊躇した。一家の主婦である自分が入院している間、家族の面倒は夫が見るしかない。しかしそれでは夫の現金収入が途絶え、暮らしが成り立たなくなる。結局、この女性は避妊手術を諦めた。これでこの先の家族計画が成り立つのか、疑問が残るといわざるを得ない。子供は天からの授かり物、という類の大らかな意識が、あるいは彼らの現実の生活を困窮せしめているかもしれない。
 科学技術が新しい生命を育む一方、その科学技術が命を危険にさらすことも増えている。ロシアのセミパラチンスク郊外の寒村では、悪名高い核実験場の風下にあり、住民が長年にわたって高濃度の放射性物質を浴びてきた。そのことが明らかになったのは、ソ連崩壊後のことだった。
 住民の間には癌に冒されるものが多く、また生まれつき異常を持つ者も有意に多い。
 ある主婦は、こうした環境下で子供を生み育てることに躊躇しながらも、新しい子供を産む決意をした。彼女の長男は、生まれつき脳に障害があり、5歳になっても言葉を話せない。しかし兄弟が出来れば、あるいはより感情が活発になり、言葉を話せるようになるのではないか。そのような望みから新しい子供をもうけたのだ。
 それにしても、最初の家族と、続く二つの家族、そしてそのそれぞれの間の落差はなんだろう。裕福な国に生じたがために、ある受精卵はその段階から尊重される。ある国では生きている子供でさえもさほど尊重されない。こういう格差は、しかし先進国の内部にさえあるものだ。とはいえ、これほどの不均衡が生まれている状況を、命の多様性と捉えてしまっていいのだろうか。三つの事例全てに科学技術が影を落としていることを思うと、冷静に受け取ることは難しい。
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2001年3月03日(土曜日)

NHKスペシャル

テレビ 22:22:00
 今日のNHKスペシャルは、北海道のヒグマの生態を追う番組だった。
 北海道の知床半島には、数百等のヒグマが生息していると見られている。ヒグマは立ち上がると2mにもなる大型の哺乳類だ。一般に雑食性と知られ、よく動物を襲うものと考えられがちだが、実際には植物の方を好むようだ。
 番組では、去年生まれた子供と暮らす母子の行動を、1年にわたって追跡していた。子熊に"カムイ"と名付けていたが、確かにアイヌの人たちにとってヒグマは神の使いだったのだな。
 日本のヒグマは、北米の近縁種に較べて、生活圏が圧倒的に狭い。北米種のそれに較べ、たった1%程度にしか過ぎないのだそうだ。その為、別のヒグマと出会う可能性が高い。ヒグマたちのテリトリーははっきり決まっているので、その時は侵入者が退避してゆく。しかしそれぞれのテリトリー外にあるリソースの優先順位は、どうやって決まるのだろう。それは隣接する個体同士の順位で決まる。そのヒエラルキーの母集団が良く分からないが、多分ある個体から見て接触する可能性のある個体の全て、というところなのではないだろうか。猿の群れと異なり、実際には行動範囲の決まっている個体が散在する形になっているわけで、接触する可能性の無い個体同士の順位など、ほぼ無意味(というか決定できない)のではないだろうか。
 ヒグマの子育ては2年間に及ぶ。人間以外の動物の能力は、生得的なものがほとんどを占める。しかしヒグマは生まれつき泳ぐことが出来るわけではなく、母親の行動を真似、訓練することで得られるようだ。また川を遡上してくる鱒を捕る技術も、やはり母親の行動を真似ておぼえるようだ。
 ヒグマたちの順列を決めるのは、簡単にいって強さらしい。擬似的な闘争を経て、概ね平和裏に優劣が定まる。殺しあうようなことは少ないようだ。しかしオスによる子殺しなどもあるそうだ。なんかの本に、人間は動物がやらないことをやって、なおかつタブーを定めるということが書いてあった。近親相姦とか殺人とか、人間はそれらをきっちり実行した上で、かつタブーとして規定しているのが興味深い。それらが生得的に実行されない狼やヒグマと、それらをしばしば実行する人間とでは、どちらが高級な動物なのだろうか。
 秋が近くなると、2年目の小熊には親離れのための試練が待ち構えている。恐らく、母親が発情すると、子供を寄せ付けなくなるのだろう。母熊はカムイを突き放し、オスを追ってテリトリーから去ってしまう。ここからカムイが生き残るために闘争が始まった。この時期、川には鱒が多量に遡上し始めており、重要な蛋白源になっている。ところがカムイは技術的に未熟で、鮭をうまく捕らえることが出来ない。闇雲に追いかけるだけで、効率的な狩が出来ないのだ。しかも遡上し始めたばかりの鱒は元気一杯で、未熟なカムイにはとても手が出ない。カムイは海の漂着物で命を繋いでいた。しかし、やがて鱒が産卵期を迎えると、その動きが鈍くなってくる。そうなって初めて、カムイは母熊がやっていたように鱒の動きをじっくり見定めるという戦術を体得した。彼はようやく鱒を捕らえ、飢えを凌ぐことが出来るようになった。
 やがて懐かしい匂いが近づいてきた。雄熊との交尾を終え、発情期を過ぎた母熊が戻ってきたのだ。母子は久しぶりに身を寄せ合い、また共に暮らすようになった。これが不思議な点で、母子の別離はまだ先のようなのだ。しかし冬が来る頃には、この母子も別々に生きるようになる。
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